※本稿は、リチャード・カッツ『給料を上げれば日本は復活する』(ハヤカワ新書)の一部を再編集したものです。
■日本と同じ道を辿らなかった韓国
韓国経済の繁栄を見れば、日本の経済的苦境のみならず、考えうる解決策をも映し出す鏡になっていることがわかるだろう。
韓国の経済動向と企業慣行のかなりの部分が日本と似ているので、2015年当時、ワシントンに本拠をおく韓国経済研究所は、改革をしないかぎり「日本に目を向ければ韓国の将来が予想できるという事態になるだろう」と警告していた。他の研究機関も同じだった。
ところが、まったく逆の状況が起きた。同じ程度の発展段階の他の国をはるかに上回るペースで成長が持続したのだった。
1980年になっても、韓国の一人あたりGDPは日本の25パーセントにすぎなかった。2024年になると、日本を20パーセント上回り、その差は拡大を続けている(図表1を参照)。
2030年には、韓国の一人あたり実質GDPは世界11位(主要石油輸出国と一部の例外的ケースを除く)になるだろうと予測されている。すでに日本、イタリア、イギリスを追い越し、2030年までにフランスとカナダをも凌駕する勢いだ。
■「中所得国のわな」を奇跡的に回避
韓国で最も驚異的な点は、(1960年以降)65年間、高い成長率を持続していることで、IMFが正しければ、2030年にはこの高い成長率が70年続いていることになる。これほど長いあいだ成長を享受している国は、中国も含めほかにない。
多くの貧しい国は、急激に成長する時期を経たあと「中所得国のわな」に陥り停滞する。一人あたりGDPが8000ドル程度(2021年ドルベース購買力平価)になると、数千ドルの変動はあるものの、成長率が下がり、真の豊かさには発展していかない。
これに対し韓国は、世銀の世界開発報告2024年版で、中所得国のわなを回避できた最大の成功事例として取り上げられた。
同報告は次のように指摘する。「過去70年にわたり韓国は、記録が残されている経済史のなかで最も驚異的な変革を成し遂げた。1950年代には戦争で疲弊した極貧国だったが、こんにちの世界で最も繁栄し健全で教育程度の高い国の一つになった。(略)イノベーションとテクノロジーのグローバルリーダーだ」
■なぜ中国以上の成長率を維持できたのか
図表2に示すのは、韓国と中国と日本が一人あたりGDP約8000ドル(2021年ドルベース購買力平価)を達成してからのそれぞれの成長の軌跡を示したものだ。
中国は、極貧状態から一人あたりGDPが8000ドルを達成するまでの段階では、他に例を見ないスピードで発展した。しかし8000ドルを超えたあとは、韓国が中国を上回っている。
両国で一人あたりGDPがそれぞれ8000ドルを超えたあとの22年間を見ると、中国の生活水準は8000ドル時点の3.8倍に向上したが、これに対し韓国の生活水準は8000ドル時点の4.2倍に向上し、2030年には8倍豊かになると予測されている。
韓国が日本と同じ構造的疾患を数多く抱えていると警告した経済学者は間違っていなかった。しかし、そうした弱みを抱えているにもかかわらず、日本と異なり韓国は繁栄への道筋を見いだした。その理由をこれから述べよう。まず、弱みから見ていく。
■大企業と中小企業の深刻な格差
日本と同じように韓国も「二重経済」だ。すなわち、非常に効率性の高い輸出部門があるいっぽうで、国内の製造業ととくにサービス業の一部はひどく非効率という「ハイブリッド」になっている。
韓国の大企業と従業員250人未満の企業とのあいだの生産性格差は、OECD諸国のなかで3番目に大きい。OECD諸国の平均では、中小企業の従業員の時間あたりGDPは大企業の半分となっている。これに対し韓国では、中小企業の生産性は大企業の30パーセントしかない。かつては半分程度だったが、大企業で生産性が急速に伸びたいっぽう、その効率性の向上が中小企業には広まらなかったのだ。
このような生産性の格差は、ICTを含む最新設備への投資が十分でないためでもあり、また、生産性が低い多くの中小企業の雇用を守るための規制や政府による信用保証があるためでもある。これも、日本で見られる悪しき慣行と同様だ。
OECD加盟の他の国の平均では、サービス業の生産性は製造業の84パーセントの水準だ。これに対し、韓国では44パーセントにすぎない。このことによる影響は非常に大きい。韓国では労働力の70パーセントがサービス業に従事しているのだ。
中小企業の問題とサービス業の問題は重なっている。ICTとそのほかの専門的な企業向けサービスを除けば、サービス業の大部分は中小企業が担っているからだ。ただし、OECDの他の国の実績が示すとおり、サービス業は必ずしも生産性が低い分野ではない。
■非正規労働者が40%、出生率は0.75
経済が著しく不均衡なため、韓国では2024年の輸出総額のじつに21パーセントをサムスン電子1社が占めていた。また、コンピューターチップだけで輸出の21パーセントを占める。製品とサービスの輸出はGDPの半分近くに相当するため、1社だけ、また一つの製品だけに大きく依存している状況は非常にリスクが高い。
韓国経済研究所が警告するとおり、どんな国であっても、競争力が突出して高いわずかな企業、わずかな製品だけがいつまでも「経済全体を動かせるだけの強力なエンジン」でありつづけることはできないのだ。
日本と同様に韓国でも、労働力の40パーセントが非正規労働者で、その賃金は正規労働者の半分程度だ。
加えて、韓国では日本以上に高齢化が急速に進んでいる。出生率はOECD諸国で最低で、一人の女性が生涯で産む子どもの数は2024年にたったの0.75人だった。人口を維持するには2.1人が必要だ。
■少子高齢化も不動産高騰も日本と同じ
労働年齢人口(15~64歳)の数は2017年がピークだった。2000年には、年金と社会保障制度を通じて高齢者一人を労働年齢層の10人で支えていたが、2020年には高齢者一人を支える労働年齢者は5人を下回った。2035年にはわずか2人で支えることになるだろう。
その結果、これから先20年間、一人あたりGDPが下がらないようにするためには、労働者一人あたりのGDPを30パーセント以上拡大しなければならない。
また、日本の失われた30年を招いた金融の逼迫と同じ状況を韓国も一部経験している。韓国銀行(韓国の中央銀行)が、2025年に発表した報告書「What Can Korea Learn from Japan?(韓国は日本から何を学べるか)」で詳しく述べている。
不動産価格の上昇とともに、GDPに対する民間債務の割合が大きくなり、いまや日本の1980年代バブル期のピーク時と同じ水準にまで近づいている。
最後になるが、韓国の輸出主導型の成長戦略は、開かれた貿易環境のなかでうまくいっていたものだ。トランプが大統領に就任すると、韓国銀行は警告を発した。「長らく韓国の経済成長の追い風になっていた国際貿易のしくみが、いまでは向かい風に変わった」
■弱点だらけなのに経済成長できた秘密
何より特筆すべきは、韓国はこうした弱点を抱えているにもかかわらず、着実な成長を実現するためどれほど多くのことを適切に成し遂げたかという点だ。そして、これらの弱点を修正するためにどれほどのことを実行したかという点もだ。
ここから示唆されるのは、こうした問題を考えることで、日本もその基礎的条件のなかでもっとうまくやれれば、これまでよりずっと速い成長が可能になるということだ。
高いGDP成長率を見込める経済を実現するには、生産性を高めるような慣行が必要になる。同時に、経済活動が常にほぼフル稼働の状態で回っていくためには、需要が安定していなければならない。企業は、製品に対する需要と需要が安定するだけの成長を期待できない場合は、近代化やキャパシティ拡大のために投資をしなくなるだろう。
■労働生産性でも日本を追い抜く見通し
韓国ではマクロ経済が非常に安定していたので、経済がテイクオフした1960年以降の65年間でGDPが落ち込んだ年はわずか3回しかない。しかも、その3回ともまれに見るショックに見舞われたためだった。
軍事独裁者の朴正熙(パクチョンヒ)が暗殺された翌年の1980年、アジア金融危機で大きく揺れた1999年、そして新型コロナウイルス感染症の影響を受けた2020年だ。
1970年には、韓国の労働時間あたりGDPはアメリカのわずか10パーセントで、いっぽう日本では40パーセントだった。日本の労働時間あたりGDPのアメリカに対する割合は1995年がピークで、以後その割合が下がりつづけている。
韓国はなおも追い上げを続けていて、現在はアメリカの60パーセントに達している。数年のうちに、韓国の労働時間あたりの生産量は日本を大幅に上回るだろう。増えていく退職者を少なくなっていく労働者で支えなくてはならないのだから、生産性を引きつづき急速に拡大させていくことは、生活水準を維持するうえで欠かせない。
韓国では経済の成熟に伴い成長が鈍化したものの、一人あたりGDPの年間成長率は2パーセントと、この発展段階の国としては予測を十分上回っている。
■日本の実質賃金が伸びない一方、2倍に
需要サイドに関していえば、韓国は成長の果実を適切に労働者に渡した。労働時間あたり実質賃金が1990年から上がっていない日本とは異なり、韓国の実質賃金は、同じ期間に2倍になった。じつのところ現在では、韓国のフルタイム労働者は日本のフルタイム労働者より若干高い賃金を受け取っている(図表3を参照)。
これは、韓国では生産物に対する需要が十分にあるので慢性的な財政赤字に依存する必要がないことを意味する。貿易収支を黒字にするために為替レートを恒常的に低く抑える必要もない。
だからといって、これまで韓国がすべて適切にやってきたという意味ではけっしてない。むしろ逆で、韓国銀行は、十分な改革を行なった場合には、2025年から2040年の成長率は現在の予測を1パーセントポイント上回るだろうとしている。
■「近代的設備への投資」が大正解
韓国では1960年に急速な工業化が始まったが、当時は世界で最も貧しい国の一つだった。先進国への道は、近代的設備への投資額のGDPに対する割合を増やすことだと考えられていて、その考えは正しかった。何といっても、トラクターを使う農家は動物に頼っている農家よりも多くを生産できる。近代的な建設機材や工場機械を使って働く労働者もだ。
GDPから投資にあてる割合を増やすことは、賃金に振り向ける割合が少なくなることを意味する。しかし、経済が絶対額で非常に速く成長したため、人口の大半にとって賃金と生活水準が急速に上がっていった。
投資は、適切に行なわれなかった場合には、それ自体で効果をあげるものではない。折よくも、韓国は輸出主導による工業化という日本のモデルにしたがっていた。国民が貧しくて鉄鋼やテレビや自動車を買えないなら、どうすればこうした製品を生産できるだろうか? これらの製品に対する初期需要を見つけるため、韓国は輸出に向かわざるをえなかった。
さらに、他国と競争しなくてはならないため、品質レベルを上げなくてはならない。そのおかげで韓国は、多くの国が国家主導の工業振興政策のなかで抱えていた数々の「ホワイトエレファント(無用の長物)」産業を生まずにすんだのだった。
■労働闘争の結果、賃上げを勝ち取った
成熟した経済の常として、さらなる成長のために投資主導型の成長から消費主導型の成長へと転換しなくてはならない時期が来ていた。そのためには、賃金を上げる必要がある。しかし、必要とされているからといって実行されるとはかぎらない。
韓国では、人々が豊かになったことから、また1979年に朴正熙大統領が暗殺されたことをきっかけとして、民主化を求める動きが高まっていた。民主化を求めて団結する人々にとって、労働は決定的問題だった。
1987年、300万人の労働者が1カ月にわたって闘争に身を投じ、大統領選挙の実施を求めるとともに――大統領選挙は1987年終わりに初めて実施された――、よりよい賃金と労働条件、そして政府から独立した合法的な労働組合をも要求した。
1988年、ついに韓国で最低賃金が導入された。独立した労働組合は1990年代なかばになってようやく法制化された。
■最低賃金はOECD加盟国でも最高水準に
当初、最低賃金はフルタイム労働者の時間あたり賃金の中央値の30パーセントにすぎなかった。これは、貧困ラインの基準である、所得の中央値の半分を大幅に下回る。しかし、韓国政府は何年にもわたって最低賃金の引き上げを続け、2024年には最低賃金が賃金の中央値の61パーセントに達し、OECD加盟国のなかで最高になった。
対照的に、日本の最低賃金は賃金の中央値のたった47パーセントだ。韓国では2023年に、最低賃金で働くフルタイム労働者の年収は2万6000ドルを上回った。日本では2万1000ドルにも満たない(いずれもドルベース購買力平価による)。
最低賃金は、労働者寄りの政党が政権を握っているときのほうが上げ幅が大きかったが、保守派の大統領のもとでも、すべての政権でとはいわないまでも、おおむねかなりの上昇が見られた。残念ながら、近年は賃金の伸びが明らかに鈍化している。インフレを考慮すると、実質賃金の上昇はごくわずかだ。韓国は、成長に向けた処方箋の鍵を握るこの成分を失わないようにしなければならない
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リチャード・カッツ
ジャーナリスト
「週刊東洋経済」特約記者(在ニューヨーク)。ニューヨーク大学で経済学の修士号を取得。専門は日本経済および日米関係。日本に関する月刊ニュースレター「The Oriental Economist Report」を20年にわたり発行、現在はブログ「Japan Economy Watch」を運営。カーネギー国際問題倫理評議会の元シニアフェロー。著書に『腐りゆく日本というシステム』『不死鳥の日本経済』(東洋経済新報社)、『「失われた30年」に誰がした──日本経済の分岐点』(早川書房)がある。
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(ジャーナリスト リチャード・カッツ)

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