「美輪さんがお好きだった山百合の花が、自宅の庭で凜としたたたずまいで、いま咲き誇っています」

そう語るのは、華道家の假屋崎省吾さん(67)だ。小学生のころ、自らが作詞作曲した『老女優は去り行く』を歌う美輪明宏さん(享年91)をテレビで見て、心を奪われたと振り返る。

「隣で母が『この人はすごい人なんだよ』と教えてくれたのを覚えています。

それから20年ほど後に母が他界し、打ちひしがれて渋谷の街を歩いていると、小劇場『ジァン・ジァン』(2000年閉館)で、『美輪明宏の世界』の看板横に長蛇の列があるのを見つけました」

縁を感じて、翌月のチケットを購入。1カ月後、ステージに美輪さんが登場した瞬間、耳元で「これからは美輪さんにお世話になるんだよ」と、母の声が聞こえたという。

「ステージが始まると、一瞬で魂を鷲づかみにされて奪われたかのごとく、美輪さんの世界に引きずり込まれました。母の死をきっかけに、美輪さんと出会い、本当に救われました。だから、美輪さんを命の恩人、“第二の母”と慕っているんです。それから毎月、何年も通い続けて、名前と顔を覚えてくださって。ニコリとほほ笑んでくださるのがうれしくて、私の“追っかけ”人生が始まったんです」

假屋崎さんは、“外部広報部員”のように、さまざまな場所で美輪さんの魅力を話すようになった。

「あるとき、お芝居の終演後の楽屋で、『今日の舞台に假屋崎さんのお母さまがいらしてたわよ』とおっしゃって。その思いやりに、感動しました」

華道家として成功した假屋崎さんは嫉妬されることも多かった。その乗り越え方を質問したときには、美輪さんは「日光の見ざる、言わざる、聞かざるにもう一つ、関わらざる!ですよ」と教えてくれた。華道家としての假屋崎さんに、信頼を寄せてくれた。

「美輪さんの舞台などで、花を生けるときには、大輪の百合、オンシジウム、胡蝶蘭……。華やかで気品のある美輪さんのお好きな花や、衣装の色合い、空間と、全体で調和のとれる“融合の美”を目指して生けさせていただきました」

美輪さんの自宅のバラの造花(写真)も、假屋崎さんの作品だ。

「人の家には滅多にいらっしゃらないという美輪さんが、新築した表参道の私の自宅に、おひとりでタクシーでお越しになり、半日もくつろがれて、運気アップを祈ってくださったり……」

節分には、美輪さんに誘われて、裃姿で豆まきをしたこともあった。

「テレビ番組もたくさんご一緒しました。私を守り、勇気づけてくださった思い出でいっぱいです」

そんな中でも、贈られた「金言」が、生きる指針だと語る。

「美輪さんは私を『美をつむぎだす人』と評してくださいました。世の中には、美しいものと、戦争や殺人、暴力、いじめ、騙すなどの醜いものでできています。

美は、美しい心、愛、平和、受け継がれてきた日本のさまざまな文化、景色、建築、音楽、国民を騙すことのない政治などいっぱいあります。美輪さんの意志を継いで、いただいた金言に恥じぬように、美しい世界であるために、闘っていかなくてはならないと思います」

最後に、天国の美輪さんへ……。

「今まで長年にわたり、お心にかけていただき、感謝してもしきれない気持ちでいっぱいです。天界に戻られて、まずはゆっくりお過ごしください。そして、しばしたちましたら天草四郎のごとく、また生まれ変わって、私たちをお導きくださいませ。

合掌」

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