糖尿病治療はどのような変化を遂げてきたのか。佐久市立国保浅間総合病院の糖尿病センター長の西森栄太さんは「糖尿病の病態解明の歴史は、体内での糖代謝の発見から、すい臓とインスリンの役割、遺伝的要因や人種によるリスクに至るまで、次々と新たな発見が重ねられてきた。
こうした知見の積み重ねにより、かつては『不治の病』とされた糖尿病も、治療と予防が可能な病気へと変わりつつある」という――。
※本稿は、西森栄太『2型糖尿病は寛解する!』(新星出版社)の一部を再編集したものです。
■日本人最初の糖尿病患者に起きた症状
日本で最初に糖尿病になったとされる歴史上の人物をご存じでしょうか?
それは、平安時代を代表する貴族、藤原道長です。彼の糖尿病の歴史は、平安時代に書かれた藤原実資の日記『小右記』に詳しく記録されています。この記録には、道長が糖尿病と思われる症状に悩んでいた様子が描かれています。
特に注目されるのは、彼が食事のたびに大量の水を飲み、なおも喉の渇きが続いたというエピソードです。これは現代でいう「多飲多尿」、つまり糖尿病の典型的な症状である高血糖状態によるものと考えられます。
また、道長の急激な体重減少も記録されており、これも糖尿病の進行に伴う特徴です。さらには、視力の低下(糖尿病網膜症や白内障の可能性)、胸の痛み(狭心症の可能性)、背中に大きな腫れ物(感染症の可能性)などの症状も記されています。
これらの症状を現代の医学知識に基づいて検証すると、藤原道長が糖尿病を患っていた可能性は非常に高いと言えます。
■前近代の医療と糖尿病の認識
藤原道長が生きた平安時代の日本では、まだ西洋医学や糖尿病に関する正確な知識は存在していませんでした。当時の医療は、中国から伝わった漢方医学が中心で、病気の原因は「気」や「体内のバランスの乱れ」によるものと考えられていました。

この中で、糖尿病は「消渇(しょうかつ)」として知られ、身体が渇ききってしまう病気とされていました。
糖尿病の発症が体内の代謝異常によるものであるという理解はなく、治療には主に食事制限や漢方薬、針灸などが用いられました。
藤原道長もこのような治療法を試みたと考えられますが、彼の病状は改善しなかったようです。治療法が限られていたため、道長は糖尿病による合併症が悪化し、最終的に62歳で亡くなったと推測されています。
その後、鎌倉時代や室町時代を通じて、日本における糖尿病に対する理解はほとんど進展しませんでした。しかし、江戸時代に入ると、糖尿病に対する関心が徐々に高まっていきます。特に、江戸時代後期に蘭学医たちがオランダを通じて西洋医学の知識を学び、糖尿病に関する理論が日本にも導入され始めました。
この頃、欧米では糖尿病は「diabetes(ダイアベティス)(※1)」と呼ばれており、日本語では「尿崩(にょうほう)」と訳されていました。これは、排尿が過剰になる症状を指しており、次第に「蜜尿病(みつにょうびょう)」として知られるようになっていきました。これは、糖尿病をもつ人の尿が甘く、糖を含んでいることに由来する名称です。
このように、糖尿病に対する理解は時代とともに少しずつ進化してきました。
平安時代には未知の病であった糖尿病が、江戸時代に西洋医学の影響を受けることで、徐々にその正体が明らかになっていったのです。
糖尿病の歴史は、医学の進展とともに、人々の生活に大きな変革をもたらしました。
■糖尿病の病態が次第に解明されて
糖尿病がどのようにして発症するのか、その病態が明らかになるまでには、長い歴史がありました。古代から糖尿病は「尿が甘い」「大量の尿が出る」といった症状で知られていましたが、その原因やメカニズムは謎のままでした。
19世紀から20世紀にかけて、医学と科学が発展する中で、糖尿病の病態も次第に解明されていきました。
糖尿病の初期理解:代謝異常としての糖尿病
糖尿病がただの多尿ではなく、体内の「代謝異常」による病気だと初めて理解されたのは19世紀にフランスの医師で生理学者のクロード・ベルナールによる肝臓の研究がきっかけでした。
それまで、血液の糖分は食事の糖質に由来し、空腹時には血液に糖分は存在しないと考えられていました。しかし、エサを一日中与えなかったイヌの血液に糖分が存在することを発見し、この糖分はどこからきているのかとの疑問をもち解明していきます。
そして、彼は肝臓が糖分をグリコーゲンとして貯蔵して、必要に応じて血液中に放出する役割を果たしているということを発見しました。これによって、糖尿病が体内の糖の代謝異常に関連する病気であるという新しい視点が生まれました。
ベルナールは、糖尿病のある人の肝臓が、通常以上に糖を血液中に放出していることを発見し、これが糖尿病の一因であると考えました。この発見は、糖尿病が単なる尿の問題ではなく、体内の代謝の問題であることを示す重要な一歩でした。
※1 diabetes(ダイアベティス):2023年、一般社団法人日本糖尿病学会とJADEC(公益社団法人日本糖尿病協会)は、国際的に用いられているダイアベティス(diabetes)を糖尿病の新しい呼称案とすることを発表した。
呼称の変更は、糖尿病をもつ患者さんに対する差別や偏見をなくし、病気への理解や積極的な治療への取り組みを進めることにもつながるとしている。
■糖尿病に苦しむ人々の希望の光
インスリンの発見と糖尿病治療の夜明け:すい臓の役割解明
糖尿病のメカニズム解明において、さらに大きな進展をもたらしたのは、すい臓がこの病気に関わっているという発見です。1889年、ドイツの研究者オスカー・ミンコフスキーとジョゼフ・フォン・メーリングは、すい臓を摘出したイヌが糖を含む多量の尿を出すという糖尿病の症状を示すことを確認しました。
これにより、すい臓が血糖値を調整する重要な役割を果たしていることが証明されました。
そして、1921年、カナダの若き外科医フレデリック・バンティングは、糖尿病の原因がα、β、δという細胞が集まる、すい臓の「ランゲルハンス島」にあると推測し、この部分の抽出に挑みました。
しかし、ランゲルハンス島から物質を取り出すのは至難の業でした。バンティングと助手の医学生チャールズ・ベストは、すい臓の消化酵素を避けながら慎重に解剖し、冷却しつつ抽出物を集めるという独自の方法を考案しました。
その努力が実り、抽出物を糖尿病のイヌに注射すると、血糖値が劇的に下がる効果が現れました。この抽出部は「インスリン」と名付けられ、糖尿病治療の切り札となり、糖尿病に苦しむ人々に希望の光をもたらしました。
バンティングとベストは糖尿病治療の新時代を切り開いたのです。
■インスリン分泌不全とインスリン抵抗性の発見
インスリンが1921年に発見されたことで、糖尿病は「治療可能な病気」へと変わり、さらにその病態の解明が急速に進みました。インスリンが血糖値を下げる役割を果たしていることがわかると、「なぜインスリンが不足したり効かなくなったりするのか?」という疑問が研究者の関心を引きました。

これを解明するために、糖尿病のある人の体内で起きているメカニズムの違いに注目が集まり、二つの異なるメカニズムが見えてきました。
一つは「インスリン分泌不全」です。これは、すい臓からインスリンがうまく分泌されない場合であり、血液中にインスリンが不足するために、血糖値が高くなる現象です。こうした分泌不全は、すい臓の特定の細胞が破壊されることで起き、現代では主に免疫系の異常が関与していると考えられています。
インスリンが分泌されないことで、体内の細胞に糖が届かず、エネルギー不足や急激な体重減少といった症状が出ることがわかりました。
もう一つのメカニズムが「インスリン抵抗性」です。これは、体内でインスリンが作られているにもかかわらず、細胞がインスリンに反応しにくくなる状態を指します。
20世紀後半に入ると、肥満や運動不足がインスリン抵抗性を引き起こす要因として注目されました。特に、生活習慣が糖尿病の発症や進行に大きく影響することが分かり、糖尿病が「生活習慣病」としても認識されるようになりました。
こうした病態の解明は、糖尿病の治療に革命をもたらし、インスリン注射だけでなく、生活習慣改善や薬物療法など、患者さんの症状や体質に応じたさまざまな治療法が開発されるきっかけとなりました。
■糖尿病の家族歴を持つ人の意識変容
糖尿病の病態には遺伝的要因が関与していることも重要です。
20世紀後半、科学者たちは家族や双子を対象とした調査を通じて、親や兄弟が糖尿病をもつ場合、他の家族も発症しやすいことを確認しました。
このことから、糖尿病には遺伝の影響があると考えられるようになり、糖尿病にかかりやすい「遺伝子」が関わっている可能性が示されました。
1990年代以降、DNA解析技術が進化したことで、糖尿病と関わる特定の遺伝子が発見され、インスリンを作る機能やインスリンに反応する能力に影響を与える遺伝子の変異が、糖尿病の発症リスクを高めることがわかってきました。
また、人種によっても糖尿病に関連する遺伝子の影響が異なることが明らかになっています。たとえば、欧米系では肥満やインスリン抵抗性が糖尿病リスクを高める要因となりやすいのに対し、東アジア人は比較的少ない体脂肪であっても、遺伝的にインスリン分泌不全が起こりやすい傾向があるため、糖尿病の発症リスクが高いことが報告されています。
このように、遺伝的要因の発見により、糖尿病の家族歴を持つ人が早く予防や健康的な生活を意識することの重要性が認識されました。
■「不治の病」から治療と予防が可能な病気へ
また、人種によるリスクの違いがあることも分かり、糖尿病予防や治療において人種ごとに異なるアプローチが有効だと考えられるようになりました。将来的には、遺伝子に基づいた個別の予防法や治療法が開発され、より効果的な糖尿病対策が期待されています。
こうして、糖尿病の病態解明の歴史は、体内での糖代謝の発見からすい臓とインスリンの役割、遺伝的要因や人種によるリスクに至るまで、次々と新たな発見が重ねられてきました。
こうした知見の積み重ねにより、かつては「不治の病」とされた糖尿病も、治療と予防が可能な病気へと変わりつつあります。
今後もさらに新しい治療法と予防策の発展が期待されています。

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西森 栄太(にしもり・えいた)

佐久市立国保浅間総合病院 内科部長(糖尿病内科)、糖尿病センター長、地域医療部長

1997年 東京大学大学院農学生命科学研究科修士課程修了。2005年 琉球大学医学部医学科卒業。
沖縄県立中部病院での研修を経て、2008年より沖縄県立南部医療センター・こども医療センター附属粟国診療所に勤務。粟国島あぐにじまの島医者としてプライマリ・ケアに従事。2011年から佐久市立国保浅間総合病院に勤務し、糖尿病診療を中心とした地域医療に取り組んでいる。日本糖尿病学会専門医・指導医、日本内科学会総合内科専門医・指導医、 日本プライマリ・ケア連合学会家庭医療専門医、日本医師会認定産業医。

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(佐久市立国保浅間総合病院 内科部長(糖尿病内科)、糖尿病センター長、地域医療部長 西森 栄太)
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