高市早苗首相は「弱者に冷たい」政治家なのか。成蹊大学文学部現代社会学科の伊藤昌亮教授は「高市首相はこれまでの政治が対象にしてきた“明白な弱者”には冷たい。
一方で中間層出身の“曖昧な弱者”には優しく、彼らから支持を得ようとしている」という――。
※本稿は、伊藤昌亮『曖昧な弱者の時代』(岩波新書)の一部を再編集したものです。
■リベラルな政策を打ち出した高市首相?
2025年10月、高市氏が首相に就任した際、フェミニストを含むリベラル派の一部からは批判の声が上がった。「弱者が弱者のままで尊重される社会」(上野千鶴子)が目指されているとは思えないという理由からだ。
選択的夫婦別姓制度への冷淡な態度や、外国人政策への厳しい態度のほか、かつて生活保護の不正受給の問題をめぐり、「弱者のふりをして」と強い言葉で懸念を表明した件などが取り上げられ、その「弱者切り捨て」の姿勢が批判された。
このように高市氏は、「弱者に冷たい」政治家だと見られているところがある。しかしその一方で、たとえば自民党総裁選挙の際に彼女が掲げていた経済政策には、むしろ「弱者に優しい」ものが多かった。
所得税控除と現金給付を組み合わせるという給付付き税額控除の導入、中小企業・小規模事業者の支援、医療・介護現場の支援などだ。これらは元来、リベラル派から出されてもおかしくない政策だろう。実際、給付付き税額控除は立憲民主党が掲げてきた案だった。
だとすると高市氏は、弱者に冷たい政治家なのだろうか、優しい政治家なのだろうか。後者の姿勢は単なるポーズにすぎないのだろうか。

■「端っこ」に冷たく、「真ん中」に優しい
必ずしもそうではないだろう。これら二つの態度は、彼女の中では矛盾することなく結び付いていると考えられる。
高市氏は総裁選の際のインタビューで、「暮らしの厳しさとか、中小企業・小規模事業者の痛み」に鑑(かんが)み、「生活保護よりも少し上の層である中・低所得者層にメリットがある制度」を作りたいと述べている(『日テレNEWS』2025年10月1日)。
つまり生活保護受給者などの貧困層を助けるのではなく、むしろその「少し上の層」、いわゆるロウアーミドル層を積極的に支援したいという考え方だろう。いいかえれば「下」にいる弱者には冷たくする一方で、「真ん中」にいながら「厳しさ」や「痛み」を感じている弱者には優しくするというスタンスだ。
そうしたスタンスは彼女の経済政策のみならず、文化政策にも当てはまるものだろう。つまり外国人や女性などのマイノリティを助けるのではなく、むしろマジョリティの中で苦しんでいる人々を支援するという考え方なのではないか。いいかえれば「端っこ」にいる弱者には冷たくする一方で、「真ん中」にいながら苦しんでいる弱者には優しくするというスタンスだ。
■「明白な弱者」と「曖昧な弱者」が存在する
このように高市氏の中では、「弱者」が二つの種類に分かれていると見ることができる。経済的な格差の「下」にいる貧困層や、文化的な多様性の「端っこ」にいるマイノリティなど、一般に社会的弱者として認定されている層と、そうではなく「真ん中」にいながらも、つまり中間層やマジョリティに属しながらも何となく弱っている層だ。
前者を「明白な弱者」、後者を「曖昧な弱者」と呼ぶことができるだろう。
だとすると高市氏のスタンスは、「明白な弱者」には冷たいが「曖昧な弱者」には優しい、ということになる。
一方でリベラル派のそれは、とにかく「明白な弱者」に優しいというものだろう。
こうした違いの背後には、今日の社会と政治をめぐるいかなる状況があるのだろうか。以下 では「明白な弱者」と「曖昧な弱者」との関係という観点から、とくに歴史的な経緯を踏まえつつ、この点について考えてみたい。
■「明白な弱者」とは誰か
ここであらためて考えてみよう。とはそもそもどのような人たちなのだろうか。まず原理的なところから見ていこう。
「誰が弱者なのか」をめぐるわれわれの社会的合意は、一般に二つの観点からなされていると考えられる。経済的な観点と文化的な観点だ。経済的な観点での弱者とは、要するに困窮者のことだ。一方で文化的な観点での弱者とは、歴史や制度の中で従属的な地位に置かれ、差別されてきた人々、すなわち被差別者のことだろう。
つまり社会的弱者とは、経済的弱者としての困窮者と文化的弱者としての被差別者のことだ、とさしあたり考えるのが、われわれの大方の合意なのではないだろうか。
こうした考え方を定式化してきた思想として捉えられるのが、20世紀におけるリベラリズムだ。
その頂点となった1960年代のアメリカで、公民権運動の盛り上がりなどを背景に、「偉大な社会」の実現のためには「貧困」と「差別」を克服しなければならないとリンドン・ジョンソン大統領が訴えたことに、その眼目が示されていると言えるだろう。
■政治が、貧困と差別を克服しようとしてきた
ではそのための取り組みはどのようなものだったのだろうか。まず貧困への取り組み、つまり経済的弱者への支援は、福祉国家の枠組みの中で、主として社会保障政策を通じて経済的な再分配を行うこと、すなわち「再分配の政治」によって進められてきた。
一方で差別への取り組み、つまり文化的弱者への支援は、アイデンティティ・ポリティクスの枠組みの中で、主として人権政策を通じて文化的な承認を与えること、すなわち「承認の政治」によって進められてきた。
こうした考え方はアメリカに固有のものというわけではない。いわゆるリベラルデモクラシーのもとでリベラリズムの理念を護持している国では、多かれ少なかれ共有されているものだろう。もちろん日本もそうした国の一つだ。
■再分配の主な対象となっている人たち
では日本では、実際にどのような人たちが「明白な弱者」だと考えられてきたのだろうか。その全体像を示すことはできないが、輪郭を浮かび上がらせることはできるだろう。経済的弱者と文化的弱者のそれぞれについて考えてみよう。
まず経済的弱者としては、社会保障政策による再分配の主な対象となっている人たちがそれに該当することになる。
日本の社会保障制度のうち、給付に関わるものには公的扶助、社会保険、社会福祉の三つがあるが、それらのうち公的扶助制度と社会福祉制度は、所得再分配を直接の眼目とするものであり、加えて社会保険制度の中にも所得移転を眼目とする部分がある。
それらの対象となっているのは主に以下の人たちだ。
収入の当てのない低所得者、高齢者、障害者、子ども、子育て世帯、ひとり親世帯、障害児のいる世帯、遺族、難病患者、失業者、労災者など。これらの人々が今日の日本では、経済的弱者としての「明白な弱者」として広く認定されている存在だと言えるだろう。
■合意されてきた“弱者リスト”
次に文化的弱者としては、人権政策による承認の主な対象となっている人たちがそれに該当することになる。
「人権教育のための国連10年」の決議が1994年12月に国連で採択されたことを受け、日本ではそのための「国内行動計画」が1997年7月に発表され、いくつかの重要課題が定められたが、それ以来、国と地方自治体によってその細目がアップデートされてきた。その対象となっているのは主に以下の人たちだ。
女性、子ども、高齢者、障害者、被差別部落民、アイヌの人々、外国人、感染症患者、刑を終えた出所者、犯罪被害者とその家族、LGBTQ、ホームレスの人々など。これらの人々が今日の日本では、文化的弱者としての「明白な弱者」として広く認定されている存在だと言えるだろう。
これら2つのカテゴリの人々をまとめると、以下のようになる。収入の当てのない低所得者、高齢者、障害者、子ども、子育て世帯、ひとり親世帯、障害児のいる世帯、遺族、難病患者、失業者、労災者、女性、被差別部落民、アイヌの人々、外国人、感染症患者、刑を終えた出所者、犯罪被害者とその家族、LGBTQ、ホームレスの人々などだ。
これらの人々を「明白な弱者」として認定し、いわば「弱者リスト」の公認メンバーとして支援の対象とすることが、今日の日本では大方の合意となっているのではないだろうか。それは「誰が弱者なのか」という問いへの、いわば公式の回答となるものだ。

■リストの仲間入りを望む声が増加
これまでの日本では、この「リスト」の内実に異議が申し立てられるようなことはあまりなかった。しかし近年ではそうした声があちこちから湧き上がり、大きな動きとなっている。
高齢者だけではなく現役世代も加えてほしい、女性ばかりでなく男性も含めるべきだ、日本人こそつらいのだから外国人は除いてもらいたい、という具合だ。また、低所得者よりも中所得者、障害者よりも健常者、失業者よりも労働者のほうがつらい、などという声もよく聞かれる。
中間層やマジョリティに属し、元来はむしろ「強者リスト」のメンバーであるはずの人たちが、こうしてそれぞれの「弱さ」を訴えながら、「弱者」の仲間入りをさせてもらいたいと望むようなケースが増えている。
これまでは守られる対象ではなかった人たちが、自分たちを守ってほしい、自分たちには守られる権利がある、などと主張するケースだ。その結果、元来の「明白な弱者」の枠には収まりきらない多様な弱者、「曖昧な弱者」が大量発生することになった。
こうした状況が生じたことの背景にあるのは、とくに日本の場合、「明白な弱者」への対応が偏ったやり方で進められてきたという事情だろう。「再分配の政治」のひずみ、そして「承認の政治」の遅れという事情がそこにはあった。まず前者の点、福祉国家の枠組みに関わる点から見ていこう。
■バブル崩壊まで自画自賛されていた「日本型福祉」
元来、日本の福祉レジームは「日本型福祉社会」などと呼ばれ、福祉国家としての制度の外側のいくつかのシステムに支えられて成り立ってきたという経緯を持つ。
その一つは「企業福祉」のシステムだ。
とくに都市部の大企業では、終身雇用と年功賃金を軸とするいわゆる日本型雇用慣行と、充実した福利厚生制度により、労働者とその家族の生活が高いレベルで守られてきた。その結果、失業者や低所得者が大量発生することが防がれてきた。
一方で地方部の農家や自営業者などは、自民党が主導する「開発主義」のもとで守られてきた。公共事業や補助金を農村部に振り向けたり、旧来型の産業に有利になるよう規制や税制を定めたりすることだ。その結果、都市部の所得が地方部に移転され、再分配が促進されることになった。
これらのシステムにより、都市部でも地方部でも「男性稼ぎ主」の雇用が守られたため、女性は専業主婦となり、育児や介護に専念することになる。第三号被保険者制度などにより、家族のケアを女性が担うという分業体制が確立され、「家族福祉」のシステムが実現されることになった。
これら3つのシステム、企業福祉、開発主義、家族福祉は、福祉国家としての支出の削減に大いに役立ってきた。本来であれば失業手当や中小企業支援、育児手当や介護手当など、国家として負担しなければならない部分をそれらが肩代わりしてくれたからだ。
とくに高度経済成長期からバブル経済の時期にかけては、3つのシステムがフル稼働していたため、「日本型福祉社会」は非常に効率のよいレジームだとして自画自賛されていた。
■不況と共に崩壊した“3つのシステム”
ところが1990年代半ば以降、状況が一変する。これらのシステムが機能不全に陥り、それとともに「日本型福祉社会」は崩壊していく。
まず企業福祉が収縮していった。バブル経済が崩壊し、不況が長期化するなかで、企業は日本型雇用慣行を全面的に維持することができなくなる。1995年5月に発表された日経連(日本経営者団体連盟)の報告書「新時代の「日本的経営」」などを契機に、雇用の柔軟化が進められ、非正規雇用が増大した結果、生活保障を与えられる正社員の割合は大きく低下した。
一方で開発主義も収縮していく。五五年体制が終焉し、1996年10月の衆議院総選挙から小選挙区比例代表並立制が導入されると、利益誘導型政治のインセンティブが薄れ、地方部への再分配が縮小していく。さらにその後、2001年4月に発足した小泉純一郎政権のもとで進められた構造改革路線により、公共事業の大幅な削減が行われた。
そうして都市部でも地方部でも「男性稼ぎ主」の雇用が十分に守られなくなると、女性は専業主婦でいることができなくなり、劣悪な条件で働かざるをえなくなる。あるいはそもそも男女が家庭を持つことや、子どもをもうけること自体が困難になる。その結果、家族福祉もまた収縮していった。
こうして3つのシステムが揃って収縮することになったが、それらは元来、明確な制度として定められたものではなく、曖昧な慣行として成り立っていたものにすぎなかったため、その収縮のスピードは急速だった。そのためそれに伴う「日本型福祉社会」の崩壊のスピードもまた急速だった。
■「真ん中」→「曖昧な弱者」とならざるをえない
そうしたなかで福祉国家としての対応がなされたのは、家族福祉の領域だけだった。2000年度からのいわゆる新エンゼルプランに基づき、2003年7月には次世代育成支援対策推進法、少子化社会対策基本法が成立する。また、2000年4月には介護保険制度がスタートした。こうして家族福祉のシステムは公的な制度に置き換えられていった。
しかし一方で企業福祉や開発主義にカバーされていた領域は、空白となったまま放り置かれることになる。そこで守られるはずだった人たちは、セーフティネットを失っていわば流民化し、不安定な立場に追いやられた。とくに非正規雇用労働者や中小企業の社員、自営業者やフリーランサーなどが、広い意味での不安定就労者となるに至る。
とはいえ彼らは失業者でもなければ高齢者でもなく、ましてや生活保護受給者でもない。つまり「弱者リスト」の公認メンバーではないので、「明白な弱者」のための救済策にすがるわけにはいかない。企業福祉や開発主義という曖昧な慣行に守られ、それまでは何となく「真ん中」にいることができた彼らは、その庇護が失われるや、「曖昧な弱者」とならざるをえなかった。

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伊藤 昌亮(いとう・まさあき)

成蹊大学文学部現代社会学科教授

1961年生まれ。東京外国語大学外国語学部卒業、東京大学大学院学際情報学府博士課程修了。日本IBM株式会社、ソフトバンク株式会社勤務、愛知淑徳大学現代社会学部・メディアプロデュース学部准教授、ドイツ・エアランゲン大学日本学講座客員研究員などを経て、現職。著書に『炎上社会を考える』(中公新書ラクレ)、『ネット右派の歴史社会学』(青弓社)、『デモのメディア論』(筑摩書房)、『フラッシュモブズ』(NTT出版)など。

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(成蹊大学文学部現代社会学科教授 伊藤 昌亮)
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