50代の女性は2人の子供を社会人に育て上げ、ようやく自分の時間ができた矢先に母親が倒れた。80歳手前の母親がおかしくなり始めたきっかけは、慣れていたはずの自転車をこいでいる時に起きた大ケガだった。
いったい何が起きたのか――。(前編/全2回)
「シングル介護」とは、配偶者や親の介護をたった1人で担っているケースを指す。2024年度の厚生労働省によると、家族・親族による高齢者虐待の相談・通報件数は4万1814件となり、過去最多を更新。
2022年の国民生活基礎調査では、家族介護者は全国で約653.4万人(2021年時点)と推計され、主な介護者と要介護者との関係は、同居家族が45.9%、別居家族が11.8%(2022年時点)。同居家族の内訳は、配偶者が22.9%、子が20.7%、子の配偶者が7.5%となっている。
たった1人で介護を担う「シングル介護」は年々増加しており、介護時間の長期化や精神的・身体的負担の大きさが不安視されている。
その当事者をめぐる状況は過酷だ。「一線を越えそうになる」という声もたびたび耳にしてきた。私の取材事例を通じて、社会に警鐘を鳴らしていきたい。

■険悪な兄妹
中部地方在住の増井十和さん(仮名・現在63歳)は、8年前から当時80歳の母親の介護のために夫と別居して、実家の近くのアパートに住んでいた。
母親の介護なら、なぜ実家に同居しないのか。それは実家の隣に住む兄が、特に理由もなく増井さんを嫌い、顔を見れば「出ていけ!」と怒鳴り散らすからだった。

増井さんと兄の関係は、子ども時分からよくなかったが、5年ほど前に兄が60歳で定年退職したあたりから最悪なものになっていた。
最愛の母親の介護に支障をきたしかねない事態だが、いったい何があったというのか。
■「ブタブタ」と悪態をつく兄
中部地方在住の増井さんは、アパレル系の会社で働く父親と、専業主婦の母親の間に長女として誕生。3歳上に兄、6歳下に弟がいた。
「もともと父は毛織物工場で働いていたのですが、オイルショックでリストラに遭い、職を転々としはじめました。私が中学生の頃くらいには、『家は貧乏だな』ということを家族全員が共有していました」
幼い頃はきょうだいの仲は悪くなかったが、増井さんが高校生になるかならないかの頃に、兄から「ブタブタ」と悪態をつかれたり、露骨に避けられたりするようになる。
「兄は、高校が合わなかったようで、孤立していたみたいです。母は、そんな兄に気を遣っていました。弟と兄は9歳違うのであまり接点がなく、弟は私に懐いていました。今も、母の病状など何かあれば話すのは弟と私だけです」
一度兄に「なぜ避けるのか?」と訊ねたことがあるが、「何となく」と言ってはぐらかされたという。
「父と私は思春期くらいの頃から会話がなくなり、20歳くらいの頃には言わなくてもいい軽口ばかりきいてくるため嫌うようになりました。父は私だけでなく、誰に対しても相手をバカにしたようなことしか言わないため、兄とはよく取っ組み合いの喧嘩になっていました。
それでも、(地元にある)モンキーパーク、御在所山(ございしょやま)(鈴鹿山脈の主峰)、大阪万博などに家族で行ったのは楽しかった思い出です。母は器用で、私に洋服をたくさん作ってくれました」
高校を卒業すると兄は大学に、増井さんは服飾系の専門学校に進学。その後、専門学校を卒業した増井さんはアパレル系の会社に技術職として入社。兄は大卒後、薬の商社に勤め、32歳で結婚。弟は大卒後に関東の会社に就職し、実家を出て29歳で結婚した。
増井さんは28歳になると、4歳上の会社員の男性と結婚し、実家を出てからしばらく仕事や子育てに忙しくしていたが、夫とのいい関係は長続きせず、30歳の時に2歳の娘を連れて離婚することに。実家に出戻って暮らすことは許されなかったこともあり、離婚した年に早々に再婚を決めた。相手は住宅設備の会社に勤める34歳だった。
実家から車で2時間半ほどの田舎で暮らしはじめ、1年後に女児に恵まれた。
■認知症が始まる
2015年3月の午後。78歳の母親が買い物帰りに自転車で転んだ。通りすがりの人たちが心配して助け起こそうとしてくれたが、「もうすぐ立つつもりだよ、大丈夫」と断ったそうだ。

しかし少し休んで立ち上がろうとしたところ、足に力が入らない。日中は暖かくなってきたがまだ3月。夕方には暗くなり、空気がひんやりしてくる。通りすがりの人が心配し、助け起こそうとしてくれた。今度は素直に応じ、助け起こしてもらったが、やはり自力で立てない。自分でもさすがに「おかしい」と思った母親は、救急車を呼んでもらった。
「病院から仕事中の兄に連絡がいき、家にいた兄嫁が入院の手続きをしたようです。私は翌日、母からの電話で知りました」
母親は、右大腿骨の手術と人工股関節置換手術をすることになり、2週間ほどの順番待ちを経て手術後は3週間入院。6年前の2009年10月に膝の手術を受けており、その時に身体障害者手帳3級を取得していたこともあってか、要介護認定調査を受けると、要支援2だった。
退院した母親は家にこもるようになり、父親が買ってきた食料品で簡単な料理をするという生活に。
「この頃から、私が実家に行くと床は埃だらけで、母の髪は伸び放題になっていて、かわいそうに感じました」
そして2016年春頃。79歳の母親から届くLINEの文章変換や文章がおかしくなってきた。

心配になった増井さん(当時55歳)が実家に行くと、その日の夕食は肉じゃがだという。しかし実際は、粉吹き芋に醤油がかかっただけものだった。
「認知症が始まったと思いました。驚きましたが、何も言わず食べました。パソコンも扱い、自分で描いた絵手紙を年賀状にする人だったので、突然の変化にショックを受けました。すぐに認知症に関する本を10冊ほど買って読み、ココナッツオイル、音楽、補聴器、散歩、デイサービスなど、良いと言われることは全て試しました」
■変わり者の父親と車椅子の母親
2016年4月~6月頃、増井さんは自宅と実家を何度も行き来した。27歳の長女は自宅通勤していたが、24歳の次女は家を出て関西の大学の修士課程に進んでいた。
84歳の父親は、動作はゆっくりになったが、自分のことはできる状態だった。
「父は好き嫌いが激しく、私が作った物を食べないだけでなく、野次を飛ばしてきたり嫌味を言ってきたりする変わり者でした。自転車で買い物に行き、『サトウのごはん』みたいなレンチンするご飯と、温めるだけのシュウマイ、オムレツ、コロッケなどを繰り返し食べていました。年々体力的につらそうでしたが、頭はしっかりしていましたし、相変わらず『そんなもん作るな!』『いつまでやっとる!』などと憎らしいことを言ってくるので放っておきました」
2016年7月。母親は突然足が痛いと言い出し、家の中でも歩くことができなくなった。
2015年に右大腿骨の手術をした時、「左も軟骨がすり減ってきているので、手術は時間の問題です」と言われていたことを思い出した。
増井さんは、すぐに関節置換手術の実績が多い病院を予約したが、順番待ちが多く、「手術は(3カ月後の)10月」と言われる。
「関節置換手術でそれくらい待つのは当たり前のようでした。その頃から私は、実家に住み込んで母の世話をするようになりました。夫は、初めは時に激しく、時にグチグチと言ってきましたが、私以外に介護をする人がいないのでしかたのない事でした。当時は姑と同居していて、夫には申しわけないですが、その環境から出られたのは少しうれしくもありました。長女は発達障害がありましたが、27歳ですし、『親子バラバラになってもいい年齢なのかな』とも思いました」
一方、義母は87歳で自宅近くの老人ホームに入り、一人っ子である夫が毎週モーニングに連れ出すなど、それぞれに最後の親孝行をする状態に。そして夫は定年になると、趣味や人との繋がりを増やし、一人で楽しむようになった。
増井さんが自宅用に車椅子を借りてくると、家の中でも母親は車椅子で移動するように。じっとしているよりマシだが、母親は自力では全く立ち上がることができず、自分で車椅子に乗ることもできない。そのため、トイレに行くときは必ず増井さんの介助が必須だ。
まだ世界がまっくらな深夜や明け方に容赦なくたたき起こされ、車椅子への移乗、ズボンの着脱、排泄介助……。
しかも夜に3度、4度と繰り返すこの重労働のため、増井さんは睡眠不足と疲労を蓄積させ、心身が限界まで削られていった。
だが、それはまだ介護の入り口に過ぎなかった。

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旦木 瑞穂(たんぎ・みずほ)

ノンフィクションライター・グラフィックデザイナー

愛知県出身。印刷会社や広告代理店でグラフィックデザイナー、アートディレクターなどを務め、2015年に独立。グルメ・イベント記事や、葬儀・お墓・介護など終活に関する連載の執筆のほか、パンフレットやガイドブックなどの企画編集、グラフィックデザイン、イラスト制作などを行う。主な執筆媒体は、東洋経済オンライン「子育てと介護 ダブルケアの現実」、毎日新聞出版『サンデー毎日「完璧な終活」』、産経新聞出版『終活読本ソナエ』、日経BP 日経ARIA「今から始める『親』のこと」、朝日新聞出版『AERA.』、鎌倉新書『月刊「仏事」』、高齢者住宅新聞社『エルダリープレス』、インプレス「シニアガイド」など。2023年12月に『毒母は連鎖する~子どもを「所有物扱い」する母親たち~』(光文社新書)刊行。

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(ノンフィクションライター・グラフィックデザイナー 旦木 瑞穂)
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