中部地方出身の現在30代の男性は、大学入学と同時に一人暮らしとアルバイトを始めたが、「もしかして自分はどこか壊れているのではないか?」と悩むようになった。なぜなのか。
ノンフィクションライターの旦木瑞穂さんがその半生を取材した――。(前編/全2回)
厚生労働省によると、2025年3月時点の生活保護の申請件数は、2万2484件(前年同月比867件増加、4.0%増)。生活保護を開始した世帯数は、2万395世帯(同1062世帯増加、5.5%増)。賃金は上がらず、物価が異常に高騰する中、さらに生活保護が必要な人々が増えるのは必至な状況だ。
介護や毒親の取材現場で筆者が以前から気になっていたのは、経済的な困窮者が生活保護を忌避するケースが多いことだった。その背景には、不正受給問題はさることながら、生活保護の仕組みの複雑さや“得体の知れなさ”が影響しているのではないか。そんな問題意識を胸に、かつての生活保護受給者の話を通じて制度の実態を明らかにし、正しく救われる人や機会を増やしていきたい。

■「もしかして自分は壊れている?」
中部地方の海辺の田舎町で育った安藤鈴太郎さん(仮名・30代)は、大学入学後に始めた飲食店でのアルバイトがきっかけで、他の人とは違う自分に気づいた。
会話をしながらだと、途端に仕事ができなくなるのだ。
「特定の親しい人となら大丈夫なのですが、そうでない相手だと、何を話したらいいかわからなくなり、頭の中がそれでいっぱいになって、仕事でミスをしてしまうのです。他のスタッフたちは会話をしながらでもミスをしないのに……」
「どうして自分だけできないのだろう?」と悩み、メモを取るなど、ミスをしない工夫を凝らしたが、やはり会話に意識が向くと、手が止まり、作業に集中すると、会話が途切れた。そしてミスを繰り返す度、自己嫌悪に陥る。

「もしかして自分は人と違うのではないか? どこか壊れているのではないか?」
そんな考えが頭の中を占め始めたのは、大学入学から半年ほど経った頃だった。ミスの怖さと職場内の雰囲気に耐えられなくなると、安藤さんはアルバイトを無断で休むようになった。
だがこれはまだ、安藤さんにとって絶望の始まりに過ぎなかった。この後、心療内科の門を叩いた安藤さんは、衝撃的な結果を告げられることになる――。
■計算ができない母親と指図ばかりの父親
安藤さんの両親は、父親が33歳、母親が23歳の時にお見合いで結婚した。2年後に安藤さんが生まれた後、3歳下に妹が誕生。父親は祖父母の代から魚屋を営んでおり、1階が店舗、2階が居住スペースとなっていた家には父方の祖父母も同居していた。
「自分では、自分が育ってきた家庭って普通なのかと思っていたんですけど、『あなたたちの家族関係は、何だか情が薄いよね』って伯母(父親の姉)からよく言われました。確かに家族全員無口で、夕飯の時とか、母親や祖母から学校であったこととかを聞かれれば答えることはあっても、僕も妹も自分から話すことはなくて、むしろ『うるさい』とか『いちいち聞くな』とか毒付いていましたね」
両親の会話も必要最低限だったようだ。
「父は仕事が終わったらすぐに寝てしまう人で、横になっているイメージしかなく、父との思い出はほとんどありません。ただ、僕も一人で漫画を読んだりゲームをしたりするのが好きで、構われるのは嫌でしたから、寂しいと感じたことはなかったと思います」
何回か家族でドライブに出かけた記憶はあるが、「楽しかった思い出はない」という。
「父は、毒親とまでは言いませんが、とにかく『あれしろこれしろ」と指図ばかりする人。
母は計算ができなくて、父や祖母からバカにされていました。祖母は伯母に電話で母の悪口を言い、僕たちは母から祖母の愚痴を聞かされていました」
■理数系ができない
そんな安藤さんは小学校に上がると、授業中、静かに椅子に座っていられず、隣の子に話しかけたり、立って歩き回ったりするようになる。そのため、他の子たちは定期的に席替えがあったが、安藤さんだけは教卓の正面の席に固定された。
成長とともに落ち着いて座っていられるようにはなっていったが、今度は教科によって得意不得意が顕著になっていった。
「特に理数系が苦手でした。計算はできるのですが、文章問題になると全然理解できなくて。図形や照明問題もダメでした。勉強しようと思っても、イマイチ集中ができなかったように思います。今振り返ってみると、昔から人の指示が理解しにくくて、体育でも教師の指示がつかめず、他の人の動きを見て真似していました。そこまで目立っていたわけではないですが、自分だけ浮いていた感覚はありましたね。聞き間違えをすることもよくあります」
友達とはもっぱら、家の中でゲームをして遊んだ。
中学生になると、歴史が好きになり、歴史だけはテストの点数が良かった。
高校生になると、突然洋楽にハマり、全教科の中で一番英語ができるようになった。その一方で、物理ではなかなか点数が取れず、留年しそうになったがギリギリ回避した。
そして卒業後は、地元の大学の人文学部の英文科に進学した。
■崩れ去った「憧れのキャンパスライフ」
大学に進学すると安藤さんは、一人暮らしとアルバイトを始めた。
最初に選んだアルバイトは、スーパーの調理エリアで寿司を詰める簡単な仕事。だが、そこでは詰め方を何度も注意された。部屋に友達を呼んで徹夜でゲームをして遊んでいたところ、翌朝にシフトが入っていたことをすっかり忘れてしまい、心配したスーパーの上司がわざわざ家まで呼びに来てくれたこともあった。
結局、何度注意されてもうまく詰められず、いづらくなって3カ月で辞めた。
次のアルバイト先は焼肉屋だった。キッチンで働き始めた安藤さんを悩ませたのが、冒頭のエピソードだ。
安藤さんは、仕事をしながら人と話す、という本来平易なはずの行動ができない自分に気がついた。自分と他の人の働きぶりを比較して、他の人はできているのに、自分だけができないことばかりに目がいき、自分を責める。

「せめてミスなくこなせるように」とオーダーされたメニューのメモを取ると、間違いなくこなせるようになった。だが、話しかけられると手が止まる。作業に集中すると、会話が途切れる。
「どうやら僕は、脳内でリソースの奪い合いが起きるようで、会話と作業の“同時処理”ができないみたいなのです。些細なミスをすると、『またやってしまった』と自己嫌悪に陥り、それがさらに集中力を奪い、焦り、視野が狭くなり、優先順位がわからなくなりました」
■衝撃の診断名
大学3年生のとき、安藤さんはテレビ番組で「ADHD」のことを知る。
「ADHD」とは「注意欠如・多動症」とも言われ、「不注意」「多動性」「衝動性」の3つの特性を主な特徴とする、生まれつきの脳機能の発達による障害(神経発達症)だ。
子どもの頃から、「集中力の持続が難しい」「じっとしていられない」「思いついた行動をすぐにしてしまう」といった傾向がみられ、大人になっても続くことがあり、日常生活や仕事で困りごとを抱えるケースが多い。
番組を見ながら安藤さんは、「あれ? これって自分じゃん」と思うと同時に、「でも、ここまで自分はひどくないしな……」と否定する自分もいた。そしてあまり確信が持てないまま、心療内科の門を叩く。
発達検査の結果は、「ADHD」ではなかった。
「結果的に、『注意力や集中力は人並みにあるのではないか』って言われました。ただ、IQ検査で分かったのですが、僕は『知覚推理』の指標が80くらいで、一番高い『言語理解』と『知覚推理』の指標に10くらいの開きがあったんです。
医師からは、『広汎性発達障害(自閉スペクトラム症・ASD)です。今までの苦労した経験は、『境界知能』であることと、指標の開きから来ているのではないでしょうか』という説明を受けました」
IQ検査(知能検査)は、単純な知能の測定だけでなく、認知機能のバランスや個人の特性を理解するために用いられるケースもある。
一般的に、発達検査で使われるIQ検査は、ウェクスラー式知能検査が主流だ。対象年齢別に行われ、「言語理解」「知覚推理」「ワーキングメモリー」「処理速度」の4つの指標について数値化される。その4項目間の数値の差が大きいと、本人は「能力はあるのにできない」「理解はできるのに作業が追いつかない」といった混乱や生きづらさを感じやすくなると言われている。
安藤さんは、精神安定剤や抗不安薬を処方してもらうため、通院を始めた。
スーパーのアルバイトの時のように、焼肉屋のアルバイトもいづらくなって“ブッチ”した安藤さんは、卒業できる単位を取るだけのために大学に通った。
彼はなぜ、”半引きこもり”のようになってしまったのか。そして彼は、その生活から抜け出せたのだろうか――。

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旦木 瑞穂(たんぎ・みずほ)

ノンフィクションライター・グラフィックデザイナー

愛知県出身。印刷会社や広告代理店でグラフィックデザイナー、アートディレクターなどを務め、2015年に独立。グルメ・イベント記事や、葬儀・お墓・介護など終活に関する連載の執筆のほか、パンフレットやガイドブックなどの企画編集、グラフィックデザイン、イラスト制作などを行う。
主な執筆媒体は、東洋経済オンライン「子育てと介護 ダブルケアの現実」、毎日新聞出版『サンデー毎日「完璧な終活」』、産経新聞出版『終活読本ソナエ』、日経BP 日経ARIA「今から始める『親』のこと」、朝日新聞出版『AERA.』、鎌倉新書『月刊「仏事」』、高齢者住宅新聞社『エルダリープレス』、インプレス「シニアガイド」など。2023年12月に『毒母は連鎖する~子どもを「所有物扱い」する母親たち~』(光文社新書)刊行。

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(ノンフィクションライター・グラフィックデザイナー 旦木 瑞穂)
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