NHK「風、薫る」では、ナースのりん(見上愛)と直美(上坂樹里)が見習いとして修業を積み、“看護婦”としての第一歩を踏み出すシーンが描かれる。モチーフとなったうちの一人、大関和はどのような看護師だったのか。
ルポライターの昼間たかしさんが、文献などを基に、和の人物像に迫る――。
■大関和、肉食系で我が道をいくタイプ
NHK朝の連続テレビ小説「風、薫る」。実在の人物である大関和と鈴木雅をモチーフにした2人のナース・一ノ瀬りん(見上愛)と大家直美(上坂樹里)の物語は、ドラマが進むにつれて看護婦としての成長が丁寧に描かれている。
実際、二人のヒロインは朝の連続テレビ小説らしい、透明感のある俳優が配役されている。しかし、史実はどうであろう?
前回までの記事でも繰り返してきたが、史料の多く残る、りんのモチーフである大関和は、ドラマが描くような「献身的な白衣の天使」などではなかった。ひたすら貪欲で、我が道を行き、献身する相手すら自分で選ぶ女性であった。なによりも、その強烈なキャラクターで、一回り近く年下の男たちを次々と撃墜する、筋金入りのモテ女だったのだ。
そこで、改めてなぜ、大関和はそんなに“モテ女”だったのかを検証してみようと思う。
(参考:コンプラ重視のNHKでは絶対に描けない…「風、薫る」看護婦見習いの大関和が新聞に暴露した病院実習の内実

(参考:ばけばけ・小泉八雲の再現度とは大違い…史実無視の朝ドラ「風、薫る」でNHKが削ぎ落とした"白衣の天使"の素顔
■研究者の論考「美人でもあったせいか」
正直なところ、これまで和の人生を調査した研究者の文献を読むと、和が“モテ女”だったことは疑いがないだろう。例えば看護史を研究した高橋政子は、論考の中で次のように記している。
和は美人でもあったせいか、郷里・黒羽在住の、かつての家老仲間の次男・渡辺福之進豊綱から懇望されて、すでに男の子までもうけた側女の存在を知りながら、これを清算することを条件に、家同士でまとめた話に従って、東京から黒羽に嫁いでいった(「クリオへの感謝 歴史に見る看護婦群像」『看護教育』22巻9号)。

ようは、研究者が論考の中でわざわざ「美人でもあったせいか」と書いてしまっている。

学術論文である。客観的な事実を積み重ねるべき文章である。それなのに「美人でもあったせいか」である。しかも書いたのは同性の女性研究者だ。
和の若い頃の写真は、よく引用される一枚しか残っていない。その一枚だけで、会ったこともない後世の研究者を、論文の中でクラっとさせてしまっている。これが和のモテのスペックである。リアルタイムで周囲の男たちを撃墜するだけでは飽き足らず、死後100年経っても、写真一枚で同性の研究者の筆までを狂わせる……。
「美人でもあったせいか」。
この七文字に、すべてが詰まっている。
■弟を救い、子は引き取り、同棲女性には目もくれず
以前の記事で、和が新聞「毎日電報」に掲載された見習い時代の談話を紹介した。自らが患者たちに「天使」かのように思われたことを語っていたことに触れたが、あながち間違いではないかもしれない。

(参考記事:コンプラ重視のNHKでは絶対に描けない…「風、薫る」看護婦見習いの大関和が新聞に暴露した病院実習の内実
しかし、和の魅力は美しさだけではない。いや、むしろ美しさなど、和の魅力の一割にも満たない。
和が目の離せない人物である本当の理由は、献身的で優秀かと思えばダメなところはとことん酷い、その凄まじいデコボコさにある。高橋の論考には、こんなエピソードも記されている。
大関家を継ぐはずの弟(長男)は、独立後、挫折し、居所も不明となっていたが和のところに連絡があったときは、スラム永田の一室で赤貧と病床に喘ぎ、同棲していた女性との間に一子をもうけていたという、こうした時の和の対処の仕方は、まことに男性的で、てきぱきとし、弟は即時入院させ、子どもは家族の一員として自分がひきとり、同棲していた女性には目もくれなかったという。

■容赦ない“デコボコさ”
……これは高橋氏が和の義理の姪から聞き取ったというエピソードだ。
弟は救う。子供も引き取る。
しかし同棲していた女性には目もくれない。
てきぱきと、である。
ようは、自分の判断軸で「救う対象」と「救わない対象」を瞬時に仕分けして、迷いなく実行する。同棲相手の女性からすれば、突然現れた義姉に子供だけ持っていかれて完全スルーという、なかなかの地獄である。

しかし和にとって、これは当然の判断だったのだろう。弟は身内。子供は無辜の命。同棲相手は……縁のない他人。ようは献身的に接する対象は全方位ではない。上級武士の生まれと、信仰から熟成された独自の価値観に基づいて、献身する相手は自分で選ぶ……だから対象にされた人は「ここまでしてくれるなんて‼」と和を崇拝するほどだ。でも、その対象にされなかった人は地獄であろう。
このデコボコさは、家族にも容赦なく表れている。
長男の六郎は、和の愛情をほとんど受けることがなかった。もともと、和が福之進と離婚した際に、六郎は男子ということもあってすぐには引き取ることができなかった。後にようやく手元に置くことができたが、和は苦労して取り戻したはずの息子に、愛情を注がなかった。
■「身内の生活力の乏しさ」に容赦ない
高橋の論考では、和に「母性的な愛情に欠けるところがあったのではないだろうか」としながら、同時に「生活力の乏しい我が子への不満も生まれたのかもしれない」と記している。

つまり、こういうことである。
和は毎日病院で患者に献身し、聖書を伝道し、看護婦たちに活を入れ、医局と衝突している。その忙しい日々の中に、まだ小学生くらいの息子が割り込んでくる。手間がかかる。役に立たない。イラつく。
……患者の足元にはひれ伏して泣きながら祈るのに、我が子にはイラつく。
これが和のデコボコの核心である。他人の苦しみには全力で燃える。しかし身内の「生活力の乏しさ」には、容赦がない。信仰と社会改良に命を燃やす人間の、どうしようもない歪みがここにある。
このデコボコこそが、相馬愛蔵と木下尚江を撃墜した本当の理由だった。

前の記事に記した通り、後に新宿中村屋を開業し、インド独立運動の志士を支援したり文化人としても名を残した相馬は長野県の出身。1889年東京専門学校に入学するため上京して間もない頃に病を得て帝大病院に入院することになった。そこで、献身的な看護をしてくれる和と親交を結び、生涯援助を惜しまなかった。ただ、相馬との恋愛関係が生じたかは史料では断定できない。一方、その相馬に紹介された社会主義思想家である木下は、和と一時は結婚を約束するほど燃え上がった……。
ちなみにこのとき、相馬は17歳、と書いてある史料があるが、そのほかの文献などをもとにすると正確な年齢はわからない。おおむね20歳になる前とみられる。
■男たちは“あなたを選んだ”と受け取ったか
いずれも関係が生じた時点で、和は二人の男の10歳以上年上である。現代でも、素敵な人だなと思うことはあっても恋愛には成りがたい年齢差だ。ましてや、明治にこれだけ女性が年上だと恋愛対象として考える思考自体が生まれにくいだろう。
じゃあ、なにが男たちを燃え上がらせたのか?
その答えこそが、和のデコボコなのだ。
和は誰にでも優しいわけではない。
我が子にすらイラつく。献身する相手は、自分の判断軸で選ぶ。そういう人間だ。
だからこそ……自分が「選ばれた」と感じた瞬間の破壊力が、異常なのである。
相馬の場合を思い出してほしい。相馬が帝大病院に入院した理由は疥癬(かいせん)である。臭気があり、看護婦たちも嫌がる病気だ。その患者のために、和が医師に直談判して治療回数を増やしてくれた。普段は厳しく、上から目線で、誰にでも優しいわけではない人間が、自分だけに全力を向けてくる。
これは単なる親切ではない。「私はあなたを選んだ」という宣言に等しい。
いや、和本人にそんな自覚は微塵もなかっただろう。おそらく和の感覚としては「おお! この疥癬の患者こそ神が私に与えた試練‼ 全力で看護し、伝道せねば‼」くらいのものである。
■“10代の青年・相馬”に刻まれた和の印象
しかし受け取る側の二十歳前の青年(相馬)はたまらない。
長野県の安曇野から出てきたばかりの青年である。東京など来たことがない。入院先は帝大病院、当時の日本最先端の医療施設だ。そこに現れたのが、「美人」の婦長。しかも「聖書が~」「神の愛が~」と言い出す。
明治において、キリスト教はまだ舶来の最先端思想である。安曇野の農家の青年が、生まれて初めて接するタイプの女性だ。
現代に置き換えるならば……上京したての二十歳前の男性が入院した大学病院で、美人(主観である)の看護師に「あなたの病気は絶対に治します」と励まされる。「これ見てたら、メンタルも落ち着くわよ」と、生まれて初めて、海外帰りの思想強めの“美人看護師”に、TED Talksと自己啓発本と聖書を同時に浴びせられるようなものである。
「落ち着け。この女はみんなにこうなんだ。お前にだけそうじゃない‼‼」
そう忠告できるのは、20代までに散々痛い目を見てきた男性だけである(筆者、書いていて壁を殴りたくなってきた)。長野県、それも安曇野の片田舎から出てきた青年に、その免疫はない。しかし、相馬の場合、そこから一切覚めることなく、和が晩年になってカネに困っていると聞けば現金を持って駆けつけた。おい、和‼ 男の純情を弄んでないか。
ほんとに相馬、どうしようもなくイイヤツすぎる。いや、これはもう「イイヤツ」という話ではない。入院中に刻まれた記憶が、生涯消えなかったということだ。和という女性の引力が、それほどまでに強かったということである。
■獄中にいながら“全力で寄り添われた”木下
一方の木下はどうだろう。
木下との愛がもっとも燃え上がったのは、木下が選挙に関する不正を疑われ獄に囚われていた時期のことである。もともと、木下は和と知り合ってから、廃娼運動の同志として「選ばれ」、和に熱心に説かれて運動にまで引き込まれている。
ここで思い出してほしい。和は「献身する相手を自分で選ぶ」人間だ。我が子にすらイラつく女性が、木下を「選んだ」。廃娼運動の同志として、信頼に値する人間として。
その和が、獄中の木下に差し入れを続け、文通をした。
弱り切っている時に、全力で寄り添われる。しかも相手は、自分を運動に引き込んだ張本人だ。獄中という極限状態で、外の世界との唯一の接点が、和からの手紙と差し入れである。
だから「落ち着け!!! この女はみんなにこうなんだ」と気づけよ‼
そう忠告できる人間が、獄の外にいればよかった。しかも、この木下が獄中という特殊すぎる遠距離恋愛のせいで、和も本気になってるのがすごい。お互い顔も見えないから妄想は暴走する。ほら、2010年代前半のネットゲームが流行っていた頃に、アバターでしか知らない相手……性別すら不明な相手にガチ恋していた者もいただろう、あれだ。
■相馬は“木下との恋に猛反対”
まあ、結局この話、破談になるのだが、破談を主導したのは、ほかならぬ相馬だった。木下の女性関係のだらしなさを知っていた相馬が、猛反対したと史料には記されている。
だとしても「お、俺の和さんに、いくら木下といえども許さあああん‼」という嫉妬があったことは容易に想像できるだろう。
つまり大関和は、病床や獄中で出会ってはいけないタイプの女性だった。弱っている時に全力で寄り添われたら、男は一生逃げられない。ただし、結婚したら……筆者なら耐えられる自信はない。

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昼間 たかし(ひるま・たかし)

ルポライター

1975年岡山県生まれ。岡山県立金川高等学校・立正大学文学部史学科卒業。東京大学大学院情報学環教育部修了。知られざる文化や市井の人々の姿を描くため各地を旅しながら取材を続けている。著書に『コミックばかり読まないで』(イースト・プレス)『おもしろ県民論 岡山はすごいんじゃ!』(マイクロマガジン社)などがある。

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(ルポライター 昼間 たかし)
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