日本の交通事故は、年間1万6765人(1970年)をピークに6分の1以下まで減った。だが2020年以降は約2700人と横ばい傾向にあり、このうち最も死傷者数が多いのが7歳児だ。
ノンフィクション作家の野地秩嘉さんが、交通事故の死傷者をゼロにするために自動車会社、損害保険会社、自転車会社、警察などのトップが集まる「タテシナ会議」を取材した――。
■トヨタ幹部が毎年通う長野県の古寺
蓼科山聖光寺(長野県茅野市)へ行ったのは昨年、2025年の夏のことだ。聖光寺は蓼科高原にある寺で、JR中央東線茅野駅からバスで約30分の距離にある。
蓼科山聖光寺は法相宗の寺で大本山は奈良の薬師寺。交通安全のための寺だ。縁起にはこうある。
「蓼科山聖光寺は、大きな社会問題となっていた交通事故の撲滅を祈願するために、トヨタ自動車株式会社(当時トヨタ自動車販売株式会社)及びトヨタ自動車系列諸会社・トヨタ自動車販売店協会等によって、昭和45 年(1970年)7月に創建されました」

(同寺院ホームページ
聖光寺は創建以来、毎月18日には観音菩薩の縁日に因み、交通安全、一路安穏、安全綜躰祈願法要を営み、毎年7月17、18日には交通安全祈願大法要を催している。そして、毎年夏の大法要にはトヨタの幹部、関係者が必ず出席する。もうひとつ、2019年からは「タテシナ会議」という交通事故死ゼロを目標とする会議が始まり、2023年には事故削減に向けた実務を担う分科会活動が始まった。タテシナ会議にはトヨタだけでなく、自動車会社、損害保険会社、自転車会社、警察などのトップが参加し、講演を聞いた後、討議を行う。また、その議論の方向性を受けて、分科会の日々の活動も推進されることとなる。トヨタの会長、豊田章男は2日間、その場にいて、法要と会議に集中する。
それくらい、交通事故を減らすために注力している。
■「交通事故死ゼロのために保険を作りたい」
わたしは2025年に開かれた3回目のタテシナ会議、そして法要にも出た。タテシナ会議であいおいニッセイ同和損保社長の新納啓介に初めて会った。新納啓介はこう言っていた。
「タテシナ会議に出て、豊田会長の交通事故死ゼロの決意を聞きました。交通事故死ゼロのためにわたしたちは今、やっていることを進めていこうと思っています」
わたしも同じだった。タテシナ会議に出ると、「交通事故死ゼロ」を信じることができるようになる。交通事故ゼロではない。交通事故死ゼロだ。
交通事故そのものはなくならないだろう。しかし、交通事故死をゼロにすることはまったく不可能なわけではない。信じて取り組みを続ければ交通事故死はゼロになりうる。
タテシナ会議にいればそう信じることがおかしなことではないと考えるようになった。
■「交通事故死をゼロにする方法」を真剣に考える
わたしはタテシナ会議に出て、信じて取り組んでみようと思うようになったのは『交通事故を20%減らした自動車保険』(プレジデント社)という本の取材を通してのことだった。同書では取材した人たちに「交通事故死をゼロにするアイデアはありますか?」と聞いてみたのである。聞いてみると、人は考え込む。そして、自分なりのアイデアを披露した。なかでも有効だと思ったアイデアは「一度、交通事故を起こしたことのある人」からのそれだった。交通事故を起こした人はもう二度とごめんだと思っている。誰よりも交通事故をなくそうと真摯に考えている。
わたしにとっては「交通事故死をゼロにするアイデアはありますか?」と聞いて歩くことがその目標に近づく第一歩だった。そう思えてならない。考えてみれば、「交通事故死ゼロのアイデアはありますか?」とこれまで聞いて歩いた人はいない。「交通事故をなくす方法はありますか?」と質問した人はいるだろうけれど、「交通事故死ゼロを信じますか?」「信じるのであれば何かアイデアはありますか?」と質問を重ねた人はいないと思う。
それを今回、やってみた。答えは同書にあるが、本連載でも触れることにしたい。
■約2700人から死者数が減らない問題
2025年のタテシナ会議に出席した人はトヨタの会長、スズキ、スバルの社長を始め、およそ80人だった。
会議の冒頭、進行役のトヨタ・モビリティ基金理事の岡崎五朗が交通事故の現況について語った。わかりやすく、そして、人々の危機感に訴える名講演だった。
岡崎の話はトヨタのオウンドメディア、トヨタイムズでも動画を見ることができる。
彼はこう話した。
「みなさん、交通事故は減ってきています。ピークは1970年です。当時、1万6765人の方が交通事故でお亡くなりになりました。その時と比べれば、このように今、死者は6分の1以下(2663人、2024年)にまで減ってきています。非常に誇るべきものだと思いますが、一方で、2020年以降、ほぼ横ばいになってしまっています。
現在、交通事故で亡くなる人は、国内でおよそ2700人。世界では年間119万人もの人が犠牲になっています。しかも若年層が非常に多く亡くなっています。若年層の死亡率では、交通事故が第1位です」
■なぜ「7歳児」が最も多いのか
以下、この会議で配られた資料のデータである。
日本国内の交通事故被害では歩行者、自転車の死者の割合があわせて50%を超えている。 
世界各国の交通事故死者数を見ると、世界は乗用車の事故で亡くなっている人が多い。一方、日本は歩行中、自転車乗用中の事故が多い。(図表2)
また、岡崎の発表で参加者が一様に「この事実は知らなかった」と話していたのが、歩行中の交通事故の死傷者数でもっとも多いのが7歳児ということだ。わたしも初めて知った。
岡崎はこう説明していた。
「グラフに明らかに表れているのは7歳、5530人の子どもたちが死傷している。高齢者より大きな数字です」
7歳といえば小学校1年生、2年生だ。
道路への急な飛び出しのような行動が事故につながっていると思われる。
■電動キックボードの事故は増加している
各国の交通手段別交通事故死者数の構成率(2022年)図3には7歳児の交通事故死傷の特徴が載っている。飛び出し、横断、信号無視、路上遊戯が事故を招く理由となっている。
交通事故死ゼロを目指すには7歳児を中心に保育園児、小学校1年生、2年生に繰り返し交通安全教育を行うことだ。
岡崎の発表でもうひとつ、明らかになったのが自転車と特定小型原動機付自転車、つまり電動キックボードの事故が大きく増えていることだ。(図表4、5、6、7)
■交通事故死傷者数を減らすためのポイント
交通事故数が漸減しているなかで、自転車が関与する事故は増えている。そのうち、死傷者が多いのは中学生、高校生だ。そして、自転車よりさらに問題なのは電動キックボードだ。町中で電動キックボードを見たことのある人は多いだろう。なかには道路の端っこではなく、電動キックボードが車を縫って走っている状況を見たことのある人だっているに違いない。そうした危惧は数字となって表れている。
図表にあるように電動キックボードの検挙件数は増える一方だ。
検挙理由で多いのは通行区分違反と信号無視である。さらに、電動キックボードの事故件数は自転車の約8倍にも上っている。
タテシナ会議で知った現在の交通事故死傷者数を減らすためのポイントはふたつである。7歳児と高齢者の交通安全教育と施策を徹底する。自転車と電動キックボードの事故を減らすための対策を考える。電動キックボードについては、走っていい道路といけない道路を決める。
わたしはそう提言する。
■「タテシナ会議は交通事故死ゼロを目指す」
会議の総括として、マスコミを呼んだミーティングがあった。会議の主催者、トヨタの会長、豊田章男は強調した。
「トヨタが長年やってきたことでやめてはいけないことがあるとすれば聖光寺の御参り、そしてタテシナ会議です。とにかく交通事故死ゼロを目指す」
参加者が交通事故死ゼロを信じるようになったのはこの言葉からだった。
ちなみに、交通事故死ゼロを目標とする先行例がある。スウェーデンはすでに国が交通事故による死亡者、重傷者をゼロにするという理念を掲げている。
Vision Zero(スウェーデンの交通安全政策)
基本理念

・交通事故による死亡者・重傷者をゼロにする

・人命は経済効率や利便性よりも優先される

・人はミスをするが、それで命を落とさない道路システムが必要

・運転者だけでなく、設計者や運用者の責任
主な取り組み

・道路の安全設計

・高速道路に中央分離帯設置

・住宅地・学校周辺は時速30キロメートル以下

・安全な車両

・シートベルト・衝突安全技術の普及

・監視と規制

・飲酒運転・速度超過の厳罰化

・歩行者・自転車保護

・専用レーン・信号の整備

■事故を起こすのは「乗り物」ではなく「人」
交通事故対策として挙がってくるのは自動車側、つまり、自動車会社への規制が多い。スウェーデンの取り組みでも、「住宅地・学校周辺は時速30キロメートル以下」「安全な車両」「シートベルト・衝突安全技術の普及」「飲酒運転・速度超過の厳罰化」は自動車会社がやるべきこととなっている。日本でも自動車会社はかねてシートベルトの着用を訴え続け、実現した。その他にも数々の交通安全対策を自動車会社として行ってきている。加えて衝突安全技術は進化を続けている。さらに、自動車会社、自動車販売店、部品サプライヤー、損保会社などは地域の警察や行政機関と一緒にさまざまな交通安全の啓発運動を行ってきている。あいおいニッセイ同和損保も福井県、大分県など各地で地元企業と一緒にかなり熱心にやっている。しかし、大々的に報道されることはない。
報道されないこともあって、世間が自動車会社の交通安全の取り組みを知っているとは言い難い。交通事故の主原因はクルマだ、オートバイだと思っている。自動車とオートバイを規制することが事故を減らすことにつながると考えている。
しかし、実際に交通事故を起こすのは自動車、オートバイだけではない。タテシナ会議の資料にあるが、事故の原因は人の行動だ。車に乗っている人、自転車に乗る人、電動キックボードを操る人、歩いている人の行動が事故につながる。行動を変容させなければ事故は減らない。
車に乗っている場合でも事故の原因は車の制御不能、故障よりもやはり人の行動になる。たとえば信号機とそれに対する人の反応だ。
■「黄信号」の時間は地域で違う事実
ベストカーWeb2025年3月10日付コラムにこんなことが書いてあった。
「黄色信号の点灯時間は、地域や交差点で差があり、概ね3秒~4秒の間で点灯しているのだ。これは都道府県で統一の基準があるわけではなく、信号機のワンサイクルの時間で決められたり、交差点の大きさなどで決まったりしている」
車に乗っている人は黄色信号であればブレーキは踏まない。交差点を通るためにアクセルをちょっと踏む。ところが……。
「ドライバーとしては、4秒点灯のつもりで走行していた時に、突如目の前の信号が3秒点灯だった場合、赤信号に切り替わったタイミングで交差点内に侵入・通過してしまうことがあるだろう」(同記事)
これはある。黄色信号の秒数に違いがあるのはいかがなものか、それが現実だ。そして、それ以前に、黄色信号であればほぼすべてのドライバーはアクセルに足を載せる。
「黄色信号の秒数は3秒」と明確に決めてしまうことが望ましいのではないか。場所によって秒数が変わると、赤信号になっている時、交差点内に侵入する車が確実に存在することになるからだ。
■人間の行動を変える
こうした事故を防ぐには人間の行動を変えるしかない。
交通安全教育、啓発運動の対象は車だけではなく自転車、電動キックボード、そして人であるべきだ。
タテシナ会議に出席して、わたしは交通事故死ゼロがいつか実現すると信じることにした。車だけが悪いのではないともわかった。交通事故死ゼロを信じて、徹底的に対処していくことだ。
交通事故死ゼロを信じることなく、これまでと同じように、車だけを規制しても、交通事故はなくならない。車の規制よりも、むしろ、人に対して、交通事故がいかに嫌なものなのか、出会わなくていいものなのかを世間に知らせていくことだ。
世間に対して報知して、人々が「自分だけは事故を起こしたくない、自分だけは事故に遭いたくない」と誓うように持っていくこと。
人の考えと行動を変えない限り交通事故は減らない。
だからといって、交通安全の啓発とは事故現場の悲惨な動画や写真を報道したり、見せることではないと思う。そういうものを見せて嫌悪感を与えるよりも、交通事故を体験した普通の人の冷静な考えを伝えることだ。
(文中敬称略)

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野地 秩嘉(のじ・つねよし)

ノンフィクション作家

1957年東京都生まれ。早稲田大学商学部卒業後、出版社勤務を経てノンフィクション作家に。人物ルポルタージュをはじめ、食や美術、海外文化などの分野で活躍中。著書は『トヨタの危機管理 どんな時代でも「黒字化」できる底力』(プレジデント社)、『高倉健インタヴューズ』『日本一のまかないレシピ』『キャンティ物語』『サービスの達人たち』『一流たちの修業時代』『ヨーロッパ美食旅行』『京味物語』『ビートルズを呼んだ男』『トヨタ物語』(千住博解説、新潮文庫)、『名門再生 太平洋クラブ物語』(プレジデント社)、『伊藤忠 財閥系を超えた最強商人』(ダイヤモンド社)など著書多数。『TOKYOオリンピック物語』でミズノスポーツライター賞優秀賞受賞。ビジネスインサイダーにて「一生に一度は見たい東京美術案内」を連載中。

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(ノンフィクション作家 野地 秩嘉)
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