■書きたいこと=考えたいこと
【東畑開人(以下、東畑)】書きたいことというのは常にあるんですか?
【角田光代(以下、角田)】この時期(40代になった頃)はありましたね。出版社から依頼を受けて書いていて、順番があるので、「これが終わったら」「何年後くらいに」とか決まっていて。だから常に3、4個ぐらい先までは、これを書きたいということがありました。長編にしても短編にしても。
【東畑】書きたいことがあるというのは、つまりは何が自分の中にあるという感覚なのでしょうか。こういう物語があり得るのではないか、みたいな予感があるということ?
【角田】考えたいことがある、に近い感じですね。たぶんそれが小説のテーマなんですけど。たとえば『八日目の蟬(せみ)』だと、母性ってなんだろうというか、この社会があまりにも母性を信じていないか、「なんか母性に頼りすぎてない?」みたいなことをちゃんと考えたい。『ひそやかな花園』は人工授精の話なんですけど、それについて考えたいという気持ちがずっとあって。
【東畑】ああ、なるほど……。
■考えたいことは無限にあるわけではない
【角田】えっ、それはどんな?
【東畑】「カウンセリングとは何か」というのが、大学院以来の根本的な問いとしてあったんです。自分の仕事そのものなんですけど、ふしぎでしょうがなかった。それで、その謎を解くために、いろいろな本を書いて、ひとつずつ部分的で小さな答えを出していったんです。
それが20年積み重なって、この前ストレートに『カウンセリングとは何か』という本を書いてみたら、ちゃんと答えを出せた感じがして。カウンセリングというものにちゃんと触れることができたんだなという実感がありました。
学問というものは、やればやるほど次の問いが出てくると若い頃から言われていたんですが、この本を書き終えてみたら案外「もう終わったな」みたいな気持ちになっているんです。20年考えていると、それが正しいかどうかは別にして、僕なりの答えが出る。すると、考えたいことって、無限にあるわけではないのだなと最近思っていました。
もちろん、書き終わった虚脱感と達成感でそうなっている可能性もあるのですが、でも切実なんです。人生は続くわけなので、これからどうしたらいいんだろう、と。
■若い頃は「自分」しか書けなかった
【角田】たぶん私の中で、小説を書くこと=考えることなんですね。日常で考えたいこととは違うんです。それこそデビュー作から、家族って何、血縁である必要って何、みたいな疑問があって、それを考えたくて書いていた。書きながら考えても答えは結局出なくて、それには慣れてるんですけどね。そういう、小説を書かないと考えないことはかなりあって。なので私の場合、考えたいことがなくなった時が書けなくなる時だと思うんですよね。
【東畑】自己模倣に陥ったとおっしゃった時期は、ちゃんと考えることができなかったなという感覚なのですか?
【角田】純文学の雑誌で書いていたときは、年が若かったせいもあって「自分」しかないんですよ。当時、書くことで考えたいときは、自分の中を見て、一生懸命掘り出すみたいな感じだったんです。だけど、文体を変えてエンターテインメントを書くというときに同時に気づいちゃうのが、自分をこれ以上見てもなにも出てこないぞってことなんですね。行き詰まるだけだという。
20代の時は、見えるものしか書きたくなかったんです。見えないところを書いたら噓だとどこかで思っていたから。でもエンターテインメントを書くというのはたぶん、見えなくても書かなきゃいけないということで、世界がもうちょっと立体になったんだと思います。なので、行き詰まったときというのは、視点を動かさなかったという感じ。
■もう書き切ったという気持ちはないのか?
【東畑】なるほど、これ以上自分を見ても新しいものは見つからないと。それで世界を見るようになって、母性とは何かとか、実際の事件とかについて考えることが小説になっていった。世界が謎めいたものとして立ち現れてきた。
【角田】はい。
【東畑】さっきの僕の話だと、昔、定年間近の先生が「私にはカウンセリングがまだ何かわからない」みたいなことを言っていて、それぐらい深いものなんだろうなと思ってたんです。かっこいいですよね。確かにそういう面もあるんだけど、答えを出せる部分ももちろんあるんですよね。20年近く真面目にやっているわけで、カウンセリングとはこういうものだというのがある程度ないと、逆にプロとして仕事しているのにおかしいですから。
そういう意味で、案外テーマというのはちゃんと終わりがあるものなのかもしれないと最近思っていたんです。どうでしょうか? 角田さんの作品のテーマは「家族」と、やっぱり「女性」です。書ききったな、といった気持ちになることはないんでしょうか。
■今の30、40代も昔と同じ問題を抱えている
【角田】家族の問題だと、たとえば1990年に20代の人間が、家族ってそんなに大事かなとか、血縁の家族のなにが本当なんだろう、もっと緩やかな繫(つな)がりでいいんじゃないかって一生懸命考えていたとして、7、8年後には世の中が変わって、誰もそんなに血縁、血縁言ってない、みたいな状況になっているわけですよね。今はもう、家族観が35年前とは全然違うと思うんですよ。そうすると、前に考えてたことはもう昔になったというか。
【東畑】ああ、確かに。そうですね。世界が変わっていく。
【角田】『対岸の彼女』は、女性同士の友情って、子どもを産むとか産まないとか、働くとか働かないで変わっちゃうの? みたいなことを考えたいと思って書いたんです。この時は働く女性と専業主婦の対立がやけに目立つ社会でしたが、いまは男性も育児するようになったり、専業主婦が少なくなったりで、もう女性同士で罵倒し合ったりなんてしてないだろうと、もう終わったと思っていました。
でも最近、三宅香帆(みやけかほ)さんと対談をしたら「SNSでまだやってますよ」って言われてびっくりしちゃって。
■「書きたくても書けない」がわかるようになった
【角田】だからこの本、実はずっと売れていてありがたいんですけどね。だいたいの問題は私が考え終わる前に状況が変わってるんですけど、中には、時代は変わったと勝手に思っていたのに、「えっ、まだやってんの?」みたいな(笑)、「まだテーマなの?」みたいなものもあるかな。だから、自分の中で自然に終わっていくことはないような気がします。変わっていくものはあるかもしれないですけど。
【東畑】今のお話は1つは納得で、家族も働き方もどんどん変わっていくし、考えることは無限に出てくる、問題自体は次々と生まれてくる。それはそうだと思いました。でも、一方で、一人の人が無限に新しいことを考え続ける、謎と向き合い続けるって、すごく難しいことじゃないかなとも思うんです。
一人の人には1つのスタイルがあって、1つのスタイルで扱えるものには限界があるような気がするんですよね。謎は無限に生じ続けるが、こちらは有限。たとえるなら、持ってる包丁が一定だから、切れる謎は切れるんだけど、切れない謎も出てきちゃう。じゃあ切れるものを切っていこうというふうに、普通はなるかなと思うんです。
【角田】やっぱり新しくはならないですよね。包丁は包丁なので、切れるものと切れないものがあって。そもそも、私の目がいく対象が狭いんですよね。宇宙とか全然興味ないですし。これ書きたいな、考えたいなと思っても、絶対無理なものはもうわかります。
【東畑】はい。
■専門用語で裁判を描くことはできなかった
【角田】年を経るごとにわかってきます。これは他の作家さんが書けばいいや、みたいに。むしろ、ほとんどのことはそうですよね。ヤクザの話とか、ペットショップの闇とか、興味はあるけれどそれは個人として知りたいのであって、小説として私が扱えるものではない。それがわかってくるので、どんどん狭まっていくんです。
【東畑】逆に言うと、これなら私が考えられる問題なんじゃないかというのも見えてくるという話ですよね。たとえば『紙の月』でいうと、横領はいけるのではないかと思って……?
【角田】いや、横領は苦手分野ですね(笑)。でも、お金が介在する恋愛をどうしても書きたかったので、がんばって取材しました。それと、限界がいつもあります。たとえば『坂の途中の家』は裁判の話なんですけど、裁判用語を一切使ってないと指摘されたことがあって。
佐々木譲(ささきじょう)の『沈黙法廷』は法廷の言葉で書かれている小説なのですが、それを読んでいたときに、自分が専門用語を使わなかった理由がわかる感じがしました。さっきのたとえですと包丁が違うとはこういうことで、私にできないことがまさにそれだなと。私は関わった人の感想という形でしか裁判を書けなかったんです。
■書き続けられるのは「なりたかった職業」だから
【東畑】ここまで、考えたいことがあるから書き続けられているという角田さんに対して、僕は「考えたいことってなくなっちゃうんじゃないか」とずっと訊(き)いていますね。ずっと考えたいことがあるって、あんまり普通のことではないんじゃないかと思う。でも、角田さんは実際にそれをやり続けている。それがこの膨大な作品リストに表れていると思います。それってどういうことなのか、それを知りたいのだと思います。
ちょっと角度をずらして言うと、なぜそんなにずっと小説を書き続けられるんだろうかという素朴な問いです。そのモチベーションはなんなのだろうかと。普通の仕事だと異動したり、転職して仕事そのものを変えたりもするじゃないですか。ずっと同じことをやっていると飽きてくるし、辛抱強く同じことをやり続けるのは簡単じゃないと思うんです。
【角田】考え続けていられるのは、答えが出ないからではないかと思います。それこそ時代や年齢の変化によって、出たような気がしても、また変形した疑問が投げかけられる。それをなぜ小説を媒体にして考えたいかといえば、なりたかった職業だから、ということになるのかな......。
■小説1本の不安からパソコン教室に通った
【角田】小説を書きたいということと、考えたいということが、無意識にせよ、デビューしたころからセットになっていたんだと思います。しかもお医者さんとかと違って、小説家は書かなければ無職じゃないですか。私の場合はやっぱり、書かなければ作家じゃないという思いがある。何を書きたいとか以前に、書いてないと作家じゃないというのがあると思っています。
【東畑】なるほど。だとすると、作家であることというのはなんなんでしょうか。
【角田】えっと......仕事を持ってるってことですかね。仕事ってつまり、依頼があって、それを受け、報酬を得る。
【東畑】なんと(笑)。社会人としての小説家。でも、仕事って、一方にはお金のためにあって、でももう一方に、アイデンティティを支えるもの、自分であるために必要なものでもありますよね。その意味で、作家をやり続けることの価値とは、つまり、作家であることから何が得られるということなんでしょうか?
【角田】身分証明に近いと思うんです。別に何者でもなくていいんですけども、身分証明書がないと非常に不安な感じがするじゃないですか。そんな感じだと思います。
【東畑】不安になる?
【角田】心もとなさ、というんでしょうか。『方舟を燃やす』を書いた後に、私はこの仕事1本では食べていけないと本気で思って、パソコン教室に行ったんですよ。周りの生徒はおばあちゃんとかなんですけど、私は物分かりが早くて結構すぐできちゃうんです。
■プロになる前の「研修中」の辛さ
【角田】でもエクセルで塗り絵ができるなと思っても、これで私が生きていけるはずはないと思うんですよ。小説家という身分証明書を剝奪されて、エクセルを覚えなさいという、そういう心もとなさですね。しかも現実のエクセル界には塗り絵どころか、近未来みたいな技を使いこなす人がすでにたくさんいますよね。そんなところで「塗り絵できるようになりました」と言っても、相手にされませんよね。その丸腰感がこわいんだと思います。
【東畑】パソコン教室! 角田さんが行くんですね、すごいな。続けられなくなるかもしれないとそこまで思われた。話は核心に近づいてきますね。でも......すごくふしぎです。作家の他にはなにもできないということなんですか?
【角田】できますよ! 全然できます。エクセルも覚えが早いし(笑)。でも、これからその道のプロになるのは非常に難しい。たとえば接客だってできると思うんですけど、これから学んで接客のプロですって言えるまでには時間が掛かって、その時間を掛けてる間はまだ研修中みたいな状態じゃないですか。それが心もとない。
【東畑】職業があり、そのプロであるということが安心させてくれるということなんですか?
【角田】そうですね。その職業に実績があるということは安心材料になります。たとえ自信は持てなくても、どんなふうに何をやってきたかを自分は知っているわけですから。
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東畑 開人(とうはた・かいと)
臨床心理学者・臨床心理士・公認心理師
1983年、東京都生まれ。専門は、臨床心理学・精神分析・医療人類学。京都大学教育学部卒業、京都大学大学院教育学研究科博士後期課程修了。精神科クリニック勤務、十文字学園女子大学准教授を経て、白金高輪カウンセリングルーム主宰。博士(教育学)。2019年『居るのはつらいよ ケアとセラピーについての覚書』(医学書院)で第19回大佛次郎論壇賞受賞、紀伊國屋じんぶん大賞2020受賞。2026年『カウンセリングとは何か 変化するということ』(講談社現代新書)で新書大賞2026受賞。
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角田 光代(かくた・みつよ)
作家
1967年、神奈川県生まれ。90年『幸福な遊戯』で海燕新人文学賞を受賞しデビュー。2003年『空中庭園』で婦人公論文芸賞、05年『対岸の彼女』で直木賞、06年『ロック母』で川端康成文学賞、07年『八日目の蝉』で中央公論文芸賞を受賞するなど受賞歴多数。肉食偏愛の旅好きとしてもつとに有名で、食や旅にまつわるエッセイも多数執筆している。『源氏物語』の現代語訳(河出文庫)で読売文学賞を受賞。近刊に『方舟を燃やす』(新潮社)などがある。
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(臨床心理学者・臨床心理士・公認心理師 東畑 開人、作家 角田 光代)

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