シングルマザーは貧困と直面することが多い。企業向け金融教育を行っている勢口真理さんは「私も子2人を抱え家電量販店でパート勤務をしていたころは極貧生活を余儀なくされた。
今月末、家賃が払えなくなるかも、という恐怖に怯えていた」という――。
※勢口真理『シングルマザー 億り人になる』(プレジデント社)の一部を抜粋・再編集したものです。
■離婚後、6歳の長男、4歳の長女と3人暮らし
職場結婚した夫とは36歳で別居して、3年経ってから正式に離婚しました。何より大切な子どもたちを絶対に守るためにはこの選択しかないと、覚悟を決めました。
不安がなかったかというと嘘にはなりますが、それでも腹を括って、自分で責任を取ると決め、シングルマザーという道を選択しました。
安いアパートをなんとか探して、6歳の長男と4歳の長女を連れて3人で暮らし始めたんです。長男の小学校入学が決まっていたので学区を変えるわけにはいかずに、結局、学区内ぎりぎりの一番遠い場所、駅からもとても遠い場所になんとか払えそうな家賃のアパートを探してそこに移りました。
最初のアパートは家賃5万円だったと思います。当時の私にはそれが精一杯でした。「アパートってこうなんだ……」とその時初めて知ったぐらい、上の階にはどこの国の人かわからない外国の人が住んでて、バタバタする音がもろに聞こえるんです。それまでの当たり前の生活とかけ離れていた、いえ、かけ離れ過ぎていました。
■涙をこらえ、小さな後ろ姿に「ごめんね」
あの頃の一番の苦悩を今でも覚えています。
長男はとてもおとなしい子で、保育園でもどちらかというと黙々と静かに遊ぶような子でした。体も華奢で細くて。そんな長男が新1年生になり、大きなランドセルと両手に私の手作りのバッグを持って初めて通学班で登校する朝。
学校までの遠い道のりを大人の都合で歩かせることになってしまったこと、大きなお兄ちゃんお姉ちゃんたちにくっついて一生懸命歩いていくその小さな後ろ姿を「ごめんね」と涙をこらえながら見送ったあの朝は今でも目にやきついています。
そんな辛い思いをして見送った後は、今度は娘を保育園に送ってからパートに出勤です。娘は比較的手のかからない子だったので時間に遅れるとかそういうことはあまりありませんでしたが、何しろ保育園までの距離が遠いので、自転車の後ろに乗せてかっ飛ばす毎日でした。
保育園に娘を預け「じゃあママ行ってくるね! 遅れないように迎えにくるね!」とバイバイして、また超特急で自転車をこいでパート先に向かう。夏はもう汗だくですよ。必死の形相で自転車をこぐママの姿があったと思います。
■毎日が嵐。座っている瞬間なんてない
仕事が終わったら今度は急いで退勤して、また自転車をかっ飛ばして保育園に娘を迎えに行き、その足で今度は息子を小学校内にある学童に迎えに行きます。保育園も学童も終わりの時間があるので、とにかくそれまでに間に合うように急がないといけない、この時間との戦いが毎日です。

仕事で接客が延びるといつもヒヤヒヤして、本当は接客に集中して売上を上げたいのに、泣く泣く、早々に切り上げたりすることもありました。こんなとき、旦那さんがいる人は協力してどちらかがお迎えに行くとか出来るんだろうな、と、一馬力の苦しさを痛感する日々でした。体が2つ欲しかったですね。
2人をピックアップして、2人の荷物を抱えさせながら自転車の前と後ろに乗せて重い自転車をこいで帰宅です。疲れたなんて言ってられません。無事に家に着いたと思ったら、荷物の片付け、急いで洗濯物を取り込み、夕飯の支度をしながら子どもたちの宿題や明日の持ち物、提出物の対応。そういえば座ってる瞬間なんてなかったですね。
私は料理が得意なわけではなかったのですが、いちおう、その頃はなんとか作って食べさせてたなと思います。毎日が本当に嵐のようで、自分のことなんて考える間もなかったです。
■安いアパートをママ友に見られたくない
とにかく仕事の時間を削ると給料が減ってしまいますから、まずは「勤務時間」を増やしました。時給で働くというのは、そういうこと。必然的に体を酷使します。
何より重要だったのは「生活を守ること」「路頭に迷わないこと」しか考えていませんでしたから、とにかく「時間」という代償を必死に払い続けていました。
「堕ち過ぎてしまった……」と感じました。そんな自分が悔しかった。安いアパートに住んでいるのを、保育園のママ友とかに見られたりするのもすごく嫌でした。
当たり前に立派なマンションや一戸建てに住んでいるママ友たちは旦那さんもいて、雑談での話題も夫婦ゲンカの話とか。私は独り身だから夫婦としてのストレスこそありませんでしたが、やはり危機感や感覚が違い過ぎるので、ママどうしの雑談からも自然と遠ざかっていきましたね。
保育園の退園時間になれば、みんなでいっしょに帰らなければなりませんから、そのときに自宅を見られてしまうのが嫌で、わざと途中で買い物に寄ったりもしていました。自宅を見たママ友から「シングルマザーだからしょうがないよね、かわいそうに」などと思われたくなかったんです。
■シンママが陥りやすい負の連鎖
高校の友達も普通に結婚して、普通に豊かに暮らしている。ママ友たちも旦那さんがちゃんと稼いでくれて、子育てに専念できて、パートしてても気楽な感じに私には見えていました。なのに、なんで私だけこうなんだろう、なんでこんな生活してるんだろう――周りと自分を比較して、本当に苦しかったです。自分には能力がない、幸せに生きる能力がないんだ、と、潜在的に自分自身をすごく責めていました。

やはり、シングルマザーでも頑張って、強がってはいるものの、子どもたちにみんなと違う家族の形を背負わせてしまっていることじたいにはずっと負い目とか、申し訳ない気持ちがずっとあったんです。
こうしてどんどん閉鎖的になって、人付き合いが悪くなっていきました。食事をするときも周りから気を遣われている気がして、本当に屈辱的でした。今思えば、周りの人たちはそんなことまで考えていなかったと思いますが。
私は両親にしっかり育ててもらったのにシングルマザーを選択し、しかも貧しい暮らし。親に対して本当に申し訳ない、という後ろめたさも実は感じていました。
■「月末が来るのが怖かった」
それに、両親にはあんなに豊かに育てられたのに、自分は自分で当たり前だと思ってきた温かい生活の中で、自分の子どもを育てることが出来ていない。こんな娘で、こんな親でごめんなさい……と、ずっと思いながら暮らしていました。
子どもたちとどこかに出かけても、心から笑えるときがまったくありませんでしたし、そんな自分のこともどんどん嫌いになっていきました。ひどい自己嫌悪にさいなまれ、自己肯定感も下がる一方でした。
貯金なんてほんとに出来ません。月々稼いだお金の全部が生活費に消えるし、保育園のお金ももちろんかかります。
ギリギリです。もう、言葉通り、本当にギリギリ。この手取りで家賃5万円、光熱費がかかって、月々の生命保険料(掛金)も払って。
毎月末に迫る、家賃が払えなくなるかもしれないという恐怖。「今月、大丈夫かな」とか、未納に対する恐怖心。贅沢したうえでの未納ではありませんが、かといって、それが続いたら家を追い出されるわけじゃないですか。
貧しさの恐怖ってこういうことをいうんでしょうか。「自分はダメなんだ」と精神的に追い込まれて、ずっと追い立てられる感じでした。精神的に落ち着くこともなく、未来に期待できるわけでもない。ただ、目の前のことを一生懸命やるしかありませんでした。
生活にいっぱいで、残るお金がない。貯金が出来ない。
未来へのお金がつくれない。自転車操業がずっとずっと続く。絶望しかありません。
「未来への見通しがない」――これが一番苦しかったですね。

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勢口 真理(せぐち・まり)

Financial Well-being Japan取締役

幼少時は恵まれた生活を過ごし、大手企業に就職するも目的を見出せずすぐに辞職。結婚して子を2人授かった後に離婚。賃貸アパートで子育てを継続しながら家電量販店のパートに従事し、創意工夫で全社TOP5%のエース級の成果を上げる。ヘッドハンティングを受けて外資系生命保険へ移り、入社初年度より社内TOP5%で社長杯入賞。業界TOP5%以上の優績者だけが対象となる世界基準MDRT(Million Dollar Round Table)会員にも連続入会、一転して年収が3000万円超に。日本国民の「真の幸せ」の追求を目指してマネーリテラシーを上げる勉学に励み、現在はFinancial Well-being Japan取締役として企業向けに米国型金融教育を提供中。著書に『シングルマザー億り人になる』がある。

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(Financial Well-being Japan取締役 勢口 真理 構成=西川修一)
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