もともと空腹を満たせばよいという食生活が根付いていた韓国(朝鮮半島)でも、「いただきます」という言葉は存在する。ただし日本のように「命をいただく感謝」ではなく、単に作ってくれた人への「ありがとう」という表面的な意味にとどまる。
日帝時代の教育によって食事の作法が広まった結果だとする説もある。

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 一方、日本でも近年「いただきます」の是非が議論されている。作り手には対価を支払っているのだから「感謝の言葉」は不要だ、特に学校給食では「給食費を払っているのだから子どもに言わせないでほしい」という親も少なくない。また宗教的自由の観点から不要とする在日外国人がポスターを作成した例もある。

 筆者は曹洞宗の檀家であり、菩提寺では供養膳をいただく際に「すべてのいのちをいただく」と唱和する。しかし同じ宗派でも単なる号令として「いただきます」を言う寺もある。仏教由来と断定することはできず、キリスト教でも「イエス様いただきます」と唱える園もある。宗派や宗教にかかわらず、言うか言わないかは多様だ。

 それでも日本では「いただきます」「ごちそうさまです」は宗教を超えて自然に出る言葉であり、命への感謝を込めた習慣として根付いている。税金を払っているから日本に住んでいる外国人が「いただきます」を不要と啓蒙するのは筋違いであり、また「お金を払っているから感謝は不要」という論理も誤っている。

 韓国では「いただきます」という言葉が徐々に消えつつある。日帝時代の影響を声高に否定するのではなく、自然に消えていく点は、日本での「お金論者」に近いのかもしれない。


 食料自給率の低下や異常気象による飢餓が世界で現実味を帯びる中、「いただきます」を言い続けることが奇跡を呼ぶと考えるのは幻想だろうか。だが、感謝を否定する社会は、確実に豊かさを失っていく。
【編集:af】
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