怒りを向けられたら、どう対応するといいか。文筆家の宮下真さんは「怒りの応酬はどんどん悪いエネルギーを増幅し、しまいには人の心や肉体まで壊してしまう」という。
一日一語、読むだけで心がととのう ブッダのことば』(永井政之監修、永岡書店)より、紹介する――。(第2回)
■怒りの応酬が人の心や肉体まで壊す
怒りには、怒らないことによって打ち勝て。悪には、善の行いによって打ち勝て。物惜しみには、分かち合うことによって打ち勝て。真実によって、虚言の人に打ち勝て。(法句経223)
ここには「目には目を、やられたらやり返せ」という考え方とは対極の教えがあります。
怒りには、けっして怒りをもって返さないこと。この怒りは、腹立ちや憎悪だけでなく、苛立ちや不機嫌、嫉妬、敵意などを含めた「悪い感情」のことを言っています。怒りというのは向けられた相手だけでなく、周囲にも伝染します。
怒りの応酬はどんどん悪いエネルギーを増幅し、しまいには人を破壊に向かわせてしまいます。それは人の心や肉体まで壊してしまうのです。
いまでは心理学の初歩でも学ぶようなことですが、それを最も早く理解していたのがブッダという目覚めた人なのです。
悪には善によって勝て、とつづくこの句は、けっしてきれいごとを並べているのではなく、人はこのようにして克服していくなら“何があっても心静かに生きていける真のつよさを得られる”ということです。
「目には目を」の対処法では、いっときは気分が晴れてもまたやり返され、その後ずっと「いやな気分」で生きていくことになるのです。
■怒りではなく慈悲の心で導く
粗暴なことばを言うな。言われた者は、君に言い返すだろう。怒りを含んだことばは苦痛である。仕返しが君に返ってくるだろう。(法句経133)
荒々しいことばを使うな、怒りにまかせた悪口を言うな、振り下ろした鞭(むち)が自分に跳ね返るように、きっと自分に返ってくるから――。すなわち「相手に苦痛を与えることばは、いずれ自分に苦をもたらす」という戒めです。
ブッダは心の平安を得るには、身心を調(ととのえ)えるだけでなく「ことばを調える」ことも重視しました。「身(しん)・口(くち)・意(い)」の三業(さんごう)(身体(からだ)・ことば・心)を調えよということです。肉体の暴力で相手を傷つけるように、ことばによっても相手を傷つけたり自ら傷つくことがある、という明快な教えがここにあります。
道元禅師(どうげんぜんじ)は、これに呼応するように「汚いことばで僧を叱ったり、過失を言い立ててなじってはいけない。
たとえ相手が道理に反した悪人でも、憎み誹(そし)ってはいけない」と言っています。ではどうするのかというと、「慈悲心をもって善道へ導け、相手が腹を立てないような方法で教え導け(※)」と言っています。
まず自分の怒りを捨て、「慈悲の心」によって解決する方法を考えよというのです。
相手の非に対しても怒りではなく慈悲で報いることが仏の教えなのです。
※ 『正法眼蔵随聞記』の二章に見られる。
■他人に教えるように心を調える
もし他人に教えるように自分でも行うなら、自己はよく調えられて、他人を調えることもうまくいくだろう。じつに自己を調えるのは難しいことである。(法句経159)
ここで言っているのは、まず自分の心というのは御(ぎょ)しがたいということ。
ではどうすればいいかというと、心の調え方を“他人に教えるようにして”自分に行うのがコツで、実際、他人を教えるときもうまくいくだろうと言うのです。要は自分を客観的に見て、自分を指導するように行えということ。
ブッダは、心安らかに生きるにはまず自己を調えよ、心を調えよ、とくり返し説いていますが、その難しさは自らの修行体験を通してだれよりも理解していたはずです。自分をコントロールする難しさをこんなふうにも言っています。

暴走しようとする馬車を制するように、むらむらと生ずる怒りを抑える者、彼をわれは御者(ぎょしゃ)とよぶ。他の者はただ手綱を手にしているだけだ。(法句経222)
御者になれるのか、なれないのか。御者を望むなら、自分を客観的に見て、他人を教えるように「まず怒りを抑え、次に欲を手放し……」と段階を踏みつつ根気よく取り組むことです。ときにはビシッと鞭(むち)を入れることも必要でしょう。
■おだやかな顔と愛のことばで
ことばが怒りを放つのを抑え守れ。ことばをよく制御せよ。ことばによる悪い行いを捨て、ことばによって善行を修めよ。(法句経232)
ことばがむらむらと怒りを持たないようにするには、「和顔愛語(わげんあいご)」という仏教の特効薬があります。これは「おだやかな笑顔(和顔)とやさしいことば(愛語)」で常に人と接するということ。
もとはお経にあることばですが、道元禅師(どうげんぜんじ)はとくに「愛語」を重んじ、「愛語は愛心より起こり、愛心は慈心を種子とせり。愛語よく廻天(かいてん)の力あることを学すべきなり」(愛語とは慈悲を種子とする愛の心から起こるもの。
愛語にはあらゆる困難を一変させる力のあることを学ぶべきだ)と言っています。
愛語の「廻天の力」とは、たとえば怨敵(おんてき)の憎悪さえ打ち砕き、君子をして善の心に目覚めさせる力があるというのです。そしてこんなことばも。
むかひて愛語をきくは、おもてを喜ばしめ、こころを楽しくす。むかはずして愛語をきくは、肝に銘じ、魂に銘ず。(『正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)、菩提薩埵四摂法(ぼだいさったししょうぼう)』)
面と向かってやさしいことばをかけられたら思わず顔に喜びがあふれ、心は楽しく嬉しくなる。人づてにやさしいことばを聞いたなら、嬉しさもありがたさも心に刻まれ、一生忘れることはない――。
愛語はまさに愛のことばなのです。
■老人に安心され若者に慕われる人
粗野でなく、わかりやすく、真実のことばを語り、だれも不機嫌にしない人、彼をわれはバラモンとよぶ。(法句経408)
先にも紹介した「和顔愛語(わげんあいご)」(常におだやかな表情でやさしいことばを話す)の心がけをしていると、こんな人物になれるかもしれません。周囲のだれも不機嫌にしないというだけで、十分人に慕われる人物像ではないでしょうか。
ここでいうバラモンとは理想の修行者、最高の弟子といった意味で、『論語』でいうなら「君子」にあたることばと考えればいいでしょう。
その『論語』には、弟子に「先生の望む人物像を聞かせてください」と問われ、孔子がこのように答える話があります。
「子曰(しいわ)く、老者はこれを安んじ、朋友はこれを信じ、少者はこれを懐けん」(公冶長(こうやちょう)篇五)。
老人には安心され、友人には信頼され、若者には慕われる――そんな人物になりたいものだな、と孔子は言うのです。
人間として、まさにそれで十分ではないでしょうか。こういう人物に不機嫌になる人はいないでしょう。私たちも自分の資質に応じて「こうなりたい人物像」のイメージを持つことは、人生の指針として思いのほか有効かもしれません。

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宮下 真(みやした・まこと)

文筆家・編集者

1957年福島県生まれ。出版社・制作会社を経て独立。仏教や日本・中国の古典を主な分野として出版活動に従事。著書に『禅 心が軽くなる83の言葉』『魂を揺さぶる110のことば 空海』『ブッダがせんせい 心を育てるこども仏教塾』(永岡書店)『猫ブッダは悩まニャイ』(ワニブックス)などがある。

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永井 政之(ながい・まさし)

住職、駒澤大学名誉教授

1946年群馬県生まれ。駒澤大学仏教学部卒。
同大学院修了。仏教学博士。駒澤大学名誉教授。専門は禅学、禅宗を中心とした中国仏教。著書に『中国禅宗教団と民衆』(内山書店刊)、『雲門』(臨川書店刊)などがある。群馬県・良珊寺住職。

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(文筆家・編集者 宮下 真、住職、駒澤大学名誉教授 永井 政之)
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