※本稿は村上茂久『最高の教訓 倒産』(大和書房)の一部を抜粋、再編集したものです。
■そごう・西武の買収劇から3年
企業価値を高めることは、株主にとっても望ましい。理論上は、そう説明されることが多いでしょう。では、企業価値と株主価値はどう違うのか。改めてこの問いを投げかけられるとうまく答えられない人もいるかもしれません。
事業譲渡や再生の現場では、企業価値と株主価値が大きく乖離している場面が数多く見られます。特にファンドが関与する局面では、そのズレが顕在化しやすくなります。
そごう・西武の事例は、こうしたズレを象徴するケースです。事業としての価値、資産としての価値、そして株主にとっての価値。
2023年8月31日、セブン&アイHDの傘下にあった「そごう・西武」の株式が、アメリカの投資ファンドのフォートレス・インベストメント・グループ(以下、フォートレス)に売却されました※。
※著者註:フォートレスはかつてソフトバンクグループの傘下にありましたが、ソフトバンクグループは2023年5月に同社株式の約90%を、アブダビの政府系ファンド「ムバダラ・インベストメント」とフォートレス経営陣に売却しています。
報道によれば、その金額は8,500万円。いまや都内では1億円のタワーマンションも珍しくありませんから、老舗デパートが8,500万円と聞くと、ずいぶん安い金額だなと感じます。そごう・西武の株式は、なぜこれほど安い金額でフォートレスに売却されてしまったのでしょうか。
以下では、セブン&アイHDからフォートレスに売却されたそごう・西武について、ファンドのビジネスモデルも含めて考察をします。
■純資産は267億あった…
まずは、そごう・西武の過去4期分の業績について確認しておきましょう。図表1はそごう・西武のP/L(損益計算書)から、営業利益および当期純損益の推移を示したものです。
そごう・西武は過去4年間の平均で100億円以上の当期純損失を計上しています。営業利益については、フォートレスに売却される直前の2023年2月期の決算では黒字化して25億円の利益が出ていますが、依然として業績が厳しいことに変わりはありませんでした。
次にそごう・西武のB/S(貸借対照表)を見ていきましょう。
2023年2月28日時点におけるそごう・西武の総資産は4,029億円。内訳としては、資産全体の14%を流動資産(565億円)が、86%を固定資産(3,464億円)が占めています。一方、負債・純資産側を見ると、流動負債と固定負債を合わせて負債が全体の93%を占め、純資産はわずか7%(267億円)です。
純資産は株主に帰属する価値であり、会計上の簿価は267億円。今回のケースでは、この純資産が、フォートレスに8,500万円という金額で売却されたということになります。いったいなぜ、こんなことになってしまうのでしょうか?
■会計的視点とファイナンス的視点の齟齬
ここまで見てきたP/LとB/Sはあくまで会計的な視点です。この会計的視点をファイナンス的に“通訳”することで、今回の買収額の秘密が見えてきます。
そもそも「会計における総資産」と「ファイナンスにおける企業価値」、そして「会計における純資産」と「ファイナンスにおける株主価値」はイコールではありません。
「企業価値」とは、ざっくりいうと、企業が将来生み出すと予想されるキャッシュフローの割引現在価値の合計額(事業価値)に、非事業性資産の時価(非事業価値)を合計したものになります。
イメージとしては、P/Lから将来生み出すキャッシュフローを予想し、現在価値に割り引いて合計したうえで、企業のB/Sの非事業性資産を時価で表現し、それを足し合わせたもの。それが企業価値です。
なお、この企業価値を計算する際によく使われるのが、EBITDA※です。
※編集部註
Earnings Before Interest, Taxes, Depreciation and Amortizationの略。金利支払い前、税金支払い前、有形固定資産の減価償却費及び無形固定資産の償却費控除前の利益を指す。買収価格の目安などとされる。
資産と同様、負債も時価で表現することができます。これが「負債価値」(もしくは、債権者価値)です。そして、企業価値から負債価値を引いたものが「株主価値」になります。
この株主価値は、上場企業における時価総額、未上場のスタートアップ企業ならばバリュエーション(Valuation)を意味します。
さて、話をそごう・西武に戻しましょう。
■総資産の約9割が負債だった。
今回のそごう・西武のケースで考えると、会計上のB/Sにおける総資産は4,029 億円、負債は3,761億円で、そのうち有利子負債が2,938億円、そして純資産が267億円です。
一方で、2023年9月1日付の日本経済新聞は次のように報道していました。
「そごう・西武の企業価値を約2,200億円と算出したが、そごう・西武の有利子負債などを考慮して株式の売却額である譲渡額を8,500万円と見込んだ。
セブンが貸付金を放棄した後のそごう・西武単体の有利子負債は約2,000億円。セブンはそごう・西武の企業価値2,200億円から同社の有利子負債を差し引き、運転資本にかかる調整などを経た株式譲渡価額を8,500万円と見込む」
つまり、企業価値は2,200億円、有利子負債は約2,000億円となり、運転資本にかかる調整を踏まえて株主価値を計算すると8,500万円ということです。これを図で表すと次のようになります。
そごう・西武の株式の持分が8,500万円で売られたとなると、非常に安く感じるかもしれません。
しかし正確には、企業全体としての価値は2,200億円と見込まれており、そこから負債価値2,000億円と運転資本の調整が入った結果、株主価値が8,500万円と算出された、ということなのです。
ただし、会計上のB/Sでは4,029億円の資産があるのに、企業価値はその半額近くになってしまっているということは、そごう・西武の価値がそれだけ低く見積もられているということでもあります。
その理由を端的に言えば、同社が将来生み出すキャッシュフローはそれほど多くないだろうと見なされているからです。
■フォートレス、企業価値以上の借り入れのワケ
さて、株主価値(時価総額)8,500万円とはいえ、そごう・西武には借入があります。そのまま株式だけを8,500万円で購入したとしても、既存の債権者とのやりとりが大変になってしまいます。
そこでフォートレスは、そごう・西武の買収に際して約2,300億円をメガバンクから借り入れています。この借入には、株式価値8,500万円も含まれていると予想されます。
つまり、フォートレスは、そごう・西武の株式の時価8,500万円を手に入れるにあたり、メガバンクからのフルローンで対応したということです。こうすることで、フォートレスは既存の借入をすべてメガバンクのローンに置き換えるとともに、そごう・西武の株式も手に入れることができました。
また、セブン&アイHDはそごう・西武に対して有していた約900億円の債権を放棄しました。この有利子負債がそのままだと、株主価値はマイナスになってしまいます。だからセブン&アイHDは債権を放棄する必要があったのです。
なお先述のように、そごう・西武の企業価値2,200億円に対して、フォートレスがメガバンクから借り入れたのは約2,300億円と、企業価値以上の借入をしています。これはなぜでしょうか?
日本経済新聞の報道によれば、その理由は、銀行から借り入れた2,300億円のうち約200億円を、株式会社セブン・フィナンシャルサービスが51%を出資する株式会社セブンCSカードサービス(以下、セブンCSカードサービス)の株式買い取り資金に充てるためです。
■不動産の価値は約3000億円だった…
セブンCSカードサービスは、西武系のクレジットカード業務を担っている企業です。おそらくフォートレスは、そごう・西武を買収するにあたり、セブンCSカードサービスの持分もセットで購入したのでしょう。セブン&アイHDとしても、西武系のカード会社を保有し続けていても事業展開の見通しが立たないという事情があったものと推察します。
考察① セブン&アイHDが西武池袋本店を3,000億円弱で売却しなかった理由
話はこれで終わりません。フォートレスは2023年9月1日、そごう・西武が保有する西武池袋本店等を3,000億円弱で株式会社ヨドバシホールディングス(以下、ヨドバシカメラ)に売却すると発表しました。
そごう・西武の企業価値は2,200億円と見積もられており、その中には当然、西武池袋本店の資産も含まれています。この資産価値が3,000億円近くあるなら、そごう・西武の企業価値も同様の金額になってしかるべきです。
にもかかわらず、そごう・西武の企業価値は2,200億円と算定され、フォートレスは8,500万円という株主価値でそごう・西武を買収した――。このディールはいろいろと謎が多く、ここからは推察の域を出ませんが、それぞれのステークホルダーの観点から状況を把握していきましょう。
■地域住民から反対される…
まずは売り手であるセブン&アイHDの立場です。そごう・西武は当期純利益ベースでは4期連続の赤字です。さらにそごう・西武への貸付も、2023年7月末時点で1,659億円もあります。有限なリソースを成長分野に投資したいのはどの企業にとっても当然のこと。
セブン&アイHDが、注力すべき投資分野からそごう・西武を外して譲渡を決めたのは、致し方ない判断だったと言えるでしょう。実際、セブン&アイHDは2025年3月には、イトーヨーカードー等のスーパーマーケット事業もファンドであるベインキャピタルに譲渡をしています(厳密には、譲渡後にセブン&アイHDは、新設会社に40%の出資を行う)。
ただ、セブン&アイHDがそごう・西武を譲渡するとなれば、それは労働組合や西武池袋本店がある豊島区の地域コミュニティを巻き込む事態にもなるため、慎重に対応をする必要がありました。
仮に西武池袋本店等の価値が3,000億円近くあったとしても、セブン&アイHDがその金額のままでヨドバシカメラに売るのは、レピュテーション(評判)の観点から難しかったと考えられます。西武池袋本店等を3,000億円近くで売却できていたら、セブン&アイHDのもとには債権放棄をした貸付金900億円の一部は返ってきたはずです。
でも、そうしなかった(できなかった)ということは、地域住民の反対などステークホルダーを含めた対応の難しさがあったのだろうと推察できます。
■外資ファンドが狙っていたこと
考察② フォートレスが裏で描いていた絵
筆者はリーマンショック前の2008年前後から5年間ほど、不良債権投資業務に携わっていました。不良債権投資とは、メガバンク等の金融機関が不良債権化したローンの債権を外資系ファンドに売却し、外資系ファンドはローンの担保である不動産等を売却して資金を回収するというビジネスです。
たとえば、銀行が企業に対して不動産を担保に10億円のローンを出したとします。当初は担保である不動産の価値が10億円あったものの、バブル崩壊により価値が5億円まで下がったとしましょう。銀行としては、そのまま担保を処分すれば5億円を回収できます。ですが実際には、レピュテーションやこれまでの関係もあり、これを実行するのは極めて困難です。
そこで銀行は10億円の債権を、外資系ファンドに対して4億円で売ったとします。こうすれば、銀行は6億円を回収することはできなくなるものの、すぐに4億円を回収できます。その後、4億円でローンを購入した外資系ファンドは、債務者と時間をかけて交渉し、担保を売却して、5億円を回収します。外資系ファンドからすれば、4億円でローンを仕入れ、担保物件の売却を通じて5億円を回収し、1億円の儲けを出す、という仕組みです。
フォートレスには、このような不動産関連の不良債権投資で数多くの実績があります。今回、フォートレスはヨドバシカメラと組んで、そごう・西武の企業価値を2,200億円とし、西武池袋本店等をヨドバシカメラに3,000億円弱で売却するという絵を描いたものと予想されます。
■実はウィンウィンだった
ヨドバシカメラから受け取る3,000億円弱のうち、2,300億円は借入を行ったメガバンクに返済することになります。
メガバンクとしては、西武池袋本店等がヨドバシカメラに3,000億円弱で売却されることはあらかじめ認識していたはずなので、これはブリッジローン(つなぎ融資)というリスクが極めて小さい取引になります。そもそもの融資元本が大きいので、期間が短くても絶対額にすればそれなりの金利収入になります。
ヨドバシカメラに売却した資金でメガバンクに借入を返済することで、フォートレスが買収したそごう・西武は、なんと無借金経営になります。
ただ、繰り返しになりますが、そごう・西武が直接ヨドバシカメラに池袋本店等を3,000億円弱で売ることは、地域との関係性やレピュテーションの観点からやはり現実的ではありません。そこへフォートレスが間に入ることで物事がうまく進むようになったという点は、強調してもし過ぎることはありません。
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村上 茂久(むらかみ・しげひさ)
ファインディールズ代表
GOB Incubation Partners CFO。iU情報経営イノベーション専門職大学客員教授。経済学研究科の大学院(修士課程)を修了後、金融機関でストラクチャードファイナンス業務を中心に、証券化、不動産投資、不良債権投資、プロジェクトファイナンス、ファンド投資業務等に従事する。2018年9月よりGOB Incubation PartnersのCFOとして新規事業の開発及び起業の支援等を実施。加えて、複数のスタートアップ企業等の財務や法務等の支援も手掛ける。2021年1月に財務コンサルティング等を行うファインディールズを創業。
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(ファインディールズ代表 村上 茂久)

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