■秀長に特命「兵糧ルートを断て!」
第17回:淡河城(兵庫県神戸市)
秀吉・秀長の豊臣兄弟の生涯において、最も苦戦した戦いは? と問われれば、間違いなくそれは「播磨攻め」の三木合戦だろう。なんとか三木城(図表1①兵庫県三木市上の丸5)に籠る別所長治を下したものの、2年にも及ぶ長期籠城戦、荒木村重の謀反、そして竹中半兵衛の死と、払った犠牲も相当のものだった。
三木合戦が長期戦となったのは、城外からの兵糧補給ルートがあったことにある。逆に言うと、それを断つことができたので、ようやく三木城を飢餓状態、俗に言う「三木の干し殺し」に追い詰めることができた。補給ルートは時期により複数あったが、そのひとつが、東に伸びる湯の山街道。現在の三木市エリアとの境界あたりに立つ城が淡河城(おうごじょう)(図表1②兵庫県神戸市北区淡河町380)だ。
この東の兵糧ルートのとば口にあたる淡河城は、1579(天正7)年5月に秀長が攻略していた。ただしこの時、秀長は一度は、城を守る三木方の淡河(おうご)定範(さだのり)に敗れている。前月、織田信長は嫡男・信忠率いる大軍を派遣しており、情勢はおそらく、織田方に圧倒的に有利だったはず。少なくとも、兵数においては大軍で寡兵を攻める形だったのは間違いないだろう。
にもかかわらず、秀長の生涯で唯一ともいわれる敗戦を喫してしまったのはなぜなのか。
■城造りに最適の河岸段丘
神戸市内といっても、旧淡河町は北西外れの農村地帯だ。かつては宿場も構えられていた盆地を見晴らす、比高30mほどの河岸段丘の突端に城はある。
城があるのは、道の駅淡河のすぐ西側。確かに麓から見上げると急峻で、いかにも「川の浸食作用によって削られた断崖」の様相だ。比高の割には、なかなか攻略するのは大変そうな切岸だ。切岸は通常、人工的に削って斜面の角度をより急にするが、この城の場合は、ほとんど天然そのもののようにも見える。
■天然の水堀がある淡河城の守り
淡河城の守りを固くしている要因がもうひとつある。崖下には川が流れているのだ。天然の切岸の直下に、天然の水堀。城造りは、まずは立地の選択が重要だが、まぎれもなく適地だといえる。
崖につけられた遊歩道を登り切ると、眼下に視界が開けている。淡河盆地を一望できる抜群のパノラマ。
■城内に残されたわずかな遺構
淡河城の城内は、拍子抜けするほどシンプルだ。現在、櫓が立つ段丘の先端部が本丸だったと伝わるが、削平はされているもののそれだけ。唯一、南側は防波堤のように盛り上がった土塁になっているぐらいで、それ以外に戦いに備えた人工的な構造物は見当たらない。
土塁を超えて裏側にまわると、横堀も並行している。ここだけは戦国時代の息吹を感じられる。しかしその先は、だだっ広い丘の上に農地が広がるばかり。周囲にはいくつかの曲輪が並んでおり、その周囲は似たような横堀が張り巡らされていたはずなのだが、それらしき痕跡は見られない。
■なぜ秀長は淡河城を攻めあぐねたか
もちろん、後世によって改変された部分も多いはず。
実はこの淡河城の戦いには、ある伝承がある。圧倒的な兵力差にもかかわらず、淡河定範が秀長を撃退できたのは、ある“奇策”を用いたからだという。
■騎馬隊を大混乱させた?奇策
その奇策には、「牝馬(ひんば)の計」という名がつけられている。秀長が騎馬隊に対して、牝馬を放って混乱させたというのだ。
戦国時代、騎馬兵がまたがる軍馬は、基本的に勇猛果敢な牡馬(オス)ばかりだった。気性が荒く、体格も大きいためだ。戦中であれば、人間のみならず馬たちも、相当の興奮状態にあったことだろう。その群れの中に、牝馬(メス)が飛び込んできたらどうなるか。結果は火を見るよりも明らかだ。
雄馬たちが争うように牝馬を追いかけ回し、敵兵など眼中になくなり、騎馬隊は大混乱に。そこに城兵たちが奇襲をかければ、あっという間に蹴散らされてしまったに違いない。
望洋とした城の地形をみていると、いかにもありそうな話だが、さすがにこれはマユツバだろう。ただし非常にドラマチックだし、秀長唯一の敗戦でもある。もし、淡河城の戦いが「豊臣兄弟!」に登場するなら、エピソードとして組み込まれてもおかしくない(原稿執筆時点では、三木合戦終結の回は未見)。
■秀長の大軍を破った本当の理由
「牝馬の計」が創作だとすると、秀長の敗戦の理由は何だろう。筆者がその答えとして挙げたいのが、淡河城(図表2①)から南に0.5kmほど南にある、淡河城西付城(図表2②兵庫県神戸市北区淡河町淡河267)の存在だ。名称は「西付城」だが、真南からやや西寄り、南南西にある。
先ほど見た望洋とした南の農地の北が淡河城、南がこの城。つまり挟撃するにはぴったりの位置関係だ。一見、攻めやすそうな段丘上に敵を攻め込ませておいて、両側から一気に攻撃を仕掛ければ、牝馬を放たなくとも大混乱に陥れることはできるだろう。
■想定外に凝った西付城の遺構
淡河城西付城もまた、淡河城と同じく(おそらく)川の侵食によって形成された、河岸段丘の端にある。
淡河城とは対照的なのが、遺構の充実ぶりだ。農地の外れの森の中にひっそりと存在し、外からは一見、何もないように見えるが、一歩その城内に足を踏み入れると、土造りの遺構がいくつもきれいに残っている。特に土塁が圧巻だ。
城域のほぼ中央部あたりには、土塁に沿って長大な横堀が築かれている場所もある。
■技巧を凝らした西付城
この土塁と横堀の組み合わせは、城域の北端にも見られた。北側は尾根道が下っているので、かつては麓からの主要ルートだった可能性はある。そのルートを登ってくる敵をここで寸断すべく築かれた防御施設だろう。横堀側から見た土塁の高さは、場内のものよりこちらの方がはるかに高低差がある。
淡河城のシンプルさに比べて、随分と技巧的だ。
最後に、淡河城の戦いのその後を記しておこう。一度は手痛い敗戦を経験したものの、同じ轍を踏まないのが弟・秀長。再戦では見事に淡河城を攻め落とし、それが兄・秀吉の三木合戦勝利へと結びつく。その後、秀長が生涯を通じて敗れることはなかった。
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今泉 慎一(いまいずみ・しんいち)
古城探訪家
1975年、広島県生まれ。編集プロダクション・風来堂代表。山城を中心に全国の城をひたすら歩き続け、これまでに攻略した城は900以上。著書に『戦う山城50』(イースト・プレス)『おもしろ探訪 日本の城』(扶桑社文庫)、監修書に『『山城』の不思議と謎』『日本の名城データブック200』(以上、実業之日本社)。『織田信長解体新書』(近江八幡観光物産協会)など、地域密着濃厚型のパンフレット制作を担当することもある。
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(古城探訪家 今泉 慎一)

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