AKB48 20年の軌跡 光と影】#4


「あの秋元康がアイドルグループをつくる」


 衝撃のニュースが飛び込んできたのは2005年夏のことだった。1980年代、おニャン子クラブを引っ提げ、アイドルシーンを席巻した秋元が20年ぶりに始動するという。

つんく♂がプロデュースしたモーニング娘。は初期メンバーが次々に抜け、陰りが見えだしていた。そんな時期に、満を持した秋元が仕掛けるのだ。メディアや芸能関係者の誰もが成功を信じて疑わなかった。


「秋元さんの存在はもちろんだが、このプロジェクトがうまくいくと確信したもうひとつの理由がある。スタッフに夏まゆみさんを招聘できたことが大きかった」と話すのはAKB48の当初の動きを知るフジテレビの関係者だ。


「夏まゆみ」の名前はデビューを夢見る少女たちの間では知れ渡っていた。モー娘。を実質的にトップアイドルまで押し上げたのはつんく♂ではなく振付師の夏だった。立ち上げからメンバーの育成まで一手に引き受け、アイドル予備軍からは「神」とあがめられる存在になっていた。


 05年7月、全国の各駅に「秋葉原48オーディション開催」のポスターが張られた。

そこには総合プロデューサーの秋元に加え、夏の名前も記されていた。


「オーディションにありがちな“いかがわしさ”が消え、信頼性が一気に増した」と前出のフジテレビ関係者。


「モー娘。を超える一大ムーブメントをつくり上げるという主催者側の意気込みと本気度が女の子たちにも伝わった」と話す。


 応募総数7924人。1次.2次審査を経て10月30日の最終審査に残ったのはスカウト組も含め50人。その中から前田敦子板野友美峯岸みなみら24人が合格した。


 翌日から夏によるレッスンが始まった。初公演の予定日までわずか1カ月。急ピッチで少女たちを人前で踊れる水準まで引き上げなければならなかった。「アイドルになりたい彼女たちの夢をかなえる」という信念を持つ夏の指導は容赦なかった。初日に遅刻してきたメンバーをさっそくクビにした。

スキップすらできない高橋みなみには連日、居残りを命じた。


 12月1日に予定されていた初公演は結局1週間延期されることになった。夏が「ステージに出せるレベルに達していない」と判断したからだ。そして8日、お披露目の時を迎えた。24人いたメンバーは20人に減っていた。


「夏さんの猛特訓は想像以上に過酷なものだった。にもかかわらず、脱落したのが4人だけだったのは驚異というほかない。どうしても舞台に立ちたいという女の子たちの気持ちが上回った」とフジテレビ関係者は振り返る。


 午後7時、東京・秋葉原のドン・キホーテ8階のAKB48劇場ではいよいよ、晴れの舞台が幕を開けようとしていた。「PARTYが始まるよ」と銘打たれた初公演の入場料は1000円、立ち見500円に設定されていた。


 ステージに立つ彼女たちの目に映ったのは寂しい現実だった。客席に座っているのは70人ほど。

定員250人の劇場としてはかなり少なかった。まだ知名度が全然ないことを思い知らされる結果となったが、本当の現実はもっと厳しかったのだ。客席にいた9割は関係者や報道陣。自分でチケットを購入した一般客は7人しかいなかったのである。(敬称略)


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