■小泉内閣で策定されて以来の「方向転換」
止まらない物価上昇で経済への国民の関心が高まる中で、「何がやりたいのか分からない」「対症療法ばかりだ」と批判されてきた高市早苗首相。その経済政策の方向性が明らかになってきた。
経済財政運営と改革の基本方針2026」いわゆる「骨太の方針」で、その姿が鮮明になってきたのだ。
これほど「骨太の方針」が注目されたのも久しぶりだ。「骨太の方針」は政府が毎年6月に閣議決定し、1年間の経済政策の大筋を示す。ここ数年、それぞれの役所が出した政策を単にひとつにまとめる「ホチキス」と揶揄されるようなものが続いてきた。ところが、今年は様相が全く違った。これまでの政府と、明らかに2つの点で方向性が大きく転換されたのだ。小泉純一郎内閣で初めて策定されて以来の「方向転換」と言っても過言ではない。
転換のひとつ目は「財政健全化」に対する方向性だ。
今年の「骨太の方針」は策定に手間取り、6月末になって、ようやく原案が示された。ところが、その中に「『強い経済』の実現に向けては、適切な金融政策運営が行われることも非常に重要」という一文が記されていた。積極財政を掲げる高市内閣は、日銀が進めようとしている利上げに反対し、それを牽制しているのではないか。そんな疑念が金融市場に広がった。
財政健全化の後退懸念から円安・債券安が一気に進む事態となり、10年国債利回りは、一時2.9%と約30年ぶりの水準にまで達した。市場では「骨太ショック」とまで呼ばれた。
■歴代内閣の目標を取り下げた
結局、例年よりも1カ月遅い7月21日に閣議決定された最終版では表現が修正された。「『強い経済』の実現に向けては」と「適切な金融政策運営が行われることが非常に重要」の間に、「『安定的な物価上昇』の実現に資する」という一文を加えたほか、「政府は、引き続き、日本銀行と緊密に連携し」と、あくまで日銀の独立性に配慮する姿勢を示したように見える。
だが、「財政健全化」に対する姿勢を変えたことは明らかだった。高市首相がこだわる「積極財政への転換」に向けて、「基礎的財政収支(プライマリー・バランス=PB)の黒字化」という歴代内閣が掲げてきた目標を取り下げたのだ。国会閉幕後の首相の記者会見などでもこの点に質問が集まったが、首相は「国際基準に合わせた『財政の持続可能性』を重視する」とし、「債務残高対GDP比の安定的低下」を目指すとした。
新聞各紙は、「下ろされた『健全化の旗』 高市政権で転換した財政運営 骨太の方針」(朝日新聞)、「『財政健全化』初めて言及なし 高市政権、骨太の方針決定」(毎日新聞)と批判的に報じた。
アベノミクスの「成長戦略」とはまるで違う
もうひとつ、大きな「方向転換」が明らかになった。政府が積極的に財政支出をして強い産業を支援するとしたことだ。2040年度までに戦略17分野に官民で累計370兆円超の投資をすることで「強い経済」を実現すると骨太の方針に明記された。
一見するとかつて安倍晋三首相がアベノミクスで打ち出した「成長戦略」に似ているように思える。
だが、実際はアベノミクスとは180度方向が違う。アベノミクスは「3本目の矢」で「民間投資を喚起する成長戦略」を掲げた。その手法として「一丁目一番地」として規制改革を打ち出し、岩盤規制を安倍首相がドリルとなって打ち砕き、民間活力を取り戻すとした。つまり、安倍首相は「官」の役割を小さくすることで民の力を最大限発揮させようとしたのだ。
これを高市首相は大転換したわけだ。高市首相は会見でこう語っている。
「世界を見渡せば、『国が一歩前に』出て、官民が手を取り合って重要な社会課題の解決を目指す『新たな産業政策』が大きな潮流となっています」。
これが高市内閣の基本認識のようだ。もはや、グローバル化の中で規制緩和や自由化で民間企業が自力で戦う時代は終わりを告げ、政府が先頭に立って「未来への投資」を行う時代になったというのである。城山三郎の小説『官僚たちの夏』で描いた霞が関主導の産業政策が再び求められる時代が来た、ということだろうか。
■「タブー」の一線を越えてしまった
日本経済新聞は骨太の方針が閣議決定された7月21日に、「成長企業に補助金拠出 政府が骨太方針決定、国主導で供給力拡大」というタイトルの記事を掲載した。これまで個別企業への補助金拠出は霞が関のタブーだったが、その一線を越えたことも記事には書かれている。
こんな具合だ。
「歴代政権はこれまで個別企業への補助金を当初予算に盛り込むのに慎重だった。企業が技術をテコにリードしても、巨額補助金を国が投じる中国などに追い抜かれて事業から撤退する事態が続いてきた。高市政権は救済目的でなく、供給力の拡大をめざした補助金を出す。単年度にとどまらず複数年度にわたった支援を企業に実施し、企業が設備投資をしやすい環境を整える。新たに「『強く豊かな日本』投資枠」を創設する」
■「産業育成」として投じられてきた税金
この方向転換について、経団連の筒井会長は評価するコメントを発表している。「『強い経済』を実現するための政策枠組みの大転換が打ち出され、画期的な内容となっている。これまでの投資不足の流れを断ち切り、潜在成長率を高めるとの方針は、経団連が掲げる『投資牽引型経済』と軌を一にするものであり、高く評価したい」
日本企業は巨額の内部留保を抱えている。期待できる成長分野があれば、そこに投資するのが企業だ。投資不足だった責任は政府ではなく企業にあるはずだが、政府が税金で企業に投資することを歓迎するというのはどういうことだろう。政府が投資をすれば、それにつれて民間企業も投資に積極的になれるというのだろうか。
これまでも霞が関は「産業育成」の美名の下、税金を産業分野に投じてきた。
古くは石油開発のための「石油公団」の投資に始まり、半導体メモリー事業を統合したエルピーダメモリ、シャープの液晶パネル工場への多額の補助金や、液晶事業を統合したジャパンディスプレイ、有機ELパネルのJOLED、最近ではクールジャパン機構(海外需要開拓支援機構)など、官主導の投資での失敗例は枚挙にいとまがない。
■失敗の教訓を忘れたかのような主張
言わずもがなだが、税金を原資とする国の資金は本来の出し手である国民と、投資先経営者との間の距離が遠いため、株主からの経営者に対する規律が働きにくい。緩い経営に陥るのだ。儲かる事業なら、国が出さなくても企業は自分で投資するが、国が乗り出すということは、成功が難しいということでもある。難局を打破しようという経営者の気概はこうした官民共同の企業では生まれにくいのだ。
そんな失敗の教訓を忘れたかのように、巨額の投資をすれば経済が立ち直ると主張しているのだ。しかも、財政上の制約を外すために、PB黒字化という目標を、債務残高の対GDP比に置き換えた。これも分母のGDPが大きく増えてきたため、指標として都合が良いからだろう。物価が上昇すればGDPの絶対額はその分増える。インフレが進めば、それに従って借金できる額も増えるというわけだ。
収入から支出を引いた財政収支を黒字に保とうというのは当たり前のことだ。国債の多くは国内の投資家や個人が持つので、財政破綻することはない、という説明は理解できる。
だが、財政が悪化すれば、為替に影響し、円安が止まらなくなる。さらに輸入物価が上昇し、国内物価にも跳ね返る。インフレで見た目のGDPは増えるかもしれないが、それが「強い経済」なのか。
財政赤字が改善される気配がないままに、官主導の産業育成に巨額の資金を投じ、それが成功しなければ、国力は一気に衰えることになりかねない。高市内閣の官民共同による巨額投資は、危うい賭けのように思える。

----------

磯山 友幸(いそやま・ともゆき)

経済ジャーナリスト

千葉商科大学教授。1962年生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業。日本経済新聞で証券部記者、同部次長、チューリヒ支局長、フランクフルト支局長、「日経ビジネス」副編集長・編集委員などを務め、2011年に退社、独立。著書に『国際会計基準戦争 完結編』(日経BP社)、共著に『株主の反乱』(日本経済新聞社)などがある。

----------

(経済ジャーナリスト 磯山 友幸)
編集部おすすめ