2021年の年初以降、つい最近まで外為市場で円は独歩安の状況だった。2021年1月4日、1ドル=103円程度の水準にあった。
ところが、ここにきて、円安トレンドが転換するのではないかとの観測が出始めた。きっかけの一つには、日米の協調介入に加えて、米国のスコット・ベッセント財務長官の円高を後押しする発言があった。
昨年夏場ごろから、同氏は円安を抑止する発言をしていたが、最近、そのニュアンスが一段と強まった。特に、足元での同氏の円安抑止姿勢は、かなり踏み込んでいる。同氏は、もともとファンドマネジャーだったこともあり、投資家もその発言を全く無視することはできない。
■日本の金融緩和、積極財政に「NO」
一部報道によると、ベッセント財務長官は、高市政権の積極財政の修正を迫ったと言われている。これまで、高市政権はインフレ環境下でも緩和的な金融政策と、積極的な財政政策を重視する経済運営をするとしてきた。ベッセント氏は、そうした政策を見直して、円安に歯止めを掛けることを促しているようだ。
ベッセント氏は、投機筋などに対して「円を売るな」とまで警告した。同氏の強力な姿勢に影響され、ひとまず行き過ぎた円安は止まったように見える。
本格的な円高への転換には、日米の金利差の縮小が必要になるだろう。そのためには、日銀の円滑な金利引き上げも重要なファクターだ。また、わが国のインフレ懸念の低下、高市政策の修正による財政悪化懸念の払拭等も重要になる。
これらの条件を満たすためには、まだ、もう少し時間がかかるかもしれない。ただ、ベッセント財務長官の円安阻止の姿勢は、相応の効果があることは間違いない。
■円売り材料を提供し続けた高市首相
2021年の年初に今回の円安相場は始まった。当時の為替レートは、1ドル=103円前後だった。そこから、異次元緩和を重視したアベノミクスもあり、円安トレンドが進行した。
日銀の金融緩和観測を背景に、日米の金利差は拡大した。大手の投資家は円資金を調達し、それを金利の高いドルに換えてドルで運用する、いわゆる円キャリートレードを増やした。
その後、米国の景気減速懸念が出たこともあり、連邦準備制度理事会(FRB)の利下げ観測が増えると、ドルの上値は重くなってきた。
2021年初からの円安トレンドは、過去と比較してもかなり急速に進んだ。特に、昨年10月の高市政権の発足後は円売りが急増した。
高市首相は当初、円安を歓迎するともとれる発言を行ったこともある。それは円売り材料だ。さらに、首相はインフレが進む経済環境の中で、財源を明確にしないまま補助金の支給や減税策を打ち出した。これは、財政の悪化懸念を高める。財政出動の拡大で、物価もさらに上昇する。
■1ドル=164円、40年ぶりの水準に
しかも、首相は日銀に対して、緩和的な金融政策を運営するよう要請をしたともいわれている。その結果、外為市場では、ドルやユーロを買い、円を売る投資家が増えた。高市政権発足後、円安傾向は、内外の金利差などで説明することが難しいほど進んだ。
今年7月下旬、一時1ドル=164円目前まで円は売られた。約40年ぶりの円安水準だ。円安は輸入物価の上昇につながり、インフレ懸念を高める。それを反映して国内の長期金利が上昇すると、世界的に金利上昇傾向を加速することにもつながりかねない。
そうした展開を食い止めるためにも、7月下旬以降、日米は協調して為替介入を実施した。8月第1週、1ドル=155円台前半まで円は買い戻された。ただ、協調介入の効果は長続きしなかった。8月中旬には、1ドル=159円台、後半には160円台まで売り戻された。
しかし、永久に円が下落し続けることは考えづらい。8月下旬、一部の投資家は過去の経験則から、そろそろ相場に反転の兆しを意識し始めたようだ。
■ベッセント発言で160円→152円台に
そうした影響もあり、9月2日以降、円独歩安の状況は一変した。2日の東京時間正午過ぎ、1ドル=160円30銭程度だった円の為替レートは、8日には152円台後半まで急伸した。
昨年の夏場以降、ベッセント氏は円安阻止に向けた発言を繰り返してきた。その根底にあるのは、米国の長期金利上昇への懸念だ。円安が続くと、わが国の為替介入の機会は増える。
介入の際、日本は保有してきた米国債を売却して、その資金で円を買うことになる。ということは、円安傾向が続くと、米国金利に上昇圧力が掛かりやすいことになる。ベッセント氏は、それを嫌ったのだろう。
高市政権下の財政拡張政策は、財政悪化懸念も押し上げた。インフレ環境下での積極財政は総需要を押し上げ、物価はさらに上昇しやすくなる。その中で、日本銀行による異次元の金融緩和の正常化が遅れると、日本の金利上昇圧力は一段と高まる。
グローバル化によって、主要国の金利の相関関係は強まった。介入の増加、財政悪化懸念を反映した悪い金利上昇、いずれも米国の長期金利につながり、米国家計の打撃は増える。
■大手投資家に向け「胴元は私だ」
ベッセント氏にとって、円安を抑え米金利上昇のリスクの芽を摘むことは重要だ。そのため、8月31日~9月1日に開催されたG20財務相・中央銀行総裁会議で、ベッセント氏は植田日銀総裁に明確に「円安が日本国内のインフレ圧力の一因になっている」と警告した。
ベッセント氏は、日本はリフレ政策(リフレーションは通貨膨張の意味、緩やかな物価上昇を目指し大規模に金融緩和・財政出動を実行する)をやめるよう促したという。
その後、一部の米紙は、5月にベッセント氏が片山財務大臣に、高市政策への強い不満を述べたと報道した。歴代の米財務長官の対日要請と比較しても、これらベッセント氏の姿勢はかなり強硬とみられる。
ベッセント氏は、ファンド勢などの大手投資家に対して「市場参加者が知らない情報を持っている。胴元は私だ」とまで述べた。言ってみれば、「円を売るな」と警告したと言える。同氏の円安抑止発言により、「2021年以降の円安傾向はそろそろ終わるかもしれない」とみて円は買い戻された。
■円安転換の要因はまだ解消されていない
一連のベッセント財務長官の発言等により、とりあえず、1ドル=160円台のような極端な円安は止まったように見える。今後、ベッセント氏がより強硬に円売りを制限するような発言を繰り出し、円が追加的に買い戻されることもあるかもしれない。
ただ、これで、本格的な円高トレンドへ転換するかは慎重な検討が必要だろう。過去の円相場を振り返ると、やはり米国の景気減速懸念が高まって、米国の利下げ予想が出てくることが円高転換の要件の一つだったケースが多い。
現在の米国経済は、何とか底堅さを保っている。低所得層の家計債務の増加など懸念はあるものの、全体として労働市場の改善を支えに個人消費はそれなりの状態を保っている。
AI関連のデータセンター投資も旺盛だ。資金需要がすぐに減少することは考えにくいだろう。また、イラン戦争の影響もあり、米国における物価上昇への警戒感も高まっている。FRBとして、利上げを再開し金融を引き締めることも考えられる。わが国の金融政策の正常化ペースにもよるが、日米の金利差はなかなか縮小しづらい状況が続くと予想される。
■「本格的な円高」はいつ訪れるのか
日本国内の要因にも注意が必要だ。昨年10月以降、1ドル=150円台から160円台前半までの円の下落は、高市政策に影響された側面が大きい。ベッセント氏の発言をもってしてもドル/円は高市政権発足前の水準には戻らなかった。
大手投資家は、円安重視・拡張的・緩和的な財政金融政策を重視する、高市政策はまだ続くと予想している。日銀の利上げペースが加速するとの観測もあるものの、コストプッシュ型のインフレに利上げで対応することは容易ではない。
米金利の低下予想の増加、日本の本格的な経済政策の修正、それらの実現には時間がかかりそうだ。今回の円相場の動きが、すぐに本格的な円高につながるとみるのはやや早計だろう。ベッセント財務長官の発言などが続くと、当面、円は強含み持合いの展開になるだろうが、一挙に円高傾向が進むことは考えにくい。
現在の日米の経済状況が続く場合、とりあえず、一定のレンジ内でのもみ合いの展開が続くことになりそうだ。ただ、日銀の利上げが予想通り実施されると、少しずつ円高方向に進む可能性があるはずだ。
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真壁 昭夫(まかべ・あきお)
多摩大学特別招聘教授
1953年神奈川県生まれ。一橋大学商学部卒業後、第一勧業銀行(現みずほ銀行)入行。ロンドン大学経営学部大学院卒業後、メリル・リンチ社ニューヨーク本社出向。みずほ総研主席研究員、信州大学経済学部教授、法政大学院教授などを経て、2022年から現職。
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(多摩大学特別招聘教授 真壁 昭夫)

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