■怒りに震えた運輸大臣の告発
「もし私が怒っているように見えるとすれば、それは、実際のところ怒っているからだ」
2026年5月19日、イギリス議会下院に立った英運輸相のハイディ・アレクサンダー氏は、自国が15年以上推し進めてきた高速鉄道「HS2」計画を厳しい口調で断罪した。
この日発表されたHS2の最新の事業費の見通しは、英国政府公式サイトのGOV.UKが公開するデータによると、2025年価格ベースで877億~1027億ポンド(約18兆8000億~22兆1000億円、6月10日時点のレート1ポンド=214.73円で換算、以下同)。
インフレを差し引いた2019年ベースの価格に換算しても709億~822億ポンド(約15兆2000億~17兆6000億円)に相当する。予定されている路線網は当初計画から大幅に縮小したが、事業費は3倍に膨れ上がった。
アレクサンダー氏は、「途方もない誇大設計の愚行だ」と議会で指摘し、「世界中のどこよりも高速な列車」を掲げてきた計画を糾弾する。
加えて、「乗客が望んでいるのは、予定通りに到着する信頼性、充実したサービス、十分な座席数、ただそれだけだ」と述べ、世界最速にこだわる姿勢が致命的な予算超過に直結したと暗に批判した。
さらに、納税者と、影響を受けた地域コミュニティを代弁し、歴代政権が繰り返した失敗に怒っている、とぶちまけた。一連の発言を、ロンドン経済紙のシティ・エー・エムが報じた。
■世界最速も、路線の6割も諦めた
HS2は、首都ロンドンから北西に延びる路線だ。
高速鉄道の規格であり、日本でいうなら在来線に対する新幹線の感覚に近い。
英国議会下院図書館の情報によると現在、ロンドンと北西に位置する第2の都市バーミンガムとを結ぶ、総延長225キロ・全4駅を計画している。東京を出て富士山付近を通過し、浜松の手前に至るほどの距離感だ。
だが、予算の大幅な超過と技術的な課題を受け、営業上の最高時速は当初の360キロから320キロに引き下げられた。この速度ならまったく目新しさはなく、欧州各国の既存の高速鉄道と比較しても、後発ながらごくごく標準的な速度に収まる。日本でも東北新幹線が郊外区間において、営業運転上の最高速度として日々運用している。
当初はロンドンを起点に北上し、バーミンガムで「Y」の字に分岐して西はマンチェスター、東はリーズへ至る形を想定していたHS2。総延長は530キロを見込んでいた。
ところが、スナク前首相が2023年10月に北部区間の中止を発表。分岐前の前半部分に当たるロンドン―バーミンガム間の本線と、在来線と結ぶ支線のみが残った。これにより総延長は225キロまで縮小し、当初計画の約58%を諦めたことになる。
それでも、計画はイギリス国民の一大関心事であり続けた。
ところが、計画は年を追うごとに泥沼化しつつある。
■建設費はついに「月探査計画」超え
そもそも、HS2の車両そのものは、日本の技術と無縁ではない。HS2の公式発表にも記載の通り、54編成の高速車両を日立製作所とフランスのアルストム(Alstom)が折半で出資する共同事業体(ジョイントベンチャー)が設計・製造し、日本の新幹線と欧州高速鉄道の最新技術をベースにしている。
車両自体は、むしろ新幹線の系譜を引く堅実な設計だ。HS2の信号・列車制御は、欧州標準のETCS(European Train Control System)のレベル2を採用する。コストが膨れ上がったのは、これら以外の問題。すなわち、路線の土木工事や許認可、地域対応といった、車両や制御システムの周辺対応コストである。加えて、イギリス政府として世界最速を狙った過大な速度目標も災いした。
HS2の見積総額は、ついにNASAの「アルテミス」計画を上回る規模に達した。
アルテミスといえば、半世紀ぶりの月への有人着陸などを目指す一連のプログラムだ。
NASA監察総監室(OIG)の2021年時点での試算によれば、アルテミス計画全体を通じ、2012~2025年会計年度までで約930億ドル(約14兆9000億円=約695億ポンド。6月10日時点のレート1ドル=160.41円で換算、以下同)が投じられる見込みとされている。
これに対してHS2の事業費の現在の見通しは、前掲の通り最小で877億~1027億ポンド(約18兆8000億~22兆円)。イギリス国民の期待が膨らむ一方で、予算規模は宇宙開発計画並みに膨張している。
■宇宙に行ける金額で英国外にも出られない
地上を走るたった1本の鉄道を建設するだけで、人類を再び月へ運ぼうという宇宙計画さえ超過してしまったHS2。宇宙に行けるほどの金額を費やしながら、その行動範囲は飛行機よりも狭く、イギリス国外へ出ることすらできないという皮肉な状況だ。
費用が膨張した原因の内訳についてGOV.UKは、大半が人為的な不手際によるものだと認めている。
増加分の3分の2は、当初計画で必須工事の計上漏れがあったこと、見積もりの甘さ、非効率な計画運用という3点によるもの。インフレに起因するものは、残る3分の1に過ぎないという。
当初予算との乖離も甚だしい。
英地方紙のコベントリー・テレグラフが振り返るところでは、ロンドン―バーミンガム間に加え、のちに白紙撤回されたマンチェスターへの北部延伸、そしてバーミンガムから北へ延びるリーズへの長大な支線まで含めた当初予算は、2011年価格で327億ポンド(約7兆200億円)だった。
北部区間の取りやめなどにより、距離ベースでは建設区間の約58%が消えた。にもかかわらず、残された区間に投じる費用だけで当初計画全体の3倍前後に達した計算だ。
そもそもイギリスは、当初の構想を実現することは技術面で困難であった。
GOV.UKによれば、時速360キロで列車を試走させられる線路はイギリス国内に存在せず、コストと工期の膨張につながったという。また、同サイトのHS2議会向け6カ月次報告(2026年5月)は、速度引き下げによる主な節約効果として「世界のどこでも運行されていない速度での認証に伴うリスクの回避」を挙げている。
■「世界最速」が生む差はわずか3分
事業費が異常に膨らんでいくのと同時に、開業時期もじわじわと後ろへずれ込んできた。
GOV.UKの最新の試算によれば、最初の営業運転が始まるのは早くても今から10年後の2036年。全線が稼働する全面開業に至っては、2040~2043年とされている。当初高らかに掲げた2026年開業の旗印を、イギリスはすでに十数年単位で先送りする事態となった。
加えて最高速度の目標も引き下げられ、イギリス版新幹線は、世界最速の夢をついに諦めた格好となった。
シティ・エー・エムによると、下院での質疑でアレクサンダー氏は、「世界最速の列車という見込みに、保守党の閣僚たちが心をくすぐられた、過剰仕様の愚行だった」と当時の計画を厳しく批判した。
最高速度を当初計画の360キロから欧州水準の320キロに引き下げた場合、ロンドン―バーミンガム間の所要時間は、42分から45分へと3分延びる。
世界最速の看板は諦めたが、利用者の利便性に直接響くわけではない、というのが言い分だ。裏を返せば、世界最速へのこだわりは、乗車時間にして3分の違いしか生まなかったということにもなる。
ロンドン―バーミンガム間は225キロに過ぎず、東海道新幹線の東京―新大阪間約553キロと比較しても、半分に満たない。その距離で世界最高速度を追求すること自体が、ナンセンスであった。
速度の引き下げは、結果として恩恵をもたらすことになりそうだ。最大25億ポンド(約5370億円)の費用削減と、少なくとも1年の工期短縮が見込まれる。沿線地域がようやく高速鉄道の恩恵にあずかれる時期も、その分だけ早まる計算だ。
■コウモリ保護に215億円の小屋
HS2プロジェクトが過剰品質に走りやすい傾向は、速度以外にも広く見られる。
ロンドン北西部、バッキンガムシャー州のシープハウス・ウッド沿い。約1キロにわたって緩やかな曲線を描く奇妙な構造物の建設が、いままさに進んでいる。
森を抜ける高速列車の上を、コウモリが列車に接触することなく安全に横切れるようにするため、線路をトンネル状に覆う構造物だ。インディペンデント紙によれば、事業主体であり英政府が所有する有限会社のHS2リミテッドは、この「小屋」1棟に1億ポンド(約215億円)超を投じている。
HS2リミテッドのジョン・トンプソン会長は、鉄道業界のカンファレンスで自ら率直に明かした。「我々はそれを小屋と呼んでいる。この小屋、信じてもらえないと思うが、この森のコウモリを守るのに1億ポンド以上かかった」
会場の苦笑が目に浮かぶような告白である。イギリスではあらゆるコウモリの種が法的保護の対象となっている。HS2の敷設による生態への影響を最小限に留めるべく、政府の助言機関ナチュラル・イングランドの意向を踏まえて建設が進められているという。
■証拠は何ひとつない保護工事
野生生物の保護はたしかに、開発計画にあたり検討されるべき重要な観点である。ただし、トンプソン氏は、高速列車がこの保護種に害を及ぼす「証拠は何ひとつない」とも明かしている。
当初は地下トンネル化や迂回ルートといった、さらに高額な選択肢が議会で検討されていた。最終的に選ばれたのが、この小屋案であった。
それでも地元のバッキンガムシャー議会は工事を頑として承認しなかった。HS2リミテッドは弁護士や環境の専門家への報酬として数十万ポンドを費やし、「最終的には、バッキンガムシャー議会の頭越しに掛け合うかたちで建築許可を勝ち取った」とトンプソン氏は振り返る。
このような入り組んだ駆け引きが必要となるケースは、コウモリ関連にとどまらない。同紙によればHS2の建設にあたり、HS2リミテッドが計画・交通・環境に関する各公的機関から同意を得る必要のあった件数は、実に8276件にのぼる。
コウモリへの配慮をめぐり地元と揉めた長さ約1キロの小屋は、その一例に過ぎない。
■日本の高品質とは違う「制度設計の過剰」
このようにHS2は、複数の過剰品質の問題を抱えている。
もちろん、技術上の過剰品質だけを見るならば、日本の新幹線もひとごとではない。日本国内で好まれる高い技術仕様に合わせて設計した結果、途上国への輸出ではしばしば苦戦すると指摘されてきた。
現地で実際に求められる水準に対して、規格が緻密過ぎるというわけだ。緻密さは導入費用の高さにもつながり、相手国の事情とかみ合わないことがある。
ところが、HS2の苦境はそれとは異質だ。最高速度の引き下げに象徴されるように、設計性能はむしろ抑制された状態にある。それでも事業費が膨れ上がったのは、イギリスが環境規制・許認可・地域政治といった制度面での複雑な課題を抱え込んでいるからだ。
こうした見立てを裏づけるかのように、外部からの評価も手厳しい。英デジタルニュースメディアのインディペンデント紙によれば、HS2のトップ自身がロンドンの鉄道産業協会年次会議で、一連の騒動はイギリスが大型インフラを完遂できないという「本物の問題」を抱える一例だと語ったという。
閣僚でさえ、予算超過の規模を管理しきれない。そんな惨状を受けて、元首相府の運輸顧問はHS2を、「最初から失敗が運命づけられていた」と断言した。
シンクタンクのポリシー・エクスチェンジで運輸部門責任者を務めるアンドリュー・ギリガン氏に至っては、「イギリスにおける近代史上最悪のインフラ計画」であると言及。西ミッドランズ以外の区間は、いっそ「墓に埋めたままにしておけ」(放棄してしまえ)と、容赦のない見方を示している。
■リニアより遅く、リニアより高い
日本のリニアとの比較では、より不利が目立つ。
日本のリニア中央新幹線(品川―名古屋間)の総工事費は、11兆円。車両費を含み、既存の山梨の実験線を除いた額だ。浮上式で走行し、最高時速500キロで東京―名古屋間の約286キロを最速40分で結ぶ。高速走行に耐える試験環境が存在しなかったHS2とは異なり、実験線で長年の試験を重ねてきた。
対するイギリスのHS2は、あくまで既存の新幹線と同等の高速鉄道だ。最高時速は320キロと大幅に抑制されている。敷設距離は約225キロでリニアより短いが、投資額は最大でリニアの倍に達する1027億ポンド(約22兆円)に膨れ上がった。
1キロあたりの単価でみれば、リニアの2.5倍以上というコスト効率の悪さが際立つ。
実際のところ、イギリスの国内世論も冷ややかだ。世論調査会社ユーガブが2020年2月に実施した調査によれば、イギリス全体で40%がHS2の建設に反対し、賛成は32%にとどまった。
計画発表時の2012年1月当時でこそ、賛成42%に対して反対37%と、わずかながら支持が優勢であった。その後、青天井に増加する予算などを背景に、時が経つにつれて国民の信頼を失っていった経緯がある。
当初予算の3倍額となった今、イギリス国民の理解を得ることは一層難しくなった。
■政権は全面中止の可能性さえ探った
それでもイギリスは、HS2の計画を止められない。
GOV.UKによれば、2026年3月末時点でHS2にこれまで投じられた金額は、名目価格で442億ポンド(約9兆4900億円)にのぼる。すでに、当初のプロジェクト全予算とほぼ肩を並べる額が投じられた。
それでいて、全線にわたる土木工事の完成は当初スケジュールから少なくとも4年遅れ。安全で安定した運行を実現するための試験・調整に要する期間も、当初計画では3年分短く見積もられていたことが明らかになった。計画完了までに必要とされる残りの年数は、2020年の着工時から、おおむね変わっていない。
そこで政権が探ったのが、撤退の可能性だ。
コベントリー・テレグラフによれば、英労働党の閣僚は内部レビューを実施するよう指示し、計画全体を白紙撤回したほうが続行するよりも費用対効果で勝るのかを検証させた。
ところが、はじき出された結論は、むしろ閣僚たちの選択肢を狭めることとなった。
すでに442億ポンドを注ぎ込んだこの計画をいま中止しても、完成までやり遂げるのと少なくとも同額の資金が必要になるというのだ。
英ラジオ局のLBCが入手した文書によれば、HS2を率いる責任者は、計画を中止する場合、建設済みの全用地を「建設前の状態」に戻す法的義務があると指摘した。
つまり、すでに掘削された1億立方メートル(東京ドーム約80杯分)の土砂を埋め戻し、着工済みの46マイル(約74キロ)に及ぶトンネル、45の高架橋、132の橋梁を解体することになる。
しかも、こうした構造物の多くは、そもそも解体することを想定して設計されていない。匿名の関係者はLBCに、「いま中止しても、完成させるのと少なくとも同等の費用がかかり、しかも便益は一切得られない」と語った。
イギリスにとって、退路はすでにないも同然だった。
■巻き込まれた沿線住民の悲哀
迷走するHS2計画。北部延伸が中止されたことで、意味もなく家族が引き裂かれたと訴える人々がいる。
85歳のウィルキンソン氏は、HS2の高速鉄道路線による立ち退きの対象となり、英中部ウィットモア・ヒースにあった自宅を手放さざるを得なかった。英テレビ放送局のGBニュースがその顛末を伝えている。
妻ジリアンさんと1970年代に購入し、30年以上を過ごした、思い出の4ベッドルームの邸宅。特例措置による買い取り価格を提示され、120万ポンド(約2億5800万円)で売却に合意した。
ところが、2019年の引っ越しを目前にした数週間前、ジリアンさんが膵臓がんで逝去する。
追い打ちをかけるように、HS2のバーミンガム―マンチェスター区間自体が白紙撤回された。買い上げ済みの物件群は使い道を失い、HS2は買い取ったウィルキンソン氏の元自邸を賃貸に回すようになった。
■村は壊され、家は大麻農場に
そして数年後、ウィルキンソン氏は元自宅で起きていた事態を知らされる。
入居者はいないはずだったが、通行人が「大麻の臭いがする」と気づいて通報。スタフォードシャー警察が踏み込むと、5部屋にわたって184株の大麻が栽培されていた。
HS2リミテッドは買収済み物件の警備費に2023~24年度だけで190万ポンド(約4億800万円)を投じていたが、自身の貸し物件で違法薬物の量産が行われていることを把握していなかった。
「HS2は我々の村を破壊した。成功した人々が終の住処として選んだ良き共同体だったが、路線計画によってそれが引き裂かれた」とウィルキンソン氏は語る。「もう12人以上が、家の売却を待つ間に亡くなった。とても戻る気にはなれない。妻との思い出はすべて失われた」
HS2側が不動産の取得に投じた費用は、白紙撤回されたバーミンガム―マンチェスター区間だけで6億3300万ポンド(約1360億円)、計画全体では累計37億9000万ポンド(約8140億円)に達する。
誰も住まなくなった家屋を維持するための警備費用もかさんでおり、迷走する計画の代償は大きい。
■日立の車両工場が陥った存続危機
一般市民の親しんだ村を引き裂いた、HS2の計画縮小。一方で、HS2向け車両を製造することになっていた英国の2つの主要工場にも一時、深刻な影響が及ぼうとしていた。
英経済紙のフィナンシャル・タイムズが2024年3月に報じたところによると、イングランド北東部のダラム州にある日立製作所のニュートン・エイクリフ工場と、ダービー市にあるフランス系アルストムのリッチャーチ・レーン工場が、ともに存続の危機に陥った。
両社は2021年、HS2向け54編成をジョイントベンチャー形式で受注していた。だが2023年にスナク前首相がHS2の北部区間を廃止したため、工場の生産開始は2026年まで先送りされた。その間、両工場は「発注がない空白期間」が発生。手持ちの受注分が2024年早々に終了すると、生産するものが何もない状態となる。
イギリス政府は日立に対し、つなぎとなる西岸メインライン用の車両を追加発注することもできたが、これを拒否。日立はニュートン・エイクリフ工場の資産を6480万ポンド(約139億円)減損する事態に追い込まれた。
一部の業界関係者は、最終的にHS2の車両がイギリス国外の工場で製造される可能性があるとすら指摘した。
■計画縮小の尻拭いに追われる英政府
結局のところ、英テレグラフ紙が翌4月に伝えたように、英政府は緊急の救済措置に動くことになる。
当時のマーク・ハーパー運輸相がアルストムグループCEOのアンリ・プーパール=ラファルジュ氏と緊急会談し、ロンドンを横断する近郊鉄道路線のエリザベス線に向け、通勤型車両10編成の新規発注を承認することで合意した。
3000人の雇用を抱えるダービー工場は閉鎖を免れる見通しとなり、同紙は「イギリス最大の鉄道車両工場が閉鎖から救出された」と報道。もし救済が間に合わなければ「イギリスはG7諸国の中で唯一、列車の設計と製造を国内で行えない国になっていた」と指摘した。
日立も2025年4月、英政府が仲介する形で大口の発注を確保している。日立は同月3日、イギリスの鉄道事業者アリーバ・グループ傘下のグランド・セントラルから、現有のディーゼル車両を全置換する新型「トライモード」車両(架線電源・バッテリー・ディーゼルの3方式に対応)9編成・計45両を、10年間の保守契約込みで約3億ポンド(約644億円)で受注したと発表した。
国内での製造能力を維持し、発注先との信頼関係を維持するため、イギリス政府は計画縮小の尻拭いに追われることとなった。
■新たな経営陣で信頼回復なるか
もっとも、イギリスも無策というわけではない。怒りをあらわにした英運輸相のアレクサンダー氏は、新経営陣の下でHS2の立て直しを進めると明言した。
アレクサンダー氏は議会で、歴代の保守党政権によるHS2の杜撰な舵取りが続き、納税者、乗客、そして沿線住民が長年にわたって失望させられてきたことを正面から認めた。
GOV.UKによれば、彼女は無駄と混乱への怒りに共感を覚えるとしたうえで、「現政権がHS2の新経営陣と協力し、このプロジェクトを生命維持装置から外して再建の軌道に乗せたことを誇りに思う」と語った。
その「新経営陣」を率いるのが、HS2リミテッドのマーク・ワイルドCEOである。ワイルド氏は自らの組織に対し、総事業費932億ポンド(約20兆円)での完成、そしてオールド・オーク・コモン―バーミンガム・カーゾン・ストリート間の列車運行を2037年後半に開始すること、この2つを目標として掲げた。
932億ポンドという水準は当初予算をはるかに上回り、開業も当初想定の2026年から十年以上ずれ込む。ワイルド氏が打ち出した立て直し計画は、すでに大きく狂ってしまった現実を前にした、せめてもの策である。
■新幹線にあこがれたイギリスの終着点
迷走するイギリスのHS2。本来、英政府が理想として後を追いたかったのが、日本の新幹線であった。
2023年の夏、当時のマーク・ハーパー英運輸相は、日本の新幹線車内に実際に乗車する動画を公開し、車内から新幹線を絶賛している。
座席に身を委ねたハーパー氏は、「日本の鉄道インフラは、HS2、つまり未来に向けた我が国独自の高速鉄道網で何ができるかを示す、ワクワクするビジョンです」と語り、さらに「これを建設することは、我々がイギリスを信じている証なのです」と続けた。
動画で言及された当のHS2は、それから3カ月も経たないうちに、大幅縮小の憂き目に遭うという皮肉な展開をたどった。
コラムニストのリーディー・ガロウド氏はブルームバーグに、「スナク氏よ、新幹線からリーダーの在り方学べ」とのコラムを寄稿。「英国がまねるべきは、日本の粘り腰だ」と指摘する。
約50年前の「全国新幹線鉄道整備法」で高速鉄道網の拡張計画が掲げられて以来、寄稿当時の2023年までに「25人の首相が交代したにもかかわらず、日本は同じ計画を堅持している」とリーディー氏は称賛。
「日本の経験から何か一つを得たいのであれば、それは諦めないことに価値があるということだ」と述べ、北部区間を諦めたイギリス政府の判断と対比している。
■すべては3つの失敗に集約される
日本の新幹線を手本にしたはずのHS2は、イギリス政府が旗を振る国家プロジェクトでありながら泥沼に陥った。
その最大の失敗要因は、3つにまとめられるだろう。
最も致命的だったのが、試験環境もなく、比較的小規模の路線でありながら世界最高を目指した、技術面での過剰品質指向。そして、環境規制や許認可といった制度面での過剰な要求に応えなければならなかったという、イギリスの国内事情。最後に、日本のように腰を据えた開発計画が実る前に、早々に北部区間を中止したことでかえって住民や関連企業に混乱を広げたことだ。
無論、日本の新幹線も、建設の過程では国と地方の対立、予算問題、沿線住民への補償問題など、常に問題がつきまとう。それでも決して諦めることのなかった粘り強さが、今日の世界に誇る新幹線につながった。
4人の宇宙飛行士たちを乗せたアルテミスIIの宇宙船オリオンは、4月10日、見事に地球に帰還した。
一方、巨額をつぎ込んだHS2も、北部区間の中止で大幅に縮小したとはいえ、まだ計画全体が消え去ったわけではない。世論の反対を振り切り、高速鉄道の未来をイギリス国民に示せるだろうか。
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青葉 やまと(あおば・やまと)
フリーライター・翻訳者
1982年生まれ。関西学院大学を卒業後、都内IT企業でエンジニアとして活動。6年間の業界経験ののち、2010年から文筆業に転身。技術知識を生かした技術翻訳ほか、IT・国際情勢などニュース記事の執筆を手がける。ウェブサイト『ニューズウィーク日本版』などで執筆中。
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(フリーライター・翻訳者 青葉 やまと)

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