※本稿は、羽生琢哉『組織の器』(日本能率協会マネジメントセンター)の一部を再編集したものです。
■経験豊富な人ほど成長が止まりやすいのはなぜか
「一見、器が大きいように見えるけれど、どこか成長が止まっている」と感じさせる人と出会うことがあります。
経験豊富で知識も深く、スキルも申し分なく、いざというとき頼りになる。しかし、新しいやり方を提案されると「それは前にやったがうまくいかなかった」と否定的になり、自分が持つ「正解」以外の可能性に関心を示さない、というような人です。
経験を積み、知識やスキルを身につけることは、たしかに一つの成長と言えるでしょう。しかし、それはあくまで可視化できる領域で「できること」を増やした形の成長に過ぎません。
これに対して、人としての成長の本質を問うのであれば、「器」というあり方に目を向ける必要があります。なかでも「器を変容させていく姿勢(ケイパビリティ)」を持っているかどうかが、成長を続けられる人を分けることになります。
以下では、なぜ経験豊富な人ほど成長が止まりやすいのか、そして止まった器をどう広げていけばよいのかを考えていきます。
■「キャパシティ」と「ケイパビリティ」の違い
「器」という概念には、キャパシティ(Capacity)とケイパビリティ(Capability)という2つの側面があり、両者を区別して理解することが大切です(図表1)。
キャパシティは「現在の器の大きさ」であり、その人がどれだけのものを受け止められるかを表します。困難への耐性、多様性の受け入れ幅、複雑さを扱う力など、日常語の「キャパがある」「キャパオーバー」に近いもので、人間としての総合的な受容度を指します。
器には、日々さまざまな「水(中身)」――仕事量、プレッシャー、責任、人間関係のストレス――が注がれます。キャパシティが大きければ、それらをしなやかに受け止められますが、その許容量を超えて限界を迎えれば、ストレスに飲み込まれ、メンタルを崩すことにもつながります。
一方、ケイパビリティとは「今後の変容可能性」であり、自らの器がこれからどれだけ成長するかに着目した視点です。たとえば、長年営業で成果を上げてきた人が、突如、人事部門への異動を命じられた場合を考えてみましょう。
ケイパビリティが低ければ「自分には無理だ」「これまでのやり方しかできない」と固執し、変化を拒みます。言い換えれば、ケイパビリティが低いとは、器が乾いて硬直化した状態を指します。
逆に、ケイパビリティが高ければ、「これまでの経験を新しい仕事に活かそう」「新しい仕事から従来のやり方を見直そう」と柔軟に学び、困難を成長の機会として受け止めることができます。
現在の環境では経験豊富で頼りになる人(=キャパシティ大)であっても、過去の成功体験に縛られて新しい環境に適応できない(=ケイパビリティ低)というケースは珍しくありません。逆に、経験が浅くキャパシティが小さくとも、学習意欲が高くフィードバックを素直に受け入れる人はケイパビリティが高いと言えます。これまでの蓄積によってキャパシティが大きいことに満足してケイパビリティを閉ざしてしまえば、それ以上の成長は見込めません。
このように、器は静的なものではなく、常に変化しうる動的なプロセスとして捉えることが大切です。
■成長が止まっている人々の4つの共通点
ケイパビリティを閉ざして、器の成長が止まっている人には、いくつかの共通した特徴が見られます。
第一に、自分なりの「正解」を持っていることです。長年の経験から「こうすればうまくいく」というパターンを確立しており、そこへの固執が新しい可能性への扉を閉ざします。経験そのものは財産ですが、「これが正解だ」という確信に変わったとき、学びは止まってしまいます。
第二に、失敗を避けようとすることです。高い責任感がある一方で、現在の地位や評価を守ることを優先するあまり、リスクのある挑戦を避けがちになります。しかし挑戦しなければ失敗もなく、失敗がなければ成長の契機も生まれません。その責任感や慎重さが、いつのまにか停滞の原因になっていることがあります。
第三に、他者からのフィードバックを受け入れないことです。批判や異なる意見を、成長の糧ではなく脅威として受け取る傾向があります。表面的には耳を傾けているように見えても、内面では防衛的になっていることが少なくありません。
第四に、「自分はすでに十分に学んだ」と思っていることです。豊富な知識と経験を持つがゆえに、これ以上学ぶ必要はないと無意識に感じています。新しいものへの好奇心や学ぶ姿勢を失った瞬間から、器の成長は止まります。
こうした状態は、年齢を重ねることで自然に陥るわけではありません。若くても成長が止まっている人もいれば、高齢でも成長し続けている人もいます。
また逆説的ですが、器が大きそうに見える達人ほど、「自分なんてまだまだ」という成長意欲を持っていることが多いものです。真に器が大きい人は、自分の限界を知っているがゆえに、学び続けることをやめません。したがって、何歳になっても自らの限界を超えて器の成長に向かい続ける姿勢が大切になります。
■器を成長させるARCTモデルとは
では、どうすればケイパビリティを高めて、器を広げていくことができるでしょうか。
筆者が立ち上げた器研究チームでは、器が質的に変化するプロセスを体系化し、インタビュー調査によってその妥当性を検証してきました(図表2)。このプロセスを、4つのフェーズの頭文字を取って「ARCTモデル」と名付けています。
A:蓄積(Accumulation) ――経験や変化の影響が積み重なる段階
R:認識(Recognition) ――現在の器の限界に気づく段階
C:構想(Conception) ――新しい器を思い描く段階
T:変容(Transformation) ――意識や行動を変え、実際に新しい器を形づくる段階
ARCTは「より高い段階に到達すること」を目的とする発達段階モデルではなく、回し続けること自体に意味がある循環モデルです。4つのフェーズが繰り返されることで、器は螺旋状に広がっていきます。
器の成長を考えるうえで特に重要なのが「認識(R)」のフェーズです。限界に直面すること、すなわちキャパオーバーの体験が、新たな器を「構想(C)」するきっかけになります。
多くの人にとって、自分が大きく成長したと感じられる出来事は、うまくいった経験よりも、うまくいかなかった経験にあるのではないでしょうか。プロジェクトの失敗、信頼していた人からの裏切り、自信を持っていたことが通用しなかった経験、夢の挫折、健康の喪失、大切な人との別れ――。
こうした経験は、その瞬間は苦しくとも、後から振り返れば自分を成長させたと気づくことが少なくありません。困難の最中では、普段は隠している弱さや未熟さが、否応なく顔を出し、感情的になる、防衛的になる、視野が狭くなるといった、器の小さな振る舞いが表出します。
しかし、こうした器の小さな側面を見つめることが、成長を進めるきっかけになります。自分自身の限界を肯定的に受け止め、新たな構想につなげることで、器は広がっていくのです。
■“孤高の時間”が人を大きくする
ARCTのサイクルでは、大きな挫折を通じて一気に変容する人もいれば、日々の小さな気づきを積み重ねて徐々に変わる人もいます。歩み方は人それぞれですが、どのような形であれ「自分自身と深く向き合うこと」は避けられません。
「認識(R)」では自分の限界を見つめ、「構想(C)」では本当に何を望んでいるのかを問いかけ、「変容(T)」では変化への恐れや不安と向き合いながら一歩を踏み出すことになります。
いずれも、目を背けてきた自身の未熟さや内なる声に対峙する、一筋縄ではいかないプロセスです。これは知識を学んだりスキルを磨いたりすることとは異なり、自分自身の内面の変化を引き受けるため、ある種の孤独感を伴うことになります。
ただし、この孤独感は他者から切り離された否定的な状態とは異なり、むしろ「孤高」と呼ぶほうが適切と言えます。孤高とは、周囲に流されず自分の内なる声に従いながら、それでいて深いところで他者とつながっている、といった主体的な在り方を指します。
経営者・管理職といった責任ある立場では、日々の会議、面談、報告、判断に忙殺され、気づけば他者の声で頭が埋め尽くされ、自分の内なる声を聞く余裕が消えてしまいがちです。
だからこそ、より一層、意識的に孤高の時間をつくることが大切になります。散歩・瞑想の時間を設けて物理的に一人になる、日記を書いて自分に問いかける、自己開示できる相手と本音で語り合うなど、方法はなんでも構いませんが、自分の内面と向き合う習慣を持つことが、ARCTのサイクルを動かし続ける原動力になります。
そして興味深いのは、自分の内面と深く向き合った経験がある人ほど、むしろ他者とのつながりも深まることです。自分の弱さを知る人は他者の弱さにも寛容になり、自分の願いを知る人は他者の願いにも関心を持てるようになります。
孤高の時間を設けることは、他者とより豊かなつながりを育むための土台になるのです。
■“本音を言える場”がなくなったら
ARCTのサイクルを回した事例として、筆者が提供するワークショップに参加したAさん(48歳、大手食品メーカーの人事部門で働く女性)の例を紹介します。
Aさんは「優等生」として育ち、厳格な両親の期待に応え、安定した大手企業に就職しました。幼少期を振り返りながら、Aさんは次のように語りました。
「私は優しい人間だと思っていました。でも今思えば、その優しさの根っこには弱さがあったんです。人と衝突するのが怖くて、だから周りに合わせていた。相手に合わせ、規範に従っていれば、弱い自分を守れると思っていたんです」
子どものころに形成された基本的な価値観は変わらないまま、仕事においても「Aさんに任せれば大丈夫」と言われることがAさんの誇りになっていました。
しかしその裏側で、納得できない指示にも頷き、言いたいことを飲み込み、「空気を読む」ことを自分に課すことで、本音を言える場所を徐々に失っていきました。
■「いつまで他人の期待に応え続けるのか」という問い
【蓄積(A)】
40代半ばでマネージャーに昇進した頃から、少しずつ違和感が生じるようになります。部下に「正しい答え」を伝えても響かない。チームをまとめようとしても、メンバーの顔色をうかがってしまう。「本当にこれでいいのか」「いつまで他人の期待に応え続けるつもりだ」と思いながらも、その声を押し殺すように仕事に没頭しました。しかし押し殺した感情は消えず、少しずつ心の奥底に堆積していくばかり。そして、ある日、思うように体が動かなくなり、Aさんは休職することを余儀なくされました。
【認識(R)】
休職中のカウンセリングで、「もし制約がなくなったら、何をしてみたいですか?」と問われますが、Aさんはうまく答えられませんでした。それでも、「自分が何をしたいかなんて、考えたことがなかったんです」と、初めてその空虚さを言葉にすることができました。その後、カウンセラーとの対話のなかで、押し殺してきた「自分」と向き合うことになります。怒り、悲しみ、寂しさ、悔しさ――「良い人」でいるために蓋をしてきた感情が、少しずつ表に出てきました。
【構想(C)】
やがてAさんは「私はどんな人間になりたいのだろう」という問いに向き合い始めます。昔好きだった絵を描く。お菓子づくりを始める。会いたかった人に会いに行く。大学院への進学を検討する。いろいろと試してみる中で、「他者の期待に応える人生ではなく、自分の願いを生きる人生をしたかった」という心の奥底にあった願いに気づきました。
【変容(T)】
復職後、Aさんは小さな新しい行動を意識的に試みました。上司に自分のやりたいことを伝える。部下にすぐ答えを出さず、本音を聴く。会議で「間違っているかもしれないけれど、私はこう感じる」と声に出してみる。無理な依頼をされても、「今は難しい」と謝りながら断ってみる。
■“自分らしい器”に気づくまで
「まだまだ道半ばです」とAさんは言います。「ふと気づくと、また他者の期待に応えようとしている自分がいる。でも『あ、また同じパターンだ』と気づけるようになりました。自覚できたら修正する。私の人生は、その繰り返しかもしれません」
Aさんの事例から、ARCTモデルを通じた器の成長が、華々しい成功物語でもなければ、「完成」を目指すモデルではないことがわかります。「気づいたら修正する。その繰り返しかもしれない」というAさんの言葉が、器づくりの本質--ARCTのサイクルを回し続けること--を体現しています。
知識や経験が豊富であることと、自ら成長し続けることは別次元の話であり、器の成長に正解も、終わりもありません。求められるのは、経験や知識、スキルではなく、自分らしい器を作ろうとする姿勢そのものです。
挫折や苦しみのなかで、ありのままの自分や他者と真摯に向き合っていく。その地道な試行錯誤を経て、結果として器は広がっていくのです。
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羽生 琢哉(はにゅう・たくや)
人としての器 代表取締役
慶應義塾大学大学院特任講師、筑波大学働く人への心理支援開発研究センター客員研究員を兼任。人事分野の専門誌『労政時報』編集者を経て、慶應義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント研究科博士課程修了。博士(システムデザイン・マネジメント学)。2021年より大学院にて「人としての器」研究チームを結成し、24年に法人を設立。学会発表と対話型ワークショップ等の実践活動を展開し、研究・実践の両面から「器」の探求を続ける。修士論文「若者離職と人事部との関係性」で最優秀賞受賞。20年度人材育成学会奨励賞。
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(人としての器 代表取締役 羽生 琢哉)

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