映画『Michael/マイケル』ではマイケルが支配的なステージパパに反発、独立していく過程が描かれる。映画を観たライターの村瀬まりもさんは「絶賛とともに、“一番いい時代だけ映画にしたって感じ”という声もあった。
1人目の妻、リサ・マリーの回顧録には、映画には描かれなかったマイケルの一面が赤裸々につづられている」という――。
■世界の映画館で“マイケル復活祭”
映画『Michael/マイケル』を6月12日の公開初日に観た。マイケル・ジャクソン(1958年8月29日~2009年6月25日)の半生を実の甥ジャファー・ジャクソンが演じた話題の映画だ。
アメリカなどでは4月に公開され、大ヒット。既に興行収入9億ドル(約1440億円)を突破している。
YouTubeやTikTokの動画では、アメリカ各地やロンドンなどの映画館で観客が興奮し、歓声を上げ、「もはや映画を観てないでしょ」とツッコミたくなる様相でマイケルの楽曲に合せて踊りまくっている様子が映し出されている。これはもう“マイケル復活祭”である。
日本でも公開から3日間で動員67万2000人、興収10億9000万円をあげ、ランキング初登場1位。先行公開分を含めると、興収は既に12億円近くになる。
都内のIMAXシアター(音響が良い)でも、立ち上がる人はいなかったものの、音楽に合わせ体を動かしながら観ている人が少なからずいたし、上映終了後には珍しく拍手も起こった。50歳での衝撃的な死去から早くも17年が経過したが、やっぱりマイケルは愛されているんだなぁと改めて実感。ノリノリの人は50~60代の女性が多かった。
1970年生まれの筆者と同世代で、洋楽の黄金期を知っているMTV世代である。
■描かれているのは「一番いい時代だけ」
私たちはマイケルよりひと回り年下。生まれたときにはマイケルは既に「ジャクソン5」としてアメリカでアイドルになっていたし、私たちが思春期になる頃には、ソロ活動も始めていた。
しかし、それはマイケルの輝かしいキャリアの序章に過ぎず、1982年発売のアルバム『スリラー』収録曲「ビリー・ジーン」「今夜はビート・イット」「スリラー」の革新的な楽曲とミュージックビデオに世界中の人が魅せられることになる。
“キング・オブ・ポップ”になったマイケルの勢いは、映画の終盤でかかる「バッド」(1987年発売のアルバム同名曲)まで落ちることはなかった。
映画の上映終了後、「面白かった~。最高!」と興奮した様子のガチファンの女性が、映画館を出る頃には同行者にこう言っていた。「でも、この映画はマイケルを“きれい”に描いている、一番いい時代だけ映画にしたって感じかな」。
たしかに、そうなのだ。1993年8月にマイケルが少年への性的虐待疑惑で訴えられる時点まで、映画は到達しない。
当時、大学生だった筆者はその疑惑を耳にして驚いたが、その翌年、マイケルが結婚したと知ってもっと驚いた。相手はいったい誰なのか?
■マイケルが初めて結婚した女性
50年の生涯で二度結婚したマイケルの最初の妻、その名をリサ・マリー・プレスリー(1968年2月1日~2023年1月12日)という。

映画『Michael/マイケル』は続編の制作が発表されているが、そこにリサ・マリーが登場する可能性は高いと筆者は考える。理由は2つある。
理由その1、リサ・マリーは既に映画の世界のキャラクターであるから。『ボヘミアン・ラプソディ』の大ヒットから始まった音楽スターの伝記映画ブームの中に『エルヴィス』もあり、リサ・マリーの誕生も描かれた。彼女の母プリシラを主人公にした『プリシラ』にも当然、出てきた。元祖ロックスター、エルヴィス・プレスリーの一粒種であるリサ・マリーは、説明不要の“姫”ポジションなのだ。
理由その2、マイケルとリサ・マリーの結婚は“純愛ストーリー”として描けるから。2023年に54歳で死去したリサ・マリーは回顧録を残していた。その本『From Here to the Great Unknown(原題)』を読むと、彼女とマイケルの結婚は当時、少年への虐待疑惑から目を逸らすための偽装だとも報じられたが、少年少女だった時代の出会いから、大人になってからの電撃的な結婚まで、それだけで1本の映画にできるほどの大恋愛だったことがわかる。
■出会いはマイケルが17歳のとき
リサ・マリーとマイケル・ジャクソンとの出会いは、彼女がまだ7歳だった1975年にさかのぼる。
ラスベガスで父エルヴィスのコンサートに同行した際、同時期にジャクソン5としてショーをしていたマイケルと初めて顔を合わせた。当時マイケルは17歳。
リサ・マリーはそのことを憶えていなかったが、マイケルははっきり記憶していて、彼女が白いドレスを着ていたことを、16年後に言い当てたほどだった。
つまりリサ・マリーは『Michael/マイケル』に出てきても、おかしくなかった。
その後もマイケルは彼女の母プリシラに電話をかけてきて、母娘と一緒に食事をしたいと誘ったり、リサ・マリーが20歳でミュージシャンのダニー・キーオと結婚したときはがっかりし、公開された夫婦の写真を観て「彼女の隣にいるべきなのは(ダニーではなく)僕なのに」と思ったりしたという。これが偽装結婚のための作り話とは思えない。
その後、年月を経て、2人が親しくなったのは1992年頃。リサ・マリーはまだダニーと結婚中で2人の幼い子がいたが、音楽活動を始めようとしていて、マイケルに相談をするように。マイケルは頻繁に電話をかけてくるようになった。名声の頂点にいたマイケルと、エルヴィスを父にもつリサ・マリー。2人にしか分からない、通じ合うものがあったのだという。リサ・マリーは後に「彼は孤独で、友達を必要としているのだと思っていた。でも彼は私を追いかけていたのだ」と振り返っている。
■実質「略奪愛」で「不倫」だが…
1993年、マイケルが少年への性的虐待疑惑で告発され、リサ・マリーは電話で彼を気遣い続けた。
そして、子どもたちと共に、マイケルからラスベガスのホテルに招待される。そこで2人きりで毎晩遅くまで部屋で話し込んだが、「肉体関係には至らなかった」。滞在の最終日、マイケルは部屋の電気を消し、真っ暗な中でプロポーズした。
「あなたは気づいていないかもしれないけど、僕は完全に恋をしている。結婚して僕の子どもを産んでほしい」
妻であり母であるリサ・マリーは即答を避けたが、当時のマイケルにこんなことを言われたらもう……。マイケルに自分の気持ちを歌にした曲まで披露され、「私も彼に恋していた」とすっかり気持ちは傾いていった。そして、すぐに離婚し、マイケルと再婚することになる。
かわいそうなのはリサ・マリーの夫ダニーだ。妻を信じてマイケルの元へ送り出したのに、妻の心を奪われてしまった。子どもたちもまだかわいい盛り。だが、自分は売れていないミュージシャン、“キング・オブ・ポップ”のマイケルとは、まさに王様と一兵卒ほどの身分差がある。そして、妻もかつての王の娘、プリンセスだった……。

ダニーはリサ・マリーもマイケルも責めずに離婚を承諾し、子どもたちに別れを告げ、愛犬だけを連れて家を出ていったという。なんていい人! 最終的にダニーはリサ・マリーを支え、彼女の最期を看取ってもいる。
ダニーの立場になれば、マイケルのやったことは略奪婚であり、不倫だ。ただ、そこで決定的に非難される肉体関係を結ばなかったのが、セルフプロデュースに長けたマイケルらしい。
■35歳まで女性経験がなかった
35歳になっていたマイケルは、リサ・マリーに「自分はまだバージンだ」と打ち明けた。女優のテイタム・オニールやブルック・シールズとの交際はあったがキス止まり。あのマドンナから「ハメ外そうよ」と誘われたこともあったが、何も起きなかったと説明した。リサ・マリーは「間違いを犯したくなかったから、彼は怖がっていたのだ」と振り返っている。しかし、彼女との結婚が決まると一転、マイケルは「僕は待たないよ」と言って、2人は関係を結んだ。
ダニーとの離婚からわずか3週間後の1994年5月26日、2人はドミニカ共和国でひっそりと式を挙げた。同年8月に結婚を公式発表し、9月のMTVビデオ・ミュージック・アワードに夫婦として登場。そこでカメラの前でキスをしてみせ、世界中に衝撃を与えた。

■「偽装」と言われた結婚の内側
しかし、世間はこの結婚を「偽装」と見た。児童への性的虐待疑惑で訴追されていたタイミングと重なったためである。母プリシラでさえ自身の回顧録で「マイケルはリサ・マリーと結婚したのではなく、プレスリー王朝と結婚したのだ」「異性愛者としての良いイメージを必要としていた」と批判的に書いている。
だが、リサ・マリー自身は一貫してこうした見方を否定。1995年6月にはABCの番組「Primetime Live」でダイアン・ソーヤーのインタビューに夫婦で臨み、「恋に落ちたから結婚したのだ」と明言した。マイケルに対する児童虐待疑惑についても「彼はそういう人ではない」と擁護した。性生活についても問われ、「セックスはしているか?」という直接的な質問に、2人は声をそろえて「もちろん!」と答えた。
むしろマイケルは性交渉に前のめりだったようだ。彼は子どもがほしかった。プロポーズのときからそう言っていたワケだし、リサ・マリーには2人の子を産んだという立派な実績があった。マイケルは彼女の連れ子たちをかわいがりながらも、実子を強く望んだという。
しかし、両親の不幸な結婚や自分の離婚を経験したリサ・マリーは踏み切れなかった。それがラブラブだった2人の溝ができるきっかけになった。
■「子どもを産ませたら、私を捨てる」
マイケルとエルヴィスの娘の子どもが誕生すれば、2大スターのDNAを引き継ぐ子となり、世間は大騒ぎしただろう。もしかすると、マイケルはそれを狙っていたのかもしれない。リサ・マリーはこう書いている。
彼は私に自分の子どもを産んでほしいと激しく望んでいたけれど、私は嫌だった。最終的に彼は、自分一人だけで子どもを育てる親(保護者)になりたがっているのだと、私には分かっていたからだ。マイケルは何でも自分でコントロールしたがった。母親の影響、いや実際には他の誰の影響も、子どもに与えたくなかったのだ。
私が思ったのは、マイケルは私に子どもを産ませたら、私を捨てて、表舞台(子どもの生活)から閉め出すだろうということだった。私は彼の考えていることが時計の針のように(一目瞭然で)読めた。私はすべてを理解していたし、彼のすべてを知っていた。なぜなら、私たちはただお互いに魂をさらけ出し合って過ごしてきたからだ。私は彼の本質を知っていた。彼は非常に支配的で、計算高い人だった。
リサ・マリー・プレスリー『From Here to the Great Unknown(原題)』を日本語訳

■離婚原因はマイケルの薬物依存
しびれを切らしたマイケルは、「君が産まないなら、(マイケルの2人目の妻となる)デビー・ロウが子どもを産んでくれるそうだよ」と、リサ・マリーを脅すように。これにはリサ・マリーも「じゃあ、デビー・ロウとやればいいじゃない!」と強く反発した。ごもっともである。
もうひとつの離婚の原因は、マイケルの薬物依存。結婚当初はリサ・マリーが1日中一緒にいても、マイケルが薬物を投与している様子はなかったそうだが、しだいに彼は麻酔科医を常に手元に置き、ぼーっとした状態を見せるように。リサ・マリーは「薬物と取り巻きか、私か」という選択を迫ったが、マイケルは「あまりにも多くの質問をする」リサ・マリーを遠ざけるようになった。しかし、父エルヴィスを睡眠薬などの過剰摂取で失った彼女にとっても、そこは絶対に譲れないラインだった。
■わずか1年半の結婚生活だった
別居は1995年12月、離婚申請は1996年1月、そして離婚成立は同年8月のことだった。わずか1年半の結婚生活。しかし、精神的に「深く響き合った」「お互いの存在がカチッとハマった」というマイケルとリサ・マリーの関係が終わったわけではなかった。2人はその後も連絡を取り合い、離婚翌年にはロサンゼルスのレストランで食事をし、手をつなぎキスをする姿が目撃されている。
結婚中に撮影されたマイケルのシングル「You Are Not Alone」のミュージックビデオには、マイケルとリサ・マリーがギリシャ神殿のようなところで上半身裸になり、寄り添う姿が映し出されている。2026年の今見ると、笑ってしまうようなシチュエーションだが、お互いを見つめる甘い表情が“100%演技”には見えない。離婚条件の一部として、リサ・マリーはこのアルバム『History』のロイヤリティの一部を受け取ることになった。
その後のリサ・マリーには、俳優ニコラス・ケイジとの再々婚と離婚、4度目の結婚、息子の自殺、そしてマイケルの死(薬物が原因とされる)など、波乱万丈すぎる出来事が起こるわけだが、回顧録を読むと、母親にも夫にも“誰にも支配されない人生”を求め、そのときどきで過去の失敗を繰り返さないよう誠実に生きようとした女性の姿が浮かび上がってくる。

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村瀬 まりも(むらせ・まりも)

ライター

1995年、出版社に入社し、アイドル誌の編集部などで働く。フリーランスになってからも別名で芸能人のインタビューを多数手がけ、アイドル・俳優の写真集なども担当している。「リアルサウンド映画部」などに寄稿。

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(ライター 村瀬 まりも)
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