「あれ、これ日本人のお墓じゃない?」。韓国の町を歩くと、城壁の石のように積まれたものが墓石に見えることがある。
実際、それは日帝時代に釜山などへ移住した日本人居住者が建てた墓である場合が少なくない。

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 当時、日本人は「無敵」と信じ込まされ、釜山に骨を埋めようと昔ながらの墓を築いた人々も多かった。寺院も数多く建立されたと考えられる。墓を建てる際には御魂入れの「開眼供養」が行われるが、敗戦の混乱で日本へ逃げ帰る際に、御魂を抜く「閉眼供養」を行えたとは考えにくい。住職自身も日本へ避難せざるを得ず、墓は放置され、管理者を失った無住寺となった。

 その後、朝鮮戦争が勃発し、北朝鮮軍の進撃に追われた人々が南端の釜山へ集まった。約3年続いた戦争は休戦状態のまま現在に至る。避難民が急増した釜山では、住居不足から入り組んだスラム街のような町が形成された。材料も技術も乏しい中、人々は所有者不明となった日本人の遺構から資材を調達した。墓石は平らで扱いやすく、地盤や壁材として再利用されたのである。

 韓国文化では、墓や遺骨よりも葬儀の場でどれだけ泣いてくれるかが重視される。泣き女という職業が存在するほどであり、墓石に御魂が残っているか否かは大きな関心事ではなかった。
結果として、日本人の墓石は町の基盤へと組み込まれ、生活の一部となった。

 釜山を訪れ、ウォーキングの途中で石に腰を下ろす際には、そこに日本人の名前が刻まれていないか、ふと確認してみる価値があるかもしれない。敗戦と戦争の記憶は、今も町の石の中に静かに眠っている。
【編集:fa】
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