6月9・10日、名刺アプリ「Eight」を運営するSansanは国内最大級のカンファレンス「Climbers X LIVE 2026」を開催した。多くの著名人が自身の挑戦を語るなか、モバイルバッテリーシェアリングサービス「CHARGESPOT」で知られるINFORICH(インフォリッチ)の秋山広宣氏が語った挫折と成功への道のりとは?

○INFORICHの秋山氏が打ちのめされた「壁」とは?

ビジネス、スポーツ、エンターテインメントなど、各界を代表するトップランナーが東京ビックサイトに集結し、いかにして「壁」を打ち破ってきたかを語る日本最大級のカンファレンス「Climbers X LIVE 2026」。


その講演者のなかで、現役ラッパーでありながら経営者という変わった経歴を持つのが、モバイルバッテリーシェアリングサービス「CHARGESPOT」で知られるINFORICH(インフォリッチ)の代表取締役 兼 執行役員 Group CEOの秋山広宣氏だ。

「今日は、自分のストーリーを伝えに参りました」

ステージに登壇した秋山氏は、来場者に向けてこのように語りかける。
2026年、INFORICHは「CHARGESPOT」をアメリカ・ニューヨークで展開するという。『モバイルバッテリーを日本で借りて、ニューヨークで返せる』を実現する、国をまたいだビジネスへの挑戦だ。

一方で、秋山氏は自身の過去を告白する。それは、ラッパーとして成功することを夢見てニューヨークに渡り、本場の力量に打ちのめされた経験だ。その挫折から自殺未遂、最終的に精神病院に入ることになったという。

「僕にとってニューヨークというのは、一度完全に負けた場所です。いや、負けどころか命以外のすべてを失った場所です。どうすれば人はどん底から這い上がれるのか。“つながり”という人生のキーワードをもとにお話ししていこうと思います」
○客家の異端者として育った幼少時代と日本への移住

秋山氏は香港系中国人の父親と日本人の母親を持つ日中ハーフだ。ラッパー名である「NYCCA」は、同氏の広東名である「陳日華」から名付けられている。


父親のルーツは漢民族の支系、客家(はっか)。500年ほどの歴史がある一族の中で、父親の3番目の妻の子であり、唯一日本人の血を引く秋山氏は異質な存在だったという。さらに秋山氏の幼少時代、親族の中では相続を巡って日常的に争いが起きており、異様な緊張感の中で育ったそうだ。

秋山氏の生活が一変したのが、日本への移住だった。

「香港でも『ドラえもん』をやってましてね、朝の10時にアニメを見ながら親父に『香港はもう疲れたので日本に行かない?』と持ちかけたんです。そのころ母も家庭内政治にうんざりしていて、最終的には母の故郷である福島県いわき市に行くことになりました」

自然があふれるいわき市で開放的な生活を送ったのち、東京の高校へ進学した秋山氏は、ここで音楽との出会いを果たす。

「香港から音楽やファッション、カルチャーの話題を日本に持ち帰り、同級生と一緒に楽しんでいたんです。今思うと、それが自分の人生のミッションである“つながり”の原体験になっていましたね」

秋山氏がとくに惹かれたのはヒップホップだ。リアルでは言えない本音を表現できるヒップホップには、香港での体験とは180度異なる“自分の言いたいことを言う”文化があった。

「高校時代からラップを始めてライブ出演もしていました。ある意味、反発でもあったんですが、自分にしかできないことはなにかと考えたときに、ラップに英語と日本語だけでなく、広東語を使ってみようと思ったんです。それがみんなに喜んでもらえて、自分のユニークネスになったんじゃないかな」

どん底まで落ちることになったニューヨークでの挫折


高校時代からラッパーとして名を知られるようになり、卒業時点でデビューのオファーもあったという秋山氏。
だが「もっと上にいける、アメリカを目指す」と、大学進学を機にニューヨークに渡る選択肢を選ぶ。しかし、アメリカには本当の貧困を乗り越え、マイク一本で戦っているMCたちが大勢いた。秋山氏は「完全に打ちのめされてしまった」と語る。

「自分はそこまでの経験もないし、英語のラップスキルも不十分でした。そんな挫折を受け止められず、間違った道に進んで精神的にも病みました。そして最後は15番街でダンプカーに突っ込み、間一髪のところで友人に止められました。気がついたときには病室で、目が覚めたのは3日後でした」

こうして秋山氏は、1999年のクリスマスに半ば強制送還のような形で日本に帰国。その後も言語障害や人間不信が続き、さらに治療に使っていた薬が体にあわず、筋肉が硬直して19歳で要介護状態に。医者からは回復まで3年掛かると宣告された。

「でも、その中で『このままでは死ねない。このままで終われない』という思いがわき上がり、リハビリを続けて6カ月で社会復帰してアルバイトを始めました」

東京の府中市に住み、缶コーヒー工場で働きながら1年間で130万円を貯めた秋山氏は、バックパックひとつで海外を旅行。さまざまな人や文化に触れて心の回復を図り、まだ諦められない音楽への思いを再確認したという。
同時に結婚も果たし、妻含む親族6人で3LDKに暮らす生活が始まった。

「このような生活の中で、背中を押してくれたのが母だったと思います。25歳までに結果が出なければ諦める、そこまでは応援してほしいと伝えて、朝から夕方までは働いて、ラッパーとしてライブに行って、そのまま漫画喫茶に泊まって、また会社に行く。そんな二足のわらじを履いていた時期でした」

その甲斐もあって2007年にユニバーサルミュージックとの契約を獲得。だが2年で契約終了となり、3カ月間、妻の給料だけで生活する時期もあったそうだ。秋山氏は「家計も非常に大変でしたし、本当に妻には感謝しかないです。もちろん、いまもですけれども」と振り返る。

厳しい生活の中で家計を支えるために、秋山氏はコンサルティング事業、アーティストのプロデュース、アーティストの海外展開を軸とした事業を開始する。強みは、香港と日本のつながりだ。

「この3つの軸はそれぞれバラバラに見えると思いますが、自分の中ではひとつになっています。人と人、日本と香港、カルチャーとカルチャーを1本の線でつないでいる。そこで初めて、『“つなぐ”ことが自分の使命なんじゃないか?』と明確に思えました」
○勝機を信じて、わずか4カ月でのスピード展開

その後、秋山氏は、それまでの事業経験と人とのつながりを活かしてINFORICHを立ち上げ、2018年に「CHARGESPOT」の事業を開始する。
中国では2015年にモバイルバッテリーシェアリングが先行して始まっていた。秋山氏は、事業化のカギはスピードにあると考え、準備からローンチまでをわずか4カ月で走り切った。

「バッテリーを“借りる場所”と“返せる場所”がいつでもどこにでもないと、事業は継続できない。『バッテリーはコンビニで売っているし、中国で上手くいっているとしても、日本では絶対うまくいかない』と何度も言われました」

だが「日本でも絶対に需要がある」と信じて疑わなかった秋山氏は、さらに展開スピードを加速。外出が減ったコロナ禍を乗り越え、2022年に東証グロース市場への上場を果たす。そして2026年4月、アメリカの投資ファンド・ベインキャピタルとのMBOを発表。ニューヨークへの挑戦が始まった。

「今度はダンプカーに突っ込むのではなく、CHARGESPOTを持って勝ちに行きます。勝つまでは負けじゃない、負けとは諦めることだと思っています」

最後に秋山氏は、会場に集まったビジネスパーソンに向けたラップをリクエストされ、それに応えた。そのリリックは、まさに秋山氏の半生が色濃く反映されたものだった。

人生には予期せぬ挫折が訪れることがあるだろう。しかし、その挫折をどう乗り越え、どう次のステップにつなげるかが、その人の真価を決めるのかもしれない。
「つなぐ」を人生のキーワードとする秋山氏の世界への挑戦に、目が離せない。
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