【増田俊也 口述クロニクル「茶の間を変えたコメディアン 欽ちゃんのぜ~んぶ話しちゃう!」】#42


 作家・増田俊也氏による連載、各界レジェンドの生涯を聞きながら一代記を紡ぐ口述クロニクル。待望の第2弾は、「視聴率100%男」として昭和のテレビ界を席巻したコメディアンの萩本欽一氏です。


  ◇  ◇  ◇


萩本「うん。でもうれしかったのが、TBSが結構当たって儲かってたから、55号を離したくないんで、スポンサーなしでいいって。ありがたいなと。そうなるとさ、恩があるじゃない。クイズ番組をやるという話になって、そのときにちょうどフジテレビの欽ドンでロケをやったんです。外に出て街ゆく人にマイクを向けていろいろ聞こうって企画だったんだけど、同じ場所でどこかのラジオ局がロケをやってるってんで、人がみんな向こうへ集まっちゃってるっていうのよ。じゃあ、それが終わるまでちょっと待とうかって待ってたの。しばらくして向こうのロケが終わったと思ったら、私の前を垢抜けた格好いい若い男の子が通ったの」


増田「それが久米宏さん*だったと?」


※久米宏(くめひろし):アナウンサー、ニュースキャスター。1944年埼玉県生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業後、1967年TBS入社。ラジオ『土曜ワイドラジオTOKYO』、テレビ『ぴったし カン・カン』『料理天国』『ザ・ベストテン』などの司会で人気を得る。1979年に退社しフリー。

1985年に始まったテレビ朝日『ニュースステーション』のメインキャスターを18年半務めた。2004年3月の最終回では、手酌のビールを一気飲みし「お別れです。さようなら」と締めくくった。2026年1月没。


萩本「そう。久米宏さんだった。その時は知らないから『誰、あれ?』ってスタッフに言ったら『TBSの新人アナウンサーだよ』って教えてくれて。TBSっておかしいよね、だってすごくスタイルいい人を、テレビじゃなくてラジオで使ってるんだもん」


増田「なるほど(笑)」



石原裕次郎さんみたいだった」

萩本「俺そのとき思ったの。石原裕次郎さんの歩き姿と同じだなって。ポケットに手を入れてない石原裕次郎さん。『この人をラジオで使ってるってのはあなたがた変だよ』って俺言っちゃったの」


増田「まさに久米さんの運命を変える出会いでしたね」


萩本「うん。『俺、TBSでクイズ番組やるのはこの人にしたいね』なんて冗談で言ったの。

みんな『大将が決めた』って言うけど、プロデューサーにはそうは言ってないですよ。だけど誰にしようかって言ってるから『アナウンサーがいいんじゃないですか』とは言った。そしたら『アナウンサーでいいやつ、うちにいないか調べてくれ』って部下に言うから俺、『新人にした方がいいんじゃないですかね』って言った。そしたら1人いた。それが久米ちゃんだった。『うーん、大将って新しいもの好きだからね。じゃあ久米ちゃんでいくか』って。『それいい考えじゃないの』って言った。だから久米ちゃんも知らない話なんですよ」


増田「ポケットに手を突っ込んでない石原裕次郎っていうのがわかりやすい表現ですね(笑)」


萩本「本当に足を前に投げるように歩いてたんだよ。(立ち上がって)脚の長い人ってね、こうやってヒョイヒョイと足を投げて歩くんですよ。俺や二郎さん見てもわかるじゃん。(肩を狭めて猫背になり)こうやってちょいちょいちょい、着地が早いのよ。

で裕次郎さん足投げるじゃん。こうやってさ、投げるんだから。だから長く感じるんだよね。それで久米ちゃんはポケットに手入れてないんだもん。かっこいいよ」


増田「なるほどね」


萩本「マイク持ってるから手入れられないんだよな。かっこいいな。足を投げてるよ。久米ちゃんは俺のなかでは石原裕次郎さん。あれで歌ったら完全だよこれ。裕次郎をラジオで使ってるって、それこそ間抜けでしょ。久米ちゃんは知らなかったんじゃないですか。俺が決めたとか」


増田「久米さんは知らなかったんですか?」


萩本「だってそういうのって全部裏でやってるからね。

絶対外に出ないように。もう本当見えないところで」


増田「『ぴったしカン・カン』があって、『ザ・ベストテン』でさらにブレーク」


萩本「それで『ニュースステーション』でしょ。だから」


増田「どこで誰が見てるかわからない」


萩本「そういうのが運ですよ。俺は運でしか番組やってないから。だけどね。これが不思議なんですよ。いまだから私も言うんだけど。当時『俺が決めた』とかって言ってたらね、運が消えていくんですよ。これが不思議なの。言っちゃうとダメなんだ」


増田「運に関する信念は揺るぎないですね」(つづく =火・木曜公開)


▽はぎもと・きんいち 1941年、東京都生まれ。高校卒業後、浅草での修行を経て、66年にコント55号を結成。故・坂上二郎さんとのコンビで一世を風靡した。

その後、タレント、司会者としてテレビ界を席巻し、80年代には週3本の冠番組の視聴率がすべて30%を超え、「視聴率100%男」の異名をとった。社会人野球「茨城ゴールデンゴールズ」の初代監督、2015年には73歳で駒澤大学仏教学部に入学するなど挑戦を続け、25年10月にスタートしたBS日テレ「9階のハギモトさん!」は今年4月からSEASON3に突入した。


▽ますだ・としなり 1965年、愛知県生まれ。小説家。北海道大学中退。中日新聞社時代の2006年「シャトゥーン ヒグマの森」でこのミステリーがすごい!大賞優秀賞を受賞してデビュー。12年「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」で大宅壮一賞と新潮ドキュメント賞をダブル受賞。3月に上梓した「警察官の心臓」(講談社)が発売中。現在、拓殖大学客員教授。


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