■もし医者が「勘」で治療したら、どうなるか
経営者やCHRO(最高人事責任者)、人事部長とお話ししていると、成果が得られない人事施策の多さに嘆いておられます。目立つのが、「トップの思いつき」「コンサルタントの主観による提案」、あるいは「他社のマネ」から出発した失敗です。
メディアで華々しく報じられた施策が「自社の問題解決に効果的かもしれない」と発想すること自体は、悪いことだとは思いません。しかし、その施策が「本当に自社で機能するか」を検証することなく、いきなり導入してしまうのは大いに問題があります。
失敗を繰り返さないよう、私が専門で研究しているのが「EBM(Evidence-Based Management)」という手法です。単純に邦訳すると、「科学的根拠に基づく意思決定」であり、検証のない経営への処方箋といえます。
この研究は、もともと医療の分野でEBM(Evidence-Based Medicine)としてはじまりました。経験や勘のみに頼るのではなく、その時点で得られる最善の科学的根拠に基づいて治療方針を決めるという考え方で、それを経営や人事の意思決定に応用したのがEBM、科学的根拠に基づく意思決定です。現在では政策領域でもEBP(Evidence-based policy)として取り入れられています。
EBMは、2000年代にカーネギーメロン大学で教鞭をとり、全米経営学会の会長も務めたデニーズ・M・ルソー教授などによって理論化・体系化されました。しかし、その課題をルソー教授自身が「私が最も落胆したのは、研究における発見が職場に十分に反映されていないことだった」と述べています。ルソー教授は会長講演などを通じて、優れた研究成果が生み出されても、それが職場の実務に十分に活かされていない――研究と実践の間に大きな隔たりがある、と問題提起しています(Rousseau, 2006)。
学術研究によって一定の効果が確認された施策があっても、企業の現場までその情報が届いていない。これが、効果のない施策導入が繰り返されてしまう一つの大きな背景になっています。
■ユニクロの初任給37万円に吊られていないか
では、EBMをどう生かすか。施策が有効かどうかを判断するエビデンスを「大きなエビデンス(Big-Evidence)」と「小さなエビデンス(Little-Evidence)」の2種類に分けて考えることです。まず「大きなエビデンス」とは、複数の企業や状況を横断して科学的に検証されるなど学術研究によって蓄積された普遍的な知見を指します。例えば、次のようなものです。
・心理的安全性の高いチームは、学習行動が活発になり、結果としてチームの成果が高まりやすい(Edmondson, 1999)
・採用面接は、面接官の印象で評価する「非構造化面接」より、全員に同じ質問をして基準で評価する「構造化面接」のほうが、入社後の活躍を予測する精度が高い(Schmidt & Hunter, 1998)
・360度(多面)フィードバックは、査定(評価)目的よりも、本人の育成を目的に使うほうが、行動変容やスキル向上につながりやすい(Smither, London & Reilly, 2005)
一方の「小さなエビデンス」とは、特定の企業や特定の状況において成立する事実のことを指します。例えば離職率、エンゲージメントサーベイ、採用ミスマッチなど、自社に蓄積された情報やデータを用いた分析結果である、自社の文脈に根ざした「小さなエビデンス」です。
先進企業の人事施策に高い効果が認められたとしても、組織文化や人材層、業界特性という「小さなエビデンス」に根ざした結果である可能性があります。話題に上がることが多いユニクロの初任給引き上げも、「競合他社との採用競争」という特定の文脈で機能したものです。別の企業がそのまま導入しても、自社の小さなエビデンスと合わなければ、同じ効果は得られないでしょう。
EBMでは、大きなエビデンスと小さなエビデンスを組み合わせて使います。
EBMを実践して実際に成果を上げている企業は、どのようにEBMを取り入れているのでしょうか。実践例として、私も執筆を担当した「人材マネジメントの革新」より、サイバーエージェントと住友商事を取り上げます。
■上司を飛ばして、役員だけが見られるデータ
サイバーエージェントでは、主要な経営陣8名のうちの1名がCHROであり、人事が経営の中核に位置づけられています。ユニークな取り組みとして、全社員を対象とした月次パルスサーベイ「GEPPO(ゲッポウ)」があります。
これは社員一人ひとりが、「快晴」から「大雨」までの天気記号で日々のコンディションを回答するアンケートです。ポイントは、直属の上司には閲覧権限がなく、役員と人事担当者のみが確認できる設計にしている点です。これにより、上司への忖度がない「精度の高い本音のデータ(小さなエビデンス)」を収集し、メンタル不調や離職予兆の早期把握など、人事の意思決定に直結させています。
また、新卒配属には、自社のデータを用いたスコアマッチングシステム「miCAEL(ミカエル)」を使っています。スモールeの取り組みによって、2023年時点のデータではありますが、働きがいを感じる社員が87.5%、離職率は7.4%という優れた数値を維持しています。
一方の住友商事では、新卒採用において自社が求める「ポテンシャル」を明確に言語化したうえで、配属先を確約する「Will型」と、配属先を限定しない「Open型」の選考を組み合わせています。
2社の事例からもわかるように、成功している企業は、大きなエビデンスとして効果のある施策を単にマネるのではなく、「自社のデータを集め、それを検証し、人事の意思決定に繋げる」というEBMのサイクルを仕組みとしてしっかりと回しています。小さなエビデンスと向き合い、自社に最もフィットした仕組みを構築・検証し続ける。それこそが、確かな成果を生み出す最大の秘訣と言えます。
■なぜ、あなたの提案は通らないのか
人事部門の方々からは、「施策への投資を経営会議で認めてもらうこと自体が難しい」というお悩みをよく耳にします。原因は提案者が、「なぜそれをやるのか」を経営の言葉で説明できていないことにあります。「他社もやっているので」ではなく、「自社のデータを分析すると、この層にこの効果が見込める」と、根拠とセットで示せれば、経営の意思決定は一気に速くなります。人事施策に限ったことではありません。
人的資本経営が問われ、投資家も企業の人事情報を注視する時代です。だからこそ、エビデンスで語れる人事は、経営から最も頼られる存在になれます。EBMは、人事が「コストセンター」から「経営を動かす部門」へと立場を変えるための、確かな武器になるのです。
■学術領域の知見を手にする方法
では、EBMを学ぶ第一歩として、何からはじめればいいのでしょうか。まずは、先述したルソー教授の指摘のとおり、人事の実務家として学術論文や専門書に目を通してみることです。初めは読みやすい入門書などで構いません。例えば『人材マネジメントの革新 理論を読み解くための事例集』(江夏幾多郎・石山恒貴・服部泰宏編著/千倉書房)や、拙著で恐縮ですが『組織分析の教科書 研究者と共創するエビデンスベース人事』(佐藤優介・甲谷勇平・羽生琢哉著/インプレス)などは、データ活用の知見や具体的な導入例がまとまっており、おすすめです。
とはいえ、専門的な学術書を一人で読み込むのは、なかなか骨が折れる作業です。そこでおすすめしたいのが、同じ問題意識を持つ仲間と一緒に学ぶことです。
私自身、数年前から人事の実務家と研究者が集まって議論する場を続けていますが、一人で黙読するよりも、実務の悩みをぶつけ合いながら学ぶほうが知見の定着率は圧倒的に高まります。「自社ではどう応用できるか」といった具体的な議論に繋がるのも大きな利点です。
経営者の思いつきや他社の成功事例を鵜呑みにせず、まずは「一つの仮説」として捉え、自社のデータで検証することからはじめる。そして、仲間とともに実践的な議論の場を持つこと。それこそが、経験や勘に頼る人事から脱却し、組織を動かす確かな力を手にするための、明日から打てる確実な一手なのです。
【参考文献】
・Rousseau, D. M. (2006). Is There Such a Thing as “Evidence-Based Management”? Academy of Management Review, 31(2), 256–269.
・Edmondson, A. C. (1999). Psychological Safety and Learning Behavior in Work Teams. Administrative Science Quarterly, 44(2), 350–383.
・Schmidt, F. L., & Hunter, J. E. (1998). The Validity and Utility of Selection Methods in Personnel Psychology: Practical and Theoretical Implications of 85 Years of Research Findings. Psychological Bulletin, 124(2), 262–274.
・Smither, J. W., London, M., & Reilly, R. R. (2005). Does Performance Improve Following Multisource Feedback? A Theoretical Model, Meta-Analysis, and Review of Empirical Findings. Personnel Psychology, 58(1), 33–66.
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佐藤 優介(さとう・ゆうすけ)
一般社団法人HR Buddy研究所 代表理事/慶應義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント研究科 特任講師
1984年、秋田県生まれ。
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(一般社団法人HR Buddy研究所 代表理事/慶應義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント研究科 特任講師 佐藤 優介 構成=伊田 欣司 撮影=今村 拓馬)

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