※本稿は、8月17日発売予定の本田直之『セカンドハーフ戦略 人生後半戦、何を捨て、何を始めるか』(KADOKAWA)の一部を再編集したものです。
■57歳、初めて負けを認めた
首に腕が回った瞬間、息が詰まった。
苦しくて、相手の体を叩いた。
柔術では、それをタップという。ギブアップの合図だ。
2025年5月、57歳になる直前、僕は柔術の道場に通い始めた。
その日、僕は何度もタップした。
書きたいのは、柔術の話ではない。
57歳で初めて、自分のこれまでのやり方がまったく通じない場所に立った、という話だ。
知り合いは一人もいない。格闘技経験もまったくない。
その後もスパーリングをすれば、いつもボコボコにされた。
その場にいた人たちの中で、50代後半から始めた初心者は、たぶん僕だけだったと思う。
■同じように戦えると思っていた
サーフィンやトライアスロンではほとんど怪我(けが)をしなかったのに、柔術を始めてからの1年で、それまでの人生では考えられないくらい怪我をした。靱帯(じんたい)を断裂し、とうとう手術まで受けることになった。練習から帰るたびに、体のどこかが痛んだ。
そのたびに思った。
いったい、なぜ57歳にもなって、こんなことをやっているんだろう。
40歳からトライアスロンを始め、50歳でIRONMAN Barcelonaの自己ベストを更新した。42歳のときの記録を、8年後に塗り替えた。
トライアスロンは、年齢が必ずしもハンデにならない。持久力、戦略、経験の蓄積で、若い選手とも渡り合える。
だから柔術でも、同じように戦えると思っていた。
筋力も体力もある。根性なら負けない。
でも、まったく通じなかった。
若い相手にも、体の小さな相手にも、あっさりやられる。頭で考えるより先に、相手の体が動いている。自分が動こうとしたときには、もう遅い。力を入れる場所も、抜く場所も分からないまま、気づけばまたタップしていた。
■僕が見落としていたこと
正確に言えば、筋力や体力がなかったわけではない。
むしろ、筋力や持久力だけでいえば、今の自分は30代の頃と変わらない。30代の頃は今ほど本格的に鍛えていなかったから、部分的にはむしろ今のほうが上だと思う。
僕はどこかで、50代になっても30代の身体を取り戻せると思っていた。トレーニングを続ければ、年齢に逆らえる。そう考えていた。
それは、正しくもあり、間違ってもいた。
筋力や持久力は、努力でかなり取り戻せる。場合によっては、若い頃より高めることもできる。けれど、反応の速さ、疲労の抜け方、怪我からの戻り方は、同じようには戻らない。腱(けん)や靱帯のしなやかさも、若い頃と同じではない。
ここを見落としていた。
筋力や体力があるから動ける。動けるから、昔と同じ感覚で追い込んでしまう。でも、回復の速さや、腱や靱帯の耐久力は、もう同じではない。
そのズレが、怪我につながっていた。
柔術は、その現実をかなり残酷な形で教えてくれた。
■前提が間違っていた
そして、これは柔術だけの話ではない。
50代以降の仕事や人生にも、同じことが起きているのではないか、と。
トライアスロンを始めた40歳の頃は、多少無理をしても体が戻った。努力すれば、その分だけ結果に返ってくる感覚もあった。
でも、あれから15年以上が経(た)っていた。
変わっていたのは、筋力や持久力だけでは測れない部分だった。
それなのに、やり方だけは変えていなかった。
40代の頃と同じ強度、頻度、気合いで続ければ、同じ結果が出るはずだと思っていた。頑張ろうとすればするほど、体が追いつかなくなっていた。
怪我をしたことを美談にしたいわけではない。
僕が気づいたのは、体が変わっているのに、昔と同じつもりでやっていたことだった。その前提自体を、僕は一度も疑っていなかった。
しかし、その前提こそが間違っていた。
これは仕事でも人生でも、同じだった。
かつて通用した量、スピード、根性、肩書き、成功体験が、少しずつ効かなくなる。
ところが、自分ではなかなかそれに気づけない。むしろ、もう一度気合いを入れ直せばいい、もっと頑張れば戻れる、と考えてしまう。
でも、本当に必要なのは、昔の自分を取り戻すことなのだろうか。
■自分の悩みを書いたことがなかった
問題は、年齢を重ねることそのものではない。若い頃にうまくいったやり方に、いつまでもしがみついてしまうことだ。
筋力や持久力は保てても、反応速度や回復力は同じではない。
だとしたら、必要なのは若い頃の自分に戻ることではない。今の自分に合う戦い方に変えていくことなのではないか。
これまで僕は、自分の悩みを本に書いたことがなかった。
もちろん、悩みがなかったわけではない。ただ、それを本に書く必要があるとは思っていなかったし、人に話すこともほとんどなかった。何かにぶつかれば、自分で考え、自分で整理し、自分で解決してきた。原因を探し、仕組みにして、行動を変え、次に進む。それが、僕にとってはごく自然なやり方だった。
■自分を包む「60歳の霧」
しかし、50代後半になって、これまでとは少し違う感覚が出てきた。
焦りではない。はっきりした不安でもない。ただ、見えない未来に対して、ぼんやりと何かが引っかかった。これまでのように、前だけを見て走っていればいいのか。同じやり方を続けていて、本当にいいのか。そんな問いが、ふとした瞬間に頭をよぎるようになった。
僕はそれを、「60歳の霧」と呼ぶことにした。
霧というくらいだから、そこに明確な答えがあるわけではない。こうすればいい、という正解が見えているわけでもない。ただ、これまでの自分のやり方だけでは、うまく視界が開けなくなってきた。その感覚が、確かにある。
そして、その霧に輪郭を与えたのが、ある数字だった。
日本人男性の健康寿命、72歳(2022年時点、厚生労働省)。
日常生活に制限なく過ごせる期間の平均だ。58歳の自分から見れば、あと14年ほど。もちろん平均値にすぎない。でも、その数字は十分に重かった。
自由に動ける時間は、思っていたよりずっと短い。夏はあと14回しか来ないということだ。
大げさに聞こえるかもしれないが、その瞬間、「死」という言葉が、初めて自分のこととして見えた。残りの時間を、何に使うのか。その問いが、はっきりと自分のものになった。
その問いに対する答えが、すぐに見つかったわけではない。
だからこの本は、人生後半の正解を見つけた人間が書いた本ではない。霧の中に入り、自分自身を実験台にしながら、後半戦の戦い方を組み直そうとしている人間が書いた本だ。
■20年前のテーマは「人生を加速させる方法」だった
実際、このプロローグを書いている今も、僕は柔術の練習を休んでいる。靱帯断裂の手術を受け、全治3カ月と言われた。体はまだ戻っていないし、この先、柔術をどこまで続けるかも分からない。
でも、それでいいと思っている。最初から完成形を決めて始めたわけではない。これは、僕にとって実験だからだ。
初めての著書『レバレッジ・リーディング』を書いたのは、2006年だった。
あれから20年が経った。
最近、「あの本で人生が変わりました」と声をかけてもらうことが増えた。学生時代や社会人になったばかりの頃に「レバレッジシリーズ」を読み、今は30代、40代になった経営者、会社員、医師、専門職の人たちだ。
本を書いてきて、これほど嬉しいことはない。
でも同時に、ふと思う。
あの頃、人生の前半を走り始めた同年代の読者たちは、今まさに僕と同じ問いの前に立ち始めているのではないか。
もちろん、あの本を読んでいてもいなくても関係はないのかもしれない。人生の前半を走ってきた人なら、誰もがいつかこの問いの前に立つからだ。
あの頃のテーマは、「どうすればもっと速く成長できるか」だった。
どう学び、どう時間を使い、どう成果を出し、どう人生を加速させるか。
でも今のテーマは、少し違う。
これからどこへ向かうのか。何を手放すのか。何を次の力に変えるのか。限りある時間を、どう使うのか。
■人生をアップデートし続ける
20年前、僕は人生の前半を加速させる本を書いた。
今度は、人生の後半をアップデートする本を書きたい。
後半戦は、何かを足すことより、まず何かを外すことから始まるのかもしれない。過去の勝ちパターンを疑い、新しい戦い方を試す。うまくいかなければ、また組み替える。
これは、僕ひとりの話ではない。同じ時代を走ってきた人たちが、今、それぞれの形で人生の後半戦の入口に立っているはずだからだ。
この本では、その後半戦を、六つの角度から組み直していく。戦い方、感情、身体、始め方、時間と場所の配置、人とのつながり。順番に一つずつ、自分を実験台にして試した記録だ。最初から六つの地図があったわけではない。やってみて、つながって、あとから六つになった。
だからこの本で書きたいのは、人生を完成させる方法ではない。アップデートし続ける方法だ。
人生は壮大な実験なのだから。
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本田 直之(ほんだ・なおゆき)
レバレッジコンサルティング代表取締役社長
シティバンクなどの外資系企業を経て、バックスグループの経営に参画し、常務取締役としてJASDAQ上場に導く。現在は日米のベンチャー企業への投資育成事業を行い、各社の社外取締役や顧問を兼務する。ハワイと東京に拠点を構えながら日本・海外各地を旅している。著書はレバレッジシリーズなど77冊、韓国・台湾・香港・中国・タイ・ベトナムで翻訳版刊行。明治大学商学部産業経営学科卒、サンダーバード国際経営大学院修了(MBA)。上智大学非常勤講師。「Honda Lab.」主宰。CROSS FM(福岡)でラジオ番組「Pau Hana Saturday」のパーソナリティを務める。
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(レバレッジコンサルティング代表取締役社長 本田 直之)

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