有名企業の「失敗作」を集めた“博物館”が注目を集めている。並べられたのは、任天堂が1995年に発売しわずか1年で姿を消した3Dゲーム機「バーチャルボーイ」、ソニーが規格戦争で敗れた家庭用ビデオ「ベータマックス」など。
パリの企画展では3時間待ちの行列ができたと海外メディアが報じている。世界の一流企業の“黒歴史”を展示する狙いとは――。
■館長の失敗から始まった「失敗博物館」
スウェーデンを拠点に活動する臨床心理学者のサミュエル・ウェスト氏が、あえて失敗ばかりを集めた「失敗博物館(Museum of Failure)」を企画。米ニューヨークやロサンゼルス、ハンガリーのブダペストや台湾の台北など企画展の形で世界を巡業し、大人気を博している。
何を隠そうウェスト氏自身、失敗と無縁ではない。
失敗博物館のウェブサイトのドメイン名を取得した際、申請が通ったあとになって、肝心の「ミュージアム(museum)」の綴りを間違えていたことに気づいた。失敗博物館の館長自身が、開館前からうっかりしていたわけである。
パリ・イベント情報サイトのソルティラパリによれば、パリ市内のメティエ美術館でも2025年10月から2026年5月まで、発明における失敗の役割をテーマにした風変わりな展覧会「Flops?!(しくじり⁉)」が催された。失敗博物館の協力を得ての企画展だ。
これが大変な人気となった。旅行情報サイトのトリップ・アドバイザーには、土曜日に予約し時間の20分前に着いたが、3時間以上並ぶことになったなどの来館者の声が並ぶ。
革新を行おうとするプロジェクトのうち、実に8割から9割は失敗に終わると、ウェスト氏は2017年6月、ワシントン・ポストに対し語っている。

しかも厄介なのは、その大半が表に出てこないことだという。失敗の多くは組織の中で封じ込められ、堂々と世間で語られることがない。失敗博物館は、こうした失敗から学びを得るために企画された。
■技術で勝っても競争に勝てなかったソニー
日本の企業もクリエイティブな発明を行う上で、数々の失敗を歴史に刻んできた。
博物館のウェブページに並ぶ製品の一つが、ソニーが1975年に発売した家庭用ビデオ規格、ベータマックスだ。
ベータマックスは家庭用ビデオテープレコーダーという、当時としては革新的な製品だった。画質は、当時としては目を見張るものだった。
ところがそのわずか1年後、ソニーよりはるかに小さな競合相手にすぎなかった日本ビクター(JVC)が、対抗規格であるVHSを世に送り出す。後年「ビデオ規格戦争」と呼ばれることになる長い競争が、ここに幕を開けた。
画質で明らかに秀でたベータマックスだが、価格が高く、当初の録画時間はわずか1時間に限られていた。映画を1本まるごと録画できたVHSを前にすれば、これは決して小さくない弱点である。
失敗博物館は、ソニーは戦略でも道を誤ったと指摘する。

ソニーは他社への規格ライセンスの供与を、頑なに拒んだのである。当時はポルノ産業の成長が著しかったが、こうした業界の各社もライセンスを受けることはなかった。
オーストラリア発学術系非営利メディアのカンバセーションによると、ベータマックスのシェアは1988年時点で、世界のビデオカセットレコーダー販売実績のわずか12%にとどまった。ソニーはこの年、ついに敗北を認める。ベータマックス規格と並行して、VHS規格の製品販売にも踏み切ったのだ。
■一番乗りでも勝てなかった教訓
技術が優秀であったり、市場に一番乗りしたりするだけでは、その後の競争に勝てない。こうした教訓を残したベータマックスを、失敗博物館は愛情を込めて「惜しくも届かず(So Close And Yet)」に分類している。
同博物館は、「ソニーはこの失敗から学んだ」とも言及。ソニーはその後、音楽業界と提携を結ぶことで、CDの普及に成功した。さらに、レコード会社を買収。レコードレーベルを傘下に擁し、家電だけでなくエンターテインメント分野でも存在感を放っている。
天下のゲームメーカー任天堂も、いくつかのハードウエアで失敗している。
中でも家庭用ゲーム機のバーチャルボーイは、同社にとって大敗といって良い製品だった。
バーチャルボーイは1995年、世界初の3Dゲーム機として登場した。のぞき込むと左右の眼に別々のLED画面が表示され、擬似的に奥行きを感じられる仕組みだった。
ところが、消費者の反応は驚くほど冷ややかだった。頭に装着できない卓上型という奇妙な構造のため、テーブルに置いた本体ののぞき穴に前屈みで目の位置を合わせに行くしかない。
目玉だったはずの3Dグラフィックスまでもが期待外れと受け止められた、と失敗博物館は振り返る。画面を見続けると頭痛がするという不満も相次いだ。
そして発売から1年と経たずに、市場から静かに姿を消す。失敗博物館は、早すぎたのではないかとの指摘を込めて、「今はまだ未来ではない(The Future Is Not Now)」の失敗に分類している。
■31年ぶりに復活した「迷ハード」
立体視に対応した携帯機のニンテンドー3DSを世に送り出したときでさえ、バーチャルボーイ用のゲームソフトの移植はあえて見送られた、と米ゲーム・エンタメメディアのIGNは指摘する。発売済みのゲームソフトをエミュレーターで蘇らせるだけで対応できたはずだが、需要はないと踏んだのだろう。
それが今年2月、ついに復活した。
任天堂はバーチャルボーイをNintendo Switch 2/Nintendo Switch向けに移植。サブスクリプション「Nintendo Switch Online」に加入し、紙製のモデルを別途組み立てるか、9980円で別売されるハードウエアの「バーチャルボーイ Nintendo Classics」を接続することで立体感ある映像を楽しめる。
いったんは葬られたはずの失敗作が、30年の時を経て、専用ハードとしてふたたび日の目を見た格好だ。
世界中の喉を潤すコカ・コーラにも、隠したい失敗の過去がある。
1985年4月、同社は約1世紀にわたり守り抜いてきた門外不出のレシピを捨て、新たに調合したテイストの「ニュー・コーク」へ切り替えると発表した。米ニュース誌のタイムによると、当時のロベルト・ゴイズエタCEOは、新しい味は「より大胆」で「より丸みがある」、そして「より調和がとれた」ものになると誇らしげに語ったという。
だが、コカ・コーラの味を愛していた消費者は激しく反発した。会社には苦情の電話が殺到し、以前の味を取り戻そうと抗議グループまで結成された。消費者の猛反発と売り上げ不振を受け、同社はわずか79日で元のレシピへ立ち返った。
■自分で自分の首を絞めたコダックの悲哀
コカ・コーラの真の誤算は味ではなかったと、当時の社長兼最高執行責任者であったドナルド・キーオ氏は振り返る。莫大な費用をかけた大規模な味覚テストの結果は決して不調ではなく、「これほど多くの人々がオリジナルのコカ・コーラに抱いていた、深く根強い感情的な愛着」を測る手立てはなかった、と述べている。
コカ・コーラが手がけたとあって、味そのものの完成度は悪くなかったのだろう。
だが、読み違えていたのは、慣れ親しんだものを奪われることに戸惑いを覚える、消費者の心だった。
一大企業の失敗として失敗博物館が注目する、数々の事例。その中でも最も皮肉な事例が、写真フィルムの米コダックだろう。
同社は1970年代、のちにデジタル写真の時代を切り開くことになる、デジタルカメラを発明している。
ところが皮肉にも、そのデジタル写真が普及したことで、同社は倒産へと追い込まれていく。自社が生み出した技術により、本業であるフィルム事業は売り上げ不振に陥った。
失敗博物館でこの逆説を解説するウェスト氏は、これは技術の失敗ではなく、時代の変化に合わせてビジネスモデルを刷新できなかった失敗だ、と語る。
■ヒップホップを生んだ「失敗作」
米科学技術メディアのポピュラーサイエンスによると、失敗博物館の展示ディレクターのヨハンナ・グットマン氏は、「失敗の原因は、何か間違ったことをしたことが原因ではないことも多いのです」と語る。商品自体の欠陥ではなく、時代を先取りしすぎたタイミングの悪さや、予測不可能な消費者や市場の反応など、発明者の責任とは言い難い外部要因が絡む例は多い。
コダックのデジタルカメラがなければ、私たちはまだフィルムで写真を撮っていたかもしれない。新たな技術に挑んだ同社を、失敗として嘲笑うことは難しい。
同じような逆転劇は、海外でも起きている。

楽器の世界での例として失敗博物館が取りあげているのが、1982年にローランドが発売したTB-303だ。ベース・シンセサイザーの一種で、もともとはギタリスト向けに、ベースの伴奏を練習するための機材として売り出されたものである。
ところが、問題は肝心のその音だった。本物のギターのベース音とは似ても似つかず、発売当初は完全な失敗作に終わってしまう。
しかし、その後TB-303に転機が訪れた。LA地域公共ラジオ局のLAistの取材に応じたウェスト氏は、「それからほんの数年後、ミュージシャンたちが新しい使い方を試し始めたのです」と振り返る。
そして彼らは、こうして生まれた実験的な音色から、1980年代後半に生まれたエレクトロニック音楽の新ジャンル、アシッドハウスを生み出していく。
ウェスト氏は、「それから、ヒップホップにもつながりました。まさに象徴的な存在です」と語る。失敗作だったはずの練習機は、一時代を象徴するアイコンへと昇華した。
■20分で沈んだ「スウェーデンの誇り」
ウェスト氏が最も愛する失敗の一つが、自身の活動の地でもあるスウェーデンの故事だ。
意気揚々と帆を張った、豪華な軍艦。処女航海で進んだ距離は、わずか1マイル(約1.6キロメートル)にも満たなかった。
1628年、スウェーデンの誇りであったヴァーサ号。港を出て20分で横倒しになり、あっけなく海の底へ沈んだ。船としては、とんでもない失敗である。
スミソニアン誌によると、原因は大砲を配置する砲列甲板が重すぎたこと。装甲船の設計経験の浅い者が設計したうえに、スウェーデン王のグスタフ2世アドルフが建造を急がせた。
当初は36門を搭載するよう設計されていたが、出航時には約2倍の64門が積まれていた。美しい装飾も、重量がかさみ不安定となる原因となった。
1961年に海底から引き揚げられて陸に戻ったヴァーサ号は、いまやまったく別の価値を帯びる至宝になっている。海原に沈んだことでむしろ、現代の歴史家にとって貴重なタイムカプセルとなったのだ。
■失敗博物館の真の意義
ヴァーサ号の失敗は、今では「ヴァーサ症候群」として経営学上の警句にもなっており、世界中のビジネススクールで定番のケーススタディとして教えられている。船の優雅さや火力を過度に重視し、船の基本性能である耐航性と安定性が軽視された経緯は、約400年経った現代の組織にも深い示唆を与える。
進水前のテストでは、すでに船の安定性に疑いの目が向けられていた。にもかかわらず、王の意向には逆らえず、誰も中止を進言できなかった。「失敗の多くは、創業者が周りの意見を聞かなかったことに起因する」というウェスト氏の指摘は、まさにこの構図に重なる。
このように失敗には多くの洞察の余地があり、必ずしも恥じたり、隠蔽されたり、忘れ去られたりするべきではない。未来を見越した価値のある挑戦や、後の視点から学びがある失敗などは、保存してこそ価値がある。
失敗博物館の意義は、まさに失敗の価値を世に広めることにある。
■シリコンバレーの流儀は間違っている
失敗すること自体はかまわない。問題は、そこから何かを学べるかどうかだ。ウェスト氏が警戒するのは、まさにこの点である。
失敗に寛容なカルチャーで知られる地域の一つが、コンピューター産業で栄える米カリフォルニア州のシリコンバレーだ。
同地ではこのところ、「素早く失敗せよ(fail fast)」「素早く動いて物事を壊せ(move fast and break things)」といった決まり文句を、無批判に受け入れる風潮があると、彼は2023年の米核安全保障専門誌の原子科学者会報で指摘している。
ウェスト氏は、「彼らは失敗を受け入れることにかけては実に長けている」と認めた上で、一つの苦言を呈している。「失敗から学ぶ段になると、ほかの誰とも変わらない。同じ過ちを何度も繰り返してしまう」というのだ。
失敗を恐れず挑戦すること自体が目的化しているが、これでは肝心の反省が得られない。失敗した後の学びが置き去りにされている、というわけだ。
ウェスト氏が提案するのは、価値ある挑戦に関しては恐れずにリスクを取り、失敗したならば必ずそこから学ぶことだ。イノベーションの神髄は、まさにそこにある。
■「誇れる失敗作」が問いかけるもの
失敗博物館の展示を訪れた来館者たちは、このメッセージを正面から受け止めている。
米クリエイター系ウェブ誌のハイプ・ジンによると、展示に心を揺さぶられた人が、その場で「思い切った一歩を踏み出そう」と決意することもあるという。
ある来館者は、長らく夢見ながらも失敗を恐れて踏み出せずにいた小さなホテルをついに開業しようと、展覧会で数々の失敗を見学しインスピレーションを得たことで決意した。
ウェスト氏の語るとおりイノベーションの8割以上が失敗に終わるとするならば、そこへの一歩は恐怖でしかない。だが、それでも意義ある一歩へと来館者の背中を押したのもまた、ほかでもないウェスト氏の失敗博物館だった。
彼の博物館にずらりと並んだ「誇れる失敗」たちは、正しく失敗し、そこから学ぶことの意義を私たちに問いかけている。
パリの展覧会が3時間待ちの行列になったのも、他人の失敗を嘲笑おうとした人々が詰めかけたからでは決してない。先人の挑戦と失敗に勇気づけられたい、学びを得たいという展示方針が、人々の心に響いたからこそだろう。

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青葉 やまと(あおば・やまと)

フリーライター・翻訳者

1982年生まれ。関西学院大学を卒業後、都内IT企業でエンジニアとして活動。6年間の業界経験ののち、2010年から文筆業に転身。技術知識を生かした技術翻訳ほか、IT・国際情勢などニュース記事の執筆を手がける。ウェブサイト『ニューズウィーク日本版』などで執筆中。

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(フリーライター・翻訳者 青葉 やまと)
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