※本稿は、清水研『こころの傷つきをなかったことにしないでください』(KADOKAWA)の一部を再編集したものです。
■希少がんに罹患した20歳予備校生との出会い
加茂あかりさんは高校3年生のときに体調が悪くなり、その後「肝未分化胎児性肉腫」という、非常に希少ながんに罹患していることがわかった。
約1年間にわたる治療を受けたが、その間にはほんとうにいろいろなことがあって、あと一歩のところで死に至っていたかもしれなかった。
治療が終わり、やっと体調が戻ったため、彼女は20歳のときに大学を目指して予備校に通いだした。そのとき高校で机を並べていた同級生のほとんどは大学3年生になっていた。
それからしばらく経って、彼女が私の外来を初めて受診した。それが加茂さんとの最初の出会いだった。
診察室に入ってきた彼女は、髪は明るい色にカラーしてあり、ファッションに興味がない私にはよくわからないが、とってもオシャレな若者という印象を受けた。不思議だったのは、自ら希望して受診したはずなのに、ぶっきらぼうな様子で、私には視線もあまり向けなかったことだ。
そのときのやりとりを詳しく覚えてはいないが、心境を尋ねても、「別に~」「大丈夫ですよ~」などと軽くかわされたような感じがあった。
しばらくこのような不可解なやりとりが続いた後、加茂さんから「精神腫瘍科って変な名前ですね」などと、軽いジャブのような、ディスる(=揶揄する)言葉があった記憶がある(当時勤めていた国立がん研究センター中央病院では、私の部門は精神腫瘍科を標榜していた)。
■「精神腫瘍科」という名へのコンプレックス
実は私も、「精神腫瘍科」という名前にはコンプレックスがあった。私が勤めている病院に通う患者さんは、自分にとって最良のがんの治療を受けることは強く希望しているが、こころのケアについては希望しない人も多い。
しかし、本人が望んでいなくても、主治医が本人のメンタルの状態を心配して精神腫瘍科を勧めることがある。そうすると、主治医の厚意を無にしたくないと、患者さんは気乗りしないのにしぶしぶ受診するのだ。
そのような人にとって私は招かれざる客であり、最初に「精神腫瘍科の清水です」と名乗ると、「ついに俺は精神にもがんができてしまったのか」と皮肉交じりに言われた経験が何度かあった。
たとえば脳腫瘍は脳にできた腫瘍、乳腺腫瘍は乳房にできた腫瘍を意味するように、精神腫瘍というと、精神にできたがんという解釈も成り立つ。しかし、本来の精神腫瘍という言葉はPsycho-Oncology(psychoはこころ、oncologyはがんを意味する)の訳語というルーツがあり、がんとこころについての学問を指す。
加茂さんに自分のコンプレックスをズバッと突かれて、私は一瞬傷ついた。ただ、精神科医として本心を隠すトレーニングはずっとしてきたので、そのことはこころの奥にそっとしまうことができた。
そして、加茂さんの言葉や態度は、思春期にはときどきある、大人に頼りたい気持ちと、信頼できないのではという猜疑心が同居しているからなのだろうと冷静に咀嚼したうえで、「精神腫瘍科という名前、確かに変かもしれないね」と穏やかに返事をした。
■担当医になり5年、初めて見せてくれた詩
おそらく彼女は、私が自分のことを傷つけない人間なのか、安心して気持ちを打ち明けられる人間なのかどうかを試したのだろうと想像する。
そして、このとき私が苛立たずに、彼女の言葉に応じることができたからだろうか、その後も私の外来の通院を継続することになった。そこからかれこれ5年以上が経つ。
彼女の少し尖った感じのトーンは変わらないし、「今日は何もない。薬ちょうだい」みたいに短く診察が終わることも多い。一方でときどきだが、「最近マジつらい」とか、「友達と食事に行くと体調悪くならないか心配」などと、徐々に自分の気持ちを話すようになった。
そして、私が加茂さんの話をよかったら文章に書いてみたいと伝えたことがきっかけだったと思う。彼女の今までの気持ちをのせた詩を、ある日私に見せてくれた。
■まだ私の時間は進むから、生きていける
未来が見えなくなった話
私には未来が見えていた。
どうしても行きたかった高校に通っている自分の姿、家族旅行で楽しんでいる姿、楽器の演奏をしている姿、見える未来はすべて実現できた。
私には未来予知能力があるわけではない。
日常の中で未来の自分の姿を想像する瞬間がある。
その中でもよりはっきりと想像できる姿があった。
それが私にとって未来が見えるということだった。
高校卒業後すぐにがんが見つかった。
医師も知らないと言うような希少ながんだった。
ネットで病気について調べたが希少な病気ゆえに情報は乏しく、閲覧できる数少ない情報にも絶望的な記述しかなかった。
手術をしたが、数カ月後にすぐ再発した。
初発の時とは違い根治は難しいかもしれないと言われた。
がんによってお腹は妊婦の様にぽっこりと出て食事も取れなくなった。
入院中に倒れてこのままでは死にますと言われた。
万一のときは遺体を傷つける結果になるだけだからと、次は心臓マッサージをしないと父が同意書にサインをした。
この頃から未来が全く見えなくなった。
明日生きてご飯を食べている、テレビを見ている、ゲームをしている、そんな些細なことすら想像できなくなった。
無論1年後、5年後、10年後自分が生きている姿すら全く見えなくなった。
今寝たらもう二度と目覚めることはないのではないか。
どこに進むべきか何をすべきか何も分からない。
幸運にも薬物療法も効果があり、根治手術までこぎつけた。
退院してしばらくしてから共に入院していた友人達が相次いで亡くなった。
実感がわかなかったが、それから半年経ったころに突然眠れなくなった。
急に涙が溢れてきて止まらなくなった。
一日中ベッドの上で壁を見てすごした。
トイレに行くのもご飯を食べるのも全て面倒くさくなった。
スマホを触る気力すらなかった。
電車に乗ると震えが止まらなくなった。
毎日亡くなった友人の顔が浮かんできた。
自分がどこかおかしくなってしまった自覚があった。
病院のホームページを見るとがん患者のための精神科があることを知った。
自ら主治医に電話して予約をとってもらった。
先生は何も聞かずに予約をとってくれた。
精神科に通い始めて薬の力で寝られるようになった。
話を聞いてくれる人もできた。
先生がやりたいことをやればいいと言ってくれたのでやりたくないことは全部やめてバイトを始めた。免許もとった。
今もまだ未来が見えない。
5年後、10年後に自分が生きている想像は全くできない。
それなのに再発して転移して死にゆく自分の姿は容易に想像ができる。
ただ、明日友達とご飯に行っている光景、半年後好きなバンドのライブを楽しんでいる姿、少しずつ想像ができるようになってきた。
最近時計を新調した。
7年前手術をした特別な日だった。
その時の店員さんが今日からまたこの時計と共に時を歩んでいくのですねと言ってくれた。
ありふれた言葉だろうけどもとても嬉しかった。
まだ私の時間は進むんだ、生きていけるんだと思えた。
いつかまた未来が見える日がくるのだろうか。
あるいは二度とないのかもしれない。
それでも私は生きていく。
未来に明かりがあることを信じて。
私はこの詩に、彼女の今までの物語を感じた。そして、その物語をもっと詳しく知りたくて、「これはどんなことを指しているの?」などと詳しく質問を重ねていった。
■上級生から浴びせられた「バカ」「死ね」
未来が見えていたということに込められていた意味は、次のようなことだった。
加茂さんは、公立の中学校を卒業しているが、学校生活はかなり過酷だったらしい。その学校は上下関係が非常に厳しく、たとえば「セーラー服のタイは上級生にならないと短くできない」といったような、謎のルールがあったそうだ。
もし下級生がそのルールを破ってタイを短くしていると、上級生に呼び出され、「お前なに調子に乗ってるんだ」と、きつく脅迫されるような環境だった。
その状況の中で、彼女は天然パーマが強く、まったく願っていないことだったが、その身体的特徴からとても目立つ存在だったそうだ。
自分には何も落ち度がないはずなのに、生まれつきの容姿で上級生から目をつけられ、「バカ」「死ね」などのひどい言葉を投げつけられ続け、空き缶を投げられたこともあった。
彼女はそんな理不尽な環境から脱出したくて、自由な校風の学校にあこがれた。ほんとうは海外の高校に行きたかったが、経済的にさすがに難しいとのことで、国際交流も活発な某高校を目指し、見事そこに合格した。
■将来が予測できなければ「自己効力感」はない
心理学には「自己効力感」という概念がある。これは、人がある目標を持ったときに、「自分は必要な努力をすれば、それを達成できる」と思える力を指す。
自己効力感が高い人は、新しい仕事、趣味、資格の取得など、さまざまな場面において、少々の困難が予測されても、「自分ならきっとうまくできるだろう」と考えて、楽観的に取り組むことができる。
一方で、自己効力感が低い人は、困難な課題があると、「きっと自分はうまくできない」と悲観的に考えてしまって失敗してしまうか、あるいは挑戦自体を避けてしまうかもしれない。
きっとこのころの加茂さんは「自己効力感」が高かったのだろう。勉学だけではなく、中学では吹奏楽部でクラリネットを担当していたそうだが、「自分が努力すればこれぐらいのレベルには行けるな」という予想を立てることができて、実際に結果もそのとおりになることが多かったそうだ。
彼女が進学した高校はある大学の付属高校であったが、行きたいと思った別の大学を目指して、受験をすることにした。しかし、高校3年生のときに体調が著しく悪くなり、発熱、腹痛、食欲不振に悩まされた。
そして、それまでの経験とは異なり、彼女の受験の計画は思いどおりには進まず、浪人することになった。
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清水 研(しみず・けん)
精神科医・医学博士、公益財団法人がん研究会有明病院腫瘍精神科部長
1971年生まれ。金沢大学卒業後、内科研修、一般精神科研修を経て、2003年より国立がんセンター( 現・国立がん研究センター)東病院精神腫瘍科レジデント。以降一貫してがん専門の精神科医として活動し、対話した患者・家族は5000人を超える。2020年より現職。日本総合病院精神医学会専門医・指導医。日本精神神経学会専門医・指導医。著書に『もしも一年後、この世にいないとしたら。』(文響社)、『他人の期待に応えない』(SB新書)、『不安を味方にして生きる』(NHK出版)など多数。
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(精神科医・医学博士、公益財団法人がん研究会有明病院腫瘍精神科部長 清水 研)

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