■お口の問題を抱える子供が急増している
「うちの子は食べるのが遅くて」と笑うのは、今春、中学2年生になった男子の母親です。数年ぶりの診察で診た彼は、すっかり体が大きくなり、運動部の活動に励んでいます。
「でも、食べ方はまだまだ子供なの。ハンバーガーの食べ方も下手くそなんです」と母親。前歯でハンバーグを噛み切れずに、パテとレタスを引きちぎるように食べるので、いつもハンバーガーが崩れてしまうそうです。
実は2010年以降、中学生になってもハンバーガーを前歯で噛み切れない、など、咀嚼をはじめ口の機能に問題を抱える子供が急増しています。原因は決して行儀の悪さや歯並びのせいではなく、2018年に疾患に指定された「口腔機能発達不全症」です。
■幼児期から“サイン”は出ている
「口腔機能発達不全症」は単なる筋肉の未発達状態をさしているのではありません。本来、乳幼児期に獲得する「食べる」「話す」「呼吸する」などの口腔機能が、何らかの理由で未熟なままに成長した状態です。
突然症状が現れるわけではなく、成長段階でさまざまな前兆があります。
幼児期に特に見逃しがちなシチュエーションが「風船を膨らませられない」です。頬をパンパンに膨らませるものの、空気を注入できずに、一向に風船が膨らませられない状態で、これは口の周りの筋肉(口輪筋)の筋力低下と、舌のコントロール不全の明確なサインです。
その他にも以下のような兆候があります。
・いつも口がポカンと開いている(口呼吸の常態化)
・食事中に何度も水を飲む(咀嚼が不十分なため、水で流し込んでいる)
・滑舌が悪く、特に「サ行」や「タ行」が聞き取りにくい
・食べる時にクチャクチャと音を立てる
・硬い食べ物を極端に嫌い、柔らかいものばかり選ぶ
また、ストローでジュースを飲むのが苦手、寝言が大き過ぎるなどがあります。
口呼吸となり、鼻の穴が広がってしまったために、鼻ほじりの指が2本同時に入ったりするのも危険サインです。
こうした姿を見て、多くの親御さんは「食べ方が汚い」「しつけがなっていない」「幼い」などと、性格やマナーの問題と片付けがちです。しかし、これらは体からのSOS。「うちの子はまだ小さいから」と先延ばしにするのは致命的です。
なぜなら、口腔機能の発達には明確な「ゴールデンタイム」があるからです。
まず、上顎の成長は10歳までで成人の90%まで完成します。さらに下顎の骨のフォルム形成機能(リモデリング)は、12歳以降になると3分の1に低下します。そして14歳を超えると、骨の形と質が固定され始めます。
■段階を追って顔立ちが変化する
もし、冒頭の中学生がハンバーガーを噛みきれない状態を放置した場合、どのような影響が及ぶかを見ていきましょう。
第1段階:骨格(顎の成長・歯並び)の異変
顎の骨は筋肉(咀嚼筋)からの適切な機械的刺激を受けて、成長を促されます。しかし前歯を使わない、あるいは正しく噛めない状態が続くと、顎の骨は「成長する必要がない」と判断し、成長を止めてしまいます。
これまでの複数の研究結果(※)を踏まえると、前歯の接触不足によって、上の顎の成長量が本来より20%小さくなる可能性があること、下顎も正常な状態より5mm程度小さくなり、後ろに位置することがわかっています。
【参考文献】
・日本歯科医学会「小児の口腔機能発達評価マニュアル」(2018年3月)
・近藤愛理「咀嚼筋機能低下による顎骨退行性変化でのミトコンドリア関連シェアストレス蛋白の関与」(2024年6月)
・日本歯科医学会「口腔機能発達不全症に関する基本的な考え方」(2024年3月)
・楠元桂子ほか「上・下顎骨標準成長曲線の作成とそれを用いた顎整形装置の顎骨成長に対する効果の評価」(日本矯正歯科学会雑誌 55巻4号、1996年8月)
第2段階:顔貌(顔立ち)の変化
下顎の成長不足と後退によって、下顎が小さく後退します。これによって口元が突出、横顔が「鳥」のように見えることから「鳥貌」とよばれる状況になります。
第3段階:顎の形と歯並びに影響
2の結果、顎の形は「V字型」の不自然な形になります。顎が狭くなると、本来並ぶはずの永久歯がスペース不足で並びきれません。V字型の顎では85%の割合で歯が重なる「叢生」とよばれる歯並びになります。
第4段階:再び、顔貌に影響
影響はさらに顔貌に及びます。叢生によって常に口が半開きになるため、鳥貌に加え、出っ歯や二重顎にもなりやすいです。
口腔機能の発達不全は、見た目のコンプレックス、さらにはまわりに与える印象まで影響しかねないのです。
■数十年後「健康格差」が拡大する
そして、放置したまま大人になってしまった場合、その影響は老後にまで及びます。
①奥歯の破折が4.2倍に
食べる時に前歯で噛み切る第一段階を行わないために、すべての負担は奥歯に集中します。このため、歯を守っているエナメル質の摩耗速度が早くなり、強度が低下。その結果、奥歯(小臼歯)の破折率は4.2倍高くなります。
②歯周病への影響
また奥歯の過重労働により、歯周病進行の目安となる歯肉ポケット深度も1.5倍に。この結果、歯を失うこともあります。
③通常より早くオーラルフレイルに
近年、注目されている「オーラルフレイル」は、高齢者特有の問題と考えられていました。しかし、40歳代で3人に1人、50歳代で2人に1人に口腔機能の衰えがみられるという報告もあります。
幼少期に口腔機能が十分に獲得(発達)できなかった人は、生涯にわたり機能が低いことになるので、加齢とともに通常より早くオーラルフレイルの状態になる可能性が高まります。実際、複数のデータ(※)を元に独自に算出したところ、口腔機能発達不全症の人は(そうでない人と比べ)16年も早く「オーラルフレイル(口の衰え)」になる可能性があります。
また、オーラルフレイルの人は(そうでない人と比べ)、年間に医療費(薬剤費含む)が約30万円多くかかることもわかっています。
【参考文献】
・平野浩彦「フレイル・サルコペニア・ロコモを知る・診る・治す:2.オーラルフレイルの概要と対策」(日本老年医学会雑誌 52巻4号、2015年)
・宮原周三「口腔機能について(オーラルフレイルと口腔機能低下症)」(老年栄養ドットコム、2025年9月22日)
・日本歯科医師会「歯科診療所におけるオーラルフレイル対応マニュアル2019年版」(日本歯科医師会、2019年)
・渡邊 裕ほか「オーラルフレイルに関する高齢者の保健事業と介護予防の一体的な実施に関する研究」(2025年6月)
・平野浩彦ほか「オーラルフレイル対策における口腔機能の維持・向上のための効果的な評価・介入方法の確立の研究」(厚生労働科学研究成果データベース、2025年5月)
④歯を失いやすくなる
口腔機能発達不全症の人は、歯を多く失う(5.6本)ことも分かっています。
⑤そして、全身へと波及
影響はお口の問題では終わらず、全身に波及します。
具体的には、感染症、誤嚥性肺炎リスクが高まります。
口呼吸における酸素不足が疲労や免疫力低下を招き、感染症に罹患しやすくなります。さらに口呼吸は肺炎の原因となる口の中の菌の繁殖を高め、高齢者死因第3位の誤嚥性肺炎リスクを上げます。咀嚼機能の低下も誤嚥性肺炎の原因になることが分かっています。
その他にも、口呼吸における酸素不足は睡眠の質にも影響します。睡眠障害による集中力低下、上記のようにお口の健康が乱れることで栄養不良による成長阻害、免疫力低下によるアレルギー悪化、など、口腔機能発達不全症が全身に深刻な影響を及ぼす可能性があることが指摘されています。
子供の時に「風船を膨らませられない」、中学生で「ハンバーガーを噛みきれない」ことを放置した代償は、数十年後に食事の不自由さや健康格差、そして経済的負担にまで及ぶのです。
■1日3分でできる“トレーニング”
歯並びなどの骨格については、先述したようにゴールデンタイムが存在します。遅くとも下顎の骨のフォルム形成機能が低下する12歳までには、専門機関で相談することをお勧めします。
日本歯科医学会によれば、早期の介入(治療)で発達が回復する割合は80%に上ります。
また、咀嚼や滑舌など口腔機能についてはトレーニングで治療できます。自宅で簡単にできる効果的な対策3選をご紹介します。
1)舌ポッピング
最も簡単なトレーニング方法です。舌を上顎に強く吸い付け「ポン!」と弾く音を出すトレーニング。
やり方:10秒間舌を上顎に強く吸い付けてキープし、舌が離れて「ポン!」というクリアな音が出ればトレーニング成功!舌を離すまでを1セットとして、食後に20回程度行います。
効果:舌の力(舌骨上筋群)を30%強化できます。
2)スポットポジション
最も効果が上がり、舌を正しい位置に導く魔法の5秒タッチ訓練です。
やり方:鏡の前で口を軽く開いて、上の前歯の付け根のすぐ後ろにある凹んだ感触の場所が「スポット」です。口を自然に開いて舌先をスポットに軽く当てて5秒タッチします。舌を下ろして1秒休憩。1セット10回として、これを1日10セット行います。
効果:飲み込みパターン(食べ物を飲み込む際の舌・口唇・喉の協働)が65%改善し、スムーズになります。
3)チューインガムトレーニング
美味しく続けられるトレーニングです。
やり方:硬めのキシリトールガムを、左右均等に10分間ずつ噛み続けます。単に噛むだけでなく、舌の上でガムを丸めたり、上顎にガムを押し付けたりすると、同時に舌の筋肉も鍛えられます。
効果:噛む筋肉(咬筋)の体積が15%増加し、咀嚼回数も2倍近くに増えます。
健康な体、とりわけ「正しく食べる力」がなければ、お子さんが勉強や運動のパフォーマンスを十分に発揮することは難しいものです。
さらに、お口の健康は身体全体の健康に大きく影響しています。適切な指導(治療)を受けることは、お子さんがこの先よりよい人生をおくるための大切な投資です。
お話した“前兆”に、少しでも思い当たることがあれば、ぜひ口腔機能まで診てくれる歯科医院を受診してみてください。
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宮本 日出(みやもと・ひずる)
歯科医師・幸町歯科口腔外科医院院長
日本顎関節学会代議員・専門医・指導医。1965年、石川県金沢市生まれ。愛知学院大学歯学部卒業後、石川県立中央病院歯科口腔外科に勤務。1994年、豪アデレード大学歯学部で研修し、1996年から同大学歯学部口腔顎顔面外科招待研究員に。2000年から明海大学歯学部の教員に就任。2007年、幸町歯科口腔外科医院を開業。国内外に160編以上の論文を発表している。著書に『お口からの感染予防』(ギャラクシーブックス)、『レモン水うがいダイエット』(あさ出版)。
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(歯科医師・幸町歯科口腔外科医院院長 宮本 日出)

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