安倍晋三元首相が選挙演説中に凶弾に撃たれ、非業の死を遂げたのは2022年7月8日のこと。国際基督教大学のスティーブン・ナギ教授(政治学・国際関係学)は「政治家・安倍氏のレガシー(遺産)への海外の評価は日本国内のものとは異なる」という――。

■安倍晋三元首相が凶弾に倒れて4年
安倍晋三元首相が凶弾に倒れてから、まもなく4年になる。日本国内では今なお、さまざまな形で安倍氏をめぐる評価の議論が続いている。だが、海外の人々は安倍氏を、そしてその「遺産(レガシー)」をどう見ているのだろうか。
長年にわたり日本とアジアを見つめてきた外国人研究者・観察者として、私はこれをできるかぎり分かりやすく説明してみたい。
まず結論から述べておこう。海外における安倍評価は、日本国内で語られているものとはかなり異なっている。そして、その海外の評価のなかには、現在の高市首相にとっても、日本全体にとっても、学ぶ価値のある重要な教訓が埋もれているのだ。
■不完全な人間・政治家だった
話を進める前に、一つはっきりさせておきたいことがある。安倍氏は、すべての政治家がそうであるように、不完全な人間だった。そして彼は、誇り高き日本人でもあった。
2013年2月、ワシントンの戦略国際問題研究所(CSIS)での講演で、彼はこう宣言している。
「私は戻ってきた。
そして日本もまた戻ってくる(I am back, and so shall Japan be)」
同じ講演のなかで、彼はその核心的なメッセージをこれ以上ないほど明確に打ち出した。「日本は二流国ではないし、これからも決して二流国にはならない(Japan is not, and will never be, a tier-two country)」と。
安倍氏に対する評価は、日本国内でも鋭く割れていた。極右のナショナリストであり歴史修正主義者だと見る者もいれば、まさに時代が求めた人物だと評価する者もいた。
私自身が強く印象に残ったのは、別の点だ。彼は、日本についての個人的な信条と、首相として何をなすべきかとを、きちんと切り分ける能力を備えていた。
そして8年間、彼が一貫してなしたのは、日本の国益にかなう行動だった。この区別こそ、彼という人物を理解する鍵である。その鍵は、対立した関係となることが多い中国をはじめとする指導者たちさえも彼に敬意を抱いたのかを解くものでもあると、私は考えている。
つい最近も、G7の首脳たちはこの「安倍流の知恵」を外交の場で体現してみせた。彼らは自らの政治的なプライドをのみ込んだ。そして個人的な感情はさておき、ドナルド・トランプ大統領を称える形でG7首脳共同声明をまとめ上げたのである。

■日本にもっと前に出てほしい
まず理解しておくべきは、海外の意見が決して一枚岩ではないということだ。安倍氏を高く評価する声もあれば、批判的な声もある。それはごく当然のことだろう。
それでも、誰もがはっきりと一致している点が一つある。中国、ロシア、北朝鮮といった一握りの国々を除けば、世界の大半は、日本にもっとリーダーシップを発揮してほしいと願っているのだ。
これを意外に思う読者もいるかもしれない。日本には「出る杭は打たれる」という言葉がある。実際、戦後の日本は国際社会のなかでできるだけ目立たぬよう、前へ出ることを避けて懸命に低姿勢を保ってきた。だが世界が日本に求めているのは、まさにその正反対なのだ。「もっと前に出てきてほしい」「あなた方の知恵と経験を、私たちと分かち合ってほしい」。世界はそう言っているのである。
なぜか。
それは、世界がきわめて複雑で困難な時代に突入したからだ。経済をめぐる争い。技術をめぐる競争。そして中国のような「手強い大国」とどう向き合うかという問題。これらは、多くの国々を眠れぬ夜へと追い込んでいる難題である。そして日本こそ、そうした厄介な隣国と長年向き合ってきた「経験豊かな先輩」にほかならない。
■「自由で開かれたインド太平洋」という発明
安倍氏が世界に遺した最大の贈り物は、「自由で開かれたインド太平洋」という構想である。少し難しい言葉に聞こえるかもしれない。だがその本質は、こういうことだ。太平洋からインド洋へと広がる広大な海を、いかなる国も力によって支配できない場所にする。すべての国がルールに基づいて安全に航行できる地域にする。そういう構想である。

安倍氏はまた、今日「経済安全保障」と呼ばれるものの礎を築いた。これは、半導体やエネルギーといった、私たちの暮らしや産業に欠かせないものについての考え方だ。それらを特定の一国に過度に依存してはならない。足元を見られ、付け込まれるような状態に陥ってはならない。そういう発想である。
驚くべきことに、こうした安倍氏の発想は、その後アメリカをはじめとする多くの国々に取り入れられていった。一人の日本の元首相が打ち出した構想が、やがて世界の「常識」となったのだ。これは、戦後日本外交の歴史において、きわめて稀有な出来事であった。
■なぜ中国でさえも彼に一目置いたのか
では、なぜ安倍氏の発想はこれほど広く浸透したのか。その理由は、彼のやり方にあると私は考えている。それは、現実的で、成果を生むことに焦点を当て、しかも実現可能なものだった。
世界には、理想を語るだけの政治家はいくらでもいる。
だが安倍氏は違った。予測がつかず気まぐれなトランプ大統領のような、扱いの難しい相手とさえ、辛抱強く関係を築いていった。彼は単に理想を語っただけではない。現実の世界で実際に何が達成できるのかを考え抜き、本物の成果を出した。このやり方は、主要国によるG7サミットのような舞台で高く評価されたのである。
ここで、しばしば誤解されている点について述べておきたい。
長年にわたり、中国は日本を見るとき、そこに「永遠に衰退し続ける国」を見ていた。バブル経済が崩壊して以来、首相が次々と入れ替わり続けたからだ。政策の継続性もない。リーダーシップもない。ビジョンもない。中国の目に、日本はもはや取るに足らぬ存在と映っていた。

私が、中国は安倍氏に「敬意を抱いた」と言うとき、それは彼らが安倍氏を好いていた、あるいは支持していたという意味ではない。そのどちらでもない。私が言いたいのは、彼らが認めざるを得なかった、ということだ。
安倍氏は、四半世紀近くにわたってどの日本の政治家にもできなかったことを、やってのけた。日本にビジョンを与えた。日本の自信を再起動させた。力による現状変更の振る舞いに、毅然と立ち向かった。そして国際舞台へと躍り出て、こう示してみせたのだ。日本は今なお重要であること。日本は必要とされていること。日本には独自の発想があること。そして権威主義国家に抵抗することで、世界をより良い場所にする力が日本にはあること。
中国とは、相手の「強さ」、「揺るぎないリーダーシップ」、「現実に根ざした明晰な判断力」に敬意を払う国である。逆に、中国が最も軽んじるものは「弱さ」だ。曖昧で、ぐらつき、何を考えているのか読めない相手を、中国が敬うことは決してない。
安倍氏は、まさにその「強さ」を備えていた。だからこそ、敵対する者でさえ、彼を本気で相手にせざるを得なかったのである。
■安倍路線を受け継ぐ高市首相がすべき3つ
安倍路線を受け継ぐ政治家と目されている高市早苗首相は、どうするべきか。単に「安倍氏の威を借りる」だけでは、世界は決して満足しない。大切なのは、言葉のうえで安倍氏の遺産をなぞることではない。自らの行動を通じて、その本質を体現することだ。
そのために、私は高市首相に、そして日本に、3つの提言を差し上げたい。
第1は、アメリカとの強固な関係を、それも本気で築くことだ。
これは単なる「友好ごっこ」ではない。求められているのは、日米同盟への真剣なコミットメントであり、技術や防衛面での協力であり、そして、どれほど厄介な事態になろうとも外交対話を続け抜くという覚悟である。ひとことで言えば、「本気の関与」だ。
そしてここで何より重要なのは、個人的なプライドよりも国益を優先するという姿勢である。相手が手強くとも、感情に流されてはならない。日本の国益のために、関係を粘り強く保ち続けるのだ。これこそ、安倍氏がトランプ氏との関係で示してみせたことにほかならない。
第2は、途上国を支えるための仲間(連合)を築くことだ。
ここで言う「途上国」とは、東南アジア、南アジア、太平洋島嶼国、そしてアフリカの国々を指す。これらの地域、いわゆる「グローバル・サウス」は、これからの世界の方向を左右する重要な存在となりつつある。
もし日本と先進諸国がこれらの国々を支えなかったら、どうなるか。その役割は、代わりに中国とロシアが担うことになる。そうなれば、これらの国々は次第に中国とロシアの影響下に入っていく。それは私たちにとって、大きな損失だ。だからこそ日本は、志を同じくする国々と手を携え、これらの国々の発展を支える側に立つべきなのである。
第3は、偽情報(フェイクニュース)と戦うための仲間(連合)を築くことだ。
いま、中国・ロシア・北朝鮮の3カ国は、インターネットなどの手段を使って、膨大な量の嘘と偽情報を世界中にばらまいている。その狙いは、自由で開かれた社会を内側から揺さぶることだ。人々のあいだに不信を植えつけ、社会のまとまりを引き裂くことにある。
実際、2025年11月に高市首相が台湾をめぐる発言を行った際、中国は激しい偽情報攻撃を仕掛けてきた。こうした攻撃は、もはやひとごとではない。日本は、同じ価値観を共有する国々と腕を組み、偽情報の脅威に真正面から立ち向かう必要がある。
■「強さ」とは、変化に適応する力である
安倍氏が世界に示したのは、一つの事実だ。日本が前に出てリーダーシップを発揮すれば、世界はそれを歓迎する。安倍氏は、戦後日本が身につけてしまった「できるだけ目立たぬように振る舞う」という習性を、脱ぎ捨ててみせた。
高市首相に求められているのは、まさにこの教訓を自らのものとすることである。安倍氏の名を借りるのではない。自ら前に出て、日本を強くし、本物のリーダーシップを示すことだ。それができたとき、世界は、そしておそらく中国でさえも、初めて日本に敬意を払うようになるだろう。
世界の力関係は、絶えず移ろい続けている。永遠に続く関係など存在しない。最後に生き残るのは、最も強い者でも、最も正しい者でもない。変化を読み取り、それに合わせて自らを変えていける者なのだ。安倍氏が示してみせたのは、まさにこの「適応する強さ」であった。
そして、ここにこそ、安倍氏が遺した最も逆説的な教訓がある。日本人は長らく、「強さ」を、頑として動かぬこと、信念を曲げぬことだと考えがちだった。だが安倍氏が体現した強さは、その正反対のものだった。彼の強さとは、しなやかさだったのだ。
相手によって構え方を変え、状況によって手を変える。それでいて、守るべき芯、すなわち日本の国益だけは、決して手放さない。竹が嵐のなかでしなりながら折れずに立ち続けるように、安倍氏は揺れながら、しかし倒れなかった。高市首相が真に受け継ぐべきは、安倍氏の信条ではない。この「しなる強さ」のほうである。
日本には古いことわざがある。「鶏口となるも牛後となるなかれ」。大きなものの尻尾につき従うよりも、たとえ小さな群れであっても、その先頭に立って率いるほうがはるかに良い、という教えだ。これこそ、いま日本が直面している選択そのものである。高市首相は、そして日本自身は、率いる側に立つことを選ぶのか。世界はその答えを、静かに、しかし真剣に待っている。

----------

スティーブン・R・ナギ
国際基督教大学 政治学・国際関係学教授

東京の国際基督教大学(ICU)で政治・国際関係学教授を務め、日本国際問題研究所(JIIA)客員研究員を兼任。近刊予定の著書は『米中戦略的競争を乗り切る:適応型ミドルパワーとしての日本』(仮題)。

----------

(国際基督教大学 政治学・国際関係学教授 スティーブン・R・ナギ)
編集部おすすめ