祖業とは別の事業で活路を拓いた老舗がある。1575年創業の餅店・二軒茶屋餅角屋本店の21代目、鈴木成宗さんは“新事業”に乗り出した。
しかし経営は悪化し、自分の給料すら出ない状況が3年近く続いたが、そこから這い上がり、祖業を超える事業に成長させた。老舗の餅店が見つけた活路とは。経営コンサルタントの伊藤伸幸さんが取材した――。
■450年続く老舗に生まれた21代目の憂鬱
「当時はコンビニの廃棄弁当を食べて生活を凌いでいました。散髪にも行けないので、毎回妻にバリカンで切ってもらっていました」
1575年創業、450年続く老舗の餅屋・二軒茶屋餅角屋本店の21代目社長、鈴木成宗氏(58)はそう振り返る。
織田・徳川連合軍と武田軍が激突した「長篠の戦い」と同じ年に創業し、お伊勢参りの船着き場に茶店として開業した由緒ある餅店だ。その21代目が新事業に乗り出したものの経営は悪化し、自分の給料すら出ない状況が3年近く続いた。
450年以上続いた老舗を自分の代で潰してしまうのではないかという恐怖が、鈴木氏を追い詰めた。
そのどん底から、鈴木氏は這い上がる。「老舗の餅屋」を、世界を相手に戦う企業へと成長させた「起死回生の突破口」は、意外なところにあった。
■餅より、世界に出ていきたい
1967年、三重県伊勢市に生まれた鈴木氏は、子供の頃から生き物が大好きだった。小学生の頃は、近くの森で昆虫を採ったり、川で魚を採ったりして毎日を過ごしていた。
この生来の生き物好きが高じて、大学では微生物の研究に没頭する。東北大学農学部に進学し、毎日研究にのめり込んだ。
しかし大学卒業後は、家業を継ぐ約束があった。仕方なく実家に戻ると、当時の二軒茶屋餅は自宅兼工場で生餅を作り、それを売って一日が終わる小さな商売だった。
田舎の個人商店で、鈴木氏が活躍できる場はほとんどなく、生餅という商品の性質上、遠方への販売は難しい。出張の機会もほとんどなく、世界へ出ていきたいという強い思いを持て余しながら、悶々とした日々を過ごした。
転機は1994年、細川護熙内閣による地ビール規制緩和だった。大好きな微生物と向き合いながら世界を相手にビジネスができる――そう確信した鈴木氏は即座に動いた。
先代の父は反対しなかった。息子が鬱屈した毎日を過ごしているのを知っていたからだ。しかし周囲は違った。多くの知人や経営者から「そんな危ないことはしなくてもいい」と忠告され、税務署の担当者からも「お宅のような老舗が、わざわざこんなことをしなくてもいいのに」と言われた。

■廃棄弁当で食いつなぐ日々
それでも鈴木氏の気持ちは揺るがなかった。1997年4月、「伊勢角屋麦酒」をスタートさせた。
オープン当初は地ビールブームの追い風もあり、ビールは造れば造るほど売れた。併設したビアレストランも毎日大盛況だった。しかしその熱狂は長くは続かなかった。半年後には潮が引くように客足が遠のいていった。
本業の餅店の売上が1億円程度だったにもかかわらず、ビール事業の設備投資に2億円以上をつぎ込んでいた。借金は膨らみ、自分の給料すら出なくなった。そんな状況が3年近く続いた。
「当時はそれなりに貯金があったので、その貯金を食いつぶして何とか生活を維持していました。しかし、貯金が少なくなってくると、もうなりふり構っていられなくなったのです。コンビニエンスストアも経営していたので、廃棄する弁当やデザートを食べて日々の生活を凌いでいました。
散髪にも行けないので、毎回妻にバリカンで切ってもらっていました。妻には本当に迷惑をかけたと思います」
450年以上続いた老舗を自分の代で潰してしまうのではないか――。経営者としての経験も知識もない鈴木氏は、自身が始めた新事業によって、追い詰められていった。
■「金賞を獲っても全く売れなかった」
どん底から抜け出す策として、鈴木氏が出した結論は、「国際大会で賞を獲ること」だった。いいビールさえ造れば必ず売れる――そう信じ、まず審査員の資格を取ることから始めた。国内大会、海外大会と資格を取得し、審査員として数多くのビールに触れながらレシピ開発を続けた。
そこから6年後の2003年、オーストラリアの国際大会Australian International Beer Awardで金賞を獲得した。しかし、鈴木氏の予想に反して、そのビールはまったく売れなかった。
「賞さえ獲れば絶対に売れると信じていました。しかしそんな賞は消費者からすれば何の意味もなかったのです。当時は市場や顧客のことが全くわかっていませんでした」
■「社員がかわいそう」13時間の説教が変えたもの
そんな行き詰まりの中で訪れた転機が、九州でレストラン事業を展開していた元岡健二氏との出会いだった。知人からの紹介で経営指導を受けることになったが、到着して早々、ダメ出しの連続だった。
朝10時から夜11時まで、実に13時間にわたって懇々と指導を受けた。
「一番堪えたのは、『そんな状態で雇われている社員さんたちがかわいそうですよ』と言われたことです。もう本当におっしゃるとおりで、ぐうの音も出ませんでした。ただでさえ本当に苦しくて、長い間苦しい状態が続いていたうえに、まさに泣きっ面に蜂でした」
この言葉が鈴木氏を変えた。市場や顧客をまったく見ていなかったという事実に初めて真摯に向き合い、行動が変わり始めた。
独学でマーケティングの本を読み漁り、週末は伊勢神宮・内宮前の店舗に立って自らビールを販売した。現場で顧客の声に耳を傾け続けると、やがて見えてきたことがあった。伊勢を訪れる観光客が求めているのは「美味しいビール」ではなく「旅の記念になるお土産」だったのだ。
瓶だけだったが、持ち運びやすいアルミ缶に変更、伊勢をイメージできるデザイン、観光客向けとマニア向けの二本立て戦略――これらが見事に当たり、伊勢角屋麦酒は軌道に乗り始めた。
■軌道に乗ってきた矢先に
コロナ前、伊勢角屋麦酒は前年比で125%の売り上げを達成するほど絶好調だった。ところがコロナ禍で一変する。売り上げの2本柱であったビアバー向けと伊勢の観光地向けの市場が完全にクローズし、営業赤字が2年続いた。

「2018年の8月に新工場が立ち上がってから、売り上げはずっと右肩上がりでした。ところが、新型コロナの影響でビールが全く売れなくなってしまったのです。まさに天国から地獄を味わいました」
外に出られなくなった鈴木氏は、自宅でひたすら感染症の歴史を調べた。スペイン風邪、コロナ、黒死病、そしてペスト。過去の歴史を紐解いた末に出した結論は「コロナも数年後には必ず収束する」だった。
そう決めた瞬間、発想が転換した。
「全てがロックアウトしている今の状況は、逆に最大の投資のチャンスではないかと思ったのです。なぜなら、工事も何も全部発注が止まっているから、今なら超安い。どこも設備投資をしてこないだろう」
■2.5億の逆張り投資「下剋上を狙うには今しかない」
当時の鈴木氏は社員たちにこんな話をよくしていた。
「江戸時代になってからでは農民は天下を狙えない。戦国時代の乱世であれば、農民が武器を持って立ち上がり、一党を率いて、天下を狙うことができる。今のコロナ禍はまさに乱世の時代だ。
うちみたいな小さな会社が、下剋上を狙えるタイミングは今しかない」
営業赤字が続く中、2億5000万円を投じて最新鋭のイタリア製・缶製造設備(缶フィラー)の導入を決断した。当時の伊勢角屋は大きな初期投資を必要としない瓶ビールの生産設備しか持っておらず、缶製品は他社からのOEMに依存し、生産量には限界があった。
この逆張りが結果を出した。現在の売り上げはコロナ前のほぼ倍増。缶製品が売り上げ全体の半分以上を占めるようになり、クラフトビールメーカーの出荷量ランキングでは2019年の4位から2025年には2位へと躍進した。(出典:東京商工リサーチ TSRデータインサイト)
■「社長の論文」を読んで入社する人も
鈴木氏自身、三重大学大学院で野生酵母の研究分野において博士号を取得した研究者だ。その論文を読んだことがきっかけで入社した社員がいるほど、伊勢角屋麦酒は研究開発型ブルワリーとしての存在感を高めている。京都大学大学院や大阪大学大学院などで博士号や修士号を取得した人材が集まるのも、その研究姿勢への共感があるからだ。
研究の核心にあるのが「酵母」だ。麦汁をビールにするこの微生物を、ほぼ全てのメーカーが外部から調達する中、伊勢角屋麦酒はオリジナルの酵母を自社開発する。東京大学大学院や島津製作所との共同研究も行い、新たなビール開発に積極的だ。
こうした環境の中で、社員は「ブルワー」という社内資格を取得すれば、自らビールを設計・醸造し、限定品として市場に出すことができる。2023年入社の馬場建吾氏は入社2年目で7人目のブルワーに就任し、限定醸造ビール「Nostalgic Gate」を開発した。社歴や経験に関係なく、やる気と能力があれば挑戦の機会が与えられる。
■「人材こそが最大の経営資源」
実験的ブランド「KADOLABO」では、野生酵母の研究やワインと蜂蜜酒の融合など、やってみなければわからない取り組みを続ける。ここでの成果がISEKADOブランドの新製品として転用される仕組みだ。
鈴木氏は「人材こそが最大の経営資源」と言い切る。
「お金は銀行から借りられる。物はお金で買える。しかし人は簡単には確保できない。研究開発の経験や知見は人に宿り、それをやり続ける企業文化も人に宿る。いかにいい人を採用して、居続けてもらって、伸ばしていくかが何よりも大事です」
経営計画書に2度登場する言葉がある。「社員は我が社の宝です。我が社の宝である社員にふんだんに教育費を使って教育をし、磨き上げます」――鈴木氏が最もこだわる一文だ。
■「一回限りの人生を謳歌したい」
2026年3月、伊勢市内の廃校をリノベーションした複合施設「神社Cheers」がオープンした。三重県知事や伊勢市長と並んでテープカットを行う鈴木氏の姿があった。
鈴木氏が今後の投資分も含めると総額で約1.5億円を投じて立ち上げたこの施設は、「混ぜて、醸す、未来の実験場」をコンセプトに、スタートアップや地域企業、研究者、学生などが集まり、切磋琢磨する場だ。ビール事業の創業期、何をして良いかわからず誰にも相談できなかった自分と同じ悩みを抱える人たちに、壁打ちができる場所を提供したいという原体験が背景にある。
事業規模の拡大も着々と進む。
2024年度の売り上げは14億円、2025年度は16.8億まで伸びており、20%の増加だ。売り上げの拡大はすべてビール事業によるものであり、祖業である餅事業の占める比率は4%にまで下がっている。2026年度の売り上げも好調であり、20億円を超える見通しだ。13カ国への輸出、東南アジアでの現地生産、M&Aによる多角化――2033年に売り上げ100億円を目指す。
創業から29年。鈴木氏の言葉に、経営者としての覚悟がにじむ。
「若い頃は純粋に自分が造ったビールを世に問いたいと考えていました。私自身、このたった一回限りの、それもどんなに長くても100年くらいしかない人生を精一杯謳歌したいという気持ちが強かったのです。しかし、いつの頃からか、社員たちも同じだと気づきました。彼ら彼女らもやっぱりたった一回限りの人生なんです。だから、人生を謳歌できる舞台としての場所を社長としてしっかり守っていってあげたい。さらにもっと大きな舞台で活躍できるように、会社という装置も大きくしなければいけない。それが、今私が社長を続けている一番のモチベーションです」
1575年に茶店として開かれた“餅屋の暖簾”は、450年の時を経て、世界へと向かっている。

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伊藤 伸幸(いとう・のぶゆき)

中小企業診断士、ビジネスライター

1966年愛知県生まれ。関西大学社会学部卒。新卒で精密機器メーカーに就職し、営業職を経験後、商品企画、経営企画、事業企画など30年近く企画系の業務に従事。中小企業診断士の資格取得後は、経営ビジョン・戦略策定、重点施策管理、提案書作成など、企業が成長していくために必要となる一連の言語化作業のサポートを中心に活動している。得意分野は事業戦略、方針管理、マーケティング、ビジネスライティング全般。

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(中小企業診断士、ビジネスライター 伊藤 伸幸)
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