※本稿は、福原稔浩『近鉄学――元名物広報マンが解き明かす、日本最大私鉄の強さの秘密――』(ワニブックス【PLUS】新書)の一部を再編集したものです。
■阪急、阪神、京阪、南海という好敵手たち
阪急は都市をつくり、阪神は高速輸送とスポーツ文化を育て、京阪は制約の中で技術革新を重ね、南海は信仰と都市間輸送という2つの顔を併せ持ってきました。
それぞれの歩みを追っていくと、関西私鉄は決して単独で存在してきたのではなく、互いを強く意識し、競い合い、ときに影響を与え合いながら成熟してきたことが見えてきます。
関西の鉄道史は、協調よりもまず競争によって磨かれてきた歴史でもありました。とりわけ大きな転換点となったのが、1970年前後です。
高度経済成長のただ中で、日本万国博覧会の開催を契機に、関西は大きく姿を変え始めました。人の流れは爆発的に増え、鉄道各社は「速さ」や「本数」だけでなく、都市と都市をどう結び、沿線をどう育てるかを本気で競い合う時代に入ります。
やがて、関西国際空港や神戸空港の開業、ユニバーサル・スタジオ・ジャパンの誕生、大型水族館の整備、ニュータウンラッシュ、伊勢志摩サミットに象徴される国際イベント。
関西は「住む場所」から「訪れる場所」へ、さらに「世界とつながる場所」へと、次々に役割を変えていきました。
■独自の進化で「日本最大の私鉄」に
この変化は、私の鉄道人生と、ほぼ同時進行で進んでいったのですが、こうした時代のうねりの中で、関西私鉄の戦国時代は単なる路線延長や利用者数の競争ではなく、「どんな人を、どんな時間へ運ぶのか」という質の競争へと移っていきました。
その只中で、近鉄は他社と競い合いながら、着実にネットワークを広げていきました。
近鉄は多数の鉄道会社の合併と分離を繰り返しながら、都市・観光・信仰という3つの軸を押さえ、大阪・京都・奈良・伊勢・吉野、さらには名古屋へと路線網を広げていきました。
合併と買収、路線拡張を重ねて形成されたネットワークは、関西私鉄の中でも群を抜く規模となり、近鉄は“覇者”と呼ぶにふさわしい独自の進化を遂げていきます。
「よい競争には、よいサービスが生まれる」
その言葉どおり、東海道新幹線の開業、そして大阪万博以後、近鉄の特急政策は、単なるスピード競争から大きく舵を切りました。
■「くつろぎの時間」で新幹線に挑む
大阪―名古屋間では、所要時間で新幹線に敵わない。その現実を正面から受け止めたうえで、近鉄はその差を「くつろぎの時間」という価値で補うという選択をします。
速さではなく、過ごし方で勝負する。移動そのものを、旅の価値に変えてしまう。この発想はやがて、「アーバンライナー」「しまかぜ」「ひのとり」へと受け継がれていきました。
近鉄は、新幹線を媒介に全国から人を呼び込み、その流れを沿線の観光地へと導く、広域ネットワークを武器にした鉄道へと進化していったのです。
私が近鉄に入社した頃も、この関西私鉄・戦国時代の熱気は、まだ色濃く残っていました。スピード、快適性、沿線施設、PR戦略。各社があらゆる面でしのぎを削っています。
鉄道各社の競争は、単なる会社同士の争いではなく、私鉄沿線ごとに異なる文化や価値観を形づくる原動力となっていました。
■最大のライバルJR西日本の台頭
関西私鉄の戦いの様相は、やがて大きく変わっていきます。きっかけは明確で、国鉄改革によって誕生したJR西日本が、私鉄各社にとっての共通の強敵として、本格的に台頭してきたのです。
JR西日本は、長年にわたり国鉄が築いてきた莫大な資産と、関西一円を覆う巨大な路線ネットワークを、そのまま引き継ぎました。幹線輸送、都市間輸送、通勤輸送。あらゆる分野で“基礎体力”が違う存在が、突如として目の前に現れたと言っていいでしょう。
運賃制度、設備投資力、ブランド力。競合区間において、JR西日本は次第に強い存在感を示すようになりました。
それまでの関西私鉄の戦国時代は、互いを強く意識しながら、「どこで勝つか」「どう差別化するか」を競い合う時代でした。各社は自社の“らしさ”を武器に、正面からぶつかってきたのですが、巨大なJR西日本の台頭は、その前提を大きく揺さぶります。
競争相手は、もはや隣の私鉄だけではない。関西全体を一気に覆う巨大なネットワークと、どう向き合うのか。
■JR西日本vs関西私鉄の熾烈な争い
JRと私鉄が正面から競合する区間では、JR西日本は特別運賃の設定や「アーバンネットワーク」による高速・高頻度運転で、都市間・都市内輸送の主導権を握りにきます。
所要時間、運賃、乗り換えの分かりやすさ。利用者の目に見える部分で、JRは明確な優位性を示しました。
この現実は、私鉄各社に強い危機感をもたらします。これまでのように、路線ごと、沿線ごとの競争を続けているだけでは、巨大なネットワークを持つJRには対抗できない。
ひいては自分たちの存続が危ぶまれる。そうした認識が、各社の経営を静かに、しかし確実に変えていきました。
まず進められたのが、グループ全体での体力強化です。百貨店事業や商業施設の展開は、単なる多角化ではなく、「人を運ぶだけで終わらない私鉄経営」への転換でした。
鉄道で人を呼び、まちで過ごしてもらい、再び鉄道に乗ってもらう。私鉄は沿線経済を守る仕組みを強化する必要に迫られました。
同時に、私鉄同士の連携も進みました。共通利用できる乗車券、「スルッとKANSAI」に代表されるカード・ICの共通化。競争相手でありながら、利用者の利便性という一点では手を取り合う。関西私鉄は、そうした現実的な判断を重ねていきました。
■関西の「私鉄らしさ」がより鮮明に
この流れの中で、近鉄は、独特の立ち位置を占めることになります。近鉄は、JRとの接点を数多く持つ私鉄です。大阪、奈良、三重、名古屋へと広がる路線網は、「競合」だけでなく「接続」も避けて通れません。
結果として近鉄は、JRと正面から張り合う視点と、互いのネットワークをどう補完し合うかという視点の、両方を引き受ける立場になっていきます。そこには、幾多の苦難をくぐり抜けてきたからこそ生まれた、成熟した判断があったように思えます。
JRという共通の強敵の出現は、関西私鉄を単に追い込んだだけではありません。競争と連携を同時に引き出し、それぞれの「私鉄らしさ」を、より鮮明にする契機ともなりました。
切磋琢磨する相手がいるからこそ、サービスは磨かれ、車両は進化し、沿線の魅力も育ってしてきました。
連携は必要ですが、心のどこかで火花を散らし続けてほしい。それこそが、関西私鉄がここまで豊かな文化を育ててきた原動力だったと、私は思うのです。
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福原 稔浩(ふくはら・としひろ)
元近鉄の名物広報マン
1956年生まれ。1975年に近畿日本鉄道に入社。駅業務、車掌(1977)、運転士(1984)、助役(1991)を担当後、1994年から近鉄広報部に所属(マスコミや社内誌を担当)し2011年にロケーションサービスを立ち上げる。鉄道知識に精通しており、『ブラタモリ』『鉄オタ選手権』(NHK)、『痛快!明石家電視台』(毎日放送)などの鉄道番組への出演や東京、大阪、奈良のFMラジオ番組を担当。講演活動多数。その他、映画やドラマなども誘致し、国内外の有名監督なども交友があり、数多くの作品にも参加している。2022年3月より『なら歴史芸術文化村』の総括責任者として着任している。
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(元近鉄の名物広報マン 福原 稔浩)

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