男を憎んだ女は、なぜ蛇に姿を変えるのか。裏切った男を追い詰め、鐘ごと焼き殺したとされる清姫は、「日本史上最凶のストーカー」とも呼ばれてきた。
だが、江戸文化風俗研究家の小林明さんは「その原型は、日本最古の歴史書に登場する女神にまでさかのぼる」という――。
※本稿は、小林明『毒婦の日本史』(鉄人社)の一部を抜粋・再編集したものです。
■“日本史上最凶のストーカー”といわれた女
和歌山県日高郡にある古刹・道成寺(どうじょうじ)に、不気味で忌まわしい男女トラブルの伝説が伝わっている。男に裏切られた女が大蛇に姿を変え、執拗に追い詰める「安珍(あんちん)と清姫(きよひめ)」の物語だ。
主人公の清姫は“日本史上最凶のストーカー”といわれ、これをもとに『京鹿子娘道成寺(きょうがのこむすめどうじょうじ)』といった歌舞伎の人気作や、人形浄瑠璃が誕生した。執念深く妖艶な女性の魔性は、今も大衆の心をつかんで離さない。
こうした伝統芸能は、すべて16世紀に成立した絵巻物『道成寺縁起』から派生している。まずはその内容を紹介しよう。
醍醐天皇の治世の頃の延長6(928)年、修行僧の安珍は諸国行脚の途中、紀伊国牟婁郡(むろぐん)(和歌山県田辺市と三重県南部)に立ち寄り、当地の荘園を管理する役人の屋敷に宿をとった。
屋敷には清姫という娘がいた。清姫は安珍にひと目惚れし、厚くもてなした。さらに「深き契りと覚え候」、つまり男女の仲になりたいと申し出た。
年齢は不明だが、性に活発で男性に積極的だったのだろう。
■「地の果てまで命の限り追いかける」
一方の安珍は修行僧の身である。異性との交わりは御法度だった。そこで深入りは避け、熊野詣でを済ませた帰りに必ず会いに来ると言い含め、去っていった。清姫は安珍の「必ず戻る」という言葉を信じて待つことにした。
だが、現代風にいえば「地雷女」のしつこさを清姫から察知したのか、安珍は決して戻ろうとしなかった。
「さては欺かれた」と気づいた清姫は怒り心頭に発し、安珍の後を追った。憤怒に取り憑かれた姿は、次第に口から火を吐く妖怪へと変わっていった。
「雲の終わり、霞の果てまで」(地の果てまで)、「玉の緒の絶えざらむ限り」(命の限り)追いかけるという、凄まじい執念だった。
清姫の行く手を阻むように、激流の日高川が横たわっていた。だが清姫は、身を大蛇と化して川を渡り、ついに道成寺という寺に安珍を追い詰めた。恐怖に慄(おのの)く安珍は寺の鐘の中に身を隠したものの、大蛇は鐘に巻きつき、憎悪の炎で鐘ごと安珍を焼き殺してしまう。

安珍が死ぬと、大蛇は近くの入江に自ら身を沈めて果てた。
以上が「安珍と清姫」の物語のあらすじだが、娘が蛇に姿を変えて男を焼き殺すなど、もちろんフィクションである。
■未亡人から既婚者、若い娘へ
この架空の話の原型はどこにあり、何を意図していたのか、物語が完成するまでの経緯を追ってみよう。
まず、初出は長久年間(1040~1044)に成立した仏教説話集『大日本国法華験記(だいにほんこくほっけげんき)』にある。この時点ではまだ清姫の名はなく、女は夫に先立たれた無名の「寡婦」(未亡人)だった。安珍にも名はない。ただ「若い僧侶」とだけ記されている。ただし、鐘に隠れた男を焼き殺すなどの大筋は同じだ。
次いで12世紀前半、『今昔物語集』に似た話が所収されたのを経て『道成寺縁起』が完成するのだが、『道成寺縁起』では当初、女は役人の妻、または役人の息子の嫁という設定で、つまり未亡人が既婚女性に変わっていた。
推定15世紀末頃には、和歌山の雨乞い踊りの歌に登場する。題名は『日高踊』。
『日高踊』には3歳の姫が登場し、旅の男から「大きくなったらお嫁さんにしてあげる」と冗談をいわれる。
13歳になると再び男が現れ、今度は姫が「お嫁さんになる」と告げる。姫はずっと冗談を真に受けていたのだ。「これはまずいことになった」と、男は逃げた。逃してなるかと追いかける姫は、蛇に姿を変える。
京山伏が熊野へ参る 女茶屋で宿とりて、三ッになる姫抱き妻にしようと申された

十三なる年またとまられて そのとき姫が妻にならうと申された

それから山伏肝潰し日高川へ逃げられ あとより姫が追ひかけするよ 蛇になりて
『日高踊』の正確な成立時期は不明だが、歌詞に「京山伏」「女茶屋」など中世的な言葉があることから戦国時代の初め頃と考えられ、その頃には人妻から若い娘に設定が変わり、現在の「安珍と清姫」に近い形になっていた。
■700年かけ「清姫」の名を得る
2人の名前が「安珍」「清姫」として定着するのは、安珍が1300年代前半の仏教史『元亨釈書(げんこうしゃくしょ)』に初めて登場してからだ。一方の清姫はそれよりずっと遅く18世紀。浄瑠璃で父親の役人の名が清次とされたことから、「清」の字をとって清姫と名づけられたという。
清姫の名には異説もある。紀州にもともと砂鉄の採掘地を指す「洲処(すか)」という地があり、洲処がのちに「清(すが)」に転化。やがて「すが」を「きよ」と訓むようになり、自然発生的に清姫という名が生まれたともいう。
いずれにしても、初出の『大日本国法華験記』から18世紀まで約700年の年月を経て物語は醸成され、その間に怨みに駆られた若い娘がストーカーに変貌する物語が成立していった。

そして、そのスキャンダルさが大衆から強い支持を得て、清姫といえば女性ストーカーの代表格として有名になったわけである。
■清姫の正体は、古事記の女神だった
実は女性が蛇となって男を追い回すストーリーは、日本最古の歴史書『古事記』に原型があり、歴史は古い。
例えば日本の国土を産んだイザナギとイザナミの夫婦神の伝説――。
イザナミは火の神であるヒノカグツチを生んだ際に、女性器に大火傷を負って死んでしまった。夫のイザナギは妻に会いたい一心で、黄泉の国を訪れた。そこで再会を果たしたイザナミは、「地上に戻れるかを黄泉の神々と相談するから、その間は絶対に自分を見てはいけない」といった。だが、イザナギはつい妻を見てしまった。そこには腐敗した姿があった。

イザナギは仰天して逃げ出した。「見るな」との約束を反故にされたイザナミは、怒って夫を追いかけた。イザナギは黄泉の国から出ると、入り口を岩で塞ぎ難を逃れた。
さらにイザナミの伝説は、のちにヒナガヒメの逸話に受け継がれ、同じく『古事記』に登場する。

ヒナガヒメは第11代・垂仁天皇の第一皇子・ホムツワケノミコトと契りを結んだ女性だが、その際に実は蛇身であったことが露見してしまう。女の正体が蛇であることに驚き、ホムツワケは逃げた。恥をかかされたヒナガヒメは逆上し、荒れる海を渡って追跡した。ホムツワケは命からがら逃げおおせた。
波打つ海をものともせず男を追う姿は、激流の日高川を渡る清姫とそっくりである。こうした類似から、複数の民俗学者が清姫の原型をイザナミとヒナガヒメに求めている。
■だから伝説は紀州で甦った
気になるのは、『古事記』の神話が『大日本国法華験記』などを経て、なぜ紀州で甦ったのかだ。他の地域で再生されても良かったはずなのに、どうして和歌山だったのか。
実は熊野には、イザナミの墓といわれる伝承地がある。現在の三重県熊野市にある「花の窟(いわや)」と呼ばれる高さ70メートルの岩壁で、『日本書紀』は「遺体を紀伊国の熊野の有馬村に葬った」と記している。そう、イザナミと熊野はつながっていた。
紀伊国牟婁郡(むろぐん)の「むろ」という地名が関連しているのではないか、と推理する研究者もいる。
「むろ」は洞穴などに「籠(こも)る」ことを意味し、そうした空間には蛇が生息している。修行僧が紀州にある「むろ」を侵してしまい蛇から襲われ、それが男女トラブルの形に変容し、伝承として残ったというのだ。
紀州に蛇を守護神とする一族がいたからではないか、との異説もある。
和歌山県日高郡に「龍神」という地名があった。現在、美肌の湯として知られる龍神温泉がある場所だ。
龍神温泉を発見したのは、伝承では修験道の開祖・役行者(えんのぎょうじゃ)であり、その後、弘法大師空海が龍のお告げによって開湯したとされ、龍神温泉と名づけたという。だが、実はそれより以前、日高川周辺に蛇を神とした山の民=砂金の採掘民が居住しており、最初に温泉を発見したのも彼らで、そこから「蛇」が「龍」に変わり、龍神の地名が誕生した可能性も指摘されている。
■420年さまよった清姫の怨念
整理すると、そもそもは女性の怨みを蛇の姿に仮託した古代の伝説が、紀州にあるイザナミの墓の伝承地や、蛇を神として祀る一族、または地名などとつながり、そこから情念の塊となった毒婦・清姫が誕生した。そして人々はそうした物語に畏怖を抱く半面、その強烈なストーカー的資質を、興味本位に面白がった――。
あくまで推理に過ぎないが、こうした経緯を経て大衆好みの“ゴシップ”として成立し、長く語り継がれてきたのではないだろうか。
なお、清姫が焼き払ったという鐘は14世紀に再興し、道成寺に寄進された。銘には「正平十四年」と刻まれており、1359年頃だったとわかる。ところが鐘は叩いても濁った音しか出さなかった。近隣に災厄も頻発した。人々は清姫の祟りに違いないと恐れ、鐘を廃棄してしまった。
戦国時代、紀州を拠点としていた傭兵集団・雑賀衆(さいかしゅう)が羽柴(のちの豊臣)秀吉に敵対した。雑賀衆は鉄砲を使いこなす強固な傭兵集団で、秀吉との戦いは現在放送中のNHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」でも描かれるだろう。
雑賀衆は天正13(1585)年に壊滅する。その際、秀吉軍が廃棄されていた鐘を発見し、戦利品として京都洛北(現在の京都市左京区)の妙満寺に持ち帰ったという。
平成16(2004)年、熊野古道が世界遺産に登録されたのを記念し、一度だけ鐘が道成寺に“里帰り”した。約420年ぶりの帰還だった。
同年11月、また妙満寺に戻り、今も同寺にある。

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小林 明(こばやし・あきら)

江戸文化風俗研究家 編集プロダクション「ディラナダチ」代表

編集プロダクションdylan-adachi(ディラナダチ)代表。江戸文化風俗研究家としてニッポンドットコム、和樂web、Merkmal、ダイヤモンド・オンライン、弁護士JPニュースなどに記事を執筆中。また『歴史人』(ABCアーク)、『歴史道』(朝日新聞出版)など歴史雑誌の編集も担当している。著書『山手線「駅名」の謎』(鉄人社)など。

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(江戸文化風俗研究家 編集プロダクション「ディラナダチ」代表 小林 明)
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