厚生労働省によると、2025年3月の生活保護の申請件数は、2万2484件(前年同月比867件増加、4.0%増)。生活保護を開始した世帯数は、2万395世帯(同1062世帯増加、5.5%増)。賃金は上がらず、物価が異常に高騰する中、さらに生活保護が必要な人々が増えるのは必至な状況だ。
介護や毒親の取材現場で筆者が以前から気になっていたのは、経済的な困窮者が生活保護を忌避するケースが多いことだった。その背景には、不正受給問題はさることながら、生活保護の仕組みの複雑さや“得体の知れなさ”が影響しているのではないか。そんな問題意識を胸に、かつての生活保護受給者の話を通じて制度の実態を明らかにし、正しく救われる人や機会を増やしていきたい。
■接客業で土下座→コールセンターでカスハラ
関東在住の望月真白さん(仮名)は30代半ばの頃、金融系企業のコールセンターで働いていた。
最初は現場のオペレーターだったが、約1年半勤務した頃からスーパーバイザーになり、オペレーターが対処しきれない複雑化した案件や、クレーム対応をこなしていた。
コールセンターの前は接客業をしていたが、クレームを言ってきた客に土下座をしたことはあった。だが、コールセンターではひどい時は1時間半くらいクレーム対応を余儀なくされ、トイレにも行けないほどだったという。
「『死ね』と言われて『申し訳ございません』と言うと、『それしか言えねーのか!』とキレられたことも一度や二度ではありませんでした。相手の姿が見えないだけで、クレーマーってすごく悪質になるんですね。電話でも負のエネルギーは伝わるので、連日悪質なクレームの対応をするのはさすがにつらかったです」
■出勤時に動悸や手の震え、息苦しさ
日頃の鬱憤を晴らすためなのか、罵声を浴びせられたり、揚げ足を取られたり。「エビデンスを出せ!」などと言われたこともあった。
スーパーバイザーは、オペレーターからの質問に即時に判断して返答しなければならない。望月さんも当初は素早く状況を理解して最適な回答できたが、だんだん思考力、判断力が低下していき、頭が働かない感覚に陥っていった。
それでも無理をして勤め続けていたところ、ある日突然、出勤時に動悸や手の震え、息苦しさの症状が出るように。
「もうこれ以上は限界だ」と心療内科を受診した望月さんは、「うつ病」と診断され、上司に相談すると、休職を勧められた。その後は、ほとんど家の中で過ごした。
少し回復してきてからは、在宅でできる仕事をするための勉強に勤しんだ。
望月さんはなぜうつ病になってしまったのか。そこには20歳の頃の予期せぬ衝撃的な経験が関係していた。
■脱サラした父親
両親は、同じ出版系の会社で出会い、20代後半で結婚。結婚してすぐに望月さんが誕生している。その後、4歳下に妹、6歳下に弟が生まれた。
父親は50歳くらいで脱サラして、従業員10人以下の小さな出版社を立ち上げた。
「仲の良い家族だったと思います。夏休みに家族で海に行ったりしていました。生活に困ることはなく、ダンスやピアノを習わせてもらっていましたし、何不自由なく暮らしていました」
母親は望月さんが小5、妹が小1、弟が幼稚園の年中になったタイミングでパートに出るように。そして望月さんが中学生になった頃からは、母親も父親の会社の手伝いをするようになっていた。
「父は、子どもの頃はやさしかったのですが、うまくいかないことがあると怒っていたので、感情の起伏が激しい人だと思っていました。母は明るい性格で楽観的な人でした」
高校を卒業した望月さんは、そのまま父親の会社の事務の手伝いをするようになった。
■夜10時、警察からの緊急電話
そして望月さんが20歳になった2007年の冬。
その日は15時頃に父親の会社に行った。
望月さんは、自分の事務の仕事を黙々と片付けると、19時頃には父親に「じゃあね」と行って帰路に就いた。帰り道、なぜか頭痛に見舞われた望月さんは、家に着いて夕飯を食べると、すぐに寝てしまった。
ところがその日の22時過ぎのこと。妹の声で目が醒める。
「お父さんが自殺したって!」
びっくりして飛び起きると、続けて妹が言った。
「警察から連絡。『お父さんが自殺されました。○○病院に来てください』って」
「妹、弟、母で病院へ向かいました。電話では安否は知らされませんでしたが、もう父の命はないかもしれないと脚の震えが止まりませんでした。『生きていますように』と願いながら病院へ向かいました」
病院へ到着すると、通された先は霊安室だった。
「ぐちゃぐちゃだったらどうしよう……と思っていたのですが、顔はきれいな状態だったのは幸いでした」
その後、会社に行くと、父親の机の上に遺書が残されていた。
「私が『じゃあね』と言った時の父の何だか寂しそうな表情が、今も記憶に残っています。最後に会ったのは私だったのに、何も気付けませんでした。あの時気付いていたら……と、何度も何度も自分を責めました」
父親の遺書には、「子ども達へ 自分の分まで強く生きてほしい」と書いてあった。
■父亡き後の貧しい暮らし
父親が自死したとき、妹は高校生、弟は中学生だった。父親は1000万円以上の借金を残して亡くなったため、家族全員で相続放棄をした。父方の祖父母はすでに亡くなっており、母方の祖父母は高齢で頼れなかった。
母親はサービス系の会社に就職し、遺族年金や奨学金、教育ローンなどを利用して2人を大学まで行かせた。
望月さんも転職活動の末にホテルに就職が決まると、月に5万円ほど母親に渡した。
「父の死後は、しばらく4人で生活していましたが、とても貧乏だったので、家賃が払えずたびたび滞納していましたし、電気・ガスが止まることは日常茶飯事でした。トイレが壊れて水が流れなくなっても修理できなかったので、用を足したら自分でバケツに水を汲んで流すという生活をしていました」
父親の死後、望月さんは時々体調を崩すようになった。なぜなら、父親が何度も夢に出てくるようになったからだ。
「父が夢に出てきて、『後悔している、申し訳ない』と謝るのです。そして不思議なことに、夢の中では私が父になり、何度も自殺するのですが、自殺しても自殺しても死ねないため、何度も何度も繰り返しました」
望月さんは、「自殺する夢を何回も見ると、現実でも同じことをする」と聞いたことがあったのと、「今も父が苦しんでいるのではないか」と思ったため、霊能力者を探し、相談した。すると霊能力者は、「お父さんが何度も自殺しているのは、まだ苦しいからだと思います」と言う。
そこで望月さんは、霊能力者を伴って父親の会社があった建物に行き、浄化してもらった。それからというもの、父親の夢は見なくなった。
ところが、体調不良はその後も続き、20代半ばのあるとき、心療内科を受診すると、「不安障害」「パニック障害」と診断された。
望月さんはその後、たびたび休職や退職を繰り返し、32歳の時にコールセンターに転職。
こうして冒頭につながる。
コールセンターに勤め始めて1年半ほどでスーパーバイザーに抜擢された望月さんは、度重なるクレーム対応に精神的に疲弊。約1年後に「うつ病」と診断されると、主治医の勧めで4カ月間休職、その後退職を決断した。
■「あの時気付いていたら」と自らを責める
父親が亡くなった時、望月さんは「あの時気付いていたら……」と自分自身を責めた。もしかしたら仕事でのストレスや疲労はきっかけにすぎず、一番は自責の念が解消されなかったことが、うつ病の原因なのではないだろうか。
大切な人を亡くした時、残された家族などが自分の気持ちや感じていることを表に出せず、心にフタをして抑え込んでしまった状態を英語で「グリーフ(grief)」と言い、日本では主に「悲嘆」と訳されている。
大切な人の死別後の心の傷は、身体の怪我と違って目に見えるものではないため、周りの人に気づかれることなくストレスやフラストレーションが溜まり、身体にその影響が出てしまうことがあると言われる。
望月さんは父親の死後、長子であるという立場や責任感から、気丈に振る舞い、母親を助けてきたのだろう。
「家族で父の思い出を話したり、悲しい気持ちを吐き出したりしていたとは思います。ただ、後悔や自責の念が強すぎて、なかなか気持ちを整理することができませんでした」
父親の思い出話や「悲しい」という気持ちは言葉にしてきたのかもしれないが、後悔や自責の念を言葉にして吐き出しきれてはいないのかもしれない。
■「正直支えられない」と別れを切り出され
望月さんはコールセンターに転職した頃に同棲を始めていたパートナーがいた。福祉系の仕事をしていた彼とはSNSを通じて出会った。
ところがその彼は、休職した望月さんを最初は心配してくれたが、だんだん「いつまで働かないの?」と繰り返すように。
そしてついに休職して2カ月ほど経った頃、「正直支えられない」と別れを切り出され、同棲を解消することになってしまった。
「家賃は折半していて、休職してからも払っていたのですが、精神疾患に理解がない人だったので、『ただの甘え、怠けているだけだ』と思われていました」
望月さんは父親が亡くなってからというもの、彼氏ができると「いつかいなくなるのではないか、捨てられるのではないか」という不安が出てくるようになったという。また、彼氏から少し連絡が来ないと、「事故に遭ったのではないか、万が一のことがあったらどうしよう」と過剰に心配するようになっていたという。それは父親が突然亡くなったことによるトラウマ反応だったのかもしれない。
「あの時、(父の異変・気持ちに)気付いていたら……」と自分を責めたまま、事実と気持ちを整理せずにいるために、“見捨てられ不安”が強く出てしまっていることが考えられる。
■「働かざるもの食うべからず」
望月さんは4カ月の休職で快復してきたため、コールセンターの仕事にパートタイムでの復職希望を出す。しかしフルタイムでの復帰しか認められなかったため、そのまま退職することになった。
それから約1年の休養中、障害者手帳を申請した望月さんは、障害者雇用で在宅の仕事をすることに。しかし半年後、うつ病が悪化し、再び休職。快復する兆しがなかったため、半年で退職することになった。
その頃、住んでいたアパートの更新時期を迎えた望月さんだったが、更新料を払うお金がなく、役所の生活保護の窓口に相談に行く。事情を説明すると、すぐに申請は認められ7日後には受給が始まった。38歳の6月のことだった。
母親(60代)や30代の妹、弟にも扶養照会が行ったが、みんな経済的に余裕がなかった。
「引っ越し代と初期費用をすぐいただいて引っ越しと生活の立て直しをできたことはとてもありがたかったです。でも、家族に扶養照会されることと、自分の口座の入出金を調べられるなど生活に制限がかかること、生活保護を受けることの申し訳なさや羞恥心がありました」
■生活保護費13万円を8カ月もらった
生活保護費は毎月13万円ほど。家賃5万4000円はその中から支払った。
望月さんは3カ月間だけ休養し、すぐにサービス系企業の事務の仕事を見つけ、9月からは一般雇用で働き始めた。すると11月に保護停止となり、2月に廃止に。生活保護受給期間は8カ月だった。
ところが望月さんは、直属の上司からろくに仕事を教えてもらえないまま1年経つ頃にリーダーを任され、残業が増え、またしてもうつ病が悪化。約2カ月半の休養の末に退職し、現在は失業保険と障害年金で生活している。
「失業保険の期限が切れるまでに再就職したいと思っています。医師の診断は反復性うつ病。客観的に見ると、もう一度生活保護を受けて、焦らずにじっくりうつ病を寛解させたほうが、安定して生活できるようになるのではないかと思います。ですが、『早く独り立ちしないと』という固定観念のようなものや焦り、生活保護を再度受けることへの後ろめたさがありました」
そこまで焦るのはなぜなのか。子どもの頃に、両親や祖父母、教師などの身近な大人のことを聞いていくと、ある共通点があった。
「周囲の大人からはしょっちゅう『働かざるもの食うべからず』と言われていました」
抵抗感のある生活保護ではなく、例えば母親と同居すれば、家賃や食費などの負担が軽くなるのではないか。そういった選択肢を筆者が提案すると、
「母からも、都営住宅などで一緒に暮らす提案を何度かされていますが、今は自立して、一人で生活したいと思っています」
と答えた。
■『自分の分まで強く生きてほしい』
筆者はこれまで生活保護受給経験者10人に話を聞いてきたが、生活保護を利用しても、あまり人生が好転しなかったのは望月さんが初めてだった。
望月さんは父親の自死により、現在までグリーフ状態に陥ったままであるため、心身に負担が出るとさまざまな不調が出てしまうのではないだろうか。
「父の遺書にあった『子ども達へ 自分の分まで強く生きてほしい』という言葉によって、私は今生きているのかもしれません……」と話す彼女にとって、父親の影響が大きかったことは確かなようだ。
グリーフと折り合いをつけて生きていくためには、心の中に溜めこんでいた感情や思いを少しずつでいいので出し、気持ちを整理していくことである。
それは心療内科医やカウンセラーなどの専門家でも、親しい友人や恋人でもいい。
父親の遺言を果たすために、まずはグリーフと折り合いをつけることが、必要不可欠なことではないだろうか。
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旦木 瑞穂(たんぎ・みずほ)
ノンフィクションライター・グラフィックデザイナー
愛知県出身。印刷会社や広告代理店でグラフィックデザイナー、アートディレクターなどを務め、2015年に独立。グルメ・イベント記事や、葬儀・お墓・介護など終活に関する連載の執筆のほか、パンフレットやガイドブックなどの企画編集、グラフィックデザイン、イラスト制作などを行う。主な執筆媒体は、東洋経済オンライン「子育てと介護 ダブルケアの現実」、毎日新聞出版『サンデー毎日「完璧な終活」』、産経新聞出版『終活読本ソナエ』、日経BP 日経ARIA「今から始める『親』のこと」、朝日新聞出版『AERA.』、鎌倉新書『月刊「仏事」』、高齢者住宅新聞社『エルダリープレス』、インプレス「シニアガイド」など。2023年12月に『毒母は連鎖する~子どもを「所有物扱い」する母親たち~』(光文社新書)刊行。
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(ノンフィクションライター・グラフィックデザイナー 旦木 瑞穂)

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