4泊5日で31万円、11日間なら62万円超。大型貸切バスはあえて使わず、全国の田舎道をひたすら歩くツアーに、欧米の富裕層が年間6800人以上も参加している。
彼らはなぜ大金を払って日本の集落をわざわざ訪れるのか。ジャーナリストの坂元隆さんが現地で取材した――。
■山奥の農村に外国人10人が集まった
初夏の日差しが感じられる朝、10人の外国人ツーリストが、大分県杵築市の山間部の集落、大田地区にある小さな木造平屋のオフィス「蝙蝠(こうもり)亭」の前に集まった。オーストラリア人の初老の夫婦、単独参加のカナダ人、シンガポール人の女性グループと国籍はさまざまだが、アウトドアのファッションに身を包み、リラックスした雰囲気だ。観光名所に詰めかけるインバウンド旅行客のイメージとは少し違う。
蝙蝠亭の周りに観光地の雰囲気はまったくない。農家が点在しているほかは、田畑や小川や山ばかりだ。以前は大田村と呼ばれた大田地区の人口は1000人足らず。65歳以上の高齢者が半数以上を占める。国連の世界農業遺産に認定されている地域とはいえ、日本人にとっては何の変哲もない農村だ。
「われわれのツアーはいつも人里離れたところ(off the beaten track)で行っています」。ツアーの主催者で、在日24年の英国人ポール・クリスティさん(64歳)がツアー参加者を前に英語であいさつすると、参加者一行は記念写真の撮影後、リトアニア人のツアーリーダー(添乗員)、イグナスさんを先頭に歩き始めた。
クリスティさんは、蝙蝠亭などを拠点に外国人向け旅行事業を展開している旅行会社「Walk Japan」の最高経営責任者(CEO)だ。
■「なぜ神棚と仏壇の両方があるのか」
田畑のなかを抜けて、標高300mほどの小さな山に入っていく。1時間余りのハイキングでクリスティさんやイグナスさんが周りの樹木や孟宗竹などの説明をする。山のふもとには切り出した原木を利用した椎茸の栽培場所があり、ツアーの参加者は栽培の手順などについて興味深そうに耳を傾けていた。
クリスティさんは樹木の樹齢や山桜の咲く場所などについて実にくわしく知っている。それも当然、この山自体がクリスティさんの所有なのだ。
山を下り切ったところに、昔ながらの農家があり、ツアーの参加者は母屋の広間に案内される。20畳くらいの日本間で、長押に先祖代々の写真が飾ってある。床の間には神棚、その横には仏壇がある。座卓を囲んで畳に座った参加者からは、初めて見る日本の農家について「なぜ神棚と仏壇の両方があるのか」「仏壇の扉はなぜ閉まっているのか」などさっそく質問が出る。イグナスさんは英語でこの地域の神仏習合の文化などを説明した。
■82歳の「えっちゃん」のもてなしに涙する人も
まもなく「えっちゃん」という愛称で親しまれている女主人の脇坂悦さん(82歳)が日本語で「いらっしゃい。
お茶とお菓子をどうぞ」とあいさつし、参加者全員に日本茶とお茶菓子をふるまった。Walk Japanのツアーの一環として数千人以上の外国人ツーリストをもてなしてきたえっちゃんだが、英語は話せない。それでも、ごく自然に参加者一行と心が通いあっているように見えるから不思議だ。
さきほど椎茸栽培を見学した参加者から「お気に入りの椎茸料理はなんですか」と問われると、「人参と揚げのおこわやな」と方言で答え、イグナスさんが椎茸ごはんについて英語で解説する。参加者はなんとなく想像がつくのか、うなずきながら聞いている。
えっちゃんの家でのもてなしに日本の文化の原点を感じるのか、参加者のなかには感激して、別れ際にえっちゃんの手を固く握って離さない人もいた。以前訪れた日系人のツアー参加者は先祖のぬくもりを感じてえっちゃんの前で泣き出してしまったという。一行は昼前にえっちゃんの家を辞し、マイクロバスで次の目的地である杵築市の武家屋敷の観光に向かった。
■日本人すら来ない場所に外国人がやってくる
この日集まった外国人ツーリストが参加したのはWalk Japanが企画した大分県の国東半島と湯布院をめぐる4泊5日のウォーキングツアーだ。参加者はJR中津駅で集合し、英語と日本語を話すガイドともに地元の温泉旅館などに泊まりながら、一部マイクロバスも利用しながら基本的には徒歩で移動し湯布院で現地解散する。訪ねる先は、宇佐神宮や湯布院の温泉町といった比較的有名な観光地もあるものの、大半は熊野摩崖仏、富貴寺、杵築市の武家屋敷、この日の大田地区といった日本人観光客ですら足を向けることの少ない場所だ。観光地をめぐるというより、日本の田園地帯を歩いて肌で感じるのがツアーの主な目的といえる。

Walk Japanは外国人顧客を対象とした日本向けツアー専門の旅行会社で、本社を香港に置くものの、企画や仕入れは大田地区に住むCEOのクリスティさんの指揮の下、日本の子会社とともに日本国内で行っている。創業34年と日本へのインバウンド事業の草分けだが、そのツアーのスタイルは外国や日本の旅行会社とはだいぶ違う。
ほとんどのツアーは、国東半島のようなoff the beaten trackのいなかを徒歩でめぐるウォーキングツアーだ。現地集合解散が原則で、徒歩以外の移動手段を使う時もローカル鉄道のような公共交通機関かマイクロバスなどに限られる。インバウンドのツアーでよくみる大型の貸切観光バスは使わない。「車内は外国人だけになってしまうし、車窓から見た景色では日本を見たことにならない」というクリスティさんの考えによるものだ。
■伊豆半島、四国のお遍路をひたすら歩く
ツアーの目的地は北海道から沖縄までさまざまで、中山道ツアーや伊豆半島をぐるっと回るツアー、四国のお遍路さんのルートをたどるツアーなどさまざまなプランが用意されている。日程のなかに有名観光地を含むものも少なくない。しかし、あくまでも主眼は徒歩で日本の田舎に触れることであり、ツアーの平均日数は9日間、多くの場合参加者は連日少なくとも数時間は歩くことになる。いわゆる大都市観光は東京2日間のプランなどごくわずかだ。
一つのツアーグループの人数は12人までと一般のインバウンドツアーよりぐっと少ない。1人しか参加者がいなくてもツアーの催行は保証されている。
大半のツアーには、日本の地理や歴史、文化に精通し、日本語と英語を話すツアーリーダーが同行する。ツアーリーダーは現在81人。Walk Japanではツアーリーダーの育成と確保に当初から力を入れており、毎年定期的に総会を開き、日本への理解を深めている。ツアーリーダーによって参加者は少人数で快適で安全なウォーキングを楽しむことができる。
■62万円払って京都→東京を歩く驚きのツアー
Walk Japanが最初に手掛けたツアーのひとつで、現在も人気の定番商品となっている中山道ツアーは、日本の旅行会社の国内ツアーではめったにお目にかからない10泊11日。全行程にツアーリーダーが付き添う。ツアーは、中山道の終点である京都市内に集合してスタート、街道の起点の東京・日本橋を目指す。まず、ローカル鉄道を使って、通常のインバウンドのツアーではあまり訪れない彦根と関ケ原を徒歩で回り、3日目に岐阜県内の宿場町、御嵩(みたけ)に入る。
ここからツアーのハイライトともいえる妻籠(つまご)、馬籠(まごめ)の両宿場町を含む合計90km近いルートを街道に沿って5日間かけて歩きとおす。宿泊は街道沿いの温泉旅館が中心だ。その後、鉄道移動をまじえながら御嶽山のふもとの開田高原を歩いたり、軽井沢を散策したりしたのちに、新幹線で東京まで移動、東京駅からツアーのゴールである日本橋まで歩いて解散となる。
ウォーキングツアーといっても単に歩きどおしではない。
ツアーリーダーが、「姫街道」とも呼ばれる中山道のいわれや、「本陣」などの江戸時代の街道のシステムなどをきめ細かく説明してくれ、安藤広重の美術館を訪問するなど観光の要所も外さない。余裕のある日程なので地元の人と交流する時間もたっぷりある。ここまで徹底的に中山道を堪能する機会は日本人にとってもまずないだろう。
ただし、旅行代金は1日1人あたり平均6~7万円と高額だ。中山道ツアーは62万円から68万円、私が一部同行させてもらった国東半島のツアーでも31万円以上かかる。日本までの往復航空運賃は含まれていない。空港の出迎えはないので、自力でツアーの集合場所まで行かなくてはならない。
■なぜ大金を使ってわざわざ田舎に行くのか?
普通の外国人にはかなりハードルが高いWalk Japanのツアーだが、日本旅行のリピーターの富裕層を中心にじわじわと売り上げは伸びている。ツアーの参加者数は、2019年に4342人だったのがコロナ禍で激減したものの、24年には6241人と回復し、25年は6830人とさらに増加した。参加者の国籍はアメリカ、オーストラリア、シンガポール、香港、イギリスと欧米豪が中心で、日本向けインバウンド旅行者の主流である韓国や中国、台湾の参加者が相対的に少ない。
なぜ彼らは大金を使ってあえて日本の田舎を目指すのか。
「素朴な田舎の風景を見て、そこにのんびりと生活する親切な人たちと触れ合うという体験、欧米人が今までのバケーションではあまり味わったことのない体験ができるからではないでしょうか」
旅行会社ジャルパックでパリやホノルルの駐在員をつとめたのち、10年以上にわたってWalk Japanの経営に携わり、現在もツアーリーダーの一人として活躍する玉置良吉さん(72歳)は話す。
田舎を歩くことで、大都市で働きアリのように暮らす日本人というイメージが良い意味で裏切られ、新たな発見をするというのだ。
■日本人は自国の美しさを知らない?
同じくベテランのツアーリーダーで商品開発にも関わる日本育ちの米国人マリオ・アントンさん(45歳)も、田舎に住む日本人の「やさしさ」にツアー参加者が魅了されると話す一方で、世界のさまざまな観光地を旅行してきたツアー参加者から国東半島などツアー訪問先の美しさが「世界級」だと指摘されて驚くことがあるという。「日本人は自分の国の美しさをもう少し意識したほうがいいですね」と話す。
「名所めぐりより日本人とのスキンシップを通じて日本の良さを世界中の人に味わってもらいたい」というクリスティさんの仕事への姿勢は日本の風土・文化と日本人への深い愛情に支えられている。
クリスティさんは、ロンドン大学ユニバーシティ・カレッジ・ロンドンを卒業後、日本語の勉強をするため1987年に初来日。川越市のホームステイ先に家族の一員として迎えられ、すっかり日本と日本人を好きになった。
ロンドンに戻ってからも日本の報道機関などで働き、日本と英国を往復する生活を続けるうち、香港大学の教授が1992年に設立したWalk Japanにツアーリーダーとして参加。2002年についに日本への移住を決意。最初から田舎に住みたいと考え、日本人の知人に紹介された大田地区を移住先に選んだ。同年、Walk JapanのCEOに就任して、自宅近くにオープンした蝙蝠亭などのオフィスを拠点に、現在のようなツアーを日本全国で企画・催行するようになった。
■テントで生活していたら、えっちゃんが食事を…
クリスティさんは移住にあたってえっちゃんの家の裏山を購入したものの、家はなく、テントで生活していたところに、えっちゃんが見かねて食事やふろを提供し、今のような付き合いが始まったという。現在では大田地区に家を構え、仕事のパートナーでもある妻の美保子さんと3人の子供とともに暮らす。
ツアーの企画でクリスティさんが徹底して心がけているのが、訪問する地域への利益還元だ。宿泊には外資系ホテルは使わず、地元の旅館やホテルを利用する。徒歩以外の移動手段が必要なときでも前述したように大型貸切バスを使わない。宿泊や移動のお金を極力地元に落とし、利益が外国や東京などの大都市に流れないよう配慮している。
「大田地区に限らず日本の地方は年々過疎化が深刻になっている。われわれがツアーを催行したり、オフィスを置いたりすることによって少しでも地域の活性化に役立てば」とクリスティさん。最近では大田地区を盛り上げるために、農地を買い取り、独自で農作業を行うプロジェクトも始めた。
■観光立国への一歩は集落から始まる
日本へのインバウンド旅行者数は、中東情勢や対中関係の悪化などで一時的にスローダウンしているものの、安全で観光資産の豊富な日本を目指す外国人が今後も増え続けるのは確実だ。観光立国を目指す政府は今春、第5次観光立国推進基本計画を策定し、これまで以上に「持続可能な観光産業の発展」を強調した。そのために提唱されているのが、オーバーツーリズムの緩和とインバウンド旅行者の地方への分散だ。
地方の観光資産を外国人の視点から掘り起こし、「少人数によるウォーキングツアー」という住民や環境にやさしい形で実施するクリスティさんの試みが、問題解決の方向性を示唆しているのは間違いない。まだまだ規模は小さいが、観光立国に向けての確実な一歩となっている。

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坂元 隆(さかもと・たかし)

ジャーナリスト

1983年読売新聞社に入社、国際報道記者としてニューデリーで3年、ワシントンで8年特派員を務める。経済部記者、国際部長、論説副委員長などを経て、2014年に読売旅行に。18年に社長、23年に会長に就任。また19年からは、月刊誌「旅行読売」を出版する旅行読売出版社の社長も兼ねた。25年に読売旅行退任後はフリージャーナリストとして主に観光・国際分野を取材している。

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(ジャーナリスト 坂元 隆)
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