質素な生活、長期投資、誠実な人柄――。ウォーレン・バフェット氏には「人格者」のイメージがつきまといます。
しかし、投資家として成功し続けた理由は、本当に人間性の高さにあったのでしょうか。

本記事では『なぜ金融の勝者はいつも同じ顔ぶれなのか 教養としての金融市場』(鹿子木健/講談社+α新書)から抜粋し、多くの人が見落としているバフェット投資哲学の本質に迫ります。
○バフェットを「人格者」として描かない

世間に流通しているウォーレン・バフェット像は、驚くほど一貫しています。質素な生活、長期投資、忍耐、誠実さ、顧客第一。どれも事実です。しかし、ここに落とし穴があります。

人は、成功者を「人格者」として理解したがります。なぜなら、そのほうが安心できるからです。正しい人が報われた。善い人が勝った。そう理解できれば、世界はまだ公正だと思える。

しかし、バフェットの投資を丁寧に見ていくと、その理解は成り立ちません。
彼が勝ち続けてきた理由は、「人格の高さ」ではないからです。

バフェットは、善意で投資していません。社会を良くしたいから企業を買っているわけでもない。誰かを救うために資本を投じているのでもありません。彼が一貫して見ているのは、その事業がどの程度の確率で生き残るか、そしてその構造が、自分にとってどれほど不利になり得るか、その二つだけです。

もしある産業が衰退すべき構造にあるなら、そこに従事している人がどれほど努力していようと、どれほど誠実であろうと、判断材料にはなりません。それを冷たいと感じる人は多いでしょう。しかし、それは冷淡なのではありません。

最初から、混ぜていないだけです。多くの投資家は、判断に感情を混ぜ込みます。「この企業には思い入れがある」「この経営者は誠実だ」「このやり方は応援したい」。

バフェットは、それをしません。
善悪を判断しないのではなく、善悪を市場に持ち込まないのです。だから彼は、勝とうともしません。少なくとも、世間が考える意味での「勝利」には、関心がありません。

他人より先に動こうとしない。市場と競争しようとしない。自分が正しいことを証明しようともしない。彼がしているのはただ一つ、自分が壊れない位置に居続けることです。この姿勢は、誤解されやすい。

派手に勝たない。声高に語らない。説明もしない。結果として、「人格者」に見える。
しかし、それは目的ではありません。副産物です。人格者としてバフェットを描いてしまうと、読者は必ず間違います。「善人であれば勝てる」「誠実に続ければ報われる」「我慢は美徳である」。

市場は、これらを一切評価しません。市場が返すのは結果だけです。努力を認めない。動機を評価しない。正しさを称賛しない。バフェットは、その事実を誰よりも深く理解していました。だから彼は、自分を善人として扱わない。人格を投資判断に持ち込まない。


彼の強さは、能力でも才覚でもありません。距離です。感情から距離を取る。世間から距離を取る。評価から距離を取る。勝ち負けからさえ距離を取る。彼は、自分を「成功者の側」に置こうとしませんでした。「わかっている側」に立とうともしなかった。その位置が、最も危険だと知っていたからです。

なぜそれでも、彼は人格者に見えるのか。長期で行動するからです。過剰な発言をしないからです。
結果が出ても誇らないからです。しかしそれは、徳を積んだからではありません。徳を期待していないからです。

日本人が最も取り違えやすいのは、この点です。私たちは、「正しさ」と「生存」を無意識に結びつけます。正しくあれば、長く続く。誠実であれば、報われる。市場は、その期待を残酷に裏切る装置です。

バフェットは、それを疑わなかった。信じなかったのではなく、最初から期待しなかった。だからこそ、勝ったのではありません。勝とうとしなかったから、残った。


なぜ「勝とう」とする人ほど負けるのか。それは、勝とうとする瞬間に、市場ではなく、自分の自尊心と戦い始めるからです。

バフェットは、その戦場に立たなかった。だから彼は、最後までそこに居続けた。人格者だったから勝ったのではない。人格を市場に差し出さなかったから、生き残った。この違いを理解できるかどうかで、投資の世界は、まったく別の風景に見え始めます。

○『なぜ金融の勝者はいつも同じ顔ぶれなのか 教養としての金融市場』(鹿子木健/講談社+α新書)

一日10兆ドル以上と、日々天文学的な数字の取引がされている金融市場。金融市場を知ることは、世界の仕組みを知ることだ!本書を読んでも、これから有望な金融商品を知ることはできないが、もっと大切な「世界基準のものの見方」を知ることができる。金融市場はある意図をもってつくられ、そして歴史上、数多くの大危機を乗り越えながらさらなる拡大を続けてきた。危機の度に多くの者が市場から退場させられたが、必ず勝ち残ってきた者たちもいる。勝ち残ってきた者たちとはどのような者だったのか。
じつは彼らにはある共通の思考法があった。
編集部おすすめ