※本稿は、中島恵『中国の回鍋肉にキャベツは使わない』(ウェッジ)の一部を再編集したものです。
■香港で流行する「北上消費」とは
ここ数年、香港でよく言われるようになった言葉がある。それは「北上消費(バッションシウフェイ)」。直訳すれば「北に行って消費すること」だ。
香港と中国の国境にある町は深圳だ。香港は1997年に英国から中国に返還されたので、実際は「国境」ではなく「境界」というのが正しいが、同じ国になったといっても、東京から埼玉県に行くみたいに自由に行き来できるわけではなく、境界にはイミグレーション(出入国審査)がある。
日本人はパスポートを持たないと香港から深圳には行けないし、香港人も「回郷証」という通行証がないと深圳には行けない。
私が香港に留学していた頃、深圳に行くと「ああ、中国にやって来た!」という緊張感が全身を駆け巡り、周囲を警戒しながら歩を進める……という感じだった。当時、深圳に着くと路上で物乞いをする子どもがいて、スリも多かった。おしゃれで洗練された香港とはまったく違う雰囲気だった。
逆に深圳から境界を越えて香港に戻ってくると「ああ、生き返った! 自由の空気だ」と思ったものだった。
■物価高で広まった「テイクアウト弁当」
しかし、返還から30年近くが経ち、香港と深圳(中国)の経済的な立場は逆転した。香港は19年に起きた民主化デモをきっかけに、国家安全維持法が施行され、自由にモノが言える雰囲気ではなくなった。
中国化がどんどん進んだだけでなく、コロナ禍も追い打ちをかけて景気が悪化、物価も上昇し、香港の人々の生活は苦しくなった。
そんな香港で流行り出したのが「両餸飯(リョンソンファン)」というテイクアウトのお弁当だ。
「両餸飯」は「二つのおかずとご飯」という意味で、たくさんあるおかずの中から二種類選び、ご飯とセットで購入するスタイル。おかずを三つ選ぶこともできるし、スープつきにすることもできる。料金は二つのおかずセットだと35~45香港ドル(700~900円)くらい、三つのおかずセットだと45~55香港ドル(900~1100円)くらいだ。
■週末は「中国で過ごす」ワケ
香港に住む友人によると、おかずの種類が豊富なので毎日のように買いに行っても飽きることがなく、出来立てで、自分で食材を買ってきて作るより安上がり。しかも美味しいそうだ。
そして、「北上消費」。
香港の人々が毎週末のように家族そろって食べに行く飲茶もわざわざ深圳まで出かけて食べる。香港で食べるよりずっと安い上に、味もいいからだ。おまけにサービスもいいという。
以前だったら「深圳に着いたとたん、中国式サービスでイヤになっちゃう」と文句を言っていた香港人が多かったのに、今は逆。本当に時代は変わったんだなと思う。
週末になると、朝から深圳に行って飲茶をして、車のガソリンを入れて、歯医者やマッサージに行き、ショッピングセンターで食材を買って香港に戻る、というのが一般的な一日の過ごし方だそうだ。
■一度だけ食べた「犬肉」の味
中国や韓国、東南アジアの一部で密かに、あるいは堂々と食べられている犬肉。台湾や香港、シンガポールなどでは犬肉の販売は禁止されているが、中国ではまだ禁止されているわけではない。実は、私も一度だけ食べた、というか、知らないうちに食べていた経験がある。
05年か06年頃だったので、かなり前のことになる。場所は中国の東北部、吉林省延辺朝鮮族自治州琿春(フンチュン)市の郊外だった。
私は03年にNHKで放送された韓国ドラマ『冬のソナタ』にハマって以来、中国語、広東語に続いて韓国語の勉強を始め、その延長で2000年代前半から中盤にかけて、韓国人の先生がガイドしてくれる韓国のスタディツアー(年に一回)にほぼ毎年のように参加していた。
いつもは韓国の地方都市を見て回り、韓国現代史の勉強(たまに韓国ドラマのロケ地巡り)をするのだが、その年は中朝国境を歩くという数日間のツアーだった。そこで訪れたのが同自治州琿春市。ここは自治州の東端にあり、北はロシア、南は北朝鮮で、日本海にもかなり近い。中国の少数民族である朝鮮族が多く住んでおり、中国語だけでなくハングルが通じる人がかなりいる。
■中華風のビーフシチューのような感じ
そんな町のレストランで犬肉を食べた。そのレストランは中華風韓国料理というか、中華料理と韓国料理の両方のメニューがある店で、韓国人の先生が私たちのために適当に料理を注文してくれた。
でも、その日に限って、先生は何やらニヤニヤ……。「何か魂胆があるんじゃないですか」と皆で言いつつ、先生が注文した煮込み料理をお皿に取り分けた。
「これは鶏肉ですか? 豚肉? 牛肉?」
誰かがそう言いながら、肉を恐る恐るつまんでみたが、先生は何も言わないで笑うばかり。でも、他の人が「うん、なかなか美味しいですよ」というので、私も口に運んでみた。それが……犬肉だった。
野菜と一緒にグツグツ煮込んでいるので、中華風のビーフシチューのような感じで違和感はない。
肉も小さめで調味料の味が濃いので、正直なところ、はっきりとした味はわからなかった。鶏肉のようなパサパサした食感ではなく、強いクセもない。すごく美味しいというわけではなかったが、お腹が空いていた私はつい二口か三口食べてしまった。
全員が口をつけたあと、先生が「これは犬ですよ」と白状。全員が「え~っ」とのけぞったが、すでに料理のほとんどは平らげてしまった後だった。私が犬肉を食べたのは、後にも先にも、このとき一度きりだ。
■66兆円規模の「急成長市場」
私の経験では、これまで中国の町で犬肉が売られていたり、犬肉の料理をメニューで見かけたりしたことは一度もなかった。同じ時期、韓国に行ったときには屋台にハングルで「ケーコギ」(ケーは犬、コギは肉の意味)と書いてあり、びっくりしたが、中国ではそういう経験はない。
中国では伝統的に犬肉が食べられており、とくに吉林省や遼寧省、黒竜江省などの東北地方と、湖南省、雲南省、貴州省、広東省、広西チワン族自治区、江西省など南部で食べる習慣がある。
犬肉は身体を温める効果があるので寒い東北地方で好んで食べられ、南部でも滋養強壮に効果があると言われている。韓国でも中国でも6月の夏至の頃に食べると身体にいいとされている。
有名なのは広西チワン族自治区の玉林市という人口600万人程度の都市で毎年6月に行われる「犬肉祭り」だ。食用の犬の肉を市内のレストランで調理するもので、他の都市からもわざわざ食べに行く人がいるそうだ。丸焼きのまま屋台に並べられたりしているので、北京や上海など大都市の中国人が見たら卒倒するかもしれない。
何しろ、中国ではいま大変なペットブームだ。「2025年中国ペット産業白書」によると、2024年の犬、猫の数は1億2400万頭を超え、市場規模は3兆元(約66兆円)に上る。
■Z世代がペットを求める「切ない理由」
上海などでは朝夕に愛犬の散歩をする人をよく見かける。だから、犬の丸焼きなんて想像しただけで気持ちが悪くなるという人が多そうだが、そんなことは一切気にしない、という人も中国にはまだまだ大勢いる。
中国語で犬は「狗(ゴウ)」。犬肉は「狗肉(ゴウロー)」というが、玉林市では「香肉(シャンロー)」と呼ぶ。由来は不明だが、少しでも犬肉のイメージをよくしようという戦略の可能性もある。
町には「〇×香肉館」など犬肉料理の専門店が数多くあり、堂々と「香肉」の看板を出している。名称を変えれば、何となく罪悪感も消えるのかもしれないが、果たしてどうなんだろう……。
中国で犬や猫をペットにしてかわいがるのは主に都市部に住むZ世代(1995~2009年生まれ)の若者だ。一人っ子でさみしがり屋の若者が、家族同然のように犬や猫をかわいがっており、彼らにとってのペットは「毛孩子(マオハイズ)」(毛がある子ども)という別名もあるほど。人間は裏切るし、つき合いが面倒だが、ペットは裏切らず、自分を信頼していつも待ってくれている。だから「毛孩子」が大好きなんだそうで、そう聞くと、ちょっと切なくなってくる。
そんな都会の若者は地方に残る犬食文化を嫌悪しているが、長い間続いてきた食文化はそう簡単にはなくなりそうもない。
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中島 恵(なかじま・けい)
フリージャーナリスト
山梨県生まれ。主に中国、東アジアの社会事情、経済事情などを雑誌・ネット等に執筆。著書は『なぜ中国人は財布を持たないのか』(日経プレミアシリーズ)、『爆買い後、彼らはどこに向かうのか』(プレジデント社)、『なぜ中国人は日本のトイレの虜になるのか』(中央公論新社)、『中国人は見ている。』『日本の「中国人」社会』(ともに、日経プレミアシリーズ)など多数。新著に『中国人のお金の使い道 彼らはどれほどお金持ちになったのか』(PHP新書)、『いま中国人は中国をこう見る』『中国人が日本を買う理由』『日本のなかの中国』(日経プレミアシリーズ)などがある。
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(フリージャーナリスト 中島 恵)

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