■行動遺伝学者から見た「賢い子育て」の不都合な真実
橘玲:作家
河田雅圭:進化生物学者、『心はどこまで進化したのか』著者
安藤寿康:行動遺伝学者
橘:「賢い子どもを育てる科学的に正しい方法」についての本や記事がよく読まれていますが、お二人はどうお考えですか?
安藤:みんな知りたいですよね。
橘:中央実行ネットワーク(※)の遺伝率が9割で、それが認知能力と強く相関するとなると、賢い子どもに育てるというのはそもそも無理ではないでしょうか。
※=脳のワーキングメモリ(作業記憶)の中心にある、注意のコントロールや情報の処理を行う司令塔の役割を持つしくみ。
安藤:「遺伝=決定」ではない。しかし「無理」と言い切ったほうが救われる人は多いですね。
一般的な賢さ、Gファクター(全ての知的作業に共通して必要な一般知能)は、CPUがもともと持っているものだから、基本的には育てられないと考えてもいい。
ただ、人がリアルに生きるのは、せいぜい150人程度の人間関係の場で、そこではユーモアや場を和ませる力など、一般的な知能とは別の持ち味が意味を持ちます。それがその人の個性で、固有の遺伝的な違いが表に出るんです。
希望があるとすれば、CPUは変えられないけれど、どのソフトをどう組み合わせるかは、学習と経験で変えられる。「やさしさ」自体は訓練で変えられないけれど、相手が今どういう状況かは知識として学べ、それによって自分のやさしさをどこでどのように示せばよいかは変えられます。
■遺伝の影響を覆すことはできない
橘:たしかにどれほど強力なCPUでも、ソフトウェアがなければただの箱ですからね。あと、統計的な有意性と効果量の違いについてはいかがでしょうか。
統計的に有意なことが、すべて効果があるわけではないですよね。ところが、「科学的に正しい~」とうたう本は、統計的に有意なら全部役に立つように書かれていて、それが混乱を生んでるんじゃないかと思います。
河田:「効果量」というのは、たとえば身長で考えると、身長には1万くらいのゲノム変異が影響していることがわかっています。「Aという塩基がTに変わったら、あの人は私よりも0.001ミリくらい身長が高くなる」というのが効果量です。
一方で「統計的に有意」というのは違います。サンプル数を集めれば効果量が微小でも、統計的には「有意」と出せてしまうので、なんとでも言えますね。
橘:「科学的に正しい子育て」は、さまざまな研究から統計的に有意なものをたくさん集めてくる。でもその影響が1パーセントで遺伝の影響が60パーセントなら、1パーセントを一生懸命やっても遺伝の影響を覆すことはできない、という理解でいいですか。
安藤:そうです。
■「環境さえ変えればなんとかなる」のウソ
橘:その「読み聞かせの効果が5パーセント」っていうのも、大きすぎる感じがしますが(笑)
安藤:盛っている感じはしますね。たぶんそれ自体が代替指標で、読み聞かせをする家庭はしつけもちゃんとしている、といった関連する要素を全部とりこんでの数値だと思います。そのうちたまたま拾ったのが読み聞かせで、総じて5パーセント、という話です。人に話すとき少し希望を与えたくなるけれど……これ自体もよくないな(笑)。
かつては「親が読み聞かせをしない」「知的な環境を与えない」ことが純粋に教育環境の影響だと考えられ、そうした環境は、教育制度や親向けの子育てトレーニングで改善できると期待されていました。
ところがポリジェニックスコア(※)を見ることで、親が持っていて子どもに受け継がれなかった遺伝子も明らかになり、それがかなり子育て環境を作っているんです。つまり、子どもには伝達していないけれど、親が持っている遺伝子が環境を作っていて、子どもは二重に遺伝子の影響下にある。「環境さえ変えればなんとかなる」という神話が崩されてきているんですね。
※=生まれつき持っている多数の遺伝的特徴のデータをもとに、身体的特徴や病気のなりやすさを表す指標。
■「お受験」は無意味
橘:それが、行動遺伝学の世界的権威、ロバート・プロミンの言う「環境も遺伝する」という意味ですよね。
これまでは遺伝と環境は対立するもので、たとえ遺伝の影響があったとしても、環境も同じくらい重要なのだから、子育てや教育によって子どもの人生を変えていけるはずだと思われてきた。でもその環境までが遺伝するとなると、子育ての常識が根底から覆ることになりますね。
安藤:はやく覆ってほしいですね(笑)。
橘:はっきりいえば、お受験とか無意味ですよね。
安藤:無意味です。本人が面白がっているなら、お受験の遺伝的才能があるのかもしれないけれど、その時は背伸びして無理してついているだけかもしれない。実際、小学校卒業くらいまでは共有環境(親の影響)もそれなりに影響力があることがふたごのデータからも示されています。
しかし中学くらいになると遺伝の影響がもっと大きくなる。そこで遺伝的についていけなくなると、親は無駄な重課金をして敗北感だけが残る。
ただ親側が、自分はどっちにいるのかの見極めは難しいです。子どもがある時期、いい顔して勉強しているな、と思ったら実は親を喜ばせようとしていただけだった、ということもありますし。
■親がやるべき2つのこと
橘:プロミンは「子育ては重要だが子どもの人生にちがいを生まない。親がすべきことは、愛情をもって子どもを育て、遺伝的可能性が開花するのを楽しみに眺めることだ」と述べています。でもここまで達観できる親はほとんどいないんじゃないですか(笑)。
安藤:親は何ができるのか、僕もよく質問されます。親がやることは2つ。
1つは、子どもの伸びたい・やりたいことを拒まない。もう1つは、どんな子どもであろうと、親が「これは絶対伝えたい」と思うものは断固として伝えること。伝わる保証はありません。反発すらされるかもしれない。けれど、親自身が「価値がある」と認識しているものを振り返って明示する。
音楽でも人助けでも、コツコツ勉強することでも、何でもいいんです。本当に価値があると思うなら、信念を持って伝えろ、と。
橘:でもそれが伝わるとしたら、親と子が遺伝的に似ているからじゃないですか。
安藤:そうです。その確率もそこそこ高いんです。基本的には両親の平均値になる確率が相対的に高いですからね。
しかし両親と全然違う性質を遺伝的に持った子どもが生まれる確率もゼロではない。なにしろ全染色体上に散らばる何千、何万というDNAの変異の組み合わせが一人の子どもを作り、親から子への伝達のされかたは、トランプを配るときのようにランダムですから。一組の親から、理論的にはあらゆる素質の子どもが生まれると考えてもいいくらいです。親の音楽的素質が遺伝的には子どもに伝わらなかったかもしれない。でも親自身が音楽が素晴らしいと思って伝えようとすること自体は、仮に能力として伝わらなくても意味があると私は考えています。
■「津久井やまゆり園事件」に繋げてはいけない
橘:遺伝の話が難しいのは、身長や体重と同じように知能や性格が遺伝するというのは、たんなる生物学的事実にすぎないのに、そこにどうしても優劣が生じてしまうからですね。
安藤:オリンピックを見て「優れた人はいいな」とみんな思います。
橘:優生思想というのは、もともとはリベラルな思想ですよね。よりよい社会、よりよい未来を作ろうとしたフランシス・ゴールトン(ダーウィンのいとこ)のような知識人が、動物の品種改良があまりに成功したので、同じことを人間にやれば素晴らしい世界が生まれると信じた。
河田:社会にとっていいことと、個人にとっていいことは違います。私の同僚の千葉聡さん(進化生物学者・東北大学名誉教授)の『「科学的に正しい」の罠』(SB新書)にも、リチャード・ドーキンスが「家畜で品種改良できるんだから人間でもできる」と言って大炎上した話が出ていました。できることは確かだけど、やっていいかどうかの判断をどこに置くかが重要です。
■個人で「優生学」を実践できる時代
橘:かつては国家が優生学を実践したことでホロコーストのような悲劇を引き起こしたのですが、今ではそれを個人レベルで行なえるようになった。遺伝子疾患のない子どもがほしいというのは親の正当な願いで、遺伝子編集のようなテクノロジーでそれが可能になるなら、「優生思想だ!」として止めるのは難しいんじゃないでしょうか。中国などでデザイナーズベイビーが誕生する未来は、すぐそこに来ています。
河田:「優生学=悪」とはじめから断定してしまうのではなく、個人主義的優生学は社会としてどこまでなら許されるのか、という議論を十分にすることが重要だと思います。
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河田 雅圭(かわた・まさかど)
進化生物学者
1958年、香川県生まれ。帯広畜産大学畜産学部獣医学科卒業、北海道大学大学院農学研究科修了(農学博士)。静岡大学教育学部助教授、東北大学大学院理学研究科助教授、東北大学大学院生命科学研究科教授などを経て、2023年から東北大学教養教育院総長特命教授、名誉教授。専門は進化学、生態学。ヒトを含め様々な生物を対象に、ゲノムレベルから集団などのマクロレベルをつなぐ進化研究を行ってきた。’17年に日本進化学会学会賞および木村資生記念学術賞受賞。’20年に日本生態学会賞受賞。著書に『はじめての進化論』(講談社現代新書)、『進化論の見方』(紀伊國屋書店)、『ダーウィンの進化論はどこまで正しいのか?』(光文社新書)、『心はどこまで進化したのか』(河出書房新書)など。進化についての解説記事をnoteで公開している。
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橘 玲(たちばな・あきら)
作家
1959年生まれ。早稲田大学卒業。2002年、国際金融小説『マネーロンダリング』でデビュー。同年、「新世紀の資本論」と評された『お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方』(幻冬舎)が30万部を超えるベストセラーに。05年の『永遠の旅行者』が第19回山本周五郎賞候補に。『言ってはいけない 残酷すぎる真実』で2017新書大賞受賞。著書に『「読まなくてもいい本」の読書案内』(ちくま文庫)、『テクノ・リバタリアン 世界を変える唯一の思想』(文春新書)、『スピリチュアルズ 「わたし」の謎』(幻冬舎文庫)、『DD(どっちもどっち)論 「解決できない問題」には理由がある』(集英社)など多数。
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安藤 寿康(あんどう・じゅこう)
慶應義塾大学文学部教授
1958年東京都生まれ。慶應義塾大学文学部卒業後、同大学大学院社会学研究科博士課程修了。教育学博士。専門は行動遺伝学、教育心理学。主に双生児法による研究により、遺伝と環境が認知能力やパーソナリティに及ぼす研究を行っている。著書に『遺伝子の不都合な真実』(ちくま新書)、『遺伝マインド』(有斐閣Insight)、『心はどのように遺伝するか』(ブルーバックス)、『生まれが9割の世界をどう生きるか 遺伝と環境による不平等な現実を生き抜く処方箋』(SB新書)、『教育は遺伝に勝てるか?』(朝日新書)などがある。
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(進化生物学者 河田 雅圭、作家 橘 玲、慶應義塾大学文学部教授 安藤 寿康 構成=ライター・編集者、井上英樹)

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