和定食4000円、カツカレー2500円。東京のホテル並みの値段が、人口9000人の村の食堂に並ぶ。
外国人宿泊者は年45万人、路線価の上昇率は3年連続で日本一。景気はいいはずなのに、村民の心境は複雑だ。「第2のニセコ」と呼ばれる白馬村で今、何が起きているのか。ジャーナリストの坂元隆さんが現地で取材した――。
■村人口の50倍もの外国人がやってくる
午前11時40分、特急列車「あずさ5号」が長野県白馬村のJR白馬駅に到着する。1日1本の新宿からの直行特急だ。ハイシーズンの冬場だと、駅前ロータリーは30分ほど前から村内の旅館やホテルの出迎えの車でいっぱいになる。雪のない、いわゆるグリーンシーズンでも、普段閑散としている駅前はつかの間のにぎわいを見せる。
列車から降り立つツーリストの多くはインバウンド旅行者(外国人)だ。ロータリーに面した創業65年の小さな土産物屋「おじさんの店」の店主、倉科光男さん(76歳)は、「去年くらいから急に『あずさ』に乗ってくる外国人が増えた」と話す。店にやってくる客も多くがインバウンドで、とりわけ冬場はインバウンドのスキー客で店がいっぱいになるという。
一昨年1年間で、人口約9000人の白馬村に約45万人のインバウンド旅行者がやってきた。
昨年はさらに増加したとみられている。白馬村および周辺エリアへの旅行消費額は、外国人がまだそれほど多くなかった2016年度の約288億円から24年度は1.5倍以上の約445億円まで上昇した。主にインバウンドをターゲットにした外国人による観光投資の活発化で、村内の路線価上昇率は今年、対前年比32.7%と、2024年から3年連続で日本一となり、北海道のニセコに次ぐインバウンド観光の目的地として全国的な注目を集めている。
■村を救ったのはオーストラリアのスキーヤーだった
1998年の長野冬季オリンピックでジャンプやアルペンスキーの主会場となった白馬村はいっとき五輪景気に沸いたが、五輪が終わると観光客がぐっと減り、折からのスキー人口の減少と相まって、長い経済停滞に苦しんでいた。それを打破したのが、インバウンド旅行者だ。
最初は「ジャパウ」(Japan powder snowの略称)と呼ばれる日本独特のパウダースノーにひかれてやってきたオーストラリアのスキーヤーやスノーボーダーが中心だったが、SNSなどを通じた口コミによりヨーロッパやアメリカからもスキーヤーが集まるようになった。今では雪を一目見たいとやってくる台湾人や夏場の高原リゾートを味わいにやってくる東南アジアの観光客なども増えてきた。
白馬駅前のにぎわいにもインバウンド急増が一役買っている。長野五輪以降、首都圏から白馬村へのアクセスは、新幹線で長野駅まで行き、そこから五輪に合わせて整備された長野市と白馬村を結ぶ自動車道路、通称「オリンピック道路」を通るバスに乗るのが、主流となっていた。だが、最近では、あえて昔ながらの特急「あずさ」を使うインバウンド旅行者が少なくない。「あずさ」だと新宿から乗り換えなしで白馬まで直行できるのに加え、車窓から山梨県や長野県の田園風景を楽しめるのも魅力のようだ。
■「とっくにダメになっていた」と村長は言うが…
白馬村の丸山俊郎村長(51歳)は、インバウンド旅行者がもし村にやって来なかったら「(白馬村の経済は)とっくにダメになっていた。
村の観光も終わっていたと思う」と率直に認める。地元の旅館や民宿の経営者も、五輪後の景気停滞で苦しんでいた白馬村がインバウンドで救われたことを認めない人はいない。
しかし、白馬村の村民たちの間からは、先行きに不安を感じる声が聞かれる。
「田舎にあこがれて一生住みたいと思って白馬にやってきたが、今は骨を埋める気になれない」
白馬村がペンションブームに沸いていた35年前に、大阪から脱サラして移住し、当時「第2の軽井沢」と呼ばれることもあった村内の別荘地「エコーランド」近くでペンションを始めた福島哲さん(76歳)はため息をつく。
福島さんのペンションにもインバウンド旅行者はいて、インバウンド景気からビジネス上の恩恵を受けているのはたしかだが、インバウンドのあまりの急増に白馬村住民の生活が乱されていると感じている。近くには飲食店が軒を連ねる繁華街があるが、飲食店の顧客の大半は外国人で、なかには飲食店で酔っぱらって深夜大声をあげたり、路上にごみを散乱させたりと、迷惑行為に及ぶ者もいるという。
■なぜ外国人オーナーは村の木を切るのか?
また、福島さんによると、インバウンド需要をあてにした外国人投資家が別荘やペンションを買収すると、自分の物件の敷地にある樹木を伐採してしまうケースが多い。村内に居住していない外国人オーナーたちが樹木の管理を面倒がっているのではないかと福島さんは話す。所有地といえども勝手に樹木を伐採するのは村の景観条例違反だと指摘しても、外国人オーナーは気に留めないという。
「景観は白馬の財産。それが失われていく」と福島さんは残念がる。ただ、それ以上に福島さんが懸念するのは、インバウンドを受け入れる宿泊施設や観光施設が外国人の所有・運営になってしまうことで観光収益が地元に還元されず外国に流出してしまう「第2のニセコ化」だ。

「(インバウンド旅行者の中には)旅行の費用を全部母国で精算する方が多い。たとえば、オーストラリアのスキーヤーだったら、宿泊代だけでなくスキーのレンタル料金なども含めて全部パッケージで支払いを来日前に済ませてしまう」
■「第2のニセコ」は褒め言葉ではない
福島さんに限らず、村の関係者の多くが白馬に対する「第2のニセコ」というレッテル貼りに懸念をにじませる。白馬がニセコに続いて、インバウンドをてことして世界的なスキーリゾートに成長しようとしているのは間違いないが、観光産業そのものが外国資本に支配されているかのようにみえるニセコの負のイメージが白馬で現実化するのだけは避けたいと考えているからだ。すでに白馬でも外国人による土地買収と観光開発はペンションや別荘のような小口のものにとどまらず、マリオットやバンヤンツリーといった外国資本の高級ホテルチェーンがホテルを建設済みもしくは建設中だ。
戦前から登山客相手の宿が存在した白馬村は「民宿発祥の地」と言われる。現在でも旅館やペンションなどこじんまりした宿泊施設が多い。
村内の老舗旅館の社長、丸山貴義さん(49歳)は、インバウンド増加によって経営が安定化したと言いながらも、地価の高騰で施設を手放す経営者が続出していると指摘し、「なかには外資系ホテルの従業員寮になったところもある」と話した。「村内のスキー場も一時外資に渡そうという話があったが、利益を全部外国に持っていかれるのは良くないということで踏みとどまった。お金を国内でキャッチする仕組みを作るべきだ」と訴えた。
■ニセコは「空中戦」、白馬は「地上戦」でいく
白馬村が今後もインバウンド旅行者なしではやっていけないということはだれもが認識している。第2のニセコにならずに、インバウンドを受け入れ続け、ニセコに負けない世界的リゾートになるにはどうしたらよいのか。白馬が抱える最も重い課題だろう。

「ニセコは空中戦だったが、白馬は地上戦でいくべきだ」。2000年代前半からインバウンド・ブームに乗って白馬村の観光開発を手掛けてきた地元の不動産会社「さくら不動産」の橋本旅人代表取締役(48歳)は観光開発の手法についてニセコとは違う道をとるべきだと主張する。橋本氏は、ニセコの観光開発について、外資が土地の購入にとどまらず、購入資金の調達まで行ってしまう傾向があり、地元住民の「頭の上をお金がびゅんびゅん飛び交っているだけ」の「空中戦」になっているという。これに対して、白馬村では、地元の金融機関や不動産業者、デベロッパーなどがタッグを組んで開発に乗り出す「地上戦」でいくことが肝要だと訴える。
実際、これまで白馬村では外国人がオーナーになった宿泊施設でも、建設やファイナンスは外資ではなく、地銀と地元建設会社が担ったケースがあるという。橋本氏自身、1万平方メートル以上の広さの土地は外国人には原則的に売らない方針をとる一方で、富裕層インバウンド向けホテルを経営している。外国人の顧客や投資家を迎えながらも、開発の上流から下流まですべてを外資任せにはせず、地元企業が積極的に関与していくことでバランスを取り、収益の少なくとも一部は確実に地元にとどめようという作戦だ。
■宿泊税、二重価格だけでは足りない
住民と共存する形でインバウンド観光を振興し、観光収益が外国に流出するのを防ぐことを目指す試みは、村の行政側でも始まった。
旅館経営者出身で、7月に再選された丸山村長は2期目の課題として「村民の暮らしと観光振興の両立」を掲げた。再選後の筆者とのインタビューで丸山氏は、一部のインバウンド旅行者によって落書き、路上スキー、交通事故などで村民が迷惑をこうむっている事例があることを認めたうえで、旅行者に対する啓発活動を行いつつ、6月から始まった宿泊税による税収を利用して防犯カメラの増設など村内の防犯体制の強化に取り組みたい姿勢を示した。
また、村内の物価について「円安の影響もあり、観光価格になって住民にとって高くなっている」と指摘し、昨年始まった地域通貨を利用して「(住民と住民以外の価格設定を分ける)いわゆる二重価格のようなものを導入して、村民の生活に支障ないような価格を提供したい」と述べた。他のインバウンド観光地同様、白馬の場合も飲食店などの物価高騰は顕著で、一般的な食堂でも和定食4000円、カツカレー2500円といった東京のホテル並みのメニューを掲げているところもある。

■激増していたインバウンドに異変が…
一方、丸山村長は、村内の土地価格の上昇について、経済を活性化させる効果があることを認めつつも、外国人による短期転売などに懸念を示し、投機的な土地取引を抑制するために設けられた国土利用計画法に基づく「監視区域」に村を指定するよう県に引き続き求めていく方針を表明した。さらに、「(土地を)持っているだけで税金があがってしまうのは今の(村の)状況には合っていない」と述べて、国に対して、外資規制が難しいようなら税制面での何らかの規制をすべきとの考えを示唆した。
白馬村の問題は、インバウンドで観光立国を目指す日本全体の問題でもある。
急勾配の右肩上がりを続けてきた訪日インバウンド旅行者数は今年、コロナ禍以降で初めて前年を割りそうだ。対中関係悪化に伴う中国からの訪日客激減やコロナ後の回復基調の落ち着きなどにより、推計値ベースで4~6月の3カ月連続で前年を下回った。JTBが年頭に発表した見通しでは、2026年は4140万人と前年の97.2%にとどまると予測している。今年3月に発表された政府の「第5次観光立国推進基本計画」で改めて打ち出された、2030年までにインバウンド6000万人の目標を達成するには来年以降、毎年、前年より10%近い増加を続けなくてはならない。目標達成には黄信号が灯ったといってもいいだろう。
■インバウンドの「量」を追う時代は終わった
インバウンドの「量」を追い求めて、観光産業の拡大を図ってきた時代は明らかに終わりつつあり、今後は限られた数のインバウンド旅行者が国内に落とすお金を最大化し、かつ効率よく国内で取り込んでいくのが、観光立国実現のうえで極めて重要になってくる。
日本のインバウンド・コンサルタントの草分けで「やまとごころ」代表取締役の村山慶輔氏は、「6000万人を目指す必要があるのか疑問を持っている」と述べたうえで、観光立国の達成度を測るためにはインバウンド旅行者数ではなく、観光消費がどれだけ域内で調達されているかや、観光が地元住民の暮らし向上にどれだけ寄与したかなどの指標を複合的に使うべきだと話す。そのうえで、観光収益が外国に流出するのを防ぐために土地売買などで世界水準に沿った一定の規制導入も必要だと指摘した。
今後もインバウンド観光が発展していくための方策のひとつとして、観光の「高付加価値化」を挙げるのは、瀬戸内地域におけるインバウンド観光振興のキーパーソンをつとめ、現在は地域経営推進機構代表取締役として観光を軸とした地域活性化に取り組んでいる井坂晋氏だ。

井坂氏は「(観光の)高付加価値化はマストだ」と話し、インバウンド旅行者をやみくもに増やすのではなく、限られた富裕層を相手に単価の高い観光サービスを提供することの有効性を指摘する。井坂氏によると、オーバーツーリズムが深刻化している京都でも高級料亭などでは単価の高さが一種の障壁となってインバウンドが殺到する状況を回避できているという。
■値上げだけでは、富裕層も白馬から去っていく
白馬村でも、インバウンド旅行者が年々急増する一方で、富裕層を対象としたホテルや飲食店などが次々とオープンしている。地域の観光サービス全体の単価がさらにあがっていけば、インバウンドもしだいに富裕層に絞られて、騒音や景観の問題はある程度鎮静化しつつ、収益は伸びるということが可能かもしれない。
ただし、単価上昇が観光サービスの高付加価値化に裏打ちされていなければ、富裕層は不満を抱いて白馬から去って行ってしまう。また、高付加価値化に地元住民が寄与していないと、収益の海外流出を防げない。
これらの課題をクリアして、白馬村が地元に確実に利益をもたらす世界的な高原リゾートとして成長できるのか。まさに正念場である。

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坂元 隆(さかもと・たかし)

ジャーナリスト

1983年読売新聞社に入社、国際報道記者としてニューデリーで3年、ワシントンで8年特派員を務める。経済部記者、国際部長、論説副委員長などを経て、2014年に読売旅行に。18年に社長、23年に会長に就任。また19年からは、月刊誌「旅行読売」を出版する旅行読売出版社の社長も兼ねた。25年に読売旅行退任後はフリージャーナリストとして主に観光・国際分野を取材している。

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(ジャーナリスト 坂元 隆)
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