※本稿は黒田未来雄『羆追人たち』(山と溪谷社)の一部を再編集したものです。
■マイナス30℃を下回る環境で…
「十六線小屋にはね、幽霊が出るっていわれてるんですよ。誰もいないはずなのに、2階から『ミシッ、ミシッ』って足音が聞こえてくるんです……」
十六線小屋とは、北海道大学天塩演習林(現在は研究林と名称が変わっている)に建てられたプレハブ小屋のことだ。研究調査に使われ、職員や学生が寝泊まりもしていた。外気温がマイナス30℃を下回る中、部屋の中では灯油ストーブが焚かれる。すると、寒暖の差により建物が軋む。
科学者なので、超常現象であるはずはないことは頭では分かっている。しかし、寒風吹きすさぶ長く暗い冬の夜の間には、心細くもなる。いつしかその音が、幽霊の足音に聞こえてくることもあるのだそうだ。
天塩山地は、北緯45度付近に広がる日本最北の森林地帯だ。
低気圧が近づくと、その軽い雪が突風で飛ばされるのだからたまらない。猛烈な地吹雪が吹き荒れ、目の前は白一色となってしまう。1メートル先も見えない、いわゆる「ホワイトアウト」という状態だ。
車で走っていると、前の車のテールランプが見えなくなり、いつ追突するか分からない。徐々にどこが道路かも分からなくなってくるが、車を停めてしまうと、今度は後続車が追突してくる危険性がある。
進むことも止まることもできない中、祈るような気持ちでノロノロと車を走らせるしかない。
歩くのも困難を極める。まっすぐに立っていることなど到底できない。視界がゼロの中、姿勢を低くし、這うようにして進む。100メートルほど先の演習林事務所まで、毎日通い慣れた道を歩いているだけで「あやうく遭難しかけたこともあります」と青井は笑う。
■大学院に落ちてクマ調査の道に
北海道大学に通う学生だった青井が、天塩演習林に初めて足を踏み入れたのは1974年のことだった。きっかけはあまり褒められたものではなかった。
「大学生活はクマ研一色でね。あまりに楽しすぎたんで、5年かけて卒業しました。その後大学院に進もうとしたら、試験に落ちてしまったんです。かといって就職するあてもなく、どうしようかとオロオロしていたところ、天塩演習林に勤めていた先輩が『こっちに来てヒグマの調査でもしないか?』って誘ってくれたんです」
その4年前に発足したクマ研は、主に北海道の中央部に位置する大雪山を拠点として、ヒグマの観察や調査を行っていた。しかし、より多角的な研究をするために、新たなフィールドを探していた。
当時、クマ研の代表をしていた青井は、同僚と共に天塩演習林でのヒグマの足跡やフンを探す調査を開始した。
■やってきた好機
生涯をかけてクマの研究をしたいと思っていた青井に好機が訪れたのは、2年後の11月17日のことだった。降ったばかりの雪の上に、真新しいヒグマの足跡を見つけたのだ。そんなに大きくはないので、親から離れたばかりの若い個体だろうと推測できた。
足跡の主は山を越え、谷を渡り、たまに雪の下のドングリなどを掘り起こすとき以外は、どこかを目指すように直線的に移動していた。
四本足で長く鋭い爪を持つヒグマは、急斜面をものともしない。青井は必死に後を追った。息せき切って険しい上り坂をよじ登り、やっとのことで稜線に辿り着いた途端、ヒグマの足跡は谷底深くへと降りている。
「足跡を追って谷を下った途端に、また急斜面を登る羽目になることが目に見えているので、気分がゲンナリするんですが、もうやるしかないな、と」
今のように、防水・防寒性能に優れた装備があるわけではない。毛糸のセーターの上に化繊のヤッケを羽織り、米軍や自衛隊から払い下げの作業ズボンの上からオーバーパンツを履く。
足元は雪が入ってこないように上部が紐で縛れるようになっている長靴だ。それでも深い雪の中をラッセルしていると、下半身はびしょ濡れになってしまう。足の指の感覚がすぐに失われるが、そのまま何時間でも歩き続けた。
■過酷な調査のお供
暗くなると宿舎に戻り、冷えた体を温める。ストーブの周りに濡れた服をかけて乾かす。長靴の中には、まずは丸めた古新聞紙を詰めて水を吸わせる。しばらくしたら新聞紙を取り出し、残った湿気を蒸発させる。
翌朝、まだ乾いていない長靴に足を入れるのは気が進まない。それでも「エイヤッ!」と気合を入れて足を突っ込み、氷点下の山へ出掛けてゆく。
毎日の弁当は、通称「ビニ弁」。弁当箱の代わりに、ビニール袋(ポリ袋)にご飯やおかずを詰めたものだ。
「できあがったら最後に袋の口を縛って、ポイってザックに入れて持っていきます」
ビニ弁の始まりは、あるときクマ研の一員が弁当箱を忘れてきたことがきっかけだった。そのメンバーは、分析用のサンプルとしてヒグマのフンを回収するための厚手のポリ袋に、米とおかずを詰めた。
ポリ袋は軽いし、食べ終わったらクシャクシャに丸めるだけなのでかさばらない。袋に口をつけてそのまま食べれば、箸も必要ない。少しでも荷物を減らしたい山歩きには最適だった。
ビニ弁の利便性と合理性に目覚めたクマ研メンバーは、次々と弁当箱をやめてポリ袋を使うようになっていった。青井は当初、「その袋は調査用品だぞ」と渋い顔をしていたが、自分自身もビニ弁に鞍替えするまで、そう時間はかからなかった。
■携行食はゴマ油が決め手
「朝飯用に炊いたご飯の残り、続いて余ったカマボコやハンペンなどのおかずを入れます。その上からカツオ節を散らし、ゴマ油を一周かけ、最後に醤油で味を調えるんです。アレも入れてみよう、コレも入れてみるか、とみんなで試しているうちに、自然発生的にできあがったレシピなんですが、これがメチャクチャ美味しいんですよね。
特に腹が減っているときは、涙が出るくらいに旨い。毎日変わり映えのしない弁当なのに、不思議と飽きない。秘訣はゴマ油ですね。これがあるのとないのでは、味わいに雲泥の差が出るんです」
レシピとしては完成されている究極の携行食だが、唯一の難点は、ポリ袋には保温性がないことだった。毛皮や予備衣料で包んでも、昼になるころにはザックの中でジャリジャリに凍っていることが多い。寒風吹き荒ぶ中、凍える手でビニ弁を揉んだり、お湯をかけたりして、なんとか溶かしながら食べていたという。
■ヒグマの冬眠場所発見が悲願だった
そんな思いをしてまで足跡を追いかけていたのには理由があった。どうしても、冬眠穴を探り当てたかったのだ。
そして、最大の理由がテレメトリー調査だった。動物に無線発信機を装着して行動範囲や経路を調べる手法は、現在では野生動物の研究に欠かせない。当時も、既にキツネやネズミなどで成果を上げていた。しかしヒグマは、何といっても生け捕りにする難易度と危険性が並外れて高い。
また移動も広範囲にわたるので、追跡も困難を極める。当時はまだ、日本国内でヒグマのテレメトリー調査が行われたことはなかった。
このヒグマの冬眠場所を突き止めれば、起き出すタイミングで発信機を装着できるかもしれない。
ヒグマのテレメトリー調査はクマ研の悲願であり、その年の秋には、既にメンバーが発信機の試作を始めていた。もっとも初号機の電波は10メートルしか飛ばず、小型哺乳類の研究者に「ネズミ用の発信機よりも性能が悪い」と笑われたという。
■吹雪のなかクマの足跡を追い10日…
やがて、2日に1度くらいの割合で吹雪が襲い、足跡をかき消してしまうようになった。わずかに窪みが残っていればまだいいが、なんの手がかりもない場合は、勘を働かせてまた一から探し直す。
苦行ではあるが、必ず終わりは来るはずだ。「ヒグマが寝ないわけがない」と自分に言い聞かせて粘る。寒さは日に日に厳しくなり、もういつ冬眠穴に入ってもおかしくない。兎にも角にも、目の前の足跡を絶対に見失ってはならない。体力の限界を迎えている青井を、執念だけが支えていた。
追跡を始めて10日ほどが経つと、クマの歩き方に変化が現れた。
「移動する距離が短くなり、1キロメートル四方くらいの範囲をグルグル回るようになってきたんです。冬眠穴が、すぐそばにあるはずだと確信しました。それまでの疲れが吹っ飛び、ますます追跡に熱が入りました」
後ろから追いかけているつもりなのに、自分たちの足跡の上をヒグマが踏んでいることもあった。
いつヒグマとパッタリ遭遇してもおかしくない非常に危険な状態だ。いやが応でも緊張感が高まる。
そして、運命の12月2日を迎えた。
■予期せぬ遭遇
青井はその日、大学2年生だった後輩の山本牧と山に入った。天塩演習林内の施設に住み込んで毎日ヒグマを追う青井をサポートするため、クマ研メンバーが札幌から順番に応援に来ていたのだ。
前夜に荒れ狂った吹雪のおかげで、足跡は埋もれて見つからない。しかしヒグマがいるであろうエリアは見当がついている。青井は山本と手分けをし、隣り合った稜線を登りながらそれぞれでヒグマを探すことにした。かなりの時間歩いてみたが痕跡はなく、諦めて引き返してきたとき。
たった2分前につけた自分の足跡を、ヒグマが踏んでいるのを見つけた。「しまった、近づきすぎた……」。冷や汗が出た。まずは一旦、山本と合流したほうがいい。青井は山本がいるはずの方向に向かった。
そのとき、山本は山本で真新しいヒグマの足跡を見つけていた。そして2人が合流した途端、遂にヒグマと出くわしてしまった。足跡から想像していた通りの、小さなヒグマだった。
しかし小ぶりとはいえ、人間の命を奪う力は十分にある。当時、クマに唐辛子成分を吹き付けて撃退するスプレーは、まだ存在しなかった。ハンターではないので銃を持つこともできない。
棒の先端を削って鋭く尖らせた長い杖と、腰にぶら下げたナタだけが頼りだ。青井はとっさにナタの柄を握りしめたが、鞘から抜く前にヒグマは走って姿を消した。
■やっと見つけた冬眠穴
さらなる追跡か、安全優先の撤退か。青井は山本と小声で話し合った。その結果、逃げたクマを追いかけるのはあまりに危険だが、どこから来たのか足跡を逆に辿りなおすのは大丈夫だろう、という結論に至った。2人はあたりの気配に神経を尖らせながら、ゆっくりと歩き出した。
アップダウンを繰り返しながら歩くこと20分。40度もあるような傾斜の下に出た。足跡は急斜面を下ってきている。
両手も使って必死に体を支えながら登る。数十メートルをさかのぼり、小さな段差から顔を出した瞬間。目の前に太い枯れ木の株があった。上部は失われていて、根元にポッカリと穴が開いている。内部にはササが敷き詰められ、青々とした葉が入り口から外に溢れていた。
「ひと目見て冬眠穴だと分かりました。そんなに深くなくて一番奥まで見えたんですが、中は空でした。もしあの瞬間、ヒグマがいたら殺されていてもおかしくなかったな、と……」
たまたまヒグマが外出中だったとはいえ、すぐに戻ってこないとも限らない。慌てて必要な計測を行い、記録写真を撮る。急斜面での作業中、山本が思わず足を滑らせた。山本はそのとき、青井に大目玉を喰らったことを今でも覚えている。
「汗臭いヤッケの匂いを思い切り雪につけてしまったんです。クマはとっても嗅覚の鋭い動物ですからね。『せっかく見つけた冬眠穴を、放棄されたらどうするんだ!』って、いつもは温厚な青井さんなんですが、あのときは本気で怒られました」
やっとのことで念願の冬眠穴を見つけた喜びに浸る間もなく、2人は逃げるように斜面を下った。
■戻ってきてくれた!
翌日。気温マイナス14℃の中、青井と山本はまだ真っ暗なうちから行動を開始した。冬眠穴は、車が普通に通行している舗装路から300メートルほどのところにあった。たまたま冬眠穴を覗くことができるポイントがあったため、2人はそこに車を停め、息を潜めて車内から見守った。
しばらくして、枯れ木が見えるくらいの明るさになってきた。双眼鏡で覗くが、ヒグマの姿はない。
「やっぱり放棄されてしまったんだろうか……」。
不安に押しつぶされそうになる。ようやく稜線から太陽が顔を出しても、まだクマは現れない。ただ待つことしかできない青井は、絶望感さえ覚え始めた。藁にもすがる気持ちで祈ること数分。突然、穴の奥から黒い影がのそりと現れた。
「いたんだ! 戻ってきてくれたんだ! って。あのときの嬉しさは一生忘れることができません」
青井は山本と顔を見合わせ、深く頷き合った。
続いて2人は、冬眠穴の向かいの稜線をこっそりと登った。穴を見ることができる場所を探し出し、中腹にそっと身を隠す。姿を現したヒグマは、大きなあくびをすると斜面をゆっくりと登り、尾根に向かった。人間の存在には気がついていないようだ。
尾根に出たクマは青井に尻を向け、何かゴソゴソとやっている。一面真っ白な山の中で、緑色の葉が揺れる。稜線上は風当たりが強くて雪が飛ばされるため、たくさんのササが頭を出していたのだ。よく見ると、ヒグマはそのササの葉を食いちぎっては下に落としている。
■日本初の快挙
40枚ほど溜まると前足でかき集め、後ずさりしながら来た道を戻ってゆく。
そして冬眠穴まで戻ると、ササの葉を引っ張り込んだ。長い冬を暖かく過ごせるように、寝床を作っていたのだ。尾根から冬眠穴まで後ずさりしながら戻る間に、せっかくとったササの葉が前足の隙間からこぼれ落ち、量が半分くらいになってしまう。
それでも懸命に葉を集め続ける小さなクマの姿が健気に思えた。野生下で、冬眠のための準備行動がきちんと観察されたのは、日本で初めてとなる快挙だった。
ヒグマがササを集める行動は翌日まで見られたが、その後は穴から完全に体を出すことはなくなった。テントを張ることもできずに青井たちは観察を継続した。風が容赦なく体温を奪い、雪が体に積もって全身真っ白になりながら、じっと動かずに冬眠穴を見つめ続けた。
ヒグマはたまに入り口付近に出てきて雪を舐めるくらいだったが、青井たちが弁当を食べ始めた途端に顔を出したことが2度あった。鋭い嗅覚で食べものの匂いを嗅ぎつけたのかもしれない。
折しもそのころは選挙の前で、田舎道とはいえ選挙カーが通ることもあった。大音量で候補者の名前を連呼する声が聞こえてくると、起き出したクマは不思議そうな表情で耳を傾けていたという。
12月10日を過ぎると、ヒグマは穴から顔も出さなくなった。12月15日、完全に冬眠に入ったと判断し、青井は観察を終了した。
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黒田 未来雄(くろだ・みきお)
作家・狩猟家
1972年、東京生まれ。東京外国語大学卒。1994年、株式会社三菱商事入社。国産車のアフリカへの輸出を担当。1999年、NHKに転職。ディレクターとして「ダーウィンが来た!」などの自然番組を中心に制作。北米先住民の世界観に魅了され、現地に通う中で狩猟体験を重ねる。2016年、北海道への転勤を機に自らも狩猟を始める。2023に早期退職し、北海道に移住。執筆、講演会や授業を通じて野生動物や先住民からの教えを伝えている。著書に『獲る 食べる 生きる 狩猟と先住民から学ぶ“いのち”の巡り』(小学館)、『羆追人たち ヒグマの虜になった10人』(山と渓谷社)。アウトドア雑誌『BE-PAL』(小学館)に「脱サラ猟師からの手紙」連載中。NETFLIXドラマ『地面師たち』(2024)では狩猟シーンの監修を務める。
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(作家・狩猟家 黒田 未来雄)

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