靖国参拝を見送った高市総理は「現実的」と擁護され、石破前総理は「売国奴」と批判されました。同じ行動になぜ保守派の反応は真っ二つに分かれたのでしょうか。

ノンフィクションライター 窪田順生



天皇陛下は「反省」
高市首相は「反省しない」



 人気ドラマ「ドクターX」で俳優・米倉涼子さん演じた天才女性外科医のキメ台詞といえば「私、失敗しないので」だったが、こちらの御仁のキメ台詞はさしずめこんなところだろう。



「私、反省しないので」――。



 8月15日、日本武道館で執り行われた全国戦没者追悼式典の式辞で「反省」を口にしなかった高市早苗内閣総理大臣のことである。



 昨年、石破茂元首相が13年ぶりに「反省」という言葉を復活させたが、その2文字を再び葬り去ったことが、支持者や保守派の皆さんから高評価を受けており、中でも称賛されているのが、「ブレていない」という点だ。今から30年ほど前、新進党の新人議員だった高市首相は、河野洋平外務大臣への質問で「過去の戦争についての反省」について触れて、このような主張している。



《「新憲法の下で政治的自由、民主主義体制の支持があるのも反省があるからこそ。日本国民は反省をきちんと持ち続けなければならない」と、日本国民全体の反省があると決めつけておられるのですけれども、少なくとも私自身は、当事者とは言えない世代ですから、反省なんかしておりませんし、反省を求められるいわれもないと思っております》(衆議院 外務委員会 1995年3月16日)



 この30年前からの「過去の戦争なんて知らないし、反省なんかするもんですか」というスタンスを「戦没者を追悼し平和を祈念する日」(厚生労働省ホームページ)の場でも貫いたのが、今回の式辞だったというわけだ。



 この「有言実行」によって高市首相は「岩盤支持層」である右派メディアや保守系論壇、SNSユーザーなどからは「保守の鑑」など褒め称えられている。筆者が取材をした保守政治家もこう述べている。



「靖国参拝しなかったのは外交上の配慮という現実的判断。熊本の地震の対応もあったので遥拝で十分。それよりも自虐史観をしっかりと否定して、石破政権の親中路線、土下座外交を断ち切って、まともな国へとたて戻していくことの方が急務だ」



 愛国心あふれる人たちからの「その通り!靖国参拝した、しないでいちいちギャーギャー騒ぐことが習近平の思う壺なんだよ」という声が聞こえてきそうだ。ただ、ケチをつけるわけではないが、筋の通らない部分もある。



 靖国参拝せずに「売国奴」と叩かれた石破元首相も昨年同時期は、トランプ関税交渉の合意直後で、国連総会、日韓首脳会談など「外交的配慮」をしなくてはいけないイベントが控えていた。また、8月6日から全国的な豪雨で災害対応にあたっていた。にもかかわらず、高市首相のように「現実的判断」だと擁護する声はほとんどあがらなかった。



 同じ状況で同じ行動をしても、石破元首相の場合は「売国奴」で、高市首相の場合は「愛国者」と持ち上げられるというのは一貫性に欠けているのではないだろうか。



 保守が敬愛している天皇陛下は過去の戦争を振り返る際に常に「反省」という言葉を用いているからだ。例えば、今回の全国戦没者追悼式典の式辞をこう述べておられる。



「戦後の長きにわたる平和な歳月に思いを致しつつ、過去を顧み、深い反省の上に立って、再び戦争の惨禍が繰り返されぬことを切に願い」



 この「反省する天皇陛下」という姿を国民に示してきたのは今上陛下だけではなく上皇陛下も同様だ。高市首相のロジックに基づけば、戦後世代である上皇陛下や天皇陛下は反省などする必要もないし、反省を求められるいわれもない。



 にもかかわらず、なぜ戦争のたびに「反省」を述べているかというと、昭和天皇の「思い」を受け継いで、次世代に伝えていく意志からだと言われている。



 昭和天皇は公の場で生涯、戦争について「反省」という言葉を口にすることはなかった。といっても、高市首相のように「反省なんかするものですか」というスタンスではなく、本当は国民に向けてあの戦争について悔やみ、反省しているということを伝えたかったが、周囲から押さえ込まれていた。



 1952年、サンフランシスコ講和条約発効と憲法施行5周年を祝う式典に向けた草稿の中で、昭和天皇は「反省といふのは私ニ(に)も沢山(たくさん)あるといへばある」「矢張り過去の反省と将来自戒の個所が何とか字句をかへて入れて欲しい」などと強くこだわったということが、当時の宮内庁長官・田島道治の文書で明らかになっている(2019年8月20日 AFPBB News)。



 では、なぜ陛下ご自身として強くこだわった「悔恨と反省」が封印されたのかというと、政治的配慮だ。草稿を読んだ吉田茂首相(当時)が「戦争を御始めになつた責任があるといはれる危険がある」と反対して最終的に「悔恨と反省」という文言が削除されてしまったのだ。



 しかし、封印された昭和天皇の戦争への後悔や反省は時を経て、上皇陛下や今上陛下によって我々国民に伝えられることとなったのだ。一般的な感覚では、どういう事情があろうとも天皇陛下を敬愛して、「思い」に寄り添うのが「保守」と呼ばれる人々だ。



 例えば、「保守政治家 わが政策、わが天命」(講談社)という著書もある石破茂元首相は昨年の戦没者追悼式で「あの戦争の反省と教訓を、今改めて深く胸に刻まねばなりません」と述べている。「過去を顧み、深い反省の上に立って」という陛下のお言葉としっかりリンクしている。にもかかわらず、この発言をしたことで石破元首相は「保守」と呼ばれる皆さんに「国賊認定」されてしまうのである。



 一般参賀などで「天皇陛下万歳!」と唱え、2600年以上も続くこの血統を守ることが日本人の使命なのだと主張しているのに一方で、天皇陛下の「戦争への思い」には同調することは認めず、むしろ「反日的発言」だと糾弾している、というのは「ダブルスタンダード」ではないだろうか。



 断っておくが、保守の皆さんを批判する意図はない。思想信条は自由なのだが、保守ではない人たちから見ると、こういう筋の通らないモヤモヤする話が多すぎるので、保守運動を盛り上げていくためにも、一般市民にも理解できるような形で説明していった方がいいのではないかと言いたいのである。



 実際、これまでも「保守」が天皇陛下を批判するという「カオスな論争」も起きている。



 ご存じの方も多いだろうが、昭和天皇は靖国神社にA級戦犯が合祀された以降、参拝をしていない。

上皇陛下も今上陛下も同様だ。一方で、戦死者や犠牲者に祈りを捧げる「慰霊の旅」は精力的に行ってサイパンやフィリピン、パラオなどにも行っている。



繰り返される
愛国心暴走の歴史



 これに噛み付いたのが、靖国神社だった。2018年、小堀邦夫宮司(当時)が「天皇批判」をする内部会議での音声を週刊誌に報じられ、海外メディアにも取り上げられるほど注目を集めた。



《小堀宮司は「陛下が一生懸命、慰霊の旅をすればするほど靖国神社は遠ざかっていく(中略)今上陛下は靖国神社を潰そうとしている」と述べ、天皇批判という禁忌を破った。同宮司はまた、皇后となる雅子親王妃が神道を「嫌い」なので、明仁天皇が退位すれば、徳仁皇太子と雅子妃は靖国神社を参拝しないだろうとも語った》(BBC NEWS JAPAN 2018年10月12日)



 結局、小堀宮司は退任。この舌禍騒動はひとつの大きな教訓を示した。強烈な愛国心を制御できなくなった人というのは、相手が天皇陛下といえども、自分の信念にそぐわない言動をした場合、反旗を翻すということである。



「貴様!保守を侮辱するのか」というお叱りが飛んできそうだが、天皇陛下がおっしゃるように「過去を顧み、深い反省の上に立って」みれば、そういう「愛国心の暴走」が珍しくないことがわかる。



 その代表が「宮城事件」だ。映画「日本のいちばん長い日」の舞台となった歴史的大事件なのでご存じの方も多いだろう。



 簡単にいえば、ポツダム宣言受諾を決めた天皇陛下の「ご聖断」を撤回させるため、愛国心あふれる青年将校たちが皇居を占拠、戦争終結を国民に呼びかけた玉音放送も阻止して軍事クーデターを画策した事件である。



 もしこれが成功していたら、日本各地でゲリラ戦が行われ、3発目の原爆も投下された可能性もあり、国民の犠牲は凄まじいことになっていたはずだ。



 しかし、この青年将校たちはそんな事態を望んでいたわけではない。天皇陛下に対して敬意を欠いていたわけでもない。「日本のため」という強烈な愛国心を持ち、徹底抗戦こそが国や国民を守るのだという信念があり、それを阻止することは「陛下の決断は間違っている」という考えに至ってしまったのである。



 愛国心あふれるSNSユーザーたちの論調を見たり、保守の皆さんと意見交換をしたりすると、筆者は宮城事件の青年将校たちを思い出す。



「日本のため」「日本を守る」ということを主張する一方で、その愛国心の強さから勢い、天皇陛下や皇室について批判的なことまで言及される。中には、日本共産党よりも辛辣なことを言う人もいる。



 誤解を恐れずに言わせていただくと「愛国心が強い人ほど、天皇陛下の感情や人権を無視する」という傾向があるのだ。



 その象徴が、皇室典範改正における「旧宮家の男系男子の養子縁組」だ。この法律を推し進めた保守の皆さんが「男系男子」にこだわってきたのは、神武天皇から2600年以上続く男系継承を維持すべきだという考えがある。支持者の中には、その連続性を「Y染色体」になぞらえて説明する人もいる。



 そう聞くと、天皇家のことを何よりも大切にしているという印象を受けるが、「思い」や「人権」についての配慮は見受けられない。



 今上陛下はこの制度について「国民の皆さんの理解が得られるものとなることを望んでおります」というおことばを述べたが、「旧宮家の男系男子の養子縁組」の理解が得られているとは言い難い状況で強引に推し進められた。



 また、自民党内で高市首相を支える中曽根弘文・憲法改正実現本部長も愛子さまの皇位継承について「あり得ない」と全否定。おまけに「愛子さまは天皇になったら結婚する人もいない」「男性のお子さんを産まないといけないというプレッシャーがある」などと発言して、24歳の女性に対してかける言葉なのかと批判が殺到した(後に釈明し、「男性のお子さん」を「お子さま」に訂正)。



 こういう保守政治家たちの言動を見ていると、彼らが掲げている「愛国心」の中には「Y染色体」とか「2600年以上の皇統」は含まれているが、天皇陛下や皇室の皆さまがひとりの人間として持つ「尊厳」や、過去の悲しい歴史にどういう思いを抱いて、未来に生かそうとしているかといった「思い」に対する配慮はゴソッと抜け落ちてしまっているように感じる。



 こういうナショナリズムの暴走が繰り返されることも、人類の歴史は証明している。最後に高市首相に哲学者ジョージ・サンタヤーナの言葉を捧げて、本稿を終えたい。



「過去を忘れようとする者は、過去を繰り返す運命にある」

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