天皇と秋篠宮、兄と弟による高市首相・麻生副総裁“成敗”の幕が切って落とされた。
6月13日、天皇皇后がオランダ・ベルギー公式訪問に先立って行われた会見で、天皇は衝撃発言をした。
「記者会から『議論の受け止め』について問われた陛下は『制度にかかわる事項については私から言及することは控えたい』とされながらも、『皇室のあり方や活動の基本は国民の幸福を常に願い、国民と苦楽を共にすること』だと前置きされ、続けて、『こうした皇族数の確保のあり方についての議論においても、国民の皆さんの理解が得られるものとなることを望んでおります』と、お気持ちを述べられたのです」(宮内庁担当記者=週刊新潮6月25日号)
これは、さる宮内庁関係者によれば、
「今回は大きく踏み込まれ、くれぐれも『国民の総意』にそぐわないような案にはしないでほしいと、国会や政府に対して念を押された格好です。つまり、現在進行している案が、多くの国民の理解を得られているとは言えない状況を、陛下は十全に把握なさっているわけです」(同)
これに対して、私は以前のコラムで≪天皇は「国民の理解がなければ、天皇制は存続できない」と警告を発したと、私は思っている。この言葉の裏には、「私が愛する娘のためなら、私は何でもやる覚悟がある」という決意が込められていることは間違いない」≫と書いた。
しかし、高市首相と麻生副総裁は、これを無視して、6月30日に皇室典範改正を閣議決定し、7月17日に参議院本会議で成立させてしまった。
もちろん、表立って天皇がこれに対して不満を述べることはなかった。だが、その心中いかばかりだっただろうか。
■石破前首相が感じ取ったメッセージ
天皇皇后のオランダ・ベルギー訪問は2週間という長いものだった。石破茂前首相が首席随員として同行した。
石破氏は帰国後、訪問の前後に陛下と一緒に食事をする機会があったことを明かし、「具体的な内容はお話しできないものの、天皇陛下のお話を直接伺う機会を得られたことは大変ありがたく、貴重な経験であった」と語っている。
さらにサンデー毎日(8月9日号)ではこうも語っていた。
「もちろんお血筋も大事だが、環境はそれ以上に大事ではないか。普通の家で育った人は、相当な覚悟と見識、勉強がなければ皇族にはなれない」
これは、旧皇族から養子をとり、その男性が結婚して男の子が生まれれば、天皇になるという改正皇室典範への痛烈な批判である。
刮目すべきは、石破氏がはっきりとこういっていることだ。
「愛子天皇論にしても男系養子論にしても、『推し活』的なものだけでは説得力を欠く。憲法との整合議論が重要だ。勉強し、よりよい皇室典範を構想、提起してみたい。法律であるならば再改正することが可能だからだ」
改正皇室典範は30年ごとに見直されるとなっているが、それを待たずに再改正すべきだといっているのである。
石破氏が再び首相に返り咲くのは夢のまた夢だろうが、今回の皇室典範“改悪”に違和感を持っている政治家が、自民党内にも多くいるのは間違いない。
■支持率急落の背景
私は、以前の記事でも、「愛子天皇」問題は、スパイ防止法や国旗毀損罪よりも“わかりやすいテーマ”だから、もし高市政権が愛子天皇の可能性を潰すようなことがあれば、国民から多くの批判を浴び、政権そのものが揺らぎかねないと書いた。
残念ながら、高市首相は国会でこの問題について十分審議せず、また国民の声も聞こうともせず、ゴリ押しして成立・公布させてしまった。
しかし、愛子天皇を“封印”してしまった高市政権は、それ以降、国民から手厳しい批判を受け、支持率は急降下した。
慌てて、来年4月に食品の消費税を1%に必ず下げると断言したが、すでに物価高に苦しんでいる国民から、「遅すぎる」「財源はどうする?」という怨嗟の声が巻き起こり、支持率は下げ止まらない。
「愛子天皇」を阻んだ高市首相と麻生副総裁は世論に敗北する“予感”が、私にはしている。
そんな空気の中、秋篠宮がパラグアイ公式訪問前の8月13日に夫妻で会見に応じ、驚くべき発言をしたのだ。
秋篠宮は兄の代わりに、皇室典範を改正した高市政権に対して“疑義”を呈したのである。
■秋篠宮夫妻の異例の会見の意味
朝日新聞デジタル(8月14日 5時00分)はこう報じた。
《10月24日に施行される改正皇室典範への見解を問われ、「制度に関わることなので控えたい」と述べるにとどめた。一方、天皇陛下が6月の記者会見で「国民の皆さんの理解が得られるものとなることを望んでおります」と発言したことについて「その通りだと私は思っています」と賛同した。
改正皇室典範をめぐる議論では、皇室の方々の気持ちや置かれた立場が十分に考慮されなかったとの指摘がある。秋篠宮さまは「私も生身の人間ですから色々と思うところはもちろんあります。なかったらおかしいと私は思います」と心境を明かした一方、「どうやって発信することができるか、さらに、それが法律と関わってきた場合にどうするか。その辺の関係は非常に難しい」と発言。今後の改善の余地について問われると、「やっぱり世の中って進歩していくことが大事」などと答えた。
女性皇族の役割については、務めを果たすことに「女性、男性の区別というのはない」と述べた。》
高市首相とごく近しいといわれる黒田武一郎宮内庁長官が、8月6日の定例記者会見で、皇室典範の改正内容について、全ての宮家に自ら説明したと発表されていた。
そこでは、「皇族の方々から様々な意見があった」とも黒田長官は話しているから、今回の皇室典改正に対して、厳しい意見が出たのであろう。
その急先鋒は秋篠宮ではなかったか。
■生半可な覚悟ではない
秋篠宮は今回の会見で、記者たちから「皇室典範改正」について聞かれることは、事前にわかっていた。「それについては私からいうことは避けたい」と語らないという選択肢もあったはずだ。今、秋篠宮がこの問題について触れることは、皇室の人間が政治に関与したなどという、心無い批判が出ることも予想されたからである。
だが、秋篠宮は触れることを選んだのだ。生半可な覚悟ではない。
その上、皇室典範を巡る議論の中で、皇室にいる人たちのことが「十分考慮されなかった」ことについて「思うところがある」し「なかったらおかしい」とまで踏み込んだのである。
高市首相や麻生副総裁が「男系男子」に拘ったことに、「務めを果たすのに女性、男性の区別はない」と断じた。
私は、そうした男女差別の考え方が、世の中の進歩に逆行するものだともいったと、思った。
メディアはこのことを大きく報じると思った。だが、事の重大性と高市首相に対する“忖度”もあるのだろう。私が知る限り、既存のメディアで大きく報道したところはなかったようだった(朝日新聞、読売新聞、日経新聞では第2社会面)。
週刊誌はあいにく夏の合併号で休みだった。
■高市・麻生は「時代遅れの政治家」
皇室典範改正前の天皇の発言と、改正後の秋篠宮発言を見てみると、この2人が、この問題で緊密に連絡を取り、話し合っていると、私は考えている。そうでなければ、ここまで踏み込んだ発言を、秋篠宮がするはずはない。
秋篠宮家は2女1男だが、「子育てで男女の区別は一切しない」と公言している。
子どもだけではなく、皇嗣になってから、秋篠宮家に仕える人たちの呼称を、男性職員を「侍従(じじゅう)」、女性職員を「女官(じょかん)」や「侍女(じじょ)」と呼んでいたのをすべて「宮務官」と改めた。
秋篠宮から見ると、「男系男子」に拘り続ける高市首相や麻生副総裁は、「時代遅れの頑迷固陋な政治家」に見えているに違いない。
さらに、秋篠宮は子どもたちの教育を学習院任せにしなかった。
長女の眞子さんは学習院初等科に入学し、その後、学習院女子中・高等科に進んだが、大学はAO入試で国際基督教大学に進んでいる。次女の佳子さんも学習院初等科から学習院大学まで進むが、中退して眞子さんのように、AO入試で国際基督教大学に入学している。
長男の悠仁さんの学歴はさらに“異例”である。お茶の水女子大学附属幼稚園から附属小学校、中学校と進み、高校は筑波大学附属高等学校。そこから筑波大学に進み、現在2年生である。
■悠仁さまを筑波に送った意味
皇族の人たちのほとんどが入る学習院には見向きもしなかったため、学習院の同窓生などからは、秋篠宮家の教育方針に批判する向きもあるらしい。
自身も学習院出身の麻生副総裁などは、その筆頭で、それ故に、旧宮家から養子を迎え入れ、その男性が結婚して男の子が生まれれば天皇にするなどという、「悠仁さん軽視」とも思われかねない奇策を強行したのではないか、と見る向きもあるようだ。
悠仁さんの教育方針を決めたのは紀子さんだといわれる。秋篠宮が紀子さんと知り合ったのは学習院大学のキャンパスだった。
学習院をよく知る2人が、なぜ、将来の天皇になる長男を学習院で学ばせなかったのだろうか。
諸説あるが、私は、息子が学習院という箱庭のようなところで、“蝶よ花よ”と囃され、「ひ弱な花」になることを嫌ったのではないか、と考えている。
息子には自由な雰囲気の学校で、普通の生活を営んでいる多くの学友らと語らい、学ぶことで、これまでとは違った「天皇像」を、息子に期待したのではないか。
■このままでは天皇制が維持できない
失礼を顧みずにいわせてもらえば、上皇は85歳で退位したが、兄の今上天皇はまだ66歳。
もし上皇と同じ歳で退位するとしても、20年近くある。大学を終え、公務をこなしながら帝王教育を学んでも、悠仁さんに時間は十分にある。
さらに深読みすれば、長男が天皇になる前に、兄の長女である愛子さんを天皇に即位してもらって、その後に長男が即位するということを、秋篠宮は以前から考えていたのではないか。
天皇と秋篠宮は昔から、性格も考え方も違うといわれてきた。
高市政権など一過性の泡(バブル)のようなものである。だが、天皇制が日本国民統合の象徴であり続ける限り、存続していくのである。
国民の総意でもない女性差別や旧宮家からの養子受け入れなどが続けば、天皇制は国民に疎まれ、存続が危うくなることは間違いない。
皇室典範改正に対する“異例”の天皇に続く秋篠宮の発言は、危機感の表れであり、それを強行した高市首相や麻生副総裁への“警告”だと、私は考えている。
■追悼式で「反省」しない首相とは大違い
終戦記念日の8月15日、東京の日本武道館で政府主催の戦没者追悼式が行われ、高市首相は式辞を読み上げた。
歴代首相が「反省」「不戦に対する誓い」という言葉を入れ込んだのに、高市首相は一切使わなかった。さらに「戦後の惨禍を、二度と繰り返さない」ではなく、「繰り返さ“せ”ない」と、主語を変えたのである。
あれほど、「途中で参拝をやめたりするから相手がつけ上がる」(2023年)といっていたのに、靖国参拝はせず、「遥拝」をしただけにとどめた。
自身の発言が元で、日中関係が戦後最悪ともいわれる中では、当然なことだと思うが、高市首相を支持してきた保守層からの反発は免れまい。
一方、天皇はこう「お言葉」を述べた。
「戦中・戦後の苦難を今後とも語り継ぎ、私たち皆で心を合わせ、将来にわたって平和と人々の幸せを希求し続けていくことを心から願います。
ここに、戦後の長きにわたる平和な歳月に思いを致しつつ、過去を顧み、深い反省の上に立って、再び戦争の惨禍が繰り返されぬことを切に願い、戦陣に散り戦禍に倒れた人々に対し、全国民と共に、心から哀悼の意を表し、世界の平和と我が国の一層の発展を祈ります」(朝日新聞8月16日付)
どちらの言葉が国民の心に響いたかは、いわずもがなであろう。
----------
元木 昌彦(もとき・まさひこ)
ジャーナリスト
1945年生まれ。講談社で『フライデー』『週刊現代』『Web現代』の編集長を歴任する。上智大学、明治学院大学などでマスコミ論を講義。主な著書に『編集者の学校』(講談社編著)『編集者の教室』(徳間書店)『週刊誌は死なず』(朝日新聞出版)『「週刊現代」編集長戦記』(イーストプレス)、近著に『野垂れ死に ある講談社・雑誌編集者の回想』(現代書館)などがある。
----------
(ジャーナリスト 元木 昌彦)

![[のどぬ~るぬれマスク] 【Amazon.co.jp限定】 【まとめ買い】 昼夜兼用立体 ハーブ&ユーカリの香り 3セット×4個(おまけ付き)](https://m.media-amazon.com/images/I/51Q-T7qhTGL._SL500_.jpg)
![[のどぬ~るぬれマスク] 【Amazon.co.jp限定】 【まとめ買い】 就寝立体タイプ 無香料 3セット×4個(おまけ付き)](https://m.media-amazon.com/images/I/51pV-1+GeGL._SL500_.jpg)







![NHKラジオ ラジオビジネス英語 2024年 9月号 [雑誌] (NHKテキスト)](https://m.media-amazon.com/images/I/51Ku32P5LhL._SL500_.jpg)
