【城下尊之 芸能界ぶっちゃけトーク】


 2代目水谷八重子さんが肺炎のために亡くなった。87歳だった。


 劇団新派の代表的存在で、若い頃は水谷良重の名でテレビ、映画などで活躍する一方、ジャズ歌手としても知られる存在だった。1995年に母親の初代水谷八重子の名前を継いでからは、新派の伝統を守って舞台の活動が中心だった。


 実は、この水谷八重子さんには特別な思いがある。まずスポーツ新聞社に入社して芸能担当に決まり、取材活動を始めようかというその当日、突然、初代の水谷さんが亡くなったことだ。79年のことで、ベテランの演劇担当記者がそちらに駆けつけ、僕はその記者が行くはずだった林家三平(初代)の脳出血からの復帰取材に行くことになった。翌日の紙面はほとんどが水谷さん関連のニュースで、その他で三平さんのことを伝えた。


 僕は水谷さんの通夜、告別式をスーツ姿で取材した。その際に娘の良重さんにも取材させていただいたが、彼女にはその後も訃報でお話を聞く機会があった。特に印象に残っているのは、テレビ番組の探検隊シリーズで知られた川口浩さんが87年に亡くなった時のことだ。


 親同士が仲が良く、俳優仲間でもある良重さんに取材を申し込むと、「大阪の舞台に出演中」とのこと。昼の部と夜の部の合間に時間が取れると言われ、当時僕は午後のワイドショーを担当していたことから楽屋から生中継させてもらった。


 マネジャーに「良重さん、泣いてくれますかねぇ?」と聞いてみたら、「そんなの分からないよ。

本人次第」と返された。中継が始まり、良重さんと川口さんの懐かしい映像を流して見てもらうと、見事に大粒の涙があふれてきて、「もう、泣かそうとしてこんなVTR、用意したんですね」と言いながら訥々と思い出を語ってくれた。


 中継が終わり、音声こそ流れていないが、スタジオには生の映像が流れていることを伝えると、ハンカチで涙を抑える姿のままでいてくれた。その瞬間、目覚まし時計のベルが鳴り、僕たちはビックリしたが、良重さんは動じず「すぐ鳴りやみます」とささやく。こちらよりも生中継のプロだと思ったものだ。


 ある新作舞台の通し稽古では、共演の故・沢たまきさんらとステージ上にいたのだが、演出家に叱られている新人役者が何度も長ゼリフを言わされる中、彼女だけがリアクションの芝居を続けていた。


 根っからの舞台人、さすがは新派のトップだと思わされたものだ。


(城下尊之/芸能ジャーナリスト)


編集部おすすめ