資本も知性も経験もある成功者たちが、なぜ天候ひとつで一年の努力が無に帰すワイン造りに惹かれるのでしょうか。
効率や合理性とは対極にある自然の世界で、彼らが求めているのは、贅沢な暮らしでも投資収益でもありません。
思い通りにならないものを受け入れることで得られる、深い充足の正体を、『エグゼクティブはなぜワインにはまるのか?』(今野有子/クロスメディア・パブリッシング)から抜粋してご紹介します。
○受容
サンフランシスコからニュージーランドへ。小説の章を一つ読み終えるごとに、私は窓の外を眺めた。
まだ海の上か。私は窓の外に広がる太平洋の深い青を眺めていた。十三時間ものあいだ、太平洋を南下し続ける。
機体はただひたすらに、地球の大部分が海であるという途方もない事実の上を滑り続けていく。
分刻みのスケジュールをこなし、一分一秒を何らかの「成果」に変換しなければと急かされる日常。朝から晩まで通知に追い立てられ、常に次のタスクを考える。「効率」が全てを支配する息苦しいほどのスピード感の中にいると、人間の意志が介在する余地のないこの巨大な空白こそが、何よりの贅沢に思えてくる。
ようやく到着した早朝のオークランド。国内線乗り継ぎは遅延便が多くごった返していた。
以前の私なら苛立っていたはずの想定スケジュールの遅れ。けれど、空港のベンチで慌ただしく電話をかける人々を眺めながら、私は妙に落ち着いた気持ちでコーヒーを飲んでいた。いつまでも表示されない目的地の掲示板をぼんやりと眺めながら、「時間」について考える。
効率的に移動することだけを目的とした出張という名の旅において、遅延というコントロールできない停滞は、神様が与えてくれた、数少ない「考えるための余白」なのかもしれない。
降り立った空港からは整然とした果樹園がどこまでも続いていた。
最新技術を用いた、指一本分も狂いなく並ぶリンゴや桃の樹々。そこには、人間が知恵を絞り、自然を完璧な秩序の下に飼い慣らした「ビジネスとしての農業」の正解が結実していた。
街を抜け、トゥキトゥキ川を渡り、目的地のワイナリーの門をくぐる。背後にそびえるテ・マタ山の、剥き出しの岩肌が西日に焼けて、まるで古い城壁のように神々しくそびえ立っている。なだらかな丘に広がる葡萄畑は、先ほどまでの機能的なリンゴ園とは対照的に、人間のコントロールを超えた「意志」を漂わせていた。
実業家でもあるオーナーが出迎えてくれ、彼と一緒に葡萄畑を歩く。カベルネ・ソーヴィニヨン、シラー、メルロー。
「ここを見てくれる?」
彼は歩みを止め、窪地に立つ一本の樹を指差した。周囲の葡萄の葉が、瑞々しく輝いている中で、その一角は、まるで時間が凍りついたかのように茶色く枯れ果てていた。それは、その年の春を襲った遅霜の生々しい爪痕だった。
遅霜はワイナリーが最も警戒する自然の脅威だ。冷たい空気が低い地表に溜まり、芽吹いたばかりの葡萄を凍らせてしまったのだ。同じ畑でありながら、わずか数メートルの高低差が、豊穣か、死かを残酷に分ける。数字とロジックでビジネスを成功させてきた実業家である彼にとって、これは耐え難いエラーではないのか。
私は彼の顔を覗き込み、不条理への嘆きや、対策を悔やむ言葉が出てくるのを予想した。
「これはひどいですね。収穫量はかなり落ちてしまったのではないですか」
しかし、彼は枯れた葉を慈しむように見つめ、驚くほど穏やかに笑った。
「自然が相手だからね。
その声には、諦めでも敗北でもなく、凛とした「受容」の響きがあった。
「大事なのは、生き残った葡萄で何を語るか。この霜を越えた葡萄には、例年とは違う力が宿る。考えるべきことは、どんなワインで表現するかだからね」
なんだか少しわくわくしているような、冒険心に満ちた表情。その横顔を見た瞬間、私は胸の奥が熱くなるのを感じた。
なぜ、成功を極めたエグゼクティブたちは、ワイナリーという自然相手の不確実な世界に身を投じるのか。その答えを、この瞬間にみつけられたような気がした。
金で買える安らぎや、快適さを手に入れることなど、とっくの昔に叶えている。彼らが求めているのは、自分の知性も資本も通用しない、圧倒的な「ままならなさ」と対峙すること。思い通りにならない自然を静かに受け入れ、敬意を持って適応していく過程にこそ、深い充足があるのだろう。
夕陽が葡萄の葉を黄金色に染め上げていく。完璧な年よりも、はるかに饒舌な物語を秘めた今年のヴィンテージ。
冷たさを増したニュージーランドの風を深く吸い込みながら、私は今、この場所に立ち会えた幸福を静かに噛み締めていた。
○ 頂点を極めた者たちが向かう「究極の自己表現」
シリコンバレーで成功した実業家の多くが、ナパ・ヴァレーやソノマに土地を購入し、ワイン事業に投資しています。
アリババ創業者ジャック・マーはボルドーにシャトーを所有し、映画監督フランシス・フォード・コッポラはナパの名門ワイナリーを再興しました。スポーツ界ではイニエスタやヤオ・ミン、アンドレア・ピルロといったトップアスリートたちが自らの名を冠したワイナリーを所有し、妥協なき美学を追求しています。
ビジネス、アート、スポーツ。それぞれのフィールドで世界の頂点を極め、望むものはすべて手に入れられるはずの彼らが、人生の後半に欲しがるもの。それが、自分のワイナリーです。
ワイナリーという言葉には、確かに抗いがたいラグジュアリーな響きがあります。葡萄畑に面した美しいテラスで夕陽を眺めながら、自慢のワインでゲストをもてなす。そんな、洗練された成功者の象徴のようなイメージが先行するかもしれません。
しかし、その華やかなカーテンを一枚めくれば、そこにあるのは泥臭い「農業」の現実、自然との対峙があります。
真夏の照りつける太陽の下での剪定、収穫期の深夜に及ぶ重労働。その上、葡萄は暑すぎても、寒すぎても、雨が降りすぎても、降らなすぎてもだめです。
そして何より、先ほどご紹介した遅霜のように、一年の努力がたった一晩の気まぐれな天候で無に帰すリスク。さらには、近年は毎年のように山火事の被害が直撃しています。ビールなど工場で作れるお酒とは違い、一年に一回しか醸造チャンスはありません。
投資効率や経済合理性を重視するビジネスの論理からすれば、これほど「割に合わない」事業はないかもしれません。
では、なぜ彼らは大金をかけてワイナリーを欲しがるのでしょうか。彼らにとってワイン造りとはどんな意味があるのでしょうか。
○「ままならなさ」という名の快楽
その理由は、逆説的ではありますが「自分の知性も資本も、自然の前では完全に無力である」という事実にあるのかもしれません。
現代のビジネスは、アルゴリズムと予測モデルによって制御可能なものになりつつあります。データを活用し、分刻みの決断を下す彼らは、あらゆるリスクを考慮し、不確実性を排除することに心血を注いできました。
また、彼らは「1秒でも早く、1円でも効率的に」結果を出すことを求められる世界に生きています。
しかし、ワイン造りはその対極にあります。巨万の富を築いた彼らは、お金で買えるものに心を躍らせる段階は卒業しています。だから、どれだけお金を積んでもショートカットできない「ワイン造り」や「農業」に惹かれるのかもしれません。
自分の思い通りにならない大自然の猛威に頭を垂れ、土の匂いや泥の冷たさという「圧倒的な身体性」を取り戻すこと。「ままならなさ」への直面こそが、彼らにとっての究極の癒やしであり、一種の快楽ですらあるのです。
すべてをコントロールしようとする呪縛から解き放たれ、圧倒的な自然の摂理を静かに受け入れる。予想外に起きたことを、一つの物語として受け入れる。そのプロセスに、彼らは効率主義の社会で摩耗した「人間性の回復」を見出しているのです。
○『エグゼクティブはなぜワインにはまるのか?』(今野有子/クロスメディア・パブリッシング)
現代のビジネスシーン、特にグローバルな環境や富裕層ビジネスにおいて、ワインは単なるアルコール飲料ではなく、「共通言語」であり「信頼の指標」となっています。しかし、多くの日本企業のリーダーは「知識がないから」と及び腰になるか、単なる「ラベル(値段)重視の消費」に留まっています。本書は、株式会社アルムンド代表として数々のエグゼクティブにワインを供してきた今野氏が、彼らがなぜワインに心酔し、それがどのようにビジネスの成功(人脈・決断力・品格)に直結しているのかを解き明かす1冊です。











![[USBで録画や再生可能]Tinguポータブルテレビ テレビ小型 14.1インチ 高齢者向け 病院使用可能 大画面 大音量 簡単操作 車中泊 車載用バッグ付き 良い画質 HDMI端子搭載 録画機能 YouTube視聴可能 モバイルバッテリーに対応 AC電源・車載電源に対応 スタンド/吊り下げ/車載の3種類設置 リモコン付き 遠距離操作可能 タイムシフト機能付き 底部ボタン 軽量 (14.1インチ)](https://m.media-amazon.com/images/I/51-Yonm5vZL._SL500_.jpg)