■イントロダクション
4年に一度開催される世界最大のサッカー大会であるFIFAワールドカップ(W杯)。2026年W杯は、米国、カナダ、メキシコによる史上初の3カ国共催となった。
強豪国やスター選手たちが躍動し、世界中の人々を熱狂させるW杯だが、そこには招致をめぐる各国の争いや思惑、国際政治や移民政策などが複雑に絡み合っている。
本書は、選手のプレーや監督の采配だけにとどまらないサッカーをめぐるさまざまな動きや潮流を「地政学」という切り口で読み解く。
とりわけW杯は、地政学、国際関係の縮図ともいえる。FIFA(国際サッカー連盟)の加盟協会(211)は国連の加盟国(193)より多く、W杯の視聴者数は世界人口の60%を超える。国家のイメージを向上させ、国力を誇示するかっこうの舞台といえるのだ。
著者はスポーツライター。2002年にスポーツ紙の通信員としてオランダへ移住。2003年から拠点をドイツに移す。2009年に帰国し、現在は『Number』『BRODY』『footballista』などに寄稿している。
1章 日本代表と地政学
2章 W杯と地政学
3章 ナショナルチームと地政学
4章 スター選手と英雄と地政学
5章 サッカーマネーと地政学
■開催地が「民主的」な選考で決まった大会
2010年南アフリカW杯の招致では、ワーナー元副会長ら3人が南アフリカ側から約12億円の賄賂を受け取った。そして最大のスキャンダルが発生したのが、2018年ロシアW杯と2022年カタールW杯の招致である。2015年、アメリカ政府の調査によってマーケティング会社からFIFA(国際サッカー連盟)理事らへの賄賂が明らかになり、14人がアメリカで起訴される歴史的な汚職事件に発展した。
この一連の汚職騒動を受け、FIFAは開催地選定の方式を大きく見直した。従来はFIFA理事24名の投票によって開催地を決めていたが、2026年W杯の選考からすべての加盟協会が投票権を持つ「1国1票」制度に変更したのだ。
さらに透明性を高めるため、各協会がどの国へ投票したかも公表されることになった。つまり、2026年W杯は初めて“民主的”な選考によって選ばれた歴史的な大会なのである。
2026年W杯招致に立候補したのは、3カ国共同招致のアメリカ・カナダ・メキシコ、そして単独招致のモロッコだ。「開催地となった大陸はその後2大会の立候補はできない」というルールがあるため、ヨーロッパとアジアは立候補できず、南米とオセアニアが手を挙げなかったため、北中米大陸とアフリカ大陸の一騎打ちとなった。
■“単独開催”を計画していたアメリカ
もともとアメリカは“単独開催”を計画していた。2022年W杯招致では当選濃厚と見られていた。ところが、2010年12月の最終投票でカタールに8対14で惜敗。
アメリカは「再び単独開催を目指すと反米感情を刺激する」と読んで、融和のイメージを打ち出したカナダ・メキシコとの共催案を本格的に検討。そして2016年、北中米カリブ海サッカー連盟会長を通して3カ国共催の可能性を公表したのだった。
迎えた2026年W杯選定の投票日――2018年6月13日。アメリカの読みは間違っていなかった。北中米カリブ海サッカー連盟の29協会は事前の約束を守り、すべて北中米開催に投票する。南米サッカー連盟の10協会のうちブラジルのみが合意を覆してモロッコに投票したが、他の9協会は約束通りアメリカに投票した。
投票の結果は、北中米開催134票に対して、モロッコ開催65票、終わってみれば北中米の圧勝だった。アメリカは2022年W杯招致に敗れたリベンジを見事に果たした。
FIFA理事のみによる投票から、すべての国が投票権を持つ制度に変わり、W杯招致は「買収型」から「外交型」に大きく変わった。これからは外交力やイメージ戦略が大きな鍵になる。アメリカのように共催を選ぶ国が増えていくだろう。
■フランスの「二刀流の育成モデル」
1998年W杯でフランスは自国開催のW杯で勝ち上がり、決勝でブラジルを破って初優勝を果たす。この優勝でクローズアップされたのが移民系選手の存在だ。
フランスでは移民コミュニティーは失業率が高く、差別や格差が社会問題になっていた。そんな中、ジネディーヌ・ジダン(アルジェリア系移民2世)らの活躍によるW杯優勝は希望の光となり、「レ・ブルー」(フランス代表の愛称)は移民統合の象徴になった。
いくら多様なルーツを持つ選手がいたとしても、彼らが正当に評価されてキャリアを積んでいけるとは限らない。重要なのは、出自に関係なく公平に才能を評価し、伸ばす仕組みである。
1988年、フランスサッカー連盟はパリから南西約50キロの地にクレールフォンテーヌ国立養成所を設立した。全国から13~15歳のタレントを集め、エリート教育を施すための施設だ。
平日は同養成所の寮で生活をして基礎技術やフィジカル能力を伸ばし、週末は近郊のクラブで実戦を積む。この二刀流の育成モデルによってティエリ・アンリ(グアドループ・マルティニーク系移民2世)は才能を開花させ、フランスのW杯初優勝の原動力となった。
フランスサッカー連盟はこのモデルを全土に広げ、現在では計15の施設でエリート教育を行っている。各クラブも育成に本腰を入れ、フランスは世界屈指のタレント大国へと成長していった。
多様な人材プール、平等な育成システム、そして社会的ハングリーさ。それらが掛け合わさることで、フランス代表の圧倒的な強さは構造的に生み出されている。
■ベルギーの12年にわたる暗黒期
現在、ベルギー代表はサッカー大国のひとつと言っていいだろう。2015年11月に初めてFIFAランキングで1位になり、2018年ロシアW杯では同国史上最高成績となる3位になった。
しかし、いまでは優勝候補に挙げられる国になったベルギーにも、12年にわたる暗黒期があった。2002年を最後に5大会連続でビッグトーナメント出場を逃し続けていたのである。
いったいベルギーで何が起こっていたのか? 結論から言えば、地政学的な衝突が団結を妨げていた。いわゆる「フラマン・ワロン問題」である。
ベルギーには、主に3つのエリアがある。オランダ語を話す北部(フラマン人)、フランス語を話す南部(ワロン人)、その混合のブリュッセル地域の3つだ。それぞれが自治権を持ち、まるで別の国のように地域への誇りが強い。特に南北は心理的距離が遠く、いまも独立の声が上がっている。
当然、ベルギーサッカー協会も南北で対立していた。たとえばオランダとベルギーで共催したEURO2000の収益を使い、2005年にナショナルトレーニングセンター建設計画が持ち上がった際には、どのエリアに建設するかで南北のサッカー協会が衝突。ことあるたびに決定に時間がかかって遅延を繰り返し、完成したのは2016年だった。
■レジェンドの代表監督就任が分岐点
だが、ひとりのレジェンドの代表監督就任が分岐点になる。元ベルギー代表のマルク・ビルモッツだ。現役時代はドイツのシャルケなどでプレーし、2002年W杯ではキャプテンとしてベルギーのベスト16進出に貢献した。ちなみにビルモッツ自身はフランス語圏で生まれたワロン人だが、妻はオランダ語圏出身のフラマン人。南北両方の感覚がわかる人物だ。
ビルモッツが代表監督としてまず着手したのが、協会内の大リストラだった。出身地域に捉われず、能力だけで評価したのである。
もちろん代表の飛躍は、監督ひとりでは成し遂げられない。2014年W杯に向けてタレントが噴き出すように現れた背景には、10年以上におよぶ国内クラブの育成投資があった。
先陣を切ったのは、フランス語圏のスタンダール・リエージュだった。1998年、南部の名門は経営危機に陥ったが、そのピンチが改革のチャンスとなる。マルセイユ(*オリンピック マルセイユ。フランスのマルセイユを本拠とするプロサッカークラブ)の大株主ロバート・ルイス=ドレフュスらが救済に乗り出し、育成アカデミーが設立された。エリート教育でW杯優勝を成し遂げたフランスのエッセンスが注入されたのである。
■多様性こそがベルギー最大の武器
一方、北部はオランダの力を借りた。99年、アントワープを拠点にするゲルミナル・ベールショットがアヤックス(*アヤックス アムステルダム。オランダのアムステルダムに本拠地を置くサッカークラブ)と提携。
南北それぞれ独立して模索したことが、結果的にフランスとオランダという異なるサッカー文化のレシピをベルギーにもたらすことになった。
元々、ベルギーにはコンゴ系、モロッコ系、マルティニーク系ら様々なルーツを持つ移民系選手がいる。その人材に仏蘭両方の育成方法が掛け合わされ、個性豊かなタレントが生まれるようになった。
ビルモッツはこの多様性こそがベルギー最大の武器だと考えた。「いろんなプレースタイルの選手が入ることで、ベルギーは予測不可能なチームになる」
ビルモッツのもと、ベルギーは2014年W杯で団結する。グループステージを3連勝で首位通過すると、決勝トーナメント1回戦で延長戦の末にアメリカを破り、28年ぶりの準々決勝進出を決めた。惜しくも準々決勝ではアルゼンチンに0対1で惜敗したが、ベルギーの新たな可能性を全世界にアピールした。
※「*」がついた注および補足はダイジェスト作成者によるもの
■コメントby SERENDIP
2030年W杯は、1930年にウルグアイで第1回大会を開催してから100周年を記念する大会となるが、「3+3カ国共催」という前代未聞の方式となる。すなわち、100周年を祝いウルグアイ、アルゼンチン、パラグアイで各1試合ずつ開幕戦を行い、その後スペイン、ポルトガル、モロッコで本大会を実施するという。開催地を決定する選挙で遺恨を残さないための折衷案ということだが、FIFA会長は「分断された世界でFIFAとサッカーは人々を結びつけている」と発言している。複雑化する国際情勢を踏まえた新たなW杯のあり方を、改めて議論すべき時なのかもしれない。
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