※本稿は、9月発売予定の瀬木比呂志『法律家が見た日本社会の病理「空気」を打ち破る個と論理の構築へ』(KADOKAWA)の一部を再編集したものです。
■経済だけではない30年以上の日本の停滞
近年の日本の状況については、一般的には、バブル経済の崩壊以来すでに30年以上にわたって続いている経済の停滞が強調されることが多い。
しかしながら、私のみるところでは、本書『法律家が見た日本社会の病理「空気」を打ち破る個と論理の構築へ』のプロローグにも記したとおり、経済の停滞という問題は、より根本的な人と社会の問題の一つの現れ、目立った徴表にすぎない。
現在の日本では、政治、行政も、司法、ジャーナリズムを始めとする広義のチェック機構も、大学を始めとする研究・教育機関も、十分には機能していない。
のみならず、どの分野をとってみても、私が若かったころに比べてより進歩、洗練されてきたとは必ずしもいえず、むしろ、かなりの劣化を示すか、あるいは少なくともその兆候が現れつつある例が多いのである(なお、これらの分野について評価する場合、世界がここ数十年いわゆる発展途上国を中心に相当に進歩してきたのは事実なので、日本社会に多少の進歩、変化がみられたとしても、世界水準の進歩、変化との量的・質的な差が大きいとすれば、つまり、日本の進歩、変化が相対的に限られていたとすれば、それを過大に評価することはできない、という側面があると考える)。
■象徴的な最高裁右傾化の傾向
典型的な一例としてたとえば最高裁判所についてみると、1970年ころに始まった官僚化、保守化、右傾化の傾向が1980年代にはほぼ完了し、2000年代後半以降には、それまでの時代には曲がりなりにも保たれていた政治権力との距離すら縮まって、基本的には、裁判や司法行政が時々の政府の意向にそのまま沿うような傾向が顕著になっている。
なお、最高裁の右傾化に関連してふれておくと、その最初の中心人物であった石田和外(かずと)長官(任期1969-1973年)は、後に、右翼系団体といわれ関係者に統一教会と深いかかわりをもつ者も多い「日本会議」の前身の一つである「元号法制化実現国民会議」を結成し、その初代議長となった。また、やはり右翼的傾向の強かった三好達(とおる)長官(任期1995-1997年)は、後に、「日本会議」会長、「皇室の伝統を守る国民の会」会長を務めた。
しかし、退職後とはいえ、元最高裁長官がこうした思想的、政治的党派色の強い団体の長に就くことは、はたして適切であろうか。
■「法服を着た官僚」としての裁判官
日本の裁判所は、ことに1970年代以降には、権力補完機構としての性格を強める一方、権力チェック機構としてはあまり、あるいはほとんど機能してこなかったのであり、特に、最高裁判所については、その傾向が際立って強い。
海外の研究者からも、「日本の最高裁ほど違憲立法審査権の行使をためらう裁判所を世界中でほかに見出すことは困難」との評価さえ出ているほどなのである(デイヴィッド・S・ロー著、西川伸一訳『日本の最高裁を解剖する アメリカの研究者からみた日本の司法』〔現代人文社〕)。
このように、日本の裁判所は、裁判所のあるべき姿のみならず、日本の裁判所が到達しえたはずの裁判所の姿からも遠いといわざるをえないのだ。
戦前からそのまま引き継がれた官僚裁判官システムでは、裁判官は、実際には、行政官僚と同様に階層的な「出世」の階段を上ってゆく「役人」なのであり、気質的にも、独立・中立の判断官というよりは「法服を着た官僚」としての性格が強くなる。
そして、最高裁判所は裁判官の人事と給与の決定権を一手に握っており、かつ、裁判官の異動の範囲は全国にまたがるから、相当自覚的に良心的でかつ勇気ある人間でない限り、意識的に、あるいは無意識のうちに(こちらの例のほうがずっと多い)、当事者の方よりも最高裁、裁判所当局の方を向く「忖度(そんたく)裁判官」となっていってしまいやすいのである。
■「構造的な問題」を直視しない社会
以上のような日本の裁判所の問題が、個人の努力によっては左右しにくい部分の大きな「構造的な問題」であるのは、社会・人文科学を多少なりとも学んだことのある読者なら、理解されるのではないかと考える。
ところが、日本では、こうした「構造的な問題」から目をそらし、そのような立論に対し、「裁判官たる者、そのようなことがあってはならない。そういうことをいうのは、ためにする批判だ。いや、日本の裁判官は、決してそのような者ではない」といった感情的、情緒的な反応をする人々がかなり多いのだ。
たとえばこうした部分に、日本人と日本社会の根深い問題、つまり、「存在することが明らかな問題の本質から目をそらし、リアリズムをもってそれを直視しようとしないという態度」があるといえる。
以上は、私のよく知っている裁判所の例を引いたにすぎない。同様の傾向は、ほかの分野でもままみられるのだ。
■息も絶え絶えな日本社会の劣化状態
本書の第3章で述べるとおり、政治の劣化は、たとえば自民党についてみるなら、かつてのそれを支えていた「保守本流」としての気概の喪失、ポピュリズム的な色彩の強い右傾化傾向、社会的問題が山積しているアメリカの支配層の意向に防衛のみならず経済面でも迎合する傾向等に明らかだし、野党の劣化、無力化も否めない。
行政官僚については、もはや良質な人材の確保自体がかなり困難になってきている危機的な状況である。
マスメディアも、司法と同様、権力チェック機構の役割を果たせていない。国立大学は、法人化、文部科学省の財政的な締め付け、第3章でふれる「選択と集中」政策等により、息も絶え絶えの状態である。
経済、経営については、いうまでもないであろう。雇用、労働のあり方についても、問題が大きい。長時間労働(改善をいう声もあるが、本書で後記のとおり本当にそうなのかは疑問)、低い労働生産性、上がらない賃金、流動性に乏しい労働市場、閉塞(へいそく)的な職場環境等、いいところがあまりない状況となっている。
日本型経営のかつての長所がことごとくカードを裏返すように反転し、その多くがむしろ短所になってきているのだ。
以上のとおり、経営、政治、行政、司法と、国の根幹となるべき4つの機能の不全状態が起きているのが、日本の現状なのである。
■社会改革に至らない「システムの欠落」
制度改革についても、大半がうまくいっていない。政治改革、司法制度改革しかりである。
また、海外からは、「日本社会には相当の厚みをもった人的資源が顕在的にも潜在的にも存在するのにそれが有効に用いられていない。それらを掘り起こし、また伸ばすためのシステムが欠けている」との批判があり、これも事実であろう。日本の自然科学が急速に退潮しているといわれる事態の背景にあるのも、この問題である。
さらにいえば、ここまでの記述はすべてシステムの問題であるところ、日本の場合、やはり裁判官を一典型として、システムのみならずそれを構成する個人にもまた大きな問題のあることは否定しにくい。この点についても本書で詳しく分析するが、煎じ詰めれば、それは、「個」の弱さ、「論理」の不足という二つの柱に帰着する問題ともいえよう。
■求められる「個と論理の確立」とは何か
また、前記のような事態を避けるためには当然に押さえられているべき「近代的なものの見方・考え方や認識方法の基本」が押さえられていない場合がままあるのも、大きな問題である。
なぜなら、近代的思考の基本は、個の確立、論理の一貫性、事実認識の厳密さ、権力や制度の透明性といった「複雑な現代社会を適切に運営しかつ危機を回避するための最低限の前提条件の基盤」だからである。それが欠ければ、個人も集団も、空気や情動に流され、問題を構造的に把握できず、結果として、停滞や危機を避けることができない。
個人と集団の問題は、社会、制度、危機管理の問題につながっており、また、それらの背後には、論理や思想、リアリズムや近代的経験論の弱さという、より根の深い問題が控えているのだ。
こうした問題の全体を可視化し、認識し、変えてゆくように努めない限り、たとえば経済成長だけをターゲットにしてそれを実現しようとしても、氷山のうちの水面上に出ている部分だけをいじくり回すような結果に終わる可能性が高いだろう。経済関係に限らず、近年の日本の政策や制度改革の多くが失敗しているのは、このことが原因ではないかと思われるのである。
----------
瀬木 比呂志(せぎ・ひろし)
明治大学名誉教授
1954年、愛知県名古屋市生まれ。東京大学法学部在学中に司法試験に合格。79年以降、裁判官として東京地裁、最高裁等に勤務。2012年より現職。
----------
(明治大学名誉教授 瀬木 比呂志)

![[のどぬ~るぬれマスク] 【Amazon.co.jp限定】 【まとめ買い】 昼夜兼用立体 ハーブ&ユーカリの香り 3セット×4個(おまけ付き)](https://m.media-amazon.com/images/I/51Q-T7qhTGL._SL500_.jpg)
![[のどぬ~るぬれマスク] 【Amazon.co.jp限定】 【まとめ買い】 就寝立体タイプ 無香料 3セット×4個(おまけ付き)](https://m.media-amazon.com/images/I/51pV-1+GeGL._SL500_.jpg)







![NHKラジオ ラジオビジネス英語 2024年 9月号 [雑誌] (NHKテキスト)](https://m.media-amazon.com/images/I/51Ku32P5LhL._SL500_.jpg)
