■歌舞伎に残る手つかずの課題
伝統芸能である歌舞伎の世界を描いた映画『国宝』が大ヒットした。公開後の口コミやリピーターに支えられ、2026年春には興行収入が200億円を超えるロングラン作品となった。映画人気は実際の歌舞伎興行にも波及し、コロナ禍には空席が目立った歌舞伎座でも大入りの日が続いている。
しかしその活況の裏で、歌舞伎界には長年手つかずのままの構造的な課題がある。
歴史が長く本家などの大名跡を持つ「主役の家」と分家や門弟筋の「脇役の家」という家格が存在する。歌舞伎の家に生まれなかった者だけでなく、血筋ある家に生まれても「脇役の家」だと御曹司さえ看板となる主役の座にはなかなか届かない。華やかな舞台の陰に、現代社会では当たり前に問われるはずの透明性や公正さが、いまだ届いていない世界がある。
■税金に頼らず伝統を支える松竹の功績
歌舞伎は伝統芸能であると同時に、松竹が支える商業演劇でもある。歌舞伎座、新橋演舞場、京都・南座、大阪松竹座(2026年5月で閉場)、全国巡業の「松竹大歌舞伎」など、主要な興行のほとんどを松竹が担ってきた。1930年代には東宝が人気俳優を招いて歌舞伎興行を試みたこともあったが長続きせず、今日では「歌舞伎=松竹」という体制が確立している。
伝統芸能が一民間企業による商業演劇として年間を通じて安定的に上演されている例は世界的にも珍しい。歌舞伎座では約1800席を擁し、昼夜二部制で毎月約22日の興行を続けている。東京では、さらに新橋演舞場や浅草公会堂、国立劇場の公演(※筆者註)も加わり、年間を通じて歌舞伎に触れる機会が確保されている。
※筆者註:主催は独立行政法人日本芸術文化振興会だが松竹が協力。劇場自体は老朽化を理由に閉館し、現在は代替会場で上演。
歌舞伎興行における最大のイベントは、大名跡の襲名興行である。襲名は本来、家芸継承の節目にあたる儀礼だが、近代以降は歌舞伎座や地方の大劇場での長期興行、全国巡業、百貨店での展覧会などを組み合わせた、伝統を「見せる」総合イベントとなった。
親子同時襲名などもあり、血統と歴史を物語として提示し、その価値を前提に観劇料を高めに設定することで収益を確保する。こうした収益機会があるからこそ、歌舞伎は商業演劇として成り立っているともいえる。
■一企業の経営判断に左右されることも
歌舞伎の興行には多額の費用と手間がかかる。俳優だけでなく、衣装、かつら、大道具、小道具、歌舞伎音楽(長唄、竹本、清元、鳴物など)といった多くの伝統技能を担う人々の仕事と生活を支えている。芸の継承は役者だけでは成り立たない。
近年は「ワンピース歌舞伎」や「超歌舞伎」など新たな挑戦も積極的に行われている。保守的な歌舞伎ファンから賛否はあったものの、若年層や海外の観客を呼び込み、「歌舞伎を初めて見る入口」を広げた意義は大きい。歌舞伎は本来、時代の文化を取り込みながら発展してきた演劇だ。伝統の継承と創造は決して対立するものではない。
その一方で、歌舞伎が事実上松竹一社の興行に依存している現状には課題もある。
松竹が今年5月に、老朽化を理由として大阪の歌舞伎の拠点であった大阪松竹座を閉場したことは、一企業の経営判断が伝統芸能としての歌舞伎のあり方に大きな影響を及ぼし得ることを示した。もし将来、松竹が歌舞伎事業を大幅に縮小すれば、この芸能を誰が支えるのかという問題が生じる。
興行の安定という「光」がある一方で、一社依存という「影」も存在するのである。
■血縁だけが道ではないが、「家」は超えられない
歌舞伎では家と芸の継承が重視される。後継者がいない場合には養子を迎え、家名を継承することも珍しくない。
女形で人気が高い坂東玉三郎、テレビで人気となった片岡愛之助、若手で活躍する中村莟玉はいずれも一般家庭から歌舞伎界に入り、養子となって家を継承した代表例である。彼らの存在は、血縁だけが道ではないことを示している。
しかし同時に、養子となって家を継承しなければ、大名跡や主役級の役柄に到達することが難しい、という現実も浮き彫りにしている。
家制度を補完する役割を果たしてきたのが国立劇場伝統芸能伝承者養成所の歌舞伎俳優研修である。約2年間の研修を経て舞台に立つ道が開かれているが、修了後は結局いずれかの家に入門し、屋号を名乗って初めて歌舞伎俳優となる。このため、養成制度は家制度を代替するものではなく、その裾野を広げる制度にとどまっているとの指摘もある。
国立劇場の資料によれば、歌舞伎俳優293人のうち国立劇場養成所修了者は99人で約34%を占める(2025年4月現在)。一方、名題俳優ではその割合は約4分の1にとどまり、名題下俳優では半数を超える。なお名題とは日本俳優協会の審査に合格し、披露興行(名題披露)を経て認められた俳優のことで、一人前の歌舞伎俳優として、重要な役を務める資格を得る。
■御曹司でも「脇役の家」から抜け出せない現実
この数字からは名題下ほど養成所出身者が増えていることが分かる。主役あるいはそれに準ずる中心的俳優は依然として家制度の中から生まれている。ただし、御曹司も名題試験を受けて名題俳優となるが、それよりはるか前の子どもの頃から特別扱いだ。
興味深いのは、養子となって活躍している前述の3人が国立劇場養成所出身ではないことだ。養成所出身の名題役者の大半は、中堅俳優として歌舞伎公演で活躍している。
歌舞伎界には、名跡や家ごとに暗黙の「格」が存在する。市川團十郎家の成田屋や尾上菊五郎家の音羽屋などは代々座頭を務める「看板の家」とされる一方、脇役を担う家もあり、配役には家格が色濃く反映されてきた。歌舞伎界ではそれを当たり前のように受け入れているようで、「うちは脇役の家だから」といった声も聞く。
もちろん商業演劇である以上、人気や実力は重要だ。しかし現代でも、家格が俳優のキャリア形成に大きな影響を及ぼしていることは否定できない。襲名披露や追善興行、團菊祭(團十郎と菊五郎公演)などが歌舞伎興行の中心を占めること自体それを物語っている。
主役級の配役は早くから決まる一方、脇役の配役は2カ月前くらいになることもある。御曹司でも脇役の出演なら同様だ。
■家制度が示す「残酷さ」と「包摂性」
注目されるのは中村獅童の活躍だ。獅童は名門萬屋の血筋に生まれながら、父が早くに歌舞伎界を離れたため、後ろ盾を持たない「親のいない御曹司」として苦労したことを自ら語っている。役に恵まれない中で、中村勘三郎に認められ、平成中村座などで抜擢されて人気俳優となった。近年は初音ミクとの共演で知られる「超歌舞伎」の顔としても活躍している。
一方、現在は獅童の二人の息子が幼い頃から舞台に立ち、典型的な御曹司として育てられている。父は家制度の厳しさを身をもって経験したが、その子どもたちは家制度の恩恵を受けて成長している。この対照は、歌舞伎の家制度が持つ残酷さと包摂性を象徴している。
歌舞伎の特徴として女形の存在がある。江戸時代に幕府が風紀の乱れ等を理由に女性の舞台出演を禁止したことで生まれた慣習だ。現代の価値観からは女人禁制への批判の声もある。七代目尾上菊五郎の長女・寺島しのぶは、日本を代表する女優でありながら、長年歌舞伎座本興行への出演機会はなかった。2023年10月、「文七元結物語」で中村獅童と共に出演したことは画期的な出来事だったが、それは歌舞伎俳優としてではなく「特別出演」の女優という位置付けであった。
今後注目されるのが市川團十郎の長女・市川ぼたんである。幼少期から舞台経験を積んで現在は14歳。今後の舞台活動の可否が歌舞伎界における女人禁制のあり方を左右することになる。
■松竹に問われる契約と報酬の透明性
上場企業・松竹が運営する商業演劇である以上、現代企業として求められるガバナンスの観点から見直すべき課題も少なくない。
松竹と歌舞伎俳優の関係は、一般企業の雇用契約とは異なり、委任契約や請負契約に近いとされる。しかし契約内容や報酬体系はほとんど明らかにされておらず、外部からは見えにくい。こうした問題は俳優だけではない。近年、歌舞伎音楽を担当する清元連中の出演料をめぐる問題が報じられた。出演料は松竹から家元へ一括して支払われ、家元の采配で各演奏者へ配分される仕組みだが、その額をめぐって不満の声が上がり、待遇問題として認識された。
伝統を守ることと、契約や報酬の透明性を高めることは矛盾しない。配役が家格に過度に左右される慣行も含め、家制度を維持しながらその運用をより開かれたものへ改革することは十分可能だ。むしろ歌舞伎を将来にわたって維持するためには、そうした近代的なガバナンスを取り入れることが必要である。
■世界に開かれた歌舞伎になるために
近年の歌舞伎は、映画『国宝』のヒットやインバウンド需要の拡大を背景に、新たな観客層を獲得しつつある。しかし海外からの観客も視野に入れるのであれば、改善すべき点は多い。
例えば、外国人向けの予約システムや字幕サービスは十分とは言えず、日本文化を代表する舞台芸術としては物足りない。男女平等や労働環境、人権への配慮といった現代的な価値観にも、これまで以上に向き合う必要がある。
これは舞台の運営だけでなく、作品内容にも当てはまる。古典歌舞伎には切腹や家のための子殺し、仇討ち、男尊女卑を前提とした物語が少なくない。それらは歴史的作品として尊重されるべきだが、現代の観客、とりわけ海外の観客がどのように受け止めるかという視点も欠かせない。
2021年には、明治座での市川海老蔵(現・團十郎)の新作舞踊『KABUKU』が、中国人風の扮装をした人物を揶揄しているとして人種差別的との批判を受け、演出変更となった。作者にその意図がなかったとしても、現代社会では観客の受け止め方が重要であることを示した出来事だった。
時たま上演される「御摂勧進帳」、通称「芋洗い勧進帳」という演目がある。武蔵坊弁慶が番卒たちと大立ち回りを演じたのち、討ち取った首を次々と桶に放り込み、金剛杖で芋を洗うようにガラガラかき回すという場面がクライマックスだ。誇張と奇想を楽しむ趣向だが、現代人が楽しめるかは疑問だ。古典を否定する必要はないが、その演出や見せ方については検討が求められる。
■「守ること」と「変えること」は対立しない
松竹が歌舞伎興行をほぼ独占している中、その弊害を減ずるには、国立劇場歌舞伎公演の主催者である日本芸術文化振興会が独自性をより発揮すべきだ。
演目については民間の松竹ではできない「復活狂言」を実現するなど評価が高い。しかし配役については独自性を感じない。国立劇場歌舞伎も松竹の製作協力なくしては成り立たないことは分かる。だが、税金で運営し、自らが養成をしているのだから、養成所出身俳優の積極的な登用も行うべきだ。
歌舞伎は400年以上にわたり変化を重ねながら生き続けてきた。その歴史が示すのは、「守ること」と「変えること」は対立する概念ではないということだ。松竹には、日本文化を代表する担い手として、伝統を継承すると同時に、時代の変化を柔軟に取り入れる責任がある。
松竹が今日まで歌舞伎を維持してきた功績は極めて大きい。だからこそ、その強い基盤を未来へ引き継ぐためにも時代に即した改革が求められる。
近年、「推し」という文化が広がっているが、歌舞伎も屋号や名跡を応援する伝統的な「推し」の文化を育んできた芸能だ。この文化的な強みを生かしながら、多様な人材が能力を発揮できる制度へと進化させることができれば、歌舞伎は次の100年も世界に誇る舞台芸術であり続けるだろう。
それこそが、「松竹歌舞伎」の光をさらに輝かせ、影を乗り越える道である。
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細川 幸一(ほそかわ・こういち)
日本女子大学名誉教授
米国ワイオミング州立大学ロースクール客員研究員等を経て、日本女子大学教授。一橋大学博士(法学)。内閣府消費者委員会委員、埼玉県消費生活審議会会長代行、東京都消費生活対策審議会委員等を歴任。専門:消費者法・企業の社会的責任(CSR)など。消費者保護の功績により内閣総理大臣表彰(2021年)。2024年3月に日本女子大学を退職。著書に『新版 大学生が知っておきたい生活のなかの法律』『大学生が知っておきたい消費生活と法律【第2版】』(いずれも慶應義塾大学出版会)などがある。歌舞伎を中心に観劇歴40年。自ら長唄三味線、沖縄三線を嗜む。
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(日本女子大学名誉教授 細川 幸一)

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