【増田俊也 口述クロニクル「茶の間を変えたコメディアン 欽ちゃんのぜ~んぶ話しちゃう!」】#41


 作家・増田俊也氏による連載、各界レジェンドの生涯を聞きながら一代記を紡ぐ口述クロニクル。待望の第2弾は、「視聴率100%男」として昭和のテレビ界を席巻したコメディアンの萩本欽一氏です。


  ◇  ◇  ◇


萩本「そうなんです。私はね、そういう祝儀の習慣がないから社長に『芸能界ってそうするのが当然みたいに思われてるかもしれませんけど、私はやってませんので』って言ったの。でもいやいやまあそう言わずにって言うから『わかりました、じゃあいただきます』ってそれから申し訳なくてお付き合いできなくて」


増田「でもそういう大人に若いときに会ったっていうのはものすごい財産ですね」


萩本「なんかね、苦労すると必ずいい大人といい言葉がついてくる。だけど、いま若いのと話してて『何かそういう話ない?』って聞くと、何にも出てこないもん。だから今私が言ってるのは『日本総運なし』ってね。こんだけ豊かでも、運がないですよ。昭和は運だらけだよね」


増田「そうですね。隙間もたくさんあったし、みんなが生きる希望を持てた」


萩本「だってね、雪の国からさ、中学卒業してさ、みんな上野駅に学生服で来てね、ネジ作る会社とかに行って。今ね、だいぶ大きくなった会社もあるでしょうけど」


増田「そうですね。でももしかしたら今の若い子たちはそういう運に気づいてないのかもしれないですよね。そういう人がいるんだけど気づかないとか、言葉をもらっても耳から抜けちゃうとか」


萩本「そうそうそう。ダメな奴が謙虚になってそういうチャンスもあるの。

私にはちょうど運が出た。30%番組がね、3つ、本当は4つなんだけどね。あれね、マスコミってうまいね。視聴率100%男っていうけど、あのとき『ぴったしカン・カン』*も30%行ってたんですよ。でも入れてないんですよね。番組名に欽ちゃんって書いてないから」


※ぴったし カン・カン:TBS系のクイズバラエティー番組。1975年10月から1986年3月まで毎週火曜午後7時30分から30分間放送。当初はトクホン本舗(鈴木日本堂=現・トクホン)の1社提供、中期からは日立製作所との2社提供、以後複数社提供となった。企画は萩本欽一宅の新年会で、古今東西ゲームの速度感をクイズに転用できないかという発想から生まれた。司会は久米宏坂上二郎が芸能人3人と組む「ぴったしチーム」と、萩本が一般人3人と組む「カン・カンチーム」に分かれて交互に解答する視聴者参加番組で、クイズの緊張よりトークを重視した構成。久米が出題時に正解部分を伏せるのに用いた「ほにゃらら」は一般語として定着し、正解時の「ぴったしカン・カーン!」のコールとズーム反復の映像効果も名物となった。

最高視聴率は1979年11月20日の37.6%。



伝説の「ぴったしカン・カン」誕生秘話

増田「4つ合わせると120%」


萩本「でもね、マスコミって120%男って入れないんですよね。やっぱり100%男って書いちゃう」


増田「『ぴったしカン・カン』の司会に久米さんをっていうのは、萩本さんの一言というか…」


萩本「そうなんだけど、一番気をつけたのは久米さんに私が決めたとかっていうとプレッシャーかかるから、プロデューサーにそのことも気づかせちゃいけないと思って、遠回しに。細かな話するとね、あの番組、やっぱ運なんですよ」


増田「そうなんですか」


萩本「そう。運で。それまで『みんなで出よう55号決定版!』*って20%いってる番組があったんですよ。その中で万博に呼ばれて沖縄まで録りに行ったことがあった。そのとき雨が降ったんですよ。前にフジテレビの歌番組で沖縄に行った時はいい天気だったけど、その日はよく降った。雨がやんで収録を始めるとまた雨が降る。30分の番組なのに、またちょっと始まったらまた雨降るのよ。それでテレビ局に言ったの。

『自然はね、この番組やめろって言ってんだから、やめることにします』って。そうしたらね、スポンサーが『そういう運とかのお話されても困るんだ』と。それで『やめてクイズになるなら欽ちゃんが司会ならOK』なんて言うから、私は『二郎さんと差がつくような仕事は一切55号ではしない』って、私が司会で二郎さんが解答者。私は二郎さんとは絶対そういう仕事はしない。だから私も解答者。スポンサーが降りると言っても、それじゃあ分かりましたって折れるようなことはしない」


※みんなで出よう55号決定版!:TBS系のバラエティー番組。1969年から1975年まで毎週火曜午後7時30分から30分間放送。トクホン本舗の1社提供。前々番組『チータ55号』に出演していたコント55号を再度起用し、日本各地の公会堂から放送を行った。視聴者参加公開番組で、素人の素の面白さを引き出す構成。坂上二郎扮する赤忍者が人気を呼んだ。1970年半ばから新聞のテレビ欄では「55号決定版!」と表記されることが多くなり、番組も後に『55号決定版!』と改題した。

TBSと系列局が持ち回りで制作を担当していた。


増田「そこまでシビアなんですね」


萩本「うん、そうよ。で、番組を降りてしまって、スポンサーが誰もいなくなった」


増田「いやあ、シビアですねえ」(つづく =火・木曜公開)



▽はぎもと・きんいち 1941年、東京都生まれ。高校卒業後、浅草での修行を経て、66年にコント55号を結成。故・坂上二郎さんとのコンビで一世を風靡した。その後、タレント、司会者としてテレビ界を席巻し、80年代には週3本の冠番組の視聴率がすべて30%を超え、「視聴率100%男」の異名をとった。社会人野球「茨城ゴールデンゴールズ」の初代監督、2015年には73歳で駒澤大学仏教学部に入学するなど挑戦を続け、25年10月にスタートしたBS日テレ「9階のハギモトさん!」は今年4月からSEASON3に突入した。


▽ますだ・としなり 1965年、愛知県生まれ。小説家。北海道大学中退。中日新聞社時代の2006年「シャトゥーン ヒグマの森」でこのミステリーがすごい!大賞優秀賞を受賞してデビュー。12年「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」で大宅壮一賞と新潮ドキュメント賞をダブル受賞。

3月に上梓した「警察官の心臓」(講談社)が発売中。現在、拓殖大学客員教授。


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