※本稿は、飯野守男『法医学教授が教えている死体の授業』(飛鳥新社)の一部を再編集したものです。
■胃が大きくなりすぎて小腸が壊死
「嘔吐が止まらない」と訴える中学生の男子が病院へかけ込みました。お腹の調子が悪いのだろうとの判断から整腸剤を処方され、帰宅しましたがその直後に少年は死亡。
解剖によって判明した死因は、「ハンバーガーチェーン店のフライドポテト」によるものでした。子どもの死は原因がなにであっても痛ましいものですが、とりわけ個人的に印象に残っているのが「ハンバーガーチェーン店のポテトが原因で死にいたった少年」のケースです。
嘔吐で病院にかけ込み、整腸剤を処方されたけれども、死亡してしまった中学生男子。若く既往歴もない少年の突然死の原因を明らかにするため、解剖を行ったところ、衝撃的な事実が明らかになりました。少年の死体を解剖して胃を切り開いたところ、まず胃全体が異常に大きくなっていました。
さらに拡大した胃が腸を圧迫し、骨盤の狭い空間に小腸の一部がググッと入り込んだ結果、小腸が壊死(えし)して黒く変色していたのです。小腸は通常、食べ物を消化して通過させるトンネルのような役割を果たす器官ですが、この腸が穴にはまり込んだ結果、トンネルが狭くなり、食べたものが通過できなくなります。
食欲低下、お腹の張り、吐き気、嘔吐などの症状を引き起こすこの状態は医学的に「腸閉塞(ちょうへいそく)」と呼ばれています。
では、なぜ少年は腸閉塞を起こしてしまったのか?
■食費500円でフライドポテトを買う日々
原因は生前の彼の家庭環境にありました。少年は父子家庭の一人っ子であり、毎日の食事は父親から渡される500円で、すべて賄(まかな)っていたことが死後明らかになりました。
「500円で調理の必要がなく、たくさん食べられてお腹が膨らむものを」と考えて思い浮かんだのが、子どもでも気軽に立ち寄れるハンバーガーチェーン店のフライドポテトだったのでしょう。毎食フライドポテトだけの食生活、そして腰椎(ようつい)が人より1個多かった少年は、ほぼ毎日、油の多いフライドポテトだけを食べ続け、腸閉塞を起こして苦しみながら死にいたりました。
栄養バランスが極端に偏った生活が原因だったことは間違いありませんが、もうひとつ不確定ながらも、この少年固有の事情もありました。人間の腰椎(腰あたりにある背骨)は通常、5個あります。ところが、CTで腹部を撮影したところ、少年には6個の腰椎がありました。
まれに腰椎が6個ある人はいますが、骨が1本多いということは、腹部のスペースが標準より広い可能性があったと考えられます。要するに、普通の人よりもお腹がちょっと広い。けれども、小腸の長さは標準だったため、消化の悪いフライドポテトの過剰摂取で胃にガスがたまって膨らみ、余っている腹部の空間に小腸の端が入り込んで壊死した可能性もあります。
CTと解剖だけでは、食生活と腰椎の因果関係を明言することまではできませんでしたが、私はおそらく無関係ではなかっただろうと考えています。
少年に手を差し伸べられる大人が1人でも身近にいれば、と心から残念に思わずにはいられない解剖でした。
■法医学者でも死体は得意ではない
法医学の「法」とはいうまでもなく、「法律」を指します。法医学者とは、法律がかかわる諸問題において医学的知識を提供する医師です。いい換えると、法律と医学がかかわる一番大きな案件が「人の死亡事案」であり、そこに事件や事故がかかわっているのかを医学的に解明するのが法医学者であり、そのためのおもな対象が「死体」ということになります。
この仕事をしていると「死体は得意なんですか?」と聞かれることがありますが、答えは「いいえ、得意ではありません」です。死体が好きで、得意だからやっているわけではなく、事件や事故の原因を探るために誰かが死体を解剖する必要があるため私がやっているだけです。いわゆるお医者さん(一般臨床医)と法医学者の最大の違いは、治療をするかしないかでしょう。
治療が生きている人間を救うための前向きな行為であるのに対して、死体解剖は過去になにが起きたのかをレトロスペクティブ(うしろ向き)に解明します。その矢印の違いこそが、一般臨床医と法医解剖医が決定的に違う点です。
ごくまれにですが、ほかの専門分野の医師が法医学者に転身することもあります。救急医だったBさんは、法医学の世界に鞍替(くらがえ)した経歴のもち主です。
■死体からわかることが次の現場の学びになる
しかし、1分1秒を争う現場ですから、「救命できなかった患者」に関しては、立場上、死因を究明することまではできなかった。Bさんの場合も、「結局のところ、なにが死因だったのかは不明だが救命できなかった」とのやりきれなさが積み重なったことが、死因の謎を解き明かせる法医解剖医になった動機の1つだったそうです。
救急外来には、さまざまな緊急症状の患者が運ばれてきますから、現場は常に「緊急事態」です。身体の中で大量出血している患者の場合、どこの血管が破れているのかを血の海の中でまず把握しなければならないのですが、それが難しい。吸引しても吸引しても、出血源がわからず、失血死してしまうケースもあります。けれども、皮肉なことに死体となってしまえば、もはや処置を急ぐ必要はありません。
死体は出血しませんから、法医解剖医はたまった血を拭き取り、ゆっくりと出血源を探し当てて、「なるほど、この血管が破れていたのか」と検証できる。後日、救急医、司法解剖医、警察、消防が集まる症例報告会やカンファレンスなどで、「今後、類似の事故では、この血管に注意するといいですよ」とフィードバックをすることによって、各自の現場にも学びが還元されます。
救急医が解けなかった謎を、法医解剖医が探し出し、答え合わせができる。死体からわかったことを、生きている人間にフィードバックできる。これもまた法医解剖医の存在意義でしょう。
■児童虐待や性暴力を暴くもう一つの法医学
ちなみに、死体がおもな対象となる法医学ですが、中には生きている人を対象にしている「臨床法医学」という分野もあります。臨床法医学に含まれるのは、児童虐待や性犯罪などです。
虐待や暴力による損傷の原因や時期、治癒の見込みを法医学的に評価することで、裁判の証拠として使用されます。海外では一般的な臨床法医学ですが、日本ではまだあまり体系的に確立されていないため、残念ながら積極的には行われていないのが現状です。
やや脇道にそれますが、死体はどのように腐敗していくかについても、ここで触れておきましょう。法医学には「死体現象」という用語があります。これは死亡したあとに、どのような物理的・化学的変化が現象として現れるのかを意味する言葉です。日本では「心臓死」によって死と判断されますが、心臓死は次の条件、死の三徴候の確認を医師が行うことで死亡と判断されます。
❶心拍動の停止❷呼吸の停止❸瞳孔(どうこう)の散大(中枢神経の活動の停止)
死の三徴候がすべて確認された瞬間から、その人は社会的に「死体」となります。余談ですが、数年前にイタリアの学会に参加した際、解剖室の見学をさせてもらったところ、解剖室の中に心電図を測る心電計が置かれていました。
日本の解剖室で心電計はまずみかけません。「なぜ死体を解剖する部屋に心電計を置いているのか?」と聞くと、「死後24時間以内の死体の解剖をしなければならない場合、20分以上は心電計をつけっぱなしにして、絶対に心臓が動いていないかを最終確認する必要があるからだ」との答えが返ってきました。
■人が死んでから骨になるまでの
死後すぐの死体解剖は慎重さが必要ですが、もしかすると過去に死亡確認がいい加減だったせいで、「死体が生き返った!?」などの事例がイタリアではあったのかもしれません。なお、日本では死後24時間以内の火葬は禁止されていますが、解剖は禁止されていません。
死体現象に話を戻しましょう。心臓が停止したあとは、筋肉の硬直(死後硬直)がはじまりますので、身近な人の死に立ち会った経験があれば、死後硬直までは現象として目にしているのではないでしょうか。
火葬が行われる日本では、その数日後に骨となった姿が終着点となりますが、自然環境下で心停止した死体を放置した場合、どのような現象が起きるのかまではあまり知られていないようです。まず失われるのは「ぬくもり」、すなわち体温です。心臓が停止すると体の温度は徐々に低下していきます。死体の体温は通常直腸温を測定します。
体の内部のほうが冷めにくいからです。続いて死後硬直が発現し、関節が固くなってきます。そして死斑(しはん)が現れます。死斑は重力によって血管内の血液が体の下側に沈んで、皮膚の色が赤紫色になってくる現象です。
このとき、先に腐敗していくのは体の外側ではなく、内側の内臓です。
■死体が臭うのはなぜか
真っ先に腐敗が進むのは、小腸や大腸などの消化管です。腸内細菌や体内の酵素によってガスが発生するため、体が内側から膨れ上がっていき、特有の臭気が発生します。
体内の腐敗と並行して、体表(皮膚)も緑色に変化していきます。鮮やかなエメラルドグリーンのような緑ではもちろんなく、皮膚が薄いところから黒ずんだ緑色を帯びてきて、やがて茶褐色に変わっていきます。最初に変色がみられるのは下腹部です。
やせ型の人に比べると、皮下脂肪が厚い人は変化が見えにくいです。腐敗による変色は、細菌が多い箇所から順に進んでいきますから、手足などの末端が最後になります。
死体が置かれている状況によって、腐敗の進行度合いは変わりますが、室内で死亡した場合、日本の真夏であれば死後半日ほど、冬場は死後3日ほどで腐敗臭が漂うようになってきます。腐敗臭がどんな臭いなのかの説明が難しいのですが、人間も哺乳類ですから、動物性タンパク質=肉が腐敗していく臭いが近いといえば近いかもしれません。
■戦時中の遺骨が今でも見つかるワケ
一方で、髪の毛はそのままの姿で残ります。頭皮の腐敗がはじまると接着しなくなるため、頭から抜け落ちはするのですが、髪の毛の変性のスピードは非常に遅いため、完全に分解されるまでに数十年かかることもあります。爪は剥がれ落ち、歯は抜けるものの、髪の毛同様に長く残ります。そして最後の最後に残るのは骨と歯です。
おもにカルシウム塩で構成されている骨や歯は、最も腐敗しにくい体のパーツです。戦時中の遺骨が今なおみつかるように、骨は長期にわたって形を保つことが可能です。本気で「肉体が土に還る」ことを目指すのであれば、骨を土と同じくらいの細かな粉末状にする必要があるでしょう。
室町時代に描かれたといわれる仏教絵画「九相詩絵巻(くそうしえまき)」には、ここで解説した死体現象のプロセスが9段階にわけて生々しく描かれていますので、ビジュアルで把握したい人はぜひみてみることをおすすめします。この絵巻は世界的に有名な法医学の教科書の表紙絵にも採用されています。
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飯野 守男(いいの・もりお)
鳥取大学医学部教授
昭和46年鳥取県米子市生まれ。平成9年鳥取大学医学部卒業。医師,医学博士。1971年鳥取県米子市生まれ。解剖学者の父を持ち、中学生の時に法医学者を目指す。鳥取大学医学部卒業、大阪大学大学院で博士号取得。京都大学、大阪大学、慶應義塾大学で勤務後、2015年鳥取大学医学部法医学分野の教授。趣味はサイクリング。ベルン大学(スイス)で死後画像診断(Virtopsy,バートプシー),ビクトリア法医学研究所(オーストラリア)で法医放射線学(Forensicradiology)の知識,技術を習得。現在,国内でその技術を死後画像診断,Ai(エーアイ)に応用する。日本法医学会評議員,オートプシー・イメージング学会理事。
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(鳥取大学医学部教授 飯野 守男)

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