ドバイがあるアラブ首長国連邦では、個人の所得税や住民税がかからない。イギリス在住で著述家の谷本真由美さんは「国の積極的な誘致政策もあって、多くのインフルエンサーがドバイ暮らしを楽しんでいる。
しかし、昨今のイラン情勢の影響で雲行きが怪しくなっている」という――。
※本稿は、谷本真由美『世界のニュースを日本人は何も知らない 激レア&ディープ情報版』(ワニブックス【PLUS】新書)の一部を再編集したものです。
■インフルエンサーがこぞって移住する魅力
2026年2月末にイスラエルとアメリカによるイランへの攻撃がはじまって、イギリスも大騒ぎです。中東にはなんと30万人近いイギリス人が移住、駐在、旅行中なので、それらの人々をどうやって帰国させるかが議論になっています。
実はイギリス人は海外のさまざまなところに散らばって住んでおり、ドバイは人気の都市のひとつでした。
ドバイにいるイギリス人の中でも一番パニックになっているのがインフルエンサーでしょう。
近年ドバイはインフルエンサーにも大人気で移住する人がたくさんいました。
ドバイがあるアラブ首長国連邦(以下、UAE)は強固な安全保障体制があるなど、世界でもっとも安全だと思われていた国であり、政府を批判しない限りは豊かな生活が保証され、所得税もお得になるうえに治安も最高だったのです。
■イラン情勢で一転、危険エリアに
しかしいまやイランによる無数のミサイルやドローンなど無人機での攻撃がされるという大変な状況で、SNSでの投稿も場合によっては有罪になるので衝撃がおきています。
パニック状態を発信しているインフルエンサーもいますが、AIが作った偽動画を発信してしまったり、報酬の提示や無償の製品・サービスの提供に惹きつけられて知らないうちに敵対勢力に利用されてしまうことも起きているようです。
こうした状況を受け、UAE政府はそのようなインフルエンサーの発信だけではなく、偽情報や政治工作に対してたいへん厳しい姿勢をとっています。
さらにUAEはイランの攻撃に関する本物の映像の投稿に対しても取り締まりを行っています。

たとえば攻撃が始まった当初、ドローンとその残骸が、パーム・ジュメイラにある五つ星のホテル・フェアモントに被害を与え、さらに帆の形が象徴的なドバイのホテル、ブルジュ・アル・アラブの一部が炎上しました。
この状況を撮影した動画に対し、ドバイ政府のニュース発信を行うドバイ・メディア・オフィスは、過去におきた火災の「古い画像」も誤って同時拡散され市民の不安を煽っているとし、本物の映像の投稿に対しても法的措置が取られる可能性があると警告しているのです。
■虚偽の情報を広めると最高4000万円の罰金
UAEの治安は良いのですが、政府の決定に反する行動や、UAEの倫理観に反する行いをする人にはたいへん厳しい罰則があります。
たとえば政府またはその機関を批判・侮辱したり、虚偽の情報を広めたりすれば、最高20万ポンド(約4000万円)の罰金に5年の禁錮刑、さらには国外追放に至る可能性もあるのです。これはUAEに不動産を所有しているとさらに罰が重くなります。
こうした厳しい罰則もあるため、ドバイ・メディア・オフィスの警告は大変重たいものでした。
UAEのこのような仕組みから学べることは、有事において偽情報や間違った情報は混乱を呼ぶおそれがあるため、何らかの厳しい対処も重要ということです。
有事のリスクに晒されつつある日本政府でも検討するべきでしょう。
■「富裕層の国」をアピールする国家戦略
先述したように、ドバイがイランからの攻撃を受けたことが衝撃をもって迎えられていましたが、いままでイギリス人を含む国際的なインフルエンサーはドバイを「地球上でもっとも安全な場所」だと発信してきました。
ドバイを中心としてアブダビやバーレーンなども含んだ中東湾岸地域のおしゃれで豊かな生活を動画やSNSで発信して大人気だったのです。
ここ10年くらいはこうした地域に引っ越してラグジュアリーな生活を発信するのがトレンドでした。とくに女性インフルエンサーに大人気で、インスタにはたくさんの動画や写真が上がっています。」
そうした状況のなか、とくにUAEはこれまで国家ブランド強化のためインフルエンサーの移住を歓迎してきました。

たとえばドバイには「ゴールデンビザ」というクリエイターやインフルエンサーが使用できる長期滞在ビザがあります。
これは投資家や起業家、クリエイティブ系、専門職の人、優秀な学生、人道支援などに携わる外国人に対して発行される、5年または10年のビザで、UAEで生活・就労・学習が可能です。家族を扶養する能力があり、投資額や実績が証明できればビザのスポンサーも必要ありません。
■目標は1万人のインフルエンサー誘致
さらに2025年には、ドバイでコンテンツクリエイターのための拠点+コミュニティである「クリエイターズHQ」(Creators HQ)が立ち上げられました。
UAE国営通信WAMによれば、この拠点は世界のクリエイターと業界関係者を集め、UAEをデジタルメディアの主要拠点にすることが目的です。公式発表では今後1万人のインフルエンサー誘致を目指すと明言されていました。ゴールデンビザ申請支援はもとより、移住、会社設立支援まで提供するとされています。
UAEの副大統領・首相であり、ドバイ首長でもあるシェイク・モハメド・ビン・ラシッド・アル・マクトゥーム閣下は、UAEはこうした分野の「ハブであり、目的地であり続ける」と述べており、政府レベルかつ国家戦略の一部としてコンテンツ産業・インフルエンサーを重要視してきたのがわかります。
このようにドバイはクリエイターやインフルエンサー、メディア関係者が滞在しやすい仕組みになっているのです。
■発信者・発信内容を厳しく管理している
いっぽうで、UAEのインフルエンサーは自由に発信できるわけでもありません。そこは国家戦略なので、ある程度の制限があります。
UAEのメディア分野の調整・規制を担う機関「UAEメディア・評議会」(UAE Media Council)によれば、SNSで広告・宣伝活動を行う個人には「広告許可」が必要で、これは報酬の有無にかかわらず対象になります。

許可の申請者は適切な行為を有し、有罪判決を受けていないことが求められます。さらに、掲載する広告コンテンツは、メディアコンテンツ基準に準拠しなければなりません。またUAEメディア評議会が主催する、「関連法令・規則・決定および適用される条件・管理に関する認識と遵守のための研修プログラム」の修了が必須条件です。
つまりUAEはインフルエンサーを呼び込むいっぽうで、その活動を明確に許認可の下に置いているのです。2026年からはこの規制運用がさらに強まっています。
日本も有事のリスクが高まり経済を活性化しなければなりませんが、UAEのこのようなコンテンツ戦略、インフルエンサー誘致からは大いに学ぶところがあるでしょう。
■「資源大国」から「観光大国」へ
このようにドバイがさまざまな施策を実施してインフルエンサーを誘致してきたのにはいくつか理由があります。
まずあげられるのが観光の推進です。
UAEはほかの中東湾岸諸国同様、近年観光に力を入れてきました。資源が枯渇するのを見据えて、産業の多角化を進めてきたのです。
とくにドバイは都市そのものを「体験すること」を売りにしてきました。欧州のような城や貴族の館はありませんし、スイスのように山はなく、日本のような温泉もありません。
アメリカとは売りにする文化が違います。そこで都市でラグジュアリーな体験、ちょっと変わった体験をすることを提供してきたのです。
その広報に重要だったのがインフルエンサーなのです。
■ターゲット層は女性、家族連れ
ドバイ経済観光局は、世界各地の旅先を魅力的に見せる旅行系のコンテンツ制作会社「ビューティフル・デスティネーションズ」(Beautiful Destinations)と組んで「ビューティフル・デスティネーションズ・アカデミー、パワード・バイ・ドバイ」(Beautiful Destinations Academy, Powered by Dubai)を立ち上げ、「旅行コンテンツ制作の新しい基準」を作るとしています。
ただ待っているだけでは観光客は来ないため、国家として、自国の売りやイメージを、映像、物語、豪華さなどを全面に出してデジタル媒体で宣伝する仕組みを作ってきました。
これらの拡散にはインフルエンサーが重要です。
とくに女性や家族連れにアピールするために、「安全」「清潔」「豪華」「楽しい」「一年中行ける」というポイントを重要視してきました。狙っているSNSの使用者の多くは女性なので大変効果的です。
口コミの拡散なのでより信頼性が高く、親しみやすく、共感も得やすいわけです。2025年の政府発表でも安全都市評価や女性一人旅の安心感が強調されています。
ドバイがインフルエンサーを誘致してきた理由の2つめは、不動産市場の活性化のためです。
■「最高のドバイ暮らし」をSNSで発信
UAE政府は観光客だけではなく実際に住んでくれる人への広報を熱心に行ってきました。
行くだけではなく「住んでみたい街」、それがドバイの魅力です。
一定額以上の不動産購入者や投資家向けの居住許可や、先述した5年か10年居住可能な「ゴールデンビザ」を提供しています。物件購入でビザが得られる仕組みです。
この制度を広報するにあたり、インフルエンサーが実際にドバイの物件に住んで、どんな生活をしているのかを投稿してきたのです。豪華で美しいタワマン、プール、レストラン、清潔な街並み、夜景、車、オフィス、パーティー、イベント、家族連れに優しい施設、素敵な学校などの「ライフスタイル」をInstagramやTikTokで頻繁に投稿します。大手デベロッパーやテレビが広告を流すよりも生活の様式が身近に感じられ効果的です。
■ドバイの「攻めの戦略」から学べること
3つめの理由が国家ブランドの構築です。
先述した、クリエイターを通してUAEを活性化するための政府組織である「クリエイターズHQ」(Creators HQ)によれば、UAEに集まったクリエイターは「単に再生数を稼ぐ存在ではなく、人々との信頼関係を築き、世論を形作り、社会・経済・文化への認識を動かす存在」としています。
つまり政府は、インフルエンサーを単なる広報役ではなく、UAEという国の海外に対するイメージを作り出す「重要な語り手」として扱ってきたのです。
そこで若くて有能かつ明るいインフルエンサーを大量に誘致し、「未来志向」「国際性」「寛容」「成功」「安全」という印象を世界に広げたかったのです。その中心は、若いユーザーが多いInstagramやTikTok、YouTubeなど、動画や画像中心のSNSです。
2025年に政府が発表した国家戦略「エミラティ・ナショナル・アイデンティティ・ストラテジー」(Emirati National Identity Strategy)では、UAEの国家アイデンティティを国内外で推進することを目標にし、コンテンツ制作者向けのメディアの内容方針と行動規範を整備する方針を打ち出しています。

つまりUAEは、国家ブランドをSNS時代に合わせて拡張するために、かなり作り込んだ戦略を持っているということなのです。
日本政府は日本の対外イメージ作りをまだまだテレビや雑誌など既存のメディアに頼っていますが、UAEのようにSNSやインフルエンサーを通したもっと攻めの戦略も必要でしょう。

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谷本 真由美(たにもと・まゆみ)

著述家、元国連職員

1975年、神奈川県生まれ。シラキュース大学大学院にて国際関係論および情報管理学修士を取得。ITベンチャー、コンサルティングファーム、国連専門機関、外資系金融会社を経て、現在はロンドン在住。日本、イギリス、アメリカ、イタリアなど世界各国での就労経験がある。X上では、「May_Roma」(めいろま)として舌鋒鋭いツイートで好評を博する。趣味はハードロック/ヘビーメタル鑑賞、漫画、料理。著書に『キャリアポルノは人生の無駄だ』(朝日新聞出版)、『日本人の働き方の9割がヤバい件について』(PHP研究所)、『世界のニュースを日本人は何も知らない』(ワニブックスPLUS新書)、『激安ニッポン』(マガジンハウス新書)など多数。

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(著述家、元国連職員 谷本 真由美)
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