※本稿は、山極寿一、田島木綿子『人間が失いかけた ゴリラ・イルカの仲間を信じる力』(青春出版社)の一部を再編集したものです。
■「死」から「生」の記録を掘り起こす
私は日々、海岸に打ち上がるクジラやイルカを解剖し、その「死」から彼らの「生」の記録を掘り起こしています。
なぜこの子は死ななければならなかったのか。どんな家族と、どんな海を旅してきたのか。どうしてこの浜にストランディングしてきてしまったのか。
その凄まじい現場から見えてくる、シャチたちの「群れの真実」をお話しします。
群れは、血縁関係を基本として、数頭から十数頭で構成されています。シャチは、一定の海域に定住する「レジデント型(定住型)」、外洋と沿岸を定期的に回遊する「トランジェント型(回遊型)」、ずっと外洋ばかりにいる「オフショア型(外洋型)」の3つのグループに大別されます。
■「お見合い」で平和を保つ母系社会
いずれにしても、シャチの社会は、経験豊富なメスが率いる徹底した「母系社会」です。群れ(ポッド)のリーダーは、酸(す)いも甘いも噛(か)み分けた「ビッグママ」。その下に娘たちがいて、さらにその子どもたちがいる。
面白いのは、オス同士がリーダーの座を争ったり、メスを激しく奪い合ったりすることがほとんどない点です。なぜか。彼らには「スーパーポッド」という、いわば大海原の「集団お見合い」のシステムがあるからです。
シャチは繁殖期(はんしょくき)になると、それぞれのポッドが一堂に会し、そこでパートナーを見つける。これによって遺伝的なリスクが高くなる近親相姦(きんしんそうかん)を避け、群れの中の余計な対立を未然に防いでいると考えられています。
争いにエネルギーを割(さ)くくらいなら、もっと「前向きな目的」のために群れを作る。このあたり、ゴリラの平和主義とどこか似ていますよね。
■「個」が自立した、甘えのない関係性
ただ、シャチの群れを見ていると、ある種のスッキリとした「冷たさ」というか、「個の強さ」を感じます。
人間社会では「なんとなく寂しいから」と集まったり、傷をなめ合ったりすることもありますが、シャチにとっての「群れる」目的とは、餌(えさ)を獲(と)る、外敵から身を守る、命を繋ぐといった、生きていくために必要なことばかりです。すべての個体が明確な目的を持って、主体的に動いているのでしょう。
「個」がしっかり自立しているからこそ、群れとしての機能が最大化される。個体識別をベースにした「個の認識」が、シャチの世界ではきわめてシビアに、かつ高度に完成されていると感じます。
■「ビッグママ」が導く最強の教育現場
そして、この群れの中で最も感動的で、かつ凄惨(せいさん)なのが「教育」の現場です。ビッグママは、生きるための術(すべ)を驚くほど徹底的に子どもたちに伝承(でんしょう)します。
たとえば、狩りの訓練。アザラシなどの獲物をお母さんシャチが甘噛(あまが)み、というか半殺しにしておいて、とどめを子どもたちに刺させて、狩りの仕方、生きる術を伝承していきます。あるいは、コクジラの上に乗って海中に沈め、呼吸を封じて弱らせる。
そこへ子どもたちがやってきて、大人の真似をして上に乗り、命を奪う術を学ぶ。アザラシやコクジラからすればこれほど残酷なことはありませんが、これが厳しい自然界を生き抜くための「知恵のバトン」なんです。
これを「愛情」と呼んでいいのかはわかりません。でも、死に物狂いで生きる術を教え込む親と、必死にそれに応える子の姿には、理屈抜きで心を動かされます。
「かわいそう」という言葉だけで片付けてしまったら、自然の真理は見えてこない。シャチたちの冷徹なまでの自立心と、それを支える濃厚な血縁(けつえん)の絆。その「ギャップ」こそが、私がシャチという生き物にどうしようもなく惹(ひ)かれる理由なんです。
■親子関係の密度を決定する「胎盤」の秘密
海の哺乳類が持つ知性について考えるとき、私はいつも彼らの存在そのものが、1つの「壮大な知性の物語」のように思えてなりません。その理由を、少し順を追ってお話ししてみたいと思います。
まず、獣医としての視点から、彼らの社会を支える「個」の成り立ちについて触れてみます。
実は哺乳類の社会性の特徴は、母体と子を繋ぐ「胎盤」の構造と密接に関係している、という興味深い説があります。
霊長類、とくに人間は、胎盤が母親の子宮壁(しきゅうへき)と非常に深く強固に結合しています。この結合の強さが、難産のリスクをともなう一方で、母子の生理的・心理的な密着度を極限まで高めている一因ではないか、という考え方です。
対してクジラやイルカの胎盤は、結合が比較的ゆるやかな「散在性(さんざいせい)胎盤」に近い構造をしています。さらにクジラの出産は、ぎりぎりまで呼吸を確保するために「尾ビレ」から出てくるスタイルです。
産み落とされた瞬間、結合が解かれた子は自力で海面へ泳ぎ、最初の呼吸をしなければなりません。
この生理的な「自立の早さ」が、ベタベタしすぎず、それでいて互いを尊重して協力し合うという、イルカやシャチ特有の「自立した個による社会」を形作る背景にあるのかもしれません。
■肺呼吸のまま海へ戻った「挑戦者たち」
「自立した個による社会」を構築している彼らの世界には、先ほどお話ししたように、確かな知性を感じさせる行動が随所に見られます。
そもそも、彼らの存在そのものが壮大な知性の物語であると感じるのは、その進化の足跡(そくせき)にあります。
クジラやイルカ、シャチの祖先は、数千万年かけてようやく陸に上がったにもかかわらず、なぜか再び海へと戻る道を選びました。
しかも、魚のようにエラ呼吸に戻るのではなく、水の中では不便なはずの「肺呼吸の哺乳類」のまま、海での暮らしに適応していったのです。
呼吸のために定期的に海面へ上がり、凄まじい水圧に耐え、泳ぎながら授乳し、体温を奪う海水の中で内臓を冷やさないよう複雑な血管網(もう)(ワンダーネット)を発達させる……。
この途方もなく困難な適応を、彼らはテクノロジーに頼ることなく、おそらく数えきれないほどの試行錯誤(しこうさくご)を乗り越えて、自らの「身体」1つで成し遂げてきました。
そのプロセス自体に、ある種の知性が宿っているように思えてなりません。
■人間の尺度は「絶対」ではない
「人間は生物界の頂点にいる」という言葉を耳にすることもありますが、それは人間が作り上げた文明社会の中での限定的な見方かもしれません。
もし徒手空拳(としゅくうけん)で海やジャングルに放り出されれば、私たちは一瞬でその無力さを痛感することでしょう。
私たちはクジラのように速く泳げませんし、家ネコより速く走ることも、鳥類のような視力を保つことも難しい。脳の機能がたまたま他の側面で発達したに過ぎない、という捉え方もできるはずです。
知性とは、たんに言葉を操ることや計算ができること、あるいは物事を概念化することだけを指すのではないように思います。
その環境において、自らの能力を最大限に引き出し、よりよく生き、命を繋いでいくための力の総体。もっと言えば、地球という環境を壊さずに存在し続けるための叡智こそが、本来の知性ではないでしょうか。
人間とは異なる進化を遂げ、三次元の広大な海に見事に適応した彼らの能力。それは1つの「壮大な知性」であり、それを敬う謙虚な視点を持つことで初めて、私たちは「ヒト」という種が持つ本来の知性の意味に光を当てることができるのではないかと感じています。
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山極 寿一(やまぎわ・じゅいち)
霊長類学者・人類学者
1952年東京都生まれ。京都大学理学部卒、同大学院理学研究科博士後期課程単位取得退学。理学博士。83年に財団法人日本モンキーセンターリサーチフェロー、京都大学霊長類研究所助手、京都大学理学研究科助教授、教授、京都大学総長等を経て、総合地球環境学研究所所長。アフリカの奥地で40年を超える研究歴を有し、ゴリラ研究の世界的権威。著書に『人生で大事なことはみんなゴリラから教わった』(家の光協会)、『ゴリラからの警告』(毎日文庫)、『共感革命』(河出新書)、『森の声、ゴリラの目』(小学館新書)、共著に『ゴリラの森、言葉の海』(小川洋子 新潮文庫)、『虫とゴリラ』(養老孟司 毎日文庫)、『動物たちは何をしゃべっているのか?』(鈴木俊貴 集英社)など多数。
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田島 木綿子(たじま・ゆうこ)
国立科学博物館動物研究部脊椎動物研究グループ研究主幹
1971年埼玉県生まれ。獣医・海獣哺乳類学者。博物館業務に携わるかたわら、海の哺乳類のストランディング(漂着)の実態調査、病理解剖で世界中を飛び回っている。おもな著書に『海獣学者、クジラを解剖する。
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(霊長類学者・人類学者 山極 寿一、国立科学博物館動物研究部脊椎動物研究グループ研究主幹 田島 木綿子)

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